表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/23

第七話  大きな世界、小さな僕

 

 屋上の風通しは良かったが、それに負けじと照りつける真夏の太陽は衰える気配が無い。

 

 篠崎八潮は額の汗を首にかけたタオルで拭った。

 

 プラスチック製のベンチとテーブルを拭き清め、屋上のゴミを拾い集める作業。それは終わるまでまだ時間がかかりそうに思える。

 

 八潮は炎天下で自分がこのような作業をしている原因を思い出していた。資料室での書類整理が一段落し、暇を持て余していた八潮が何か仕事はないか探していたところを天童静に捕まったのだった。

 

 福利厚生の施設整備とか適当な事を言い並べていたが、結局はここも快適なサボり場所にする腹積もりなのだろうと考える。いずれにせよ何もせず時間を潰すよりはずっと気楽なことであったので、八潮も特に気を悪くすることもなく目の前の作業に勤しんでいた。

 

 ふと見ると、柵のそばで両手を後ろ手に軽く組んだ制服姿の少女が目に入った。


 三階建ての<GKIインフォメーション>社屋は、三方を同じかそれ以上の高さの建築物に囲まれている。だが北側は住宅街が広がっているだけで、そちら側にはかなり見晴らしが良かった。


 世界最後の竜、タマメは両目を閉じ、彼方へ広がる景色を前にして静かに佇んでいる。


 八潮は目をぱちくりさせながら、彼女の横へ並んだ。風になびく金色の長髪からシャンプーの残り香がしている。八潮は自分の胸ほどまでの高さしかない少女の横顔に向かって問い掛けた。


「何してるんです?」


 タマメは目を閉じたまま静かに答えた。


「時々、こうやって確認しているのだ。『同胞』がいないかどうかをな」


 意味をはかりかねた八潮の様子を察したタマメが目を開く。穏やかな青い瞳が八潮を見上げ、少女は言葉を続けた。


「竜はな、他の竜の『存在』を感じ取ることが出来るのだ。正確な位置までは無理だが、相手が存在することだけは分かる。どれだけ離れていようとな」


 感心した口ぶりで八潮が尋ねる。


「それって魔法とはまた別の話……ですよね」


「うむ。うまい比喩が思いつかんが、竜固有の『嗅覚』のような物かな」


 うなずいたタマメが言葉を継ぐ。


「四百年前……儂が眠りにつく以前は、世界中に竜の気配を感じ取れたのだがな。竜族が消えた経緯を記した文献は、探しても殆ど見当たらんのが奇妙な話ではある」


 そこで言葉を切ったタマメは、八潮が掃除したばかりのベンチに座った。ちょうど日陰になるその位置で、彼女は背もたれにひじをかける。


 何気なく彼女の隣に座った八潮の顔がわずかに翳る。それを見たタマメが微笑みかけた。


「まあ、<大喪失>の混乱下においては、人間も生きるのが精一杯だったはずだ。その状況で他種族の動向にまで気を回す余裕は無かったのだろう」


 八潮は、仮に自分が人類最後の生き残りになった時のことを想像してみた。数百年の眠りから目覚めた時、そこにあったのは世界にたった一人残された自分だけ。

 

 言葉や形こそ通じてはいるが、それでも周りにいるのは紛れも無く自分とは異質な種族。孤独よりもさらに深く絶対的な何かに心が塗り潰される気がした。


 瞳を曇らせ黙考する八潮を見つめていたタマメ。そんな彼女が彼の首にかかったタオルを指でつまみ上げ、汗が浮かぶ八潮の頬をおどけた調子でこすり上げた。


「妙な気分になってくるから、そんな顔をするな。今の境遇は気に入っている。嘘ではないぞ」


 八潮はタオルを押し付けてくるタマメの手を優しく包むと、彼女に対して半ば無理矢理の笑顔を作ってみせ、立ち上がった。


「はい。ちょっと飲み物買ってきます」


 一言そう言って建物の中に入っていく八潮。その背中を見送ったタマメは上体をそらすようにベンチに体をあずけ、澄み切った青空を眺めた。






 澄み切った青空の下、官公庁が立ち並ぶビル街の一角で、黒い背広を着た鷹城は流れる車の列を眺めていた。

 

