5話 ゴトーさんと母樹
降り注ぐ陽の光に私の体は煌めいておりました。
場所は母樹アマーシアの麓。その根は末広がりに、果てが見えないほどです。
私とイエムの二人は久方ぶりにここへやってきました。
あれから、イエムの入学試験の日取りが半年後だと分かった後、百年に一度しか託宣をしないはずのアマーシアが巫女を通して意志を伝えてきたのです。まぁ巫女といってもイエムなのですが。
その内容は、私をここへ連れてくること。
どうやらあまり大勢には来てほしくないようだったので、仕方なく二人だけでやってきました。
勿論転がって。
さて着いたはいいですが、何とも言わないアマーシア。
これは予想していたので、野営の準備をします。
根の上と言っても、長年の落葉が積もり、しっかりとした地面があります。
なので火を焚いても大丈夫だということで、イエムの夕飯を用意し、先に床につかせました。
まだ、子供ですね。すぐに眠りについてしまったようです。
「さて、一人になりましたよ。アマーシア」
私は、風にざわめくその大木に向かって語りかけました。
すると、葉の隙間から垣間見える星々が震えるように瞬き、それは現れました。
大きさにして掌よりも少し大きいくらいでしょうか、小さな女性です。
髪は若葉のように瑞々しい緑で、サイズとしては大きすぎるローブを着ています。
そのせいで、手足は見えませんが、宙に浮いている為、垂れ下がったようになっています。
一見すると妖精のようでしたが、背中にあるのは羽では無く無数に枝分かれした枝葉でした。
「う……」
「う?」
「あ……ァ……」
「あ?」
「うわああぁぁぁん。ばかー。ずっと、ずっと、こ、こうやって、いっしょに……」
彼女は私の頭に取り付くと喚き散らします。
「落ち着きなさい、ああ、涙と涎でべとべとではないですか」
「だってだって、ゴトーずっとしゃべんなから、もう動かないのかなって……」
「それは申し訳ないことをしましたね。一応、あなたには挨拶したつもりだったんですが」
「わかんないよ、だって、アーシェまだ子供だったもの」
「そうですね。あれから随分と時が経ってしまいました」
「この前、ぼーとしてたらゴトーいなくなってるし、本当……ゴホン」
何かに気付いたのか、少し私と距離を取る彼女。
「えー、久しぶりね。ゴトー。取り乱してしまって御免なさい」
「おや、先ほどのようにもっと甘えていいのですよ?」
「え? そ、それはまた今度にしておくわ」
ふむ、中々可愛かったので、また甘えて欲しいのですが、それにしてもあの鉢に植えられていた苗木がこのような大樹になるとは、時とは神秘ですね。
「今回はその、ゴトーの助けになるかな、と思って来てもらったわけだけど」
「話の途中ですが、アマーシア。どうやって自分の名前を知ったんですか? それと私の名前も」
「え、それはおうち取り込んだ時に、鉢植えを見つけてそこに……ゴトーは村の皆がそう呼んでたから」
ああ、そういえば移し替えてそのまま放置していましたね。
「あ、それと、アーシェのことはアーシェと呼んでね」
「わかりました。アーシェ」
「……ふふ」
「どうしました?」
「ねね、もう一度、呼んで?」
「アーシェ」
「も、もう一度」
「……アーシェ」
すると、アーシェはふるふると震えだしたかと思うと、飛びついていました。
「ゴトー、ゴトー、ゴートー。大好き。大好き。大大大好き」
小さなアーシェの突進を受け止めることは造作もないことでしたが、この求愛行動には困ってしまいます。
なんと彼女は、頬を摺り寄せるだけに飽き足らず、舐めまわしてきました。
右から左へと、上から下へと縦横無尽です。
「こら、アーシェ。お行儀が悪いですよ」
「だってだって寂しかったんだからぁ」
2万年もの間一人にしてしまったのです。こうなってしまうのも、仕方有りません。
ふむ、それにしても、この行動は…
「……不思議に思ったのですよ。体は埃をかぶっていたのに、頭は塵一つついていませんでした。どなたかが掃除でもしてくれたのかと思っていたのですが、合点がいきました。さては、私が動けないことをいいことに、アーシェあなた」
