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第六話  うまい飯には裏がある


 夏休みに入ったばかりのその朝。時間に拘束されない緩やかな空気が、彼らの心を安穏とした惰眠に縛り付けていた。


 自室のベッドの上で眠る篠崎八潮を夢から現実へと引き戻した物。それは彼の頬をくすぐる柔らかな毛先の感触だった。

 

 ゆっくりと目を開けた八潮の視界に大写しになる、少女の端正かつ愛らしい寝顔。その長い金髪はカーテン越しの控えめな朝陽の中でさえ美しくきらめいている。八潮は自分の顔に触れている彼女の前髪にそっと指を添え、その手触りを寝ぼけた意識の中でぼんやりと堪能していた。

 

 少女の長いまつげが小さく震え、ぱちりとまぶたが開けられる。

 

 青い瞳が八潮の顔に向けられた。それは徐々に不審げな色の浮かぶ視線へと変わっていく。


 世界最後の竜、タマメは枕に顔を半分うずめたまま半眼になり、不機嫌そうな声色で尋ねる。 


「何をニヤついているのだ?」

 

「えっ……そんな顔してますか?」


 八潮は思わずベッドから体を起こし、タマメに背を向けて自分の顔を撫で回した。タマメも髪を無造作にかきむしりながら、むくりと起き上がる。所在なさげな態度で八潮は少女の寝起き姿をちらりと振り返った。

 

 タマメの白い肌と対照的な、黒一色のタンクトップ。その肩の部分はだらしなくずり落ち、少女のあどけない見た目にそぐわぬ妖しさを漂わせている。心なしか頬を熱くした八潮は再びタマメに背を向けると、もごもごと呟くように言った。

 

「あの……そろそろ別の部屋で寝るようにしませんか?」


「嫌だ」


 ばっさりと切り捨てる少女に、八潮は脱力するように肩を落とす。その様子を窺い見たタマメは、八潮の背後から覆いかぶさるように彼の肩へアゴを乗せた。

 

「お前は女の扱いが分かっとらんな。あまり邪険にされると、儂でも傷つくのだぞ」


「そ、そんなこと言われても……」


 ごく間近に寄せられる整った横顔、耳元に吹きかけられる声、どことなく甘さすら感じさせる匂い、肩から背中に渡って押し付けられる体温と控えめな重み。五感が伝えてくる少女の質感が、少年の体をこわばらせ胸の動悸を高鳴らせ始める。


 ふと思い出したように八潮から体を離し、机の上のカレンダーを指で示すタマメ。


「時にヤシオ。今日は<GKIインフォメーション>に行く日だ」


「は、はい」


「そろそろ朝食を取らんと間に合わんな」


「そう……ですね」


 少女に動揺を気取られないように、何気ない調子でうなずく八潮。互いに目を合わせたまま沈黙が漂う。八潮が目をしばたかせながら、小さく首を傾げた。いい加減、焦れったいという色を露わにしたタマメがずいっと顔を寄せて、その涼やかな声にドスを利かせる。


「だから、制服に着替えたいのだがな。見物したいのなら止めはせんが」


 そう言って半ばふてくされた表情になり、ベッドの上でタンクトップを脱ごうとするタマメ。白い腹部が露わになる。八潮が転がるように部屋から飛び出すまで二秒もかからなかった。






 フライパンの蓋の隙間から香ばしい匂いがこぼれ出していた。

 

 制服の上にエプロンをした八潮は火を止めて、フライパンの上でハムエッグを二つに切り分け皿へと移し替える。


 タマメが待ちきれない様子で、トーストにジャムを塗りたくりながら八潮に尋ねる。


「親父殿はいつ帰ってくるのだ?」


「二、三日中には、多分」


「そうか」


 小さくうなずいたタマメが、牛乳の入ったグラスを二人分用意してテーブルに置く。キッチンの椅子はやや背が高く、タマメの足はつま先が床にようやく届くくらいだった。

 

 いつもの時間ならここで篠崎家の朝食を準備しているはずの立原文乃の姿は無い。夏休みにまで文乃の手を煩わせるのはさすがに心苦しいと、八潮とタマメは二学期が始まるまでは朝昼の食事については自分たちで用意すると決めていた。


