7話 イエム、12歳の旅立ち
遠く小川のせせらぎの合間に小さな足音が聞こえました。
木立の向こうにイエムの姿が見えます。
背には矢を背負い、腰には小剣を差して、足音を立てないように移動しています。
その目は一点を凝視して動くことが無く、呼吸も静かです。
「バウッ!」
突然、林の静寂を縫うように一匹の狼が飛び出してきました。
獲物は警戒していた方向とは反対からの襲撃に驚き、こちらに躍り出てきました。
――シャアアアアァァ
それは紅色の毒々しい色彩を放つ大蛇でした。
4m近くはあるでしょうか、鎌首をもたげタチロウを威嚇しています。
-<ビンジャン>― 氷の矢
イエムの口から短く唱えられた詠唱文に導かれ、小さな輝く矢が軌跡を残して大蛇に迫ります。
寸前で気付いた大蛇は避けようと身をよじりますが、タイミングを計ったタチロウの咆哮が轟き、ひるみが発生し、避け損ねます。
――シュルルルル
それでも大蛇は関係無いと言うように、イエムの方へと向かってきました。命中した箇所も多少の傷がついた程度で、出血も少量です。
「やっぱり、二次効果出ないかぁ」
「基礎魔法ではこの程度ということですね」
私は今回手を出さない約束です。さて、向かって来た大蛇にイエムはどう動きますか。
イエムは小剣を構えると大蛇の突進に合わせて飛び上がりました。
風の魔法によって上昇幅を嵩増しし、大蛇の頭頂と同じ高さまで跳躍。
「よっと」
再び、上空で風魔法により軌道を変更し、大蛇の胴体を躱します。
これは、アーシェが真っ先に教えた魔法で、風の基礎魔法の応用です。
思念魔法に分類されますが、発動は意外と簡単で緊急時の回避手段として、魔法剣士などの間では必須のテクニックだそうです。
「バウワウ!」
ここでタチロウが流れた胴体に噛みつきました。
――ジャアアアアアァアア
流石の大蛇もこれは効いたらしく、引きはがそうと頭を向けます。
「もらった!」
-<バオガン>― 纏電
イエムの掛け声とともに、小剣が帯電、風魔法に押し出された体は一直線に大蛇の首へと肉薄し、小剣が中ほどまで突き刺さりました。
断末魔の叫びを上げて、大蛇はのた打ち回りましたが、
やがて力尽きたのか林の中を再び静寂が覆います。
「やったー!」
「みたいですね」
イエムが勝鬨を上げる横で、大蛇に刺さった小剣を抜きます。
念の為、私の手足を変形、ナイフのような形状にし、首をはねます。
万が一がありますからね。
「さて、お祝いを言わなければなりませんね。ノルマ達成おめでとう」
「ありがとう先生! 思ったより時間かかちゃったけど」
「まぁ火魔法禁止というハンデがありましたから、仕方ありませんね」
「ああ、火が使えたらなぁ、あんなの一発なのに」
「まぁまぁ、アーシェもあなたの為と思ってのことです」
「まぁでも、終わったからいいや」
「そうですね。これで晴れて旅立ちです」
「うん」
感慨深そうにうなずいた彼を私は親のような気持ちで見つめました。
イエムは12歳になりました。
背が伸び、体つきは一段と肉付いてきたように感じます。
当初、半年で終了する予定だった修行は伸びに伸び、さらに一年かかりました。
現在基礎訓練を全て終え、実践訓練の一環として、山籠もりの最中。
アーシェの出したノルマを達成するまで何年でも伸ばすと言われ、イエムは死にもの狂いで魔物を狩りました。そうして、今日すべてのターゲットを討ち取り、晴れてノルマ達成です。
「バウ!」
タチロウも旅に同行することになりました。
もはや狼のボスとでも言う程度大きくなったタチロウですが、最近進化しました。
進化というのは、モンスターがある一定の経験を詰むと、霊素が急激な発育を促す現象らしく、全く別の生物になることもあるそうです。
進化したタチロウと言えば、大きく変わったところはありませんが、体が一回り大きく、そして口元に鬚を生やしています。
これは、ランという器官だそうで、霊素の臭いを嗅ぎ分けることができるそうで、狩りなどでとても重宝されます。