 やがて彼の目の前に一台の黒塗りの高級車が停まる。躊躇なくドアを開けて中に乗り込んだ鷹城は、奥に座る和装の老人に小さく会釈した。途端に車は滑らかな加速で発進する。車内は静かでエンジン音もどこか遠くの世界の出来事に感じられた。

 

 護皇院恭斎はシートに体を預けたまま、視線を横の鷹城に向けた。


「<統法機関>か。名前だけは耳にしていたが、肝心な部分が見えてこんな」


 膝の間で両手を組み合わせた鷹城がうなずく。


「全力を挙げて内偵を進めていますが、後ろ盾が厄介です」


「<教団>だな」


 重々しく呟いた恭斎に、鷹城が意外そうな色を浮かべた。


「ご存知でしたか」


 白い髭を撫でながら老人が返す。


「こちらでも渉外担当を動かして探らせてはいる。ただ、あまり深く潜らせるわけにはいかん。GKIグループの動きを悟られたくない」


「行政経由で資金が流れている痕跡があります。我々はそこから辿ってみます」


 鷹城の言葉に小さくうなずいた恭斎は、窓から外を通り過ぎる車列をしばし眺めていた。ふっと視線を鷹城に向けた老人が尋ねる。


「鷹城。『仰木邦光』という男をどう見た?」


 その問いに鷹城は眼鏡を外し、内ポケットから取り出した布でレンズを拭いながら答える。


「優秀な学者、という印象です。反面、腹芸にはそれほど長けていないように思えます」


 天井を見上げて老人が静かにそれでいて冷たく呟く。


「ふむ。交渉の余地はありそうだな。公安は<統法機関>の方を頼めるかな」


 鷹城は眼鏡をかけ直し、意を決したようにうなずいた。


「承知しました。ただ、<護皇院流>が必要になる場面があるかもしれません」


「あの『二人』は自由に使っていい。GKIグループから<教団>への牽制は検討しておこう」


 恭斎が指を立てると同時に、発進した時と同じ滑らかさで車が速度を落とす。


 先ほどまで鷹城が立っていた場所。そこに数分掛けて戻ってきた車が停止しドアが開いた。歩道に降り立った鷹城は、条件反射的に左右を見回し監視者の有無を確認する。


 携帯電話を取り出しながら、頭の中で根回しすべき相手や組織を列挙していく。とてつもなく忙しくなりそうな予感がしていた。






 巨大なホールは<教団>信者の熱気に包まれている。

 

 万雷の拍手と、感謝の叫びが永遠のこだまのように響き渡る。信者の中には涙をとめどなく溢れさせている者までいた。

 

 ステージの上で地響きのごとき喝采を全身に受けながら、両手を高々と伸ばした修道士のような姿の『教主』。壮大な管弦楽曲と照明効果がその神秘性をさらに高めている。

 

 彼は幕がステージに降りる最後の瞬間まで満面の笑顔を崩すことはなかった。


 信者の視界から壇上が幕によって完全に覆い隠されると、教主はその笑顔を瞬時に消し去った。


 それは最前まで無数の信者に讃えられていた天上人のような神性は欠片もない。それは深く皺の刻まれた、ただただ疲れ切った老人の顔であった。

 

 不機嫌さを隠そうとしない表情で、彼はステージ脇の控室へと戻った。

 

 豪華な応接セットで飾り付けられたその部屋に、一人の女性が佇んでいた。背中で一束にまとめられた黒い長髪が彼女を控えめな魅力で飾っている。

 