 目の前に置かれたハムエッグに醤油を回しかけながら、タマメが言う。


「確か……民俗学の研究、だったか? 親父殿の仕事は」


「ええ。あちこち歩き回って史跡の調査とか……本も書いてるようですね」


 八潮が他人ごとのような調子で答えながら、ハムエッグにウスターソースをかける。タマメが黄身を器用に箸で取り出しながら、少年の回答に興味を若干惹かれた様子を見せた。


「本? どんな内容だ?」


 眉根を寄せた八潮がナイフでハムを一口大に切り離しながらぼんやりと返す。


「さあ……? あれ、そう言われると仕事の話って、ほとんど聞かされていないですね」


「お前は妙なところでぞんざいになるよな……あとこれ、ちょっと黄身が柔らかいぞ」


 口一杯に頬張った物をもぐもぐと飲み下しながら、タマメが非難がましい目で八潮を見た。ここばかりは譲れないとばかりに八潮が断固とした口調で返す。


「僕は気持ち半熟くらいが好きなんです」


 刹那、二人の間に張りつめるような電流が走る。交錯する視線は互いの矜持を内に秘めた、決して折れることのない決意の色が浮かんでいる。


 一触即発の空気を破るようにインターホンの電子音が響き渡る。

 

 夢から醒めたように首を小さく振った八潮が立ち上がり玄関へと向かう。

 

 黒い背広に、シルバーフレームの角眼鏡。鷹城は神妙な表情で立っていた。

 

 

 

 

 

「『ある人物』との会見、ですか? 僕とタマメさんが?」


 麦茶の入ったグラスを鷹城の前に置きながら、八潮が聞き返した。三人は篠崎家の居間に場所を移している。畳の上に楽な姿勢で座るタマメが首をひねった。


「……『ある人物』、とは誰だ?」


 苛立ちを隠し切れない様子の鷹城が歯切れ悪く答える。


「正直に言うが、分からんのだ。こんな話は本来ならば、私が問答無用で棄却するのがスジなのだが……」


「そうも行かない、ということだな」


 いち早く察したタマメに首肯する鷹城。


「済まない。この相手は政府機構のかなり『上』にまで食い込んでいる」


 じわじわと不安が増す一方の八潮が声を低める。


「あの……僕たち二人を指名したということは、やっぱり」


「儂が『竜』だと知っている人物、だろうな」


 タマメが特に感慨もない調子で彼の言葉を引き継いだ。


 鷹城が眼鏡を外し、レンズを布で拭き始める。その行為はリラックスの手段でもあるのか、鷹城の声は普段の冷静さを取り戻していた。


「会見の日時と場所は私に一任された。もちろん、その場には私も同席する。周囲にも部隊を展開し、君たち二人の安全に最大限の配慮をする。申し訳ないが、今回は頼まれて欲しい」


 タマメが首をぐるりと回して八潮を見る。少年は小さく肩をすくめてうなずく。それを見て少しだけ思案してから、タマメが口を開いた。


「儂も別に構わんが……ただ、会見場所を指定してもいいか?」






 <GKIインフォメーション>一階資料室は、いつも通りのんびりした空気が流れていた。


 台車の上に載せたダンボール箱には、大量のバインダーが詰め込まれている。それぞれの背表紙には分類コードを示す数字と記号の組み合わせが振られている。


 移動式の書架の間に立った八潮に、タマメが箱から取り出したバインダーを手渡しながら言う。


「タカシロには普段から色々と無理を聞いてもらっているからな。それに儂個人も興味がある」


 受け取ったバインダーの分類コードを確認してから、それに対応した書架の一角に収める。次のバインダーを手で催促しながら、八潮が不安そうに言う。


「あまり気が進まないのも確かなんですが……危険じゃないですか?」


「公安も本腰いれてかかるようだし、まあ問題なかろう。だが、やはり『政治』というやつはどうにも好かんな。竜の心理構造にはそぐわない分野に思える」


 書架から少し離れたソファ。そこで体を横たえている天童静が、亀のように首だけを伸ばす。静は仕事にせっせと励む二人を、珍しい生き物を見るような顔で眺めた。


「お前らもホント暇だよな。夏休みっつったら普通はもっと遊びまわるもんだろ」


 八潮が見る限り、静は休みなど関係なく普段から遊びまわっているように思えた。だが、それを八潮が言葉に出すことは当然無かった。

 

