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第五話  恋する乙女は百万馬力


 夕方近くに降り出した雨は、日没と共にその勢いを増し始めた。

 

 護皇院姫子はTシャツにハーフパンツという寛いだ格好で、自宅の二階へ続く階段を上がっていた。

 

 廊下奥のドアの前でしばし考えた後、二度軽くノックをする。応答は無かったが、姫子はそのまま自室のドアをゆっくりと開いた。

 

 室内に明かりは点いておらず、カーテンも締め切られている。外から聞こえる雨音は白いノイズとなって、その空間の静寂に軽いアクセントを与えている。

 

 姫子はドアの陰から覗きこむように、ベッドの上で毛布をかぶり丸くなっている小さなかたまりに向かって話しかける。

 

「タマちゃん、下でご飯食べよ?」

 

「……今日は要らん……済まん」

 

 毛布の下から小さな手が力無く突き出され、軽く左右に振られる。

 

 姫子は、分かった、と一言返してドアを閉めた。考えこむように目を閉じた彼女は明るい栗色のショートカットヘアを指でかきながら、もう片方の手で携帯電話のボタンを押す。

 

「あ、文乃おばちゃん? うん……やっぱり、まだちょっと……うん、じゃあ今日はウチに泊めるね……うん、大丈夫。じゃあ」


 そう言って通話を切った姫子は、階段を一段降りたところでその場に腰掛ける。自分の膝の上で頬杖をついた姫子は、唇を結んで視線を上下左右にさまよわせた。

 

 物事を深く考えるという行為が、自分の得手でないことは自覚していた。それでも彼女は、何かをせずにはいられない、という自分の衝動に折り合いをつける気にはなれなかった。






 立原文乃は、篠崎家の居間にある電話の受話器を置いた。振り返れば、篠崎八潮とその父親、篠崎厳真が黙々と夕食をとっている姿が目に入る。


 文乃は控えめな声で探りを入れるように口を開く。


「タマメちゃん、今日は姫子ちゃんのお家に泊めてもらえるって」


 箸を置いた厳真が湯呑みを持ち上げて、平静な声で応える。


「そうですか」


 文乃が八潮の顔を見る。少年は特に興味のない様子で箸を動かしていた。再び口を開きかけた文乃の機先を制するように、八潮が立ち上がる。


「ご馳走様でした」


 そのまま八潮は居間から立ち去り、周囲に目もくれず自室へと向かった。文乃はそんな少年の背中に、何かから逃げ出すようなそぶりを感じとる。


 膝を畳についた文乃が、食器を長角盆の上に集めだす。彼女はため息混じりに厳真に言葉を向けた。


「ケンカでもしたの? あの二人」


「鷹城くんから聞いた限り、ちょっとした行き違いのようです」


「『ちょっとした』、ねえ……」


 盆を両手に持って立ち上がった文乃が、厳真を困惑のにじむ視線で見下ろす。


「あのね、厳真くん。一度、ヤッちゃんときちんとお話ししてみたら? その、『篠崎家』にも大事な事情みたいな物があるってのは、何となく分かるんだけど……」


「篠崎家の人間に必要な事は、全て八潮に伝えてあります。何をどう判断するかは、あの子の役目です」


 そう静かに答えると、彼は中身が冷め切った湯呑みに口を付けた。文乃は眉間に軽い難色を浮かべたままその場に立っていた。しかし、やがて彼女は諦めたような表情で肩を落とし、使い終わった食器を持って居間から台所へと向かう。


 厳真が湯呑みをテーブルの上に戻すと同時に、彼の着流しの懐から機械的な振動音が響きだした。彼は立ち上がり居間から縁側に出る。降り続ける雨をガラス戸越しに見つめながら、厳真は着信によって震える携帯電話を懐から取り出した。

 