 二十代半ばといったところの美しい姿は、教主の渋い顔を再びほころばせた。


 女性の穏やかな声が教主をねぎらう。


「お疲れ様です、お父様。本日も良い法話でございました」


沙久耶さくやか。どうした、こんな所で」


 沙久耶と呼ばれた女性は、教主に軽く頭を下げて言葉を向ける。


「仰木様が外でお待ちです」


「そうか」


 ぴくりと眉を上げた教主は通路へと続くドアを開け、そこで深く会釈している背広を着た仰木の白髪混じりの頭をじろりと見下ろした。


 乳白色の柔らかい照明が白い壁紙を照らしていた。教主と沙久耶は人っ子一人いない赤絨毯の通路を並んで歩き出す。その後ろを仰木が付き従いながら教主の言葉を待った。


 歩きながら教主は静かに口を開いた。それは質問ではなく確認の言葉であった。


「『竜』と会ったそうだな」


「はい」


 足元を見つめながら、教主が更に問う。


「利用できそうか?」


「まず信頼を得るのが先です。確認されている限り、世界で唯一の生きた竜です。それが持つ価値は計り知れません」


 なだめるような調子で返す仰木に、教主の低い声にささくれだった物が混じる。


「竜といっても、聞けばただの小娘というではないか。少しばかり脅しかければ済む話だろうに」


「公安と正面から当たるのは得策ではありません」


 仰木が答えると同時に、教主はあるドアの前で足を止める。沙久耶が無表情で半歩身体を引き、仰木の方へ振り向いた教主の視界の外へ出た。


 教主は人差し指を仰木の胸に突きつける。


「何のために<統法機関>へ莫大な資金や人材を供給しているのか分かっているな」


「はい」


 努めて冷静に返す仰木に、絡みつくような視線と声で教主が問う。


「私の依頼を忘れたわけではないだろうな」


「もちろんです、教主」


「私に残された時間は少ない。速やかに頼むぞ」


 そう言い捨てて教主はドアを開いた。


 鼻をつく薬品の匂いが漂ってくる。室内には十人近い白衣の人間がてきぱきと動きまわっている。その中でもっとも年長の男が、入室してきた教主に向かって深々と頭を下げる。

 

 男の背後には清潔そうに整えられたベッドがある。その周囲には種々の最新医療機器が所狭しと並べられていた。それらは全てたった一人の人物のために用意された物だった。


 沙久耶の手を支えにしながらベッドに腰掛けた教主の腕に、マジックテープ状の測定器具が巻きつけられていく。


 その様子を見ながら、仰木が教主に尋ねた。


「ところで、カルラに何か指示を出されましたか?」


 鼻を小さく鳴らして教主が返す。


「お前が欲しがっていた、例の写本を取りに行かせた。今日あたり上陸している頃合いだ」


 眉根を険しくした仰木が慎重に言葉を向ける。


「あれは政府間の合法的な取引で買い取る手筈ですが」


「外交ルートでは埒があかん。あの国は他人の足元を見る事しか考えておらんようだ。故にカルラを遣わした。連中は自身の愚かしさを自らの血をもって知るだろうな」


 教主は説明する手間すら腹立たしいというような口調で答えると、ベッドに横たわり目を閉じた。


 しばらくそこに立ち止まっていた仰木は、やがて深く頭を下げると部屋から出て行った。


 その様子を沙久耶は研ぎ澄まされた刃のような視線で見つめていた。






 満天の星空は雲もほとんどかかっていない。

 

 三日月がささやかに照らしだす海面から目を上げた先、水平線の彼方に陸地の影が現れ始めた。

 

 水面に穿たれた不自然な凹みが滑るように陸地へと進んでいる。それはまるで透明な箱を水に押し付けているような奇妙な見かけであった。

 

 やがて凹みが岩だらけの岸へと触れる。虹色の油膜のような揺らぎが一瞬生まれたかと思うと、次の瞬間凹みがあった場所には一隻の大型クルーザーが出現していた。船体は三十メートルほどで黒一色の塗装が施されている。

 

 船室の扉が開き、中から一人の人影が現れた。赤いコートをまとった長身の男は、鋭い視線で周囲の様子をうかがう。

 

 カルラは人の気配が無いことを確認してから、船室の中をのぞきこみ操船役の作業員に合図をする。


 少しばかり歳のいった作業員が渋い顔をしてデッキに上がってくる。彼はカルラの脇に立ち夜闇に目を凝らすそぶりを見せた。


「ここまでは順調だな。でも本当にあんた一人で大丈夫か?」


 問いかける作業員に、カルラは冷たく返す。


「すぐに終わる。俺が出たら船は迷彩しろ。戻ったら無線で合図する」


「了解だ。『あれ』はどうする?」


 肩をすくめた作業員がデッキの片すみにある、シートを被せられた三メートルほどの物体を指す。


「もちろん使う。今回は『あれ』の動作試験も兼ねている」


 そう言ってカルラはそちらへ歩み寄りシートを一息に引き剥がした。






 クルーザーを降り、岸から岩場を伝いながら森に入る。わずかな月明かりがあるだけで見通しはほとんど利かない。ちらりと振り返ったカルラは、クルーザーの光学迷彩機能が正常に働いていることを確かめる。