灰色狼の進化は珍しいらしく、このままこの土地にいても持て余すだけだろうということで、連れて行くことになりました。
「さあ、行こう先生。明日には村を出るんだから」
「ふふ、そう急がなくても明日は逃げませんよ」
「いいから。早く早く」
そう言って、イエムは駆けて行ってしまいました。
さぁ、明日は旅立ちです。
◇◇◇◇◇
「さて、まず旅立つにあたって、計画を立てたいと思います」
「異議なーし」
「当然ね」
場所は私の家。イエムとアーシェ、そして私の三人で話し合いを持つことになりました。
「まずイエムの目的を話してください」
「はい、議長」
イエムはノリ良く、起立します。
「王都で学園の入学試験を受けたいです!」
「ふむ、意志は決まったようですね」
デリーが薦めた進路ですが、イエムは乗り気のようですね。
「学園に入るのはいいけど、火魔法は禁止だからね」
「え!?」
アーシェの台詞にイエムが驚きます。
「アーシェの弟子なのだから、得意魔法無しでも見事主席を取ってみなさい」
「そ、そんな無茶な……」
「アーシェ、流石にそれは無理難題では……」
「勿論、火魔法の鍛錬も欠かさないこと。あなたにはそれだけのことができる才能があるわ」
「うう、分かったよ。むむむむ」
イエムが早速頭を抱えてしまっています。
実際、イエムの才能がどれほどのものなのか、この小さな村では計り兼ねるものがあります。
アーシェ曰く、イエムの本来の力を引き出すことができるかどうかが鍵だそうですが。
「それで、王都までの道のりですが、どれくらいなのでしょうか」
この村には地図と呼ばれるものが存在せず、実際に旅をした人間の経験則でしか距離を測ることができません。さらに言えば行き掛りの行商人も少なく、いまいちその実態を知ることができないでいます。
「村長の話によれば、およそ3ヶ月ほどだそうよ。歩いてだけど」
「そうなると私とアーシェはいいとして、旅慣れないイエムは苦労しそうですね」
「大丈夫だよ先生。こう見えてもオーガの息子だからさ」
自分の頭にある小さな瘤をさしてイエムが言います。
「まぁ、そうね。実際ハーフオーガのこの子はタフだと思うけど、それでも雨露を凌げる場所くらいは用意しなきゃね」
アーシェが優しくイエムの頭を撫でます。
こういった行為が、母親のいないイエムには嬉しいらしく、大人しく撫でるがままにされています。
「となると、テントのようなものは必要ですね」
「それについてなんだけど、ここから歩いて4日の場所に小さな街があるの。アーシェは行ったことが無いけど、役人などはそこに駐在してるらしわ。そこで、旅に必要なものを揃えようと思うのだけど」
役人と言うと、あのアドゥケスの顔を思い出します。彼らも王都に住んでいるわけではないだろうとは思っていましたが、どちらかと言えば窓際の人たちだったのかもしれません。
「ふむ、それで良さそうですね。あと問題があるとすれば、私たちの見た目でしょうか」
「子供と得体の知れないゴーレムとしか見えないってこと?」
「物を売るにしたって、怪しまれずにとはいかないでしょう」
それを聞いたアーシェは、ニヤリと口角を吊り上げ、私の前に来ました。
「ふふふ、ゴトー。いいことを教えて上げるわ」
「なんですか? アーシェがいつも睦言で私の名前を呟いていることは知っていますよ?」
途端にアーシェが私の頭に張り付いてきました。
「ちょっと、それアーシェも知らないんだけど!? 嘘だよね? そんなこと言ってないよね?」
「さぁどうでしょうか。ただ一つだけ。とても可愛かった、とだけ言っておきましょうかね」
「ニャ!? なななな、そそそそそんなこここ」
「それで、何を教えてくれるのですか?」
一向に動揺が収まらないアーシェに先を促します。
「も、もう。驚かせようと思ったのに、うー、見てろよー」
彼女は乱れた頭髪を整え、私の頭からサッと空中へと踊り出ます。
すると、アーシェの姿が段々大きくなり、一人の大人の女性が現れました。