「はい……ああ、聞いたよ鷹城くん。彼女は今日は護皇院の家に……そうだな……手間をかける。こちらは心配しなくていい……ああ、よろしく頼む」


 携帯電話を懐に戻した厳真は、腕組みをしたまま雨粒が夜の庭を叩く様子を見つめていた。彼のがっしりとした体格に反して、その立ち姿はどことなく物憂げな気配を帯びている。

 

「雨の日って、万里絵ちゃんの事を思い出すわ」


 いつの間にか隣に立っていた文乃が、外を眺めながらぽつりと呟いた。厳真は短く「ええ」、とだけ応えた。






 次の日の午後になって、ようやく雨足は弱まり出していた。


 授業終了とと共に部活動や帰宅やらで、教室の中は人もまばらになり始めている。しかし、タマメは帰り支度をするでもなく、机の上で組んだ腕に頬を乗せ、降り続ける雨をぼんやりと眺めていた。

 

 八潮は少し離れた自分の席で頬杖をついて同じく外を見つめている。少年は風邪で何日か病欠していた友人に、授業のノートを数冊貸していた。今の八潮はその友人がノートの内容を写し終わるのを待っているところだった。


 朝から続いている八潮とタマメの冷戦。それは二人を取りなそうとする姫子や数人の友人たちの努力でさえ、実を結ぶ気配すら無いほどの断固さを持っていた。


 姫子の友人である女子生徒の一人が、タマメと八潮を離れた位置から見比べながら、机に腰掛けて呟いた。


「いやー、これはなかなか重症ですな」


 その席の主、腕組みをしたまま苦い顔をする姫子が機械的に返事をする。


「うん」


「原因は分からんの?」


「全然。聞いても教えてくれないんだよね。あの二人、妙に頑固なとこが似てる気がする……」


 男女二人組が、姫子の机の横を談笑しながら通り過ぎる。机に腰掛けている友人が、その二人の通り道のために体をずらす。彼らを見送るように視線を送っていた友人が、姫子の方に顔を寄せて声を低めた。


「どうでもいいけど、なーんかカップルが目立つ気しない? 最近」


「ほんとどうでもいいよ……まあ、確かにそれは思うけどさ」


 教室から校庭を見下ろす窓際でも、別の男女が不自然に近い距離で会話を交わし合っている。時折女子が見せる笑顔から彼女の感情を察するのは容易いことだった。


 開け放たれた扉から見える廊下では、これまた別の男女が肩を寄せ合いながら一つの携帯電話の画面を見て、何事かの話題ではしゃぎあっている。


 友人の顔がみるみるうちに険しさを増していく。


「どいつもこいつもムカつくな」


「そういうこと言っちゃダメだよ……」


 苦笑いで咎める姫子の肩を、遠慮がちに叩く指があった。椅子にかけたまま振り返る姫子の前に、二人の女子生徒が立っている。一年生の時に同じクラスだった二人であることを姫子は見て取った。

 

 今でも時々遊びに出かけたりする程度には、姫子との交流のある人物だった。そして、この二人はともに『オカルト研究会』だかのメンバーだったなとも思い出す。


 片方の女子がおずおずと口を開く。


「ごめん姫子、あのさ……ちょっと相談あるんだけど」






 売店の横に並ぶ自動販売機の一つ。そこから紙パックの牛乳を取り出しながら、姫子が目をぱちぱちさせながら聞き返す。


「恋のおまじない……って何それ?」


 オカルト研究会の二人と、姫子とその友人。連れ立った四人はなるべく人目が少ない場所を探しつつさまよった結果、ここにたどり着いていた。


 姫子に相談を持ちかけてきた二人の外見は、オカルト研究会のイメージを損なわないような風貌に思えた。片方は黒縁で曲線的な太めのフレームの眼鏡をかけ、もう片方は黒い長髪を綺麗なストレートにしている。


 壁に寄りかかり牛乳のストローに口をつけた姫子が、オカルト研究会の二人に話の続きを目でうながした。


 彼らの言い分は要約すると以下のようであった。

 

