第一話 軍国の少年
「血湧け、肉躍れ野郎ども!
時は来た、そして満ちた!
さぁ、楽しい殺戮をしよう!」
真っ黒な仮面を付けた男——このレグニア帝国の皇帝がそう叫ぶと、辺りは歓声に包まれた。
『——、N-4!』
頭の中に突然に声が響いた。
それで僕はハッと微睡みから目を覚ます。
『N-4、応答しろ!』
「はいっ!」
威圧的な声に反射的に答えて、僕はようやく今がどういう状況だったのかを思い出した。
“仮面”を付けている。見える視界は森然とした緑。
……マズイ、訓練中だ。
『睡眠信号が出たぞ! 寝てたのか!?』
「は、はい」
ふざけるな、と怒気に満ちた声で怒鳴られた。
本部の管理官だが、寄りにもよって、厳しいと有名なニムス教官だ。
思わず空を仰ぎたい気分になった。
『クラスと名を名乗れ!』
「はっ、八組のルシュト・エルンセンです」
『お前の名前は覚えておく! 評価は最低になると思えよ!』
「えっ!?」
ブツッ、と回線が切られた。
ああ、この感覚はいつになっても慣れない。
これで訓練は六回目になる。
僕の通う学校は軍部に属していて、ここに通う者は、学生であると同時に兵士だった。
と言っても、あくまで訓練生。
危険な任務もありはするが実際に戦争に駆り出されることはないし、絶体絶命の状況になることはまずない。
……だが今は、僕の進級が絶体絶命かもしれなかった。
ピッとテレビ通信が入った。
右目側に赤毛の少年の顔が映る。
と同時に、実際の風景を映す左目の視界に、戯けたような動きをする装甲姿が見えた。
『怒られてやんの〜』
「うるさい、ササム」
同じ班なので、共通回線になっているササムには一部始終が聞こえていたらしい。
ということは……。
ピピッとまた二つ画面が出る。
今度は銅色の髪と、金髪の少女。
『よく寝れるわね、逆に凄いわ』
『評価最低って……だ、大丈夫なんですか?』
「ミヌセ、レクア」
活発なミヌセと気弱なレクアは、対照的だが仲のいい二人だ。
まぁ当然、この二人にも聞こえてるだろうな、とは思ったさ。僕らはこの四人班なんだから。
「僕が十時間睡眠をモットーにしてるの知ってるだろ。昨日、変な課題出されてちゃんと寝れなかったんだよ」
『それだって、あんたが授業中に寝てたからでしょ。まぁ、それでも答えられたんだから驚いたけど』
「だって帝学だぞ? 皇帝サマの言葉を学ぶことに何の意味があるんだ?」
『いいじゃない、皇帝陛下かっこいいし』
「理由になってねぇ……」
大体、かっこいいかどうかをどう判断しているのか気になるところだ。
皇帝は……というか、一色に染まった仮面、色面を持つ色卓の十人は、ずっと仮面をしていて、素顔は公開されてないのだし。
『ひ、人は、顔ではないと思います!』
『それ、レクアが言うと嫌味になるよ〜? レクア美人だし』
『そ、そんな! それに、わ、私なんて』
『えー、レクアもっと自信持ちなよー。ね、ルシュト?』
「そこで何で僕に振るんだよ……」
『じゃ、代わりに俺が答えるー! レクアちゃんは、マジで美人だと思います!』
『ササムには聞いてないわ』
『ひでぇ!』
ひどくねぇ? とか、ミヌセに続き僕に振ってくるササムを軽く無視する。
「てか、お前ら緊張感なさ過ぎないか? これから僕らが行く場所、分かってるだろ?」
『寝てた人には言われたくないわね』
『まったくだ』
『そうですね……』
「うぐっ」
確かにその通りである。僕がいくらか心にダメージを受けたところで、もちろん分かってるわよ、とミヌセが答えた。
『魔都の近隣部、でしょ?』
「あ、ああ……」
魔都に一部隣接するレグニア帝国は、しばしば“はぐれ”と言われる、魔都から迷い出てきた魔獣の攻撃を受ける。
魔獣が魔都から出てきそうだと魔都入り口付近のセンサーが反応すると、僕らのような訓練生が駆り出されるのだ。
大抵は一匹なので、生徒の班一つで対処できないことはない。
倒すことは無理でも、追い返すくらいなら余裕だ。
『わざわざ、レクアを連れてくるまでなかったんじゃね? だってレクアの仮面って、治療を得意とするキイロの“点面”だろ?』
『仮面の種類で決めつけすぎじゃない?