背中の葉は仕舞われ、髪も落ち着いたダークグレーになっています。
「どうかしら、これぞアーシェ人型モード」
美しい女性でした。着崩れた着衣が扇情的で、男が放っておかないような色香を放っていました。
「うーん、私はさらに不安になったのですが……」
「姐さん。エロだね」
イエムはどこでこういった言葉を覚えてくるのでしょうか。しかも親指を立てています。
「大丈夫、街に出る時はちゃんとした服着るから。アーシェが魔法使いでイエムが息子っていう設定でどうかしら、ゴトーはアーシェのゴーレム」
「まぁ他に案も無いでしょうし、それでいきますか」
「よろしい、そうと決まれば、村の衆に服貰ってくるわね」
そういうと、その格好のまま家の外へと駆け出していきます。
ああ、アーシェそんなに急ぐと、例の間の悪い男が……
「うお!」
声はイエムの家の方角から聞こえてきました。
窓から覗けば、デリーが驚愕の表情を張り付けてこちらに走ってくるのが分かりました。
「お、おい先生。なんだ今の別嬪さんは、とんでもねぇ格好してたぞ」
「親父……」
最近、イエムの父親を見える表情が残念な人を見る目に変わってきました。
頑張ってくださいデリー。
まだ希望はあります。
多分。
◇◇◇◇◇
結局、村人たちの選別といった形で、幌付きの荷車と僅かばかりの心付けをいただきました。
荷車はデリーの御手製で、幌は村の女衆がヤクーの皮で縫ってくれたそうです。
「達者でな。イエムよ。それにゴトー様もお気をつけて」
村長の言葉をいただきました。アーシェは身元がばれると厄介なので、私が雇った傭兵ということにしています。アマーシアがこの地を離れると分かったら全力で反対されるでしょう。
「ワウ!」
「おっと、タチロウもだったな」
今タチロウは荷車を固定できる器具を付けてもらっています。
当初は私が引いていく予定だったのですが、どうも荷車が気に入ったようで、自分からやりたいとでも言うように離れなかったので任せることにしました。
一つ心配なのはこの場にデリーがいないことでしょうか。
てっきりいの一番に声をかけてくると思ったのですが、泣き顔でも見られたくないのかもしれません。
「では、いってきます!」
イエムが高らかに宣言すると集まった村の衆から歓声が起こりました。
タチロウにも子供たちが駆け寄っていきます。村の番犬をするようになってからは、子供たちに人気でしたからね。
「デリーは来なかったわね」
村人たちが見えなくなったところでアーシェがぽつりと言いました。
「親父」
イエムも寂しそうです。初めて親元を離れるのですから、当たり前ですね。
そうやって村境に来たころ、道の真ん中に胡坐をかいてデリーが座っていました。
「親父!」
イエムが叫ぶとデリーがゆっくりと瞑っていた目を開けます。
「きたか」
「来たかじゃないよ。どこいってたんだよ」
落ち着いた様子で立ち上がると、イエムの前に仁王立ちしました。
「……イエム。よく聞け。俺たちオーガには掟がある」
「掟?」
「男が一人で家を出るならば、家長を倒していかねばならん」
「なんだそれ、聞いたことないよ?」
「問答無用。お前が旅立つというならば、俺はその前に立ちはだかる壁でなければならない。さぁ自由に生きたいのならその強さを示して見せろ!」
そう言うと、無防備なイエムを殴りとばしました。
「デリー、いくらなんでもそれは……」
「先生、すまない。ここは手を出さないでくれ。我が家の掟なんだ」
イエムは相当堪えたようで、ふらふらと立ち上がりました。
「なんだよ、いきなり、いままで反対なんてしなかったじゃないか!」
「問答無用と言っただろう。御託は良いからかかって来い」
デリーの姿に珍しくイエムは頭に来たようで、睨み返しています。
「このクソ親父がぁ!!!」
イエムは風の魔法を使用し、デリーに肉薄しました。
しかしデリーの反応は早く、カウンター気味のパンチを貰ってしまいます。