 ここ最近、オカルト研究会は文化祭に向けて、何か真面目なテーマの研究発表を行おうではないかと色々と案を出し合っていた。しかし、どうも彼らのお眼鏡にかなうようなネタを見つけ出すことができずにいた。

 

 そんなある日、オカルト研究会の部室に一人の女子生徒が相談に来る。彼女には常日頃から「いいなー」と思っている男子生徒がいるのだが、なかなかお近づきになる機会が得られず悩んでいる、という事だった。

 

 色々思い迷ったあげく、ここはいっそのこと神頼みだと、藁にもすがる思いで彼女はオカルト研究会の戸を叩いたのだった。怪しげなおまじないやら何やらに精通しているであろう彼らならば、きっと『恋愛成就』の役に立つものも知っているはずだと。

 

 牛乳を飲み切った姫子がストローから口を離し、ゴミ箱に空のパックを放りこむ。

 

「で、教えてあげたんだ?」


「そう。でね、それが上手く行っちゃったんよ」


 長髪のオカ研部員がうなずいた。姫子の友人が首をひねる。


「へえ……じゃあ問題無いんじゃないの?」


「問題はその後なの。それを聞きつけた他の女子が自分たちにも教えろ、教えろって詰めかけてきたの」


 眼鏡の部員が不安そうな表情を浮かべて応じた。こめかみに指を当てて記憶を探りながら、姫子が言う。


「あー。そういえば何か誰か噂してた気がする。で、やっぱり教えたんだ?」


「うん。それで、ついでにこれを文化祭の研究発表テーマにしちゃえって思ったんよ」


 長髪の部員が、手に持った薄いバインダーを小さく振る。軽く開いた表紙の陰からレポート用紙が見えた。彼女はそのバインダーを姫子に差し出した。


「要するにね、このおまじないがどれだけ効果があるのか、ってのを統計取って分析しようってこと。それがこれなんよ」


「……え、私も中身、見ていいの?」


 バインダーを受け取りながら姫子が尋ねる。


「うん。名前自体は記録してないし、一応データ取るってことは皆には前もって伝えてあるし」


 眼鏡の部員の言葉を聞きながら、姫子がバインダーの中身に目を通す。姫子の大きな栗色の目がさらに拡げられた。


「うわ……すっごい成功してるじゃん」


「そうなの。彼女持ちの男子に告って成功した子も何人かいるんだよね……何か、すごい怖くなってきちゃってさ」


 身を縮こませるように小さく呟く眼鏡の部員の言葉を、長髪の部員が引き継ぐ。


「最近じゃ、生徒会とかからも『風紀を乱すな!』って感じにオカ研が睨まれだしてちょっとマズいかなーって。でも、もうやり方とか女子にだいぶ広まっちゃって、私らだけで治めきれなくなっちゃったし」


「あー。会長はおっかないもんねえ」


 姫子の友人が肩をすくめて笑いを浮かべた。眼鏡の位置を直しながらオカ研部員が言いにくそうに口を開く。


「ひょっとしたら、これほんとに『魔法』じゃないか、ってちょっと思ったりしちゃったの。いや、<大喪失>で魔法が消えて無くなったってのは知ってるけど」


「魔法ねえ……んな何百年も前に無くなったものにビビんなよ。っていうか、姫子にそんな相談してもしょうがないじゃん?」


 不安を紛らせるように、さらりと軽く言う姫子の友人。オカルト研究会の二人が視線を互いに交わした。長髪の部員が様子を見るような声色で言う。


「あのね、こないだ姫子が言ってたの思い出したんよ。姫子のクラスの篠崎くんと、あとあの飛び級の子?が、職業体験やってるって会社の話」


 唐突に八潮とタマメが話題に出てきたことに面食らいながら、姫子がうなずいて言葉の続きに耳を傾けた。


「あの二人なら、こういうおまじないとか、魔法とかに詳しいんじゃないかって。で、もしほんとに魔法だとしたら、これを『抑える』方法も知ってるんじゃないかなって」


「んなの放っときゃいいじゃん。どうせ適当にくっついたカップルなんだから、そのうち適当に別れるっつーの。ねっ、姫子?」


 そう尋ねる友人の視線の先には、口元に指を当てて何事かを真剣に考えている様子の姫子がいた。






 オカルト研究会の部室で、八潮は居心地の悪さに往生していた。

 