「え、何のことかしら」
犯人の体が硬直するのが分かりました。有罪決定ですね。目が泳いでいます。
「まず基本的なルールを決めましょう。二度と、私の体を舐めまわすのは禁止です」
「そんな!!」
何と言う事でしょうか、私のペットは母なる変態に成ってしまったようです。
◇◇◇◇◇
「まず、アーシェ。長い間、一人にしてしまって申し訳ありませんでした」
私は言っておかねばならないことを口にしました。
どんな理由があろうと、彼女を一人にしてしまったのは事実。
無機物と有機物という違いはあろうとも、彼女と私は一心同体と言っても過言ではありません。
その片割れを放置していた責任は重いでしょう。
「いいの、こうしてお話ができるなんて、夢で願ってもできなかったことなんだから」
「そうですね。それこそ時が解決した奇跡と言っても間違いはないでしょう」
頭の上に乗っていた彼女は滑るように正面に降りてきました。
「アーシェはね。ゴトーに聞きたいことが一杯あるんです」
「それこそ私もです。そもそもあなたはどうやって意志を持ったのですか?」
そう聞くと、アーシェは考え込むように空を仰ぎ見ました。
「あれは、そうね。1万と5千の季節が過ぎる前。それは雨の中にいて、やがて、土に、そしてアーシェの中に入ってきたのは覚えてる。今では『霊素』と呼ばれる存在。それを感じた時に、アーシェは自分が自分なんだって思ったの」
「なるほど。1万5千年前ですか」
「それから、何か大事なものを無くしたような気がして、必死に考えて、感じて。気付いた」
「なんですか?」
「アーシェがここに生きている理由。そして見つけたの。お腹の中、そこにとっても大切なものを仕舞い込んでるってことに」
そう言うと、熱のこもった眼で私を見つめてきます。
「ふむ、そうなると、あの空間が確保されていたのはあなたの御蔭だったようですね」
「そうなの。まさに、そう。ねぇ。褒めて褒めて」
そう言って、頭を差し出して来ますが、生憎、撫でてあげることのできる手を持ち得ません。
「はい、偉いですね」
「やだー、なんか適当」
「アーシェ。口調が戻っていますよ」
「っは。 いけない。いつの間にか……」
口に手を当て、真顔になった彼女はふよふよと私の頭に戻っていきました。
何やら、そこが定位置と思っているようですね。
朝になったら涎まみれのなど、勘弁なのですが……
「さぁ、続きをどうぞ」
「え、ええ。それから様々な生き物がアーシェを訪ねてきたわ。今でなら、それがどんなものたちだったのか分かる。始祖龍やハイエルフ。精霊王。仙人。中には得体の知れない者もいた。その誰もが、アーシェと遊んでくれた。様々なことを教えてくれた」
「愛されていますね」
「でも、アーシェは彼らには何も返せないのに。笑って言うの。「もう十分なものを貰った」って」
「なるほど、それで母なる樹なのですね」
「どういうことなのかしら?」
「きっとそのうち分かりますよ」
「そうだといいのだけれど」
「ところでアーシェ。彼らは霊素について何か言っていましたか?」
「霊素? ああ、ジャンが何か言っていたわ、ええと、霊素とは、万物に成り得る物質。力であり、友であり、心であり、物であり、そして『余所者』である。とかなんとか」
「ほう、余所者ですか」
「よく意味は分からないんだけど」
どうやら、元が植物であるからなのか、物事を深く考えないタイプのようですね。
おおらかと言えばよく聞こえますが。
それから二人飽きもせず夜通し話をしました。
何せ、私たちには睡眠が必要無いので時間は無限に近いほどあります。
かつての話から、近況に至るまで、月が中天に差し掛かり、朝焼けが見えるまでそれは続きました。
「あれは、花弁でしょうか」
ふと、視線を上げると、アマーシアの枝葉一杯に薄紅色のものが見えます。
よくよく見れば、儚さと無邪気さを併せ持つ美しい花びらが、
これでもかというほど天空を彩っていました。
「実はこれを見せたかったんだ。百年に一度だけのつもりだったんだけど、今日は特別」
私が心奪われている間に、アーシェは一片掬うと簪のように頭に差しました。