「チビ助も遊びたい盛りだろうにな。今日仕事終わったらどっか連れてってやろうか?」


 珍しく静が面倒見の良いところを見せ、八潮は少しばかり感心する。微笑を浮かべるタマメがバインダーの背で肩をとんとんと叩きながら答えた。


「済まん、それは今度だな。今夜の儂らは食事に誘われているのだ。しかも費用は全て向こう持ちでな」


 目を輝かせるタマメは、八潮から見ても緊張感の欠片もない不謹慎な表情だった。






 日が沈んでしばらく経った夜の町。


 八潮とタマメは制服姿のまま、とある大衆食堂の前に立っていた。入り口横のガラス張りの棚に並んだ食品見本を、タマメは食い入るように見つめている。少女が八潮にちらりと期待に満ちた視線を向けた。


「<GKIインフォメーション>からの帰り道で見かけて、前々から気になっていた店なのだ」


「えっ……単に自分が来てみたかっただけですか……?」


 呆れた表情で非難がましく言う八潮に、悪びれもせずタマメは答える。


「正直その通りだな……何だその顔は。いいか、得てしてこういう場所の方が不意を突かれにくいという物だ。多分」


「それ、ちょっと無理がある気が……」


「何か言ったか」


「……いいえ」


 二人から少し離れたところで携帯電話を使っていた鷹城が、周囲に注意を配りながら歩み寄ってくる。


「待たせたな。では行こうか」


 鷹城が先に立って引き扉を開ける。外観から想像できる通り、ごく普通の大衆食堂だった。

 

 四人がけのテーブル席が六つに、厨房と客席フロアの仕切りに設けられたカウンター席が五つほど。店主と思われる肉付きの良い男が、空いているカウンター席で新聞を広げている。

 

 店内にいる客は一人だけだった。

 

 カウンターのそばにある一番奥のテーブル席。そこに淡い茶色の上等そうなジャケットを着た一人の男が、入り口に背を向けて座っている。男は腕組みをして店の隅の天井近くに据え付けられたテレビを眺めている。画面に映し出されているプロ野球の生中継は一進一退の好試合を繰り広げていた。

 

 テーブルの上のグラスに八分目ほどまで注がれたビールはすっかり泡が消えており、男の試合への執心ぶりを表しているようだった。

 

 扉の開く音に、男は自然な動作で八潮たちの方へ振り向いた。

 

 一見するとどこにでもいる壮年の人物と思えた。平均よりはやや大柄ではあるが、それは彼の温厚そうな表情や物腰をプラス方向にバイアスをかける材料になっている。

 

 容姿の特徴と言えそうな部分は、その口ひげと頭髪だった。どちらも丁寧に整えられており、またどちらもところどころ白い物が目立ちはじめ、それが一種のマーブル模様を連想させている。

 

 男は優雅な動作で立ち上がり、笑顔で小さく会釈をした。片手で自分の向かいの席を指す。促されるまま、八潮とタマメは男と差し向かいに座った。

 

 鷹城は男を注意深く観察しながら、カウンター席の一つに座る。男に対し鷹城が体を半身に開いた。彼の目は、テーブル席に座り直す男の一挙手一投足に鋭く注がれている。

 

「まずは注文をしようか。食事はまだだろうね?」


 しっとりとした低音の声で男が言い、片手を店主に向かって上げた。新聞に読みふけってそれに気付く様子のない店主の代わりに、厨房からその妻らしき女性が八潮とタマメのお冷とおしぼりを持って現れた。

 

「こういう店に入ったのは、学生の頃以来だな」


 男が愉快そうにそう呟いて手際よく注文をしていく。八潮の目から見た第一印象では、この男が危険な人間には思えなかった。戸惑いはあったが、男の提案通り食事に付き合うのが今は無難だと少年は判断した。

 

 一方のタマメはここに流れる不穏な空気を気にかけることなく、好き勝手に次々と料理を頼んでいった。主に単品をメインとしたラインナップで、どう考えても彼女一人で消費できる量ではなかった。タマメが白飯を当然のように二人前頼んだ時点で、彼女は八潮の手からメニューを引ったくる。

 

「お前は注文しなくていい」


「あ、ちょっと。もやしラーメンにしようかと……」


「却下だ。今日は種類を多く試す方針だからな。お前が一品で腹を膨らませてしまったら、残りは儂一人で食い切れん」


「いや、あれは二人分にしても多すぎですが……」


 二人のやり取りを見て、男が抑えた声で無邪気に笑った。

 

 

 