 彼は壁際のパイプ椅子に座って、できるだけ部室中央で繰り広げられている状況に関わらないように努力している。廊下を姫子に無理矢理引きずられるときに掴まれた腕が軽くしびれていた。


 部室の中、テーブルを囲むように五人の女子が色々な本やノート類を広げて今までの経緯を確認している。室内で唯一の男性である八潮は、一刻も早くこの状況に終わりが来ることだけを願っていた。


 姫子とその友人が説明された話のほぼそのままの繰り返し。それを小柄な少女は黙って聞いていた。一通りのことを語り終えたオカ研の二人と、姫子とその友人。合わせて四人分の視線が、その少女の反応を待つ。


「何故、儂に相談を?」


 タマメが金色の長髪を軽くなでながら尋ねた。眼鏡の部員が真剣な面持ちで口を開く。


「職業体験で都市伝説とかUFOとか魔法とか調べてるんでしょ? タマメちゃんと篠崎くんって」


八潮の声にどことなく悲痛さがにじむ。


「姫子、どんな説明したんだよ……?」


 姫子がむっとした顔で振り返る。


「え……だって、こないだ静さんがそんな感じのこと言ってたよ? 違うの?」


「なんであの人の言うことを真に受けるんだよ……」


 さらに不満の言葉を続けようとした八潮に、姫子の威圧的な視線が向けられる。単に自分の不手際を誤魔化すだけではない、別の意図を彼女に感じた八潮は、いくぶんかの怪しみを胸に残したまま口を閉じた。


 姫子の魂胆を推測しようとする八潮の試みは、タマメの次の言葉で中断させられる。


「分かった。手伝おう」


「ちょっ……」


 八潮の異議はオカ研の喜びにかき消される。二人の部員は互いに手を取り合ってその場で飛び上がらんばかりに喜色を浮かべた。


「ほんと? ありがとう!」


「儂はもともと魔法についてはよく知っている。困っていると言うなら、それに協力するのもやぶさかではない」


 姫子の友人が感心したように目を丸くする。


「へー。タマちゃんって魔法とか好きなんだ?」


「そういう知識が重んじられる風土で育っただけだ。好きかと聞かれると……どうなのだろうな。魔法は必ずしも良いことばかりでは無いようだが」


 後悔と諦念のようなものがうっすらと混じる少女の声色。八潮はタマメの小さな背中をちらりと見たが、すぐに気まずそうに視線を伏せた。


「さっそくだが、そのまじないについて教えてくれるか」


 タマメの言葉にうなずいて、眼鏡の部員が一枚の紙を机の上に差し出した。レポート用紙にはいくつかの円と三角形と古代文字らしき記号で構成された紋様が描かれている。

 