それを言ったら私なんて、爆発物や火薬を得意とするモモの“線面”だから、ずっと前線にいなきゃいけないって言うの?』
『え、逆にミヌセ後援兵やるつもりだったの?』
『何よその驚いた声はー!?』
点面や線面と言うのは、仮面の種類の一つだった。
何もない白面から、なんらかの色の点や線、紋様が入ることで特定の装備との相性が格段に上がるのだ。
ちなみに、弱い順から白面、点面、線面、紋様となり、その上に色面がある。
この色がどうやって決まるのか、そしてどうやったら線になったり模様になったりするのかは未だ不明で、色に関しては性格などが関係しているのでは、とだけ噂で言われている。
ちなみに、今、僕の仮面は白面だ。
「はぁ……つまりお前らはあれですね、白面の僕には何らできることなんてねぇよと、そうおっしゃりたいのですか」
『ちょっ、何で急にネガティブモード入ってんのさ、ルシュト!? 元気だせって!』
「アカの紋様面持ちの天才さまに励まされてもねぇ……」
『俺が天才だなんて、そんなこと——まぁ、あるけど』
「慰めはどこ行った!?」
僕らがそんな、本当に緊張感のない会話をしていると、唐突に、
『ちょ、ちょっと待って。何か変だわ』
焦ったミヌセの顔が映る。
テレビ通信の映らない左目の視界で周囲を確認する。
が、特別何もない。
「何が変なんだ?」
『今、ソナーで確認してみたら、さっきは北北西30キロにいたはずの魔獣が消えたの』
『消えた?』
『いえ違う、私達の存在に気づいて——もうすぐそばまで来てる!』
「『え?』」
僕とササムが声をあげたその瞬間。
それは突然横から現れ、レクアを弾き飛ばした。
『きゃあああ!』
『レクア!』
ミヌセがレクアにすぐさま駆け寄った。
白塵がごうごうと舞い上がっていたが、それが薄く晴れて来ると——僕らは、予想もしなかったものを見た。
『お、おい。これって……!?』
「特異魔獣……!」
普通のものより一回り二回りは大きく、基本的に白のものが多い魔獣なのに、色を持っている。それが特異魔獣。
素材の性質は勿論段違いだが、それだけ倒しにくい。
しかも今回のは半端なく大きい。色卓招集クラスだ。
僕はすぐさま緊急信号を出した。
本部から通信が戻る。
『緊急信号受信、状況の報告を!』
「特異魔獣発生、色卓及び準色卓の招集をお願いします」
『っ!? 了解!』
またブツッと切れた。
一つ息をつく。
ブルンブルンと頭を振るその猪みたいな魔獣を睨みながら、
「レクアは?」
ミヌセに安否を尋ねれば、生きてはいる、という返事が返ってきた。
生きてはいる、ということは、恐らく危険な状態だということだ。一刻を争うかもしれない。
「ミヌセ、飛行モードでレクアを近くの基地に運べ」
飛行モードが使えるのは、モモに属する仮面のみ——つまり、ここではミヌセだけだ。
『で、でも!』
「救援も呼んでくれ。一応こちらでも緊急信号は出したが、色卓はいつ来れるか分からん! 僕たちが食い止めるが、もし、万が一がある。ちゃんとした兵士の力が欲しい」
『私だって戦える!』
「だけど、ミヌセ、」
『レクアを庇わなきゃいけない状況の方がやりづらい、分かれよ、ミヌセ』
『ササム……。っ!』
普段とはまるで違う、ササムの真剣な声に、ミヌセも納得せざるをえなかったらしい。
分かった、と言って飛行モードを展開した。
敵はまだ動こうとしないが、いつ動き出すか分からない。