 

 

 テーブルの上はすでに半分以上、料理の盛られた皿で占領されていた。それにも関わらず続々とさみだれ式に配膳されていく皿たちに、八潮は一抹の不安を感じていた。

 

 店内に他の一般客はいなかった。鷹城が手を回して貸し切りにでもしているのだろうかと少年は考える。

 

 隣のタマメが上機嫌で八宝菜のエビを箸で口に放り込む。

 

 八潮は向かいに座る男に視線を向けた。男の前にある皿はすでに空であり、邪魔にならないように脇に重ねられている。

 

 男は口をつけていたビールのグラスをテーブルに静かに置いた。

 

 その音が、彼の言葉の端緒であると八潮とタマメは直感する。二人の視線を集めたことに満足したような表情で男は口を開いた。

 

「私は『仰木おおぎ邦光くにみつ』という者だ。篠崎八潮くんと、タマメくんだね」


「はい」


 箸を置いた八潮が返答する。タマメはもぐもぐと口を動かしたまま、じっと男を見つめていた。その時、カウンター席に座る鷹城が目に見えて体をこわばらせた。装着していることが目立たない小型のイヤホンマイク。そこからの報告に耳を傾けながら、鷹城は徐々に表情を険しくしていった。

 

 男がテーブルの上で両手を軽く組み合わせる。


「私はある組織を運営している」


 その時、店の扉が静かに開いた。夏の夜にはふさわしくない、血のように赤いコートを身に付けた長身の男が入って来る。以前その男を初めて目にした時の『恐怖』が八潮の中に蘇る。

 

 カルラ。黒眼帯の男がそう呼んだ声が、少年の意識にフラッシュバックする。

 

 仰木邦光がはっきりとした発音で告げる。

 

「<統法機関>。私が設立した組織だ」


 滑るような足運びで店内を進むカルラが、鷹城の隣のカウンター席に座る。鷹城は右手を黒背広の懐に反射的に伸ばそうとした。だが、彼は思い直したようにそれを膝の上に戻し、カルラへの冷静な警戒と注意深い観察に意識を振り向けるような表情になる。


 冷房の利いた店内で、八潮はシャツの下に不快な汗がにじみ出すのを感じた。その時、八潮の足に優しく触れる物があった。

 

 テーブルの下でタマメが八潮のふとももに手を伸ばしている。少女の青い目は不安の色の欠片もなく、それを八潮にも分け与えようとするように小さくうなずく。そして少年はその心に平静を取り戻していった。


 詫びるような色を唇に浮かべ、仰木が八潮を見る。


「ああ、心配しなくていい。もちろん君たちに危害を加えるつもりは無い。カルラがここにいるのは、公安から私を守るためだ。護衛は必要ないと言ったのだが……まあ、職務に忠実なのは評価すべき点ではある」


 ビールを一口すすり、仰木が言葉を続ける。


「実は、我々は君たちに接触しようと、しばらく前から色々と手を打ってきた。だが、公安のガードがあまりにも厳しくてね」


 ちらりと鷹城を見る仰木の口元に皮肉めいた微笑が浮かぶ。

 

「『コネ』に物を言わせるやり方は好きではないが、今回はやむを得なかった。気を悪くしないで欲しい。鷹城くんもね」


 鷹城は手の届く距離からカルラに鋭い視線を向けている。カルラはそれをまるで気にしない様子でグラスの水に口を付けた。

 

 タマメが串かつを一口かじってから、ぶっきらぼうな声色で尋ねた。

 

「儂らと会うためだけに、ずいぶんと手間のかかる事をしたようだな」


「まあね。順を追って話そう。私の家は代々、歴史研究や文化財の保護を生業としていてね。<大喪失>以前の遺物や記録に触れる機会が多い」


 少女が串かつの残りの部分を一気にかじり取り、もぐもぐと咀嚼する。タマメは頬杖をつきながら仰木をつまらなそうに見つめていた。彼の言葉が続く。


「私は若い頃から<大喪失>のごたごたで散逸した魔法書を集めて、独学ではあるがその知識を体系的に習得した。もちろん竜の知識に比すれば、その足元にも及ばないレベルだがね。また、極めて限定的ではあるが、魔法の発動システムも確立しつつある」