 それを一瞥したタマメが口を開いた。


「なるほど。手順としては、呪印を自分の手のひらあたりに描き込み、その手で相手の体に触れる。そうすれば想いが成就する、という具合だな?」


 あっさりと言い当てるタマメに、オカ研の二人があっけに取られて言葉に詰まる。


「う、うん。凄いね……見ただけで分かるんだ?」


「よく似たまじないが北欧あたりで流行っているのを見かけ……いや、噂に聞いたことがあるのだ」


 紙を小さな手で持ち上げたタマメが、青い瞳の視線を紙面に注ぐ。小さく首をかしげた彼女がオカ研部員の方を見る。


「呪印はこれ一つだけか? 他に必要な儀式は無いのか?」


「ん、無いよ? 印を手に描いて一晩過ごしたら、あとは好きな人の体にその手でタッチするだけ」


 眼鏡の部員が答えた。指を口元に当ててわずかに思案したタマメが、呪印を見つめたまま口を開く。


「『魔力の供給』が欠落しているな」


 理解が追い付かない面々を前に、タマメが言葉を継ぐ。


「この呪印単体に効力は無いのだ。これとは別に、何らかの術式によって発現させた『魔力』を、手に描いた呪印に『蓄積』させる必要がある」


 思いのほか専門的な領域に入り始めたことに、周りの顔がぽかんとしたものに変わっていく。視線を紙面から戻したタマメが部員を見た。


「まじないに成功した人間に共通点がないか調べてくれんか? 分かる範囲でいい」


「う、うん。やってみるよ」


 長髪の部員が答える。タマメが椅子から立ち上がり、部室の扉を開く。


「儂は校舎と周辺を調べてみる。この建物自体、魔力供給に関わる何かがあるのかも知れん」


 彼女はそう言って、相手の応答も待たずに廊下の向こうに一人で去っていった。オカルト研究会の二人も互いにうなずくと、立ち上がって筆記用具を取り出し準備を始める。


 パイプ椅子に座ったままどうしようかと考えあぐねていた八潮が、姫子の視線に気づく。その責めるような色から渋面を作って顔をそらした少年に、姫子のぴしゃりとした言葉がぶつけられる。


「話してきなよ、タマちゃんと。私、そういうのあんまり好きじゃない」


 姫子が自分をここに連れてきた真意をようやく解した八潮は、唇を結んでしばし考えこんでいた。






 小ぶりになった雨粒が色とりどりの石タイルを静かに叩いている。


 通用門から校舎に続く通路の途中に、黄色い傘をさしたタマメが立っていた。人通りはほとんどない。ささやくような雨音の隙間から、敷地外を行き交う車両の音が控えめに漏れ聞こえている。


 少女は校舎の外観や、それを囲む通路の形状、柵や立木の位置関係などをつぶさに観察していた。指を口にあて、軽く目を閉じて思考に集中する。論理的に可能性を列挙して評価と反証を繰り返す。

 