急げ、とミヌセを急かす。
『必ず、生きててよ!?』
「勿論だ」
ササムは答えなかった。
それから僕とササムは二人とも、無言でミヌセたちとの通信を切った。
これから弱音を吐いたとしても、聞かれたくはないからだ。
『かっこつけすぎたろ、俺ら』
「そうだな」
言い終わるとほぼ同時に、魔獣は後ろ足で土を蹴り始めた。
「来るぞ」
『おう』
ドスン、と一歩目で地面が揺れた。
二歩目、三歩目。
どんどん加速してくる敵に、僕らはギリギリまで動かなかった。あと一歩でぶつかる、その時、
「今だっ!」
僕の合図で、二人とも反対に跳んだ。
銃火器を得意とするアカならではの銃を持つササムが横から一気に魔獣用の弾丸を十発ほど打ち込む。
が、
『くそっ!』
特異魔獣だからか、猪形態だからか、奥まで弾丸が届かない。
僕も小型銃を装填数六発全て使い切ったが、まるで効き目がない。
こちらに向かってきたのをすんでのところでまた避けるが、地面に強くぶつかってしまった。
「〜〜っ!」
『大丈夫か、ルシュト!?』
「ああ、しかし、銃が効かないなら……」
と、ムラサキの装備である、魔獣の三半規管を狂わせる音波砲を打った。
グウォォオオオオ!!!
いくらかは、効いたようだ。
白面の利点。どの色の武器も使うことができる。ただし——
『な、こっちに向かって——!』
「ササム!」
どの色の武器を使っても、弱い。
ドシン、とレクアが弾き飛ばされた時と同じ、重い音が響いた。
依然繋がっていたテレビ通信は無事で、目をつぶり頭から血を流すササムが映っている。
「おい、ササム! 無事か!? ササム!」
『う、うぅう……』
唸る声がして、ほっとした。
良かった。生きているらしい。
でも、もうきっと戦うことは出来ないだろう。
魔物はまた、ブルンブルンと頭を振り出していた。
「くそっ! くそっ!くそっ!」
僕は叫んだ。
ササムはきっと気絶しているだろう。
さっき、地面にぶつかった衝撃で、本部との通信機能もやられてしまった。
色卓も、準色卓も来ない。
つまり今、僕以外、誰もいない。
「くそっ! くそっ、なんで——」
魔獣は依然頭を振っている。
僕は膝をつきたい気分だった。
だって、
「くそっ、なんで条件が揃っちまうんだよ!?」
僕の、最も嫌な行為をしなければいけなくなったからだ。
それこそ死ぬのと同じくらいに。
僕は諦めたように呟いた。
「ああ、死にたい。いや——殺したい」
僕は自分の口が笑っていくのを感じていた。
あの自分を受け入れるのは簡単だ。
ただ“殺したい”と、そう口にするだけ。
——個体認証、完了しました——
……実は、仮面について分かっているが国民には知らされていないことがある。
それは、色面と他の仮面は本質的に違うものである、ということ。
いや、もっと言うならば、他の仮面は全て、僕たちが何故か手に入れていたその色面を模したものに過ぎないということ——。
——最終確認、パスワードを——
仮面から脳内に声が流れ込んでくる。
ああ、やっぱり嫌な感覚だ。
「……殺人鬼の病」
それは、殺したがりの名前だ。
——最終確認終了。仮面黒起動します——
僕は、心も体も全て、黒く塗りつぶされるのを感じた。
「くくく、あはは、あはははは、やっと殺せる! やっとだ!」
突然変わった俺に、魔獣すらも戸惑っていた。
そうだろうよ、真っ白だった俺の仮面と装備は今や、真っ黒だろうしな?