 八潮と鷹城の顔色がわずかに険しくなった。相変わらずタマメは口をもぐつかせている。テレビから九回裏の息詰まる攻防を熱く実況するアナウンサーの声が流れていた。


 一拍の間を置いて、仰木は一言ずつ積み上げるように言葉を紡いだ。


「そう。我々は魔法の『復活』を成し遂げようとしているんだ」


 テレビの中では、逆転ホームランが放たれたことをアナウンサーが叫ぶように伝えている。


 からん、と乾いた音が場に流れる沈黙を破った。串を皿の上に放り出したタマメが椅子に背をもたれかけさせ腕組みをする。


「ああ。儂らも実物を目にした。身体強化の術式はいくつか知っているが、あれほど強力な物は初めて見た」


 八潮は黒眼帯の男が見せた超人的な力を思い起こす。惜しむような色を裏に漂わせた声で、仰木が返した。


「竜に評価されるとは光栄だね……人死にが出たのは誠に遺憾だった。だが、あの一件は私の『理念』の正しさを裏付けるものだ」


 タマメは胡散臭そうに眉をひそめた。


「理念?」


 八潮は、仰木が何を言おうとしているのか分かった気がした。仰木はまっすぐに二人を見つめて言う。


「魔法は『危険』をはらむ存在であり、『管理』されなければならない。魔法の知識は『秘匿』されなければならない。<統法機関>はそれを遂行するために私が作った組織だ」


 八潮の中に何かが沸き上がってきた。情報のピースが音を立てて組み合わさり、一つの推測へと辿り着く。八潮の声色にざらつくような不快感が混じった。


「だから、あの黒眼帯の男にタマメさんを……『竜』を襲わせたんですか?」


 少年を見据えて、仰木は丁寧に語りかける。その言葉にはまやかしはなく、心からの真摯な物のように八潮には思えた。


「それは誤解だ。彼はあの時点で機関から離反していた。我欲に目を眩ませた愚かな男だ。だが、私の主張の証左でもある。仮に魔法が制限無く野放図な使われ方をされたなら、あれが児戯に思えるような災禍が世界を覆うだろう」


「それを防ぐためなら手段は選ばない、か? そこのカルラとかいう奴は、意に沿わない相手は片っ端から切り刻んでいたようだが?」


 タマメが鼻で笑い飛ばす。仰木は粘り強く反論した。


「君たちを襲った男は、秘匿されるべき魔法の技術を持ち出した。外に漏れる可能性を看過するにはあまりに危険すぎたのだ」


 そこで一旦言葉を切った仰木は、八潮とタマメの反応に目を凝らした。八潮はテーブルの上に視線をさまよわせたまま何事かを黙考している。空になった皿をタマメが無造作に脇へ押しのけた。彼女は茄子の生姜焼きに醤油をたらしながら、仰木に視線も向けずに雑な口調で言う。


「だから?」


「協力してほしい。竜が持つ魔法の知識を、我々の仕事に役立ててもらいたい。世界を、人類の安全を守ってほしいんだ」


 この男の中にはひたむきな熱意がある、と八潮は感じた。そこに偽りやごまかしに類するものを読み取ることはできなかった。


 鷹城がカウンター席にひじをついたまま、仰木の顔を探るようにじっと見つめる。隣のカルラは会話の内容には興味が無いとばかりに、手の中で空になったグラスをもてあそんでいる。