 姿勢をわずかに低くした彼は、一気に走る速度を上げる。道路を避けて木々の間をすり抜けるように目的地へと近づいていった。ほぼ完全な暗闇の中、カルラは視覚ではなく木々の気配を読みながら、枝や根の起伏を昼間の散策にも等しい容易さで避けて行く。


 森の中を三十分ほど駆けた頃、木々の密度が低くなり、遠方から街の明かりが近づいてくる。完全に森を抜けたカルラの行く先は、ちょっとした農地を挟んで徐々に人家が増え始めていた。


 日付が変わる頃合いに、カルラはその街へと到着する。休みなく走り続けたはずの彼の呼吸は微塵も乱れていない。

 

 漆喰やレンガ造りの建物が寄り集まり、時代に置いて行かれたかのような夜景が形作られている。遠くから酒場の喧騒の気配がしているだけの静かな街だった。


 すれ違う人間も数えるほどしかいない夜の街。オレンジ色の電灯がその下を歩くカルラの影を規則的に変化させている。


 街のほぼ中央部に、その石造りの荘厳な聖堂はあった。周囲の建築物より一際大きくそびえるそれは二百年以上の歴史を持ち、この街のシンボルとして住民や観光客を惹きつける存在だった。

 

 聖堂の裏手に回ったカルラは、コートの前を開き一振りの刀を抜き出した。鋭い切っ先が電灯のオレンジ光を反射する。目の前の扉に感覚を集中し、その向こうに誰もいないことを確認した。

 

 周囲に人影が無いことを一瞥すると、カルラは真っ直ぐに刀を振り下ろす。低い金属音と共に金具の欠片が地面に転がる。

 

 カルラはドアに指をかけて静かに開けた。一刀のもと綺麗に切断されたドアロックのかんぬきの断面が見える。


 音もなく室内へと入り込み、ドアを後ろ手に閉めた。

 

 赤いコートの裾をなびかせながら、滑るようにいくつかの部屋を通り抜ける。やがて辿り着いた広間に並ぶ巨大な柱の一つ、その陰に隠れるように存在する地下へと降りる階段。カルラはためらうこと無くその奥へと進んでいった。

 

 階段を降りきった先にひっそりと据え付けられた木製の扉を開け、彼は『書庫』の中に入った。

 

 部屋の三方を占める背の低い書棚の中は、古めかしい背表紙がずらりと並んでいる。その中の一つに目を止めたカルラがそれを抜き出す。手早く中身に目を通し、それが目的の物であることを確認した。

 

 『本』を片手に書庫を出たカルラは階段を登り広間へと戻った。薄暗い広間は静まり返り、小さな常夜灯がそばにある祭壇を仄かに照らしている。

 

 広々とした空間の床は様々な色の混じった石材によってモザイク状に彩られていた。全体を俯瞰すればそれは太陽と月と星をかたどった意匠を形成していることが分かる。

 

 カルラは祭壇の前でぴたりと足を止めた。


 超人的な感覚が周囲の『気配』を感じ取る。


 本を持ったまま、右手で刀を抜く。

 

 広間から外へと通じる木製の重厚な扉が一気に開かれる。カルラはその様子を表情を変えること無く観察していた。

 

 都市迷彩の戦闘服を身に付けた屈強そうな集団が、訓練された動きで広間へと突入してくる。透明な素材で作られた大きなシールドを構えた隊員が横方向に展開し、その後続の隊員は短機関銃をシールド同士の隙間からカルラへと向けている。

 

 それと同時に広間の両翼に並ぶ柱の陰からも、二人一組の隊員が短機関銃の狙いをカルラに向けていた。可能な限りカルラの視界に体を晒さず銃を構える姿は、その練度を暗に示している。

 

 三十以上の銃口を突きつけられてなお、カルラの瞳には動揺の欠片すら現れていない。

 

 透明なシールドの裏に、でっぷりと太った一人の士官服姿の男が立つ。男は現地訛りの英語で楽しげに言った。

 

「来ると思っていたよ。君が『紅衣のカルラ』だね」


 カルラは答えず、刀を床へと放り投げた。その様子に満足した士官は笑みを浮かべて言葉を続けた。


「物分かりが良くて助かるよ。化け物じみた噂を聞いたことがあるが、弾丸より速く動けるわけでもないだろう」


 カルラはゆっくりと両手を上に挙げた。彼の左手の中にある本を見て士官がうなずく。

 