「そんなものか、お前は何のために王都に行くんだ。母親に会いたい? 甘ったれるなお前など所詮、ゴブリンに毛の生えたガキだ。世界は広い。そんなことではあっという間におっ死んじまうぞ」
デリーのラッシュは続き、情け容赦ない拳がイエムへと降り注ぎます。
もはや、ガードする気力も無いようで、されるがままです。
「仮にもこの俺の息子なら一発入れて見せろ! それともお前は母親の血が混じったから弱くなっちまったと、そう言われたいのか!」
すると、その瞬間、イエムの内側から膨大な霊素が流れだしてきました。
修行中でもこれほどの量を吐き出すことは無かったはずです。
「母さんの」
絞り出すように口から出た言葉に合わせてイエムの体が膨らみ始めました。何の比喩でも無く、体の各所が膨張し、その一片にまで霊素が流れ込むのが分かります。
「悪口を」
握りしめた拳にその全ての圧力が集中します。
あれを喰らえば私の体とて、ただではすまないかもしれません。
「言うなぁ!!」
打ち出された拳は私のセンサーをもってしても、捉えるのがやっとでした。
インパクトの瞬間、デリーにも同じような現象が起こり、力と力がぶつかります。
激しい衝撃が抜けると、二人の間の地面にクレーターが発生し、巨大な力の衝突を喚起させます。
土煙が捌け、その姿が露わになります。
力は拮抗したのか、お互いに拳を打ちあったままその場に立ったままです。
「んーよし! 合格だ」
そう言うとデリーはイエムの頭を撫でました。唐突に笑顔を見せます。
当のイエムは意識こそはっきりしているものの、
とても疲弊した様子でなんとか立っているような状況です。
「親父、なんなんだよ」
「掟とはな、鬼の極意さ」
「極意?」
「イエム。よく覚えておけよ。これが『鬼人化』だ。これが覚えられないような鬼は半人前さ」
どうやら、イエムのスキル欄にあったのはこれだったようですね。
それにしても、教える為だとは言え、無茶な父親です。
「鬼人化……」
「母さんの悪口を言ったことは謝る。だがな、イエム。お前の存在は否応でもオーガたちの耳に入るだろう。オーガと言えば、脳が筋肉でできてるような連中ばかりの集団だ。そんな中で、お前のような魔法を武器に戦う鬼は目立つ。そこでお前が中途半端な奴だったなら、そいつらはお前をさして、半人前と口々に言うだろう。だから、一番になれ」
デリーは指を天に向けます。
「どうせやるならテッペン取って来い。そして俺に言わせてくれ。俺の息子は天下一の大魔導師だと」
「天下一の大魔導師……」
イエムの瞳が刹那輝きました。
それが天啓であるかのように、繰り返します。
「それと、餞別とは違うが、お前の本当の名前を教えてやる」
「名前? どういうこと?」
「ステータスプレートには記載されないように、母親が魔法をかけたんだ。お前には俺とクラリスの名前がちゃんと残っている」
デリーが差し出したのは木彫りの札です。
「お前が生まれた日に彫った。いつか役に立つこともあるだろう。この名前をお前に送る」
イエム・フォアード・アスール
「正真正銘お前の名前だ。フォアードは俺の家、アスールはクラリスの姓だ」
木札をイエムに渡すと、デリーはクルリと反転し、片手を上げます。
「じゃあな、湿っぽいのは嫌いだからよ。俺はもう行く」
デリーがそう言って歩き去ろうとすると、その背中にイエムが抱きつきました。
「おやじ、いばばであびばどう」
くぐもった声で絞り出した声にデリーは振り返らず、イエムの頭を一つ撫でました。
しばらくそうやって穏やかな時間が流れましたが、デリーが小さく何事かイエムに告げ、イエムが一つ頷きました。やがて親子はその身を離します。
「クラリスによろしくな」
「わがっだ」
こうしてイエム・フォアード・アスールは故郷のシロの村を旅立ちました。
未だ見ぬ母を求めて。
※こういった話書くのは難しいですね。
特に間の取り方が分かりませんorz
何はともあれ、イエム旅立ちました。
母を求めてどこまでいくのでしょうか。
仕事が忙しく、四日ごとの更新になるかもしれません。
申し訳ございません。