「ねぇゴトー。どうかしら?」
その顔は薄らと朱が差し、柔らかに微笑んでいます。
その後ろには薄紅色に染められた天を突くような母なる樹が聳えます。
「ええ、とても綺麗です。アーシェ」
「ありがとう。ゴトー」
今の私たちにはそれだけで十分でした。
◇◇◇◇◇
「すごい! 先生が歩いてる!!」
明け方過ぎに起き出したイエムは珍しくはしゃいでいました。
それもそのはず、何と念願の手足を手に入れた私を見てしまったのですから。
「どうかしら? こんな時が来ることを願って、地道に結晶化させたのよ」
「素晴らしいですね。往年の私の手足よりも高性能かもしれません」
私はかつてマニュピレータを動かした時のようにその手を掲げて見せました。
アーシェは私の為にと手足を用意してくれました。
木目が有り、まるで関節を持った枝木のようですが、アーシェ曰く、霊素を結晶化させた精霊のような存在だそうです。
私自身の意思で自由に出し入れができ、自由自在に稼働する手足。
「何とも晴れ晴れとした気分です。重ねてありがとうアーシェ」
「どういたしまして」
その受け答えを見ていたイエムはやっとその存在に気付いたようで、私の頭にしなだれかかっているアーシェをまじまじと見つめました。
「先生? それは妖精?」
「ちょっと違うのですが、何と言えばいいか」
「こんにちわ少年。アーシェ、そう呼んでね」
私の言葉を遮るように、宙にふわふわと浮かびながら、優雅にアーシェが一礼しました。
その姿は昨日の号泣していた彼女とは別人のようで、私は思わず苦笑してしまいます。
「えっと、イエムです」
さすがこの世界の住人ですね。こういった生物には耐性があるようです。
「彼女は私の古い友人です。安心して下さい」
「そういうこと。よろしくね」
「ゴトーさんの友人かぁ。分かったよ、姐さん」
イエムはいつも素直ですね。いつかこの子にも反抗期が来るのでしょうか……
「姐さんだって。ふふ。ゴトー、この子面白いわね」
「あなたもそう思いますか。とても有望な少年なのですよ」
「そうね。うーん。それにしてもはがゆいなぁ。うーん。あ、そうだ。決めたわ」
「なんですか?」
「ちょっと待ってて」
アーシェは大樹に向かって両手を掲げるようにして、目を閉じます。
瞬間、眩いばかりの閃光が私たちを覆いました。
「うわ、何も見えないよ」
「これは一体……」
光の収まった場所には先ほどと変わらずアーシェが一人立っていました。
しかし、その姿は何というか、
「移したわ」
「移したとは?」
「今あの大樹は抜け殻。アーシェの魂は今ここにある」
「そんなことをして大丈夫なのですか?」
「ええ、アーシェの本当の願いはゴトーといること。それだけだから」
「ですが」
「心配しないで、またいつでも戻れるから」
「そうですか……そうですね。あなたが一緒なら心強いですよ、アーシェ」
頷くと、イエムに近寄っていきます。
「それと、イエム、だったわね」
「うん」
「あなたは苗木ね。その道を歩き始めて早速迷子になった小鬼さん」
「どういうこと?」
「アーシェが教えてあげる。そんなに知ってることは無いけど、あなたの目的に近づくために強くしてあげる」
「僕の目的はいつか母さんを探し出すことだよ。強くなることじゃない」
「強さとは自由よ。その力はいつかその意志を通すための礎になる。母親に会いたいのなら誇りを持って会いに行きなさい」
「強さ……」
「それにどうせ、ゴトーはあなたに連いて行くつもりだわ」
おや、ばれていましたね。
「この体ですからね。精々新種の魔物か何かと思われるのがオチでしょう。転がってでもついていきます」
できれば、イエムを駆り立てた責任を全うするまでは彼の後ろにいてあげたいと思っています。
「そうだ、ずっと聞きたかったんだ。先生の探し物はなんなの?」
ふむ、そう来ましたか。
「そうですね。いくつかありますが、単純にこの世界を見てみたいのです」
「それだけ?」
「ええ、私には何よりも大切な願いなのですよ」
そう、主たちの残したこの世界を思うがままに旅をしてみたい。
星に生まれた命を感じたいのです。
それが彼らの望みなのですから。