 感情の入り込む余地のない作業は、御しきれない情動からの逃げ場所には好都合であった。


 背後に現れた足音に、タマメはちらりと目線を上げた。


「あの……『魔法』の話ってあからさまにしていいんですか……? その、タマメさんが『竜』ってことも一応まわりには秘密なわけですし」


 濃い緑の傘の下で八潮がおずおずと視線をタマメに向けていたが、彼女と目が合った途端それをそらした。それを見たタマメもまた、足元に視線を落とした。


「案ずるな。あの二人は、魔法の存在を心から信じているわけではない。今やっていることも、言い方は悪いが『ごっこ遊び』の延長という認識ではないかな」


「……二人ともだいぶ不安がっているように見えましたけど」


「そうだ。彼女らは不安なだけなのだ。自分の力の及ばない事象に対する無力感を持て余しているのだ」


 タマメは体を回して、雨雲に覆われた空を見上げて言葉を続ける。


「誰かにもっともらしい理由を提示してもらって、納得し安心したいのだ。それだけの話だと思うぞ」


「この『まじない』騒動自体、やっぱりただの気のせいって事ですか?」


 戸惑うような視線を向けた八潮に目を合わせないまま、タマメは小さく肩をすくめる。


「何とも言えんな。心への干渉を目的にする魔法は、物理現象を発動させる魔法と違って、その効果の検証が困難だからな」


「それは……何となく理解できます」


「心変わりした理由が魔法なのか、あるいはたまたまの偶然なのか。それを確かめるのは難しい。心を操る魔法など存在しない、と主張する魔術師も相当数いたくらいだ」


 タマメが黄色い傘を傾けて、空をじっと見つめている。もう雨はほぼ止んでいた。


「ただ、『祈り』と呼ばれている行為。それが微小ながら魔力の発現に繋がることは確認されている。事実、祈りを契機として発動させる魔法術式は多岐に渡るしな」


 そう言うと、タマメは傘をたたんだ。それを杖のように地面について、彼女は小さくため息をつく。指で金髪の下の頭を軽くかきながら、面白くない様子で言葉を続けた。


「あちこち見て回ったが、校舎やこの辺りの地形に魔力供給の術式が潜んでいる、というわけでは無さそうだな」


 少女にならい、八潮も傘をたたむ。八潮は考えをまとめるように目を閉じる。やがて彼はまぶたを開けると、その視線をタマメに向けた。


「あの」


 八潮のためらいがちな声に、タマメは彼を見上げる。


「昨日、僕が言いたかったのは、魔法が人に害を与える可能性の話であって……その、別に『竜』を……タマメさんをどうこうとは違うわけで」


「分かっている。ちょっとすねてみたくなっただけだ」


 少女は自嘲するように口元をゆるめた。半袖ブラウスの襟元を小さな指でいじりながら、タマメが言葉を続けた。


「あんなことで心を揺らすとは、儂もガキだな……お前に偉そうなことを言える身分ではなかった」


「いえ、その……」


 口ごもる少年にくるりと背を向けるタマメ。


「ヤシオ。儂は少しお前と距離を置こうかと思っている」


 少年の胸を、鼓動がどきりと打った。何かを言わなくてはと思ったが、それを言葉にすることは出来なかった。宙空に向けられた少女の青い瞳に鋭い光が宿る。


「どうも今の世界で『竜』は揉め事の種のようだ。それを分かった上でお前を危険に巻き込むのは、儂の本意ではない……ん? 済まん、話は後だ」


 遠くから人の気配がした。昇降口からタマメの名を呼ぶオカルト研究会の二人の姿が見える。タマメがそれに片手を上げて応える。傘をぶらぶらと揺らしながら校舎へと戻るタマメの後ろ姿を、八潮は黙って見送っていた。


「ねえ、八潮」


 突然かけられた声に、八潮は飛び上がるように体をのけぞらせた。いつの間にか姫子が八潮の背後に立っている。むっとした表情で腕組みをしていた彼女は、ぐいと顔を八潮に近づけた。


「ゆうべ、タマちゃんすごく落ち込んでたんだよ。何あったか知らないけどさ」


 八潮は、自分にまっすぐに向けられる瞳から顔をそらす。そんな彼の視線の先に回りこむように姫子は体を寄せた。


「あのさ。タマちゃんは、ああいう感じだから大人っぽく見えるけど、やっぱり子供なんだよ。まあ、私らだってぜんぜん子供だけどさ」


「……だからなんだよ」


 八潮は再び視線を姫子からそらした。彼の視界に、タマメとオカ研の二人が数枚の書類をめくりながら話し合っている光景が映る。


「だからもっと優しくしてあげて、って言ってんの。タマちゃん、もう頼れる家族とかいないんでしょ? 八潮も……あと厳真おじさんにも、ちゃんと言っとかないとダメか」


「『言っとかないと』……ってなんだよそれ」


 姫子がふんぞり返るように胸を張り、人差し指を八潮の胸に押し当てる。


「わたし今日、八潮んちに泊まるからね。タマちゃんも連れてくから」


 雨は完全に上がり、雲の隙間から陽光が数条差し込み始めていた。






 篠崎家の居間は静まり返っていた。


 台所へ続く引き扉は開け放たれ、その向こうからは複数の女性が楽しげに語らう声が聞こえてくる。その響きはまるで遠い世界の物のように八潮には思えた。


 文乃が姫子とタマメを引き連れて夕食の準備をする間、八潮と厳真はテーブルを挟み座っている。


 さきほど挨拶をしてきた姫子の表情から何かを察したような厳真は、着流しの胸元で腕組みをしたまま、思案にふけるように目を閉じている。


 制服姿のままの八潮は麦茶の入ったグラスを見つめたまま、それに手を付けることもなくただ黙りこくっていた。沈黙が無限に続くかと思われた頃、少年はふっと視線を厳真に向けた。


