シーン1 兄に晴れ舞台が回ってくること(後編)
部活がオフになったある日のこと。
帰ろうとして廊下を歩く冬彦を、補習に使われている空き教室の扉を開けて呼ぶ者があった。
顔見知りではない生徒だったが、そこは人の好い冬彦のこと、手招きに応じた。
「頼みがあるんだよ」
すらりとしている割には顔が下膨れの少年だった。
壁時計を見ながらモソモソと聞き取りにくい声で哀願した内容は、こういうことだった。
――好きな女の子に告白しようと放課後呼び出したが、抜き打ちテストの成績が悪くて居残り補習に捕まってしまった。先生は隣の空き教室で作業中で、声だけかけてくる。彼女のところへ行ってくるから、その間だけ代返をしてほしい。帰るときは階段でなるべく足音をたてて走ってくるから、それを合図に逃げてくれ――。
下手をすると謹慎ものの頼みだったが、そのしょぼくれた容姿とたどたどしい物言いにただならぬ親近感を覚えたのであろう、冬彦は二つ返事で引き受けた。
その生徒と入れ替わり、ドアを閉めてしばらく机に向かって待っていると、隣の部屋から担当と思しき先生の野太い声がする。
「おい、課題はできたか」
「い、いええ、ま、まだだです」
冬彦は声色でさっきの生徒の真似をした。
先生は更に続ける
「できたらそこの箱に入れとけ」
「は、はあ、はい」
そう答えはしたが、それらしき箱などありはしない。
思い切って聞いてみた。
「ど、どの箱ですか」
「課題入れるなら課題箱だろう」
「ああ、あ、ありました」
適当な答えをしてしばらく待つと、また先生の声がする。
「貸した鉛筆もそこの箱に入れとけ」
それらしき箱はないので聞いてみると、「鉛筆箱だ」という。
あったことにしておくと、しばらく経って、今度は「雑巾を出せ」と言う。
そろそろ声色に慣れてきたのか、冬彦はちょっと芝居っ気を出してみせた。
「ど、どこにですか」
答えは返ってこなかった。代わりに、「おい」という威嚇の声が聞こえた。
「お前、まさか代返頼んだんじゃないだろうな」
「い、いえ、ち・が・い・ま・す」
どぎまぎしながら返事をすると、再び声はもとの調子に返った。
「雑巾なら雑巾箱だろう」
ただし、いささか不機嫌ではある。
冬彦はそわそわと焦りだした。
さっきの下膨れ顔の生徒が去ってから、30分は経っていた。
冬彦がいくら惚れっぽいとはいえ、中2で初めて経験した告白にどれほどかかったかなど覚えているはずもない。
ただ、あり得る事情は2つ。
告白が上手くいってそのまま逐電したか、失敗して傷心のままどこかをさまよっているか。
冬彦がそこまで想像できたかは定かでないが、とにかく話が違うことは間違いなかった。
腕時計と壁時計を、互いが喧嘩しているかのように見比べる冬彦。
そこへ再び、隣室の先生から声がかかった。
「お前、干物どうした?」
「え、ええ?」
意味不明の問いに、冬彦は声色もそこそこに問い返した。
「干物だよ。腹減るから食えって、さっきやったろう」
「え、ええ、はい」
適当に返事すると、さらにまずい問いが襲い掛かってきた。
「あれ、何の干物か分かるか?」
「わ、わか、分かりません」
とっさの返事だったが、それが正解だった。
「分からんで当然だ、あれはテレスコの干物だ」
「は、はあ」
それからしばらくの沈黙が続いた。
代返を引き受けてからそろそろ1時間も経とうという頃。
隣から声がした。
「さっきのステレンキョウ食ったか」
イエスとノー、どっちが正解か。
冬彦は少し迷って、答えた。
「ステレンキョウって何ですか」
質問を質問で返すという、議論の上での反則技であった。
これならイエス・ノーどちらも答えなくていい。
ただし、相手の感情を害することは覚悟しなければならない。
「おい、なめとんのか!」
果たして、怒号が返ってきた。
だが、論点は別のところにあった。