 八潮は、仰木の視線が先ほどから自分だけをじっと捉えていることに気づいた。助けを請うように八潮がタマメの方をちらりと見る。少女は小さく肩をすくめて返すだけだった。


 いくつか言葉を迷ってから、八潮は戸惑いながら言った。


「なぜ、僕をこの場に呼んだんです? ええと、仰木さんが必要とする知識や能力を……僕は持っていません」


 我ながら少々格好のつかないことを言っていると自覚しながら、八潮は相手の表情をうかがった。ふっと顔をほころばせ、仰木は片手をひらひらと動かす。


「竜と篠崎家の関わりは無視すべきでない、と思っただけだよ。『血の盟約』だったかな? 八潮くん、君がそうなんだろう?」


 仰木はそう言って、八潮とタマメを交互に見やる。相手の知識の底を見定めるように視線を尖らせたタマメ。それに気後れすることもなく、仰木は続けた。


「『竜を従える者』……君は今の世界において、極めて貴重な人材と言える。タマメくんが何と答えるかは、八潮くんの決断次第なのだから。違うかい?」






 夜闇に浮かぶ街灯の光に吸い寄せられるように、羽虫がちらちらと舞い踊っている。


 自宅の門前で、八潮とタマメは公安のワンボックスカーから降りた。夜の住宅街の奥へと消えていく車を八潮と並んで見送りながら、タマメがぽつりと呟く。


「あの男……オオギの話に色々と思うところもあっただろうな?」


「賛同できる部分は確かにありました。認めます。でも、今すぐ答えを出せと言われると……」


 いまだに自分が下した判断に自信が持てない様子の八潮。そんな少年にタマメが穏やかに言い添える。


「そうだな。協力依頼への回答自体は保留……そして<統法機関>が儂らへの不干渉を守る限り、儂らも<統法機関>に対して中立を維持する……例え政府からの依頼があっても、か」


 タマメは腕を組んで記憶をたどりながら、満足そうな顔でうなずいて言葉を継いだ。


「口約束でしかないと言ってしまえばそれまでだが、お前にしてはなかなか賢明な判断だと思うぞ。タカシロは苦い顔をしていたがな」


 言い回しは気の毒がる内容であったが、タマメの顔はどことなく緩んでいた。

 

 唇を結んだ八潮が門から自宅の敷地に入り、タマメも後に続く。郵便受けをのぞきながら八潮がどことなく気弱な様子を声に浮かべる。


「今日の事をどう解釈していいのか、まだよく分かりません」


「確かにいくつか疑問は残る。だが、一つだけはっきりしたことがある」


 空に浮かぶ月を見上げながら、タマメは確信に満ちた調子で続ける。


「オオギは<大喪失>の原因を知っている。完全に、ではないかも知れんがな」


 ぱっと振り向いて軽い驚きを見せる八潮に、タマメが目を合わせる。


「黒眼帯の男が身体強化に用いていた……『術石』だったか。あれはまぐれ当たりで作れるような代物では無いぞ。<大喪失>の仕組みについての知識が前提になるカラクリだ」


「それは……確かに」


「ここからは推測でしかないが……<大喪失>の原因となった『何か』は現時点でオオギの手に負えない物だ、という可能性がある」


 タマメは自分をいぶかしげに見る八潮に、当たり前の事を説明するような様子を示した。


「本当に魔法を危険視しているならば、あんな回りくどい会見などせず、人知れず『儂を殺す』のが最善手のはずだ。今の世界、儂以上に魔法に精通している存在はいないのだからな」


 さらりと言ってのけたタマメに、八潮は小さくため息をついた。このあどけない少女が時折見せる殺伐とした顔。自分がそれに慣れる日がいつか来るのだろうかと疑わしく思った。


 八潮の内心を気にかけることなくタマメは続ける。


「カルラのような手駒も抱えているのだ。その気になれば公安の護衛も突破できるだろう」


 その点に関しては八潮も同意見であり、はっきりとうなずき返した。


「ええ。でも、それをしていない。その『何か』をコントロールするためにタマメさんが必要だと?」


「あるいはな。ま、目的はともかく、『協力してほしい』と言う部分は少なからず本音と見ていいのではないかな」


 そう言って、タマメは体の前後で軽く乱れた金色の長髪を指でかき上げて背中に回す。小さな背中を見下ろしながら、まだ思い迷う表情で八潮は言葉をこぼした。


「悪い人には見えませんでした。自分の目に自信は無いですけど」


「人間の根底にあるものは『善』だろう。竜が言うのだから客観的な意見だぞ」


 からかうように笑ってみせたタマメが、玄関を開けて先に入る。土間にそろえられた靴を見て、彼女が八潮に振り返る。


「親父殿がもう戻っているようだな」


 八潮が目を丸くした。


「あれ、ほんとだ……ずいぶん早かったですね」


「お前のことが心配になって、予定を繰り上げたのかもな」


「まさか」


 口ではそう言ったが、八潮は今日の出来事を父に話そうと決めていた。

 

 父はきっと鷹城から今日の事について報告を受けるだろう。ひょっとしたらもう何もかも知っているかもしれない。それでも、自分が見たもの、自分が思ったことについて、少しだけ話をしてみたくなった。

 

 きっと普段ならそんなことは考えもしなかったはずだった。事実、自分にそう思わせた物が何なのか八潮自身よく理解できていない。

 

 それでもこの時の八潮は、その感情に身をゆだねることに不審や不安を抱くことは無かった。

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