と、俺はそこで気絶したままの男が視界にちらついた。
「何こいつ、誰だっけ、ええっと……ああ、そうだ、ササムだササム。
あれ、こいつから——殺せば、いいんだっけ?」
言っておいて、ああ違うと思い出した。
確かこいつは“僕”の友達だ、親友だ。
友達は殺しちゃいけないのだ……多分。
「じゃあ、この魔獣だけ殺せばいいんだ、よ、ね!?」
言い終わるより前に、俺は跳んだ。
そのままアカの弾丸を撃ち、ミドリの拳パーツで殴り、ダイダイの剣で切り、モモの爆弾を爆破した。
特異魔獣はそれでも向かってきたが、それを軽々と受け止める。
クロの利点は全ての色の武器も使えること、そして、この頑丈さ。ちなみに欠点は——
「しつこいなぁ、でもいいぜ、まだまだ殺し足りないかんなッ!」
ない。
もう一回。さっきと同じ攻撃を全て同じところに。
もう一回。もう一回。もう一回。もう一回。もう一回。もう一回。もう一か——。
「陛下」
声のした方にそのまま俺が打ち込んだ拳は、すんでのところで避けられた。
俺の後ろに立っていたのは、そう、真っ青な仮面の男。
「なんだ、アオじゃねぇかよ。驚かせんな」
『それはこちらのセリフです。いきなり打ち込まないでくださいませ。うっかり死にたくなるではないですか』
死にたがりのアオ。
彼は常に、死に場所を探している。
『それと、陛下もうその魔獣……死んでおります』
「え?」
振り返ってみれば、確かに息絶えていた。
俺の攻撃し続けたところだけ、異様に損傷が激しい。
「うっわ本当だ。なんだ、もう死んだのか」
『陛下特異魔獣は稀少なのですから、あまり傷めないで欲しいのですが……』
「言うのが遅ぇよ」
興醒めした俺は、クロ化を解くことにした。
そもそも、体にもそれなりに負荷のかかる所業だ。
「黒、起動停止」
——起動停止、認識しました。停止中、停止中——
毎度毎度この声には嫌気が差した。
今度、チャかギンに言って改善してもらおう。
——停止作業終了、停止します——
すぅと、体から、心から黒が引いていく気がした。
そうするのと今度は、
「ああ、またやっちゃった……」
それはもう、壮絶な自己嫌悪に襲われるのだ。
『やはり、陛下が一番仮面アリとナシでは違いますね』
「んーまぁ、そうかもな。というかお前、早く来いよな」
『呼ばれた時にはもう、陛下だと分かっておりましたから、まぁ大丈夫かと』
「僕があっちになりたくないの、よく知ってんだろうが」
『ええ、それはもう知っておりますが。されど我々とて、あちらの陛下が戦われるところを見たいわけでして』
はぁ、とため息が出た。
結局この国には、殺したがりの信者ばっかりってわけだ。
「じゃあ、お前が倒したってことで処理よろしく」
『陛下はどうされるのです?』
「ササムを連れて、ミヌセが行っただろう基地に行くさ」
『了解しました』
アオは、装甲姿のまま、丁寧に頭を下げてきた。
僕は、ササムを肩に担いだ。
僕が背を向けて立ち去ろうとしたその瞬間、陛下、と小さくアオが呼ぶ。
『陛下は、“クロ”をお嫌いになりますが、しかし、あちらもまた……いえ、あちらこそが、本当の貴方様なのですよ』
そう言われて、ああ、そうだと思い出す。
もう一つ、僕たちの仮面が他のものと違うところがあった。
それは、本来正体を隠すはずのものであるのに——
僕たちの仮面は、奥底の本性を暴いてしまうということだ。