「ステレンキョウったらテレスコの干物に決まっとるだろう」
そんな魚も干物もありはしない。
古典落語じゃあるまいし。
だが、単純な冬彦はそんなことにも気付かなかった。
「あ、ああ、そ、そうなんですか」
「食わないんならしまっとけ」
答えないで済んだことに安堵の息をついていると、更なる危機が襲ってきた。
「どの箱にしまった?」
持って帰れという意味ではなかったらしい。
冬彦はしばらく口ごもったが、思い切ったように答えた。
「う、うう、ひ、干物なら干物箱です」
だが、それは不正解だった。
さっきの怒号が返ってきた
「おい、なめとんのか! そんな箱はない!」
冬彦が恐怖に震えて立ち上がったとき、廊下を走るけたたましい足音がした。
隣の先生が不機嫌に言った。
「誰が走っとるのか、見てこい」
それが誰かは99.99%特定できる。
冬彦はドアを開けると、約束通り廊下を一目散に逃げだした。
その姿が遠くの曲がり角で消えたところで、隣の空き教室から二つの声が聞こえた。
廊下に怒号と笑い声が響き渡る。
「こらあ! 何をドタバタ走っとる……!」
「あはは、器用な声色だな。先生そっくりだ……」
やがて、その教室から現れたのは一人の少年だった。
高等部のブレザーを着ているが、それは誰あろう鳩摩羅衆の少年忍者、白堂玉三郎(自称・獣志郎)であった。
彼は廊下に響き続けているのにいつまで経ってもやってこない足音のする方向にむけて歩いていく。
立ち止まったところには、蓋のついたブリキのゴミ箱がある。
その中から彼が取り出したのは、小さな時計のついたボイスレコーダーだった。
裏返してスイッチを切った辺りには、鳩摩羅衆の流儀なのか本人のこだわりなのか、ご丁寧に「白堂獣志郎」と署名してある。
魂の名前を刻んだ時限装置を手に、彼は自作のゴミ箱を後に階段から飛び降りるや、一陣の風となって消えた。
種明かしをすると、経緯はこうだった。
冬彦に代返を頼んだ下膨れ顔の少年は、玉三郎である。
演劇部がオフの日を調べ上げた彼は予め、ボランティアと称して作ったブリキのゴミ箱に時限式のボイスレコーダーを仕込んで、高等部で冬彦の教室のある階に設置させてもらった。
もちろん、原価を大幅に割ってはいるが、4~5ヶ月先のハロウィンのお菓子程度のお駄賃をせしめてはいる。
変装して冬彦を待ち、合図を教えてその場を去ると、隣の教室で教員の声色を作った。
これこそ鳩摩羅衆秘法「老若男女変幻自在木霊術」である。
冬彦をさんざんおちょくって時限装置の作動を待ち、冬彦が逃げ去ったところで装置を回収したというわけである。
玉三郎がなぜこんな手間暇のかかる冗談をしかけたか。
吉祥蓮を継ぐ美少女忍者、菅藤瑞樹がムキになってフォローする義理の兄がどんな人物であるか、面白半分に調べた結果である。
もちろん、演劇部における醜態もしっかり観察していた。
要領は確かに悪い。
だが、さぼる気配もなければ、女子にもてようとすることも、自分をアピールすることもない。
人の言うことにすぐ左右されるが、単純なだけでわが身かわいさはない。
誰かのことが好きなようだが、だからといって振り向いてもらおうというわけでもない。
不器用なりにひたむきだが、どうやら、世話を焼いてくれる人の好意には応えようとしているらしい。
鳩摩羅衆秘法「老若男女変幻自在木霊術」なら簡単にできる芝居がどうしてもできないで困っている。
そこで、玉三郎は鳩摩羅衆で行われる修行を、瑞希の兄に施してやったというわけである。
では、どういうつもりでやったか。
そもそも、鳩摩羅衆の少年忍者が吉祥蓮の娘にどんな感情を抱いているのか。
それは本人にしか分からない。
もしかすると、本人にも……。
いずれにせよ、冬彦が代役とはいえ主役を任されたのは、部長の懸案をクリアしたからに他ならない。