「ご所望の本というのはそれかな? 申し訳ないが、我が国としてはとことん焦らして高値で売りつける、というのが方針なのでね。何に使うか知らんが、勝手に持ち出されるのは困るのだよ」


 脂肪で首との境界が不明瞭なアゴを撫で回しながら、士官が値踏みをするようにカルラの体を眺め回す。


「君の身柄と本をセットにすれば、請求書にゼロを一つくらい増やしても良さそうだねえ。もちろん君が持っている情報は我が国に提供してもらうよ。君が嫌だと言ってもね。『その手』の優秀な専門家は揃っているんだ」


 嗜虐的な笑みで士官の唇が醜く歪み、言葉を続ける。


「というわけで、まずは服を全部脱いで、その場にひざまずいてくれるかな。手ぶらとはいえ、君の間合へ準備なしに入るのは自殺行為のようだからね」


 ここまで一言もしゃべらなかったカルラが小さく唇を開いていることに士官は気づいた。

 

 カルラが口の中に隠し持っていた、小指ほどの大きさの『笛』。彼はそれに小刻みに息を吹き込んだ。笛から響く音は人間の耳では捉えられない周波数を持っている。その音の長短と組み合わせによる一連のパターンは、『それ』への『命令』であった。


 広間に轟音が響き渡った。

 

 壁の一角が砕け散り、巨大な人影のような物が飛び込んでくる。破壊された壁の破片の直撃を受けた数人の隊員が吹き飛ばされて床に昏倒した。

 

 身の丈は三メートルほどのそれは、白い滑らかな陶器のような素材で全身を覆われた『巨人』の形をした物体だった。

 

 だがその体のバランスは人間のものとは明らかに異なる。両足の長さは普通の人間サイズであったが、反面胴が異常に長い。

 

 頭と思われる部分は椀を伏せたような半球形をなしていた。そこには等間隔でレンズのような眼が八個、頭を全方位ぐるりと囲むように埋め込まれている。

 

 広い肩から生えた腕は地面近くまで長々と伸びており、その先には六本の細い指が触手のようにうねうねとうごめいている。


「う、撃て!」


 うろたえる士官が発した命令と同時に発砲音が轟く。次いで聞こえる金属音が示す通り、確実に着弾したはずの白い巨人の表面は傷一つつかなかった。

 

 柱の陰から発砲を続ける隊員に、巨人が地響きを立てて歩み寄る。巨人が無造作に振り回した腕は石造りの柱をいとも簡単に砕き、後ろに隠れた二人の隊員をまとめて吹き飛ばした。圧倒的な膂力は人体の耐久力をあっさりと上回り、全身の骨格や内臓組織を完膚なきまでに破壊する。

 

 死体になった隊員を一瞥した巨人は、士官と隊員たちが並ぶ入り口へと体を回した。蒼白になった士官が無線を取り出し何事かを指示する。その時、士官はそれに気付いた。

 

 広間中央に立っていたはずのカルラが消えていた。彼が投げ捨てたはずの刀とともに。そしてその場には本だけが残されている。

 

 本能的に腰から拳銃を取り出した士官の視界の端に、赤い影が舞う。視線を上げた彼は呆然とそれを目で追った。

 

 上方の壁を蹴るように走るカルラが、シールドを構える隊員たちの頭上を越えようとしていた。はためく赤いコートの裾が翼のようにも思える。何人かの隊員が反射的に銃口を上げた瞬間、カルラが右手を目にも留まらぬ速度で振った。

 

 首や眼球を投げナイフで正確に貫かれた隊員たちが崩れ落ちる。強く壁を蹴ったカルラが獲物を狙う鷲のように、シールドの背後、隊員たちが居並ぶ中へと着地する。

 

 カルラの手にはすでに刀が握られ、着地と同時に左右の隊員の両手を切断していた。欠損した自身の腕を見た隊員の絶叫が響く。

 

 凄まじい速度のフットワークでカルラが踏み込んだ。

 

 シールドで押しつつもうとする隊員の背後を素早く取って急所を正確に刺し貫いていく。カルラの刀は一閃するたびに、同士討ちを恐れて発砲をためらう隊員たちの手足や首をバターのように切り落としていった。

 

 またその場をかろうじて離れ、物陰から狙おうとする隊員の気配を見逃すカルラではなかった。口にくわえたままの笛を再び吹き、巨人に命令を下す。

 

 引き金を引こうとした隊員の背後に現れた巨人が、無造作に腕を振り下ろす。隊員の頚椎は一撃で粉砕されその頭蓋骨も半分近い厚みに押し潰された。

 

 超人的な速度と正確さで武装兵士を斬り伏せていくカルラ。圧倒的な防御力と剛力で無人の野を行くように破壊をまき散らす巨人。

 

 この二者の連携は凄まじく、恐慌によって統率をほぼ失った兵士を殺戮していく様は流麗な舞踏のようでもあった。

 

 その圧倒的な虐殺ショーは三十秒ほどで終了し、すでに笛から待機命令を下された巨人はその場でおとなしく佇んでいた。

 

 聖堂の外で待機していたと思われる車両が逃げ出していく音がカルラの耳に届いた。あまり長居していても時間の無駄であると判断し、広間の中の唯一の生き残りに刀の切っ先を向ける。

 

 周囲に散乱する死体の山に囲まれ、士官は床にへたりこんでいる。失禁していると見え、股間にうっすらと滲みができていた。

 

 士官は震える腕で拳銃をカルラへと持ち上げた。

 

 その瞬間、士官の手首から先が斬り飛ばされる。目を大きく見開いた彼が手首を押さえて、声にもならないかすれるような呼吸音を発しながらカルラを見上げる。

 

 眼前にきらめく一筋の光が、士官の見た最期の風景だった。


 士官の頭部が血の帯を床にひきながら、サッカーボールのように壁際へと転がっていく。


 カルラは刀を収めると広間中央にある本を拾い上げ、周囲を一瞥した。


 一分前まで生きていた人間がただの肉の塊となって無数に散乱し、嵐が通り過ぎた後のように血しぶきが辺りに飛び散っている光景。


 何の変哲もない、彼にとっては日常の光景だった。






 船に戻ったカルラに作業員が呑気に問いかける。

 

「早かったな。『石傀儡いしくぐつ』はどうだった?」


「実戦に耐える出来だ。雑魚掃除には丁度いい」


 そう答え、カルラは笛を小刻みに吹く。石傀儡はその巨体の重みを感じさせない身軽さで岩場から跳び上がり、デッキへと猫のような柔らかな動作で着地する。


 大量の返り血でまだらになった石傀儡の白い表面が、月明かりに照らされる。

 

 カルラの言葉の傍証である石傀儡の有り様に、作業員が無精髭を撫でながら複雑な表情を見せた。

 

「なあ、カルラ。あんた、これが本当に儂らの『魂の救済』に繋がると思うかね?」


 問いかけられたカルラの浅黒い肌は背にした夜空に溶けこむような漆黒。肩の辺りまで伸びる黒髪は潮風にたなびいている。平坦な黒で彩られたカルラの瞳が作業員に向けられた。


「教義こそ世界の真理であり、教主様の御言葉もまた絶対だ」


 そう返すカルラに作業員はしばらく沈黙した。やがて作業員は自分に言い聞かせるように小さくうなずき、その先は何も言う事はなかった。

 

 

 



 青空の中、太陽は真南をいくらか通りすぎていたが、その輝きは相変わらず街を無遠慮に熱している。


 ペットボトルの清涼飲料を抱えて戻ってきた八潮は、<GKIインフォメーション>の屋上に通じるドアを開けた。

 

 吹き抜ける心地いい風の中、日陰のベンチに座るタマメが静かな寝息を立てていた。長いまつげと金髪が思い出したように時折風に揺れている。

 

 八潮は物音を立てないように、そっと少女の隣に座る。

 

 ゆっくりとペットボトルの蓋を開けようとした八潮の肩に重みが加わった。


 自分にもたれかかったタマメのあどけない寝顔に表情をゆるませ、八潮はペットボトルに口を付ける。

 

 小さく息を吐き出し、広い青空を見上げる。

 

 世界はとてつもなく大きく思え、同時に自分はとてつもなくちっぽけな物であることも自覚する。

 

 自分に何が出来るのだろうか。同族を全て失い、この世界で頼れるものが何一つ無い存在となってしまった小さな少女。彼女のために自分が成しうる事が果たしてあるのだろうか。

 

 変わりたい。強くなりたい。

 

 その時、少年は生まれて初めて自分が進むべき本当の道、その入り口に立った気がした。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