「父さんはさ……『竜』の事をどう思ってるの」


 ぽつりと投げられた八潮の言葉に、厳真はゆっくりと目を開いて少年を見た。八潮は久しぶりに視線を合わせた父親の厳格な表情の中に、ある種の憂いのようなものを感じた。


「『人とは違う生き物』だと考えている」


「違う、っていうのは良い意味で? それとも……」


 厳真は顎に手を当てて、一言ずつ確かめるようにゆっくりと語る。


「力や知恵は人と比較すれば、竜が優れているだろう。だが、それで善悪を断定することはできない」


 八潮は父の言葉を飲み込むようにその瞳を伏せる。そして数瞬のためらいの後に言った。


「篠崎の家に流れている『竜の血』は?」


「それは……その時々だな。良いと思ったこともあるが、そうでないことも多かった」


 そう言うと、厳真は記憶を掘り起こすように視線を上方へとさまよわせた。八潮は唇を軽くかみ、膝の上で拳を握る。そして少年はためらいがちに言葉を継いだ。


「自分の代で、篠崎家を……終わらせようと思ったことは無いの?」


「お前くらいの歳の頃は、そう考えることもあった」


「じゃあ、今は?」


 厳真の視線が八潮へと向く。その瞳に浮かんだ色は、八潮が初めて見るものだった。


「お待たせっ! 姫子ちゃん特製の豚しゃぶサラダだよっ! こないだテレビで見て美味しそうだったやつ!」


 騒々しい足音とともに、制服の上に白いエプロンを付けた姫子が両手に皿を持って居間に雪崩れ込んできた。その後ろには味噌汁と白飯を載せた角盆を持った、黄色いエプロン姿のタマメが続いている。賑やかな姫子とは対照的に、タマメは落ち着いた仕草で椀をテーブルの上に並べていく。


「タマちゃん、明日も今日の続きやるの?」


「うむ。可能性をいくつか絞り込めたところだ。まあ、何とかなるだろう」


 とりとめのない会話を続けながら、姫子が料理を盛り付けられた皿をテーブルの上に置く。


「あ、おじさん隣に座るね。タマちゃんは八潮の隣ね」


 姫子がそう言って、居間の隅に積まれている座布団を二枚取って並べた。八潮の非難するような視線に気付いた姫子が眉をひそめながら、彼に箸を手渡す。


「何?」


「……なんでもない」


 箸を受け取りながら彼はため息をつく。小さな手が横から茶碗を八潮の前に置いた。思わず見上げた八潮に何か言うことも無く、タマメはそのまま彼の隣に座る。


 結局、この日は最後まで八潮とタマメは言葉を交わすことは無かった。






 暗闇を通してぼんやりと見える板張りの天井に、姫子は視線を向けていた。照明が消されてしばらく経ったその部屋の中には、二人分の息遣いと時折身じろぎする気配が流れている。

 

 篠崎家の奥まった部屋に敷かれた二組の布団。毛布の下で姫子は寝返りをうち、隣の布団で横たわる少女を見つめた。タマメは姫子に背中を向け、その長い金髪は枕の形に沿った曲線を描いている。


 姫子は、タマメの小さな背中の奥に隠れた感情を読み取ろうとするかのように、闇に浮かび上がる少女の輪郭に目を凝らしていた。


「ヒメコ。眠れないのか?」


 不意に発せられたタマメの小さな声に、姫子は思わずうろたえる。


「や……そういうわけじゃないけど」


 背中を向けたままのタマメに、姫子は言い訳するように答えた。少しばかり和らいだような声で、タマメが言う。


「ヒメコは優しいのだな」


「えっ。どしたの急に?」


「お前のまわりに人が集まるのももっともだ。頼りがいもあるしな」


「へ? へへ……タマちゃんに褒められると、なんか照れちゃうな」


 くすぐったい思いをこらえるように、姫子は毛布の下で体をくねらせる。続いて耳に届く、タマメの小さく笑うような息遣い。それを聞いて眼差しを柔らかくした姫子は、体を少しだけタマメの側に近づけて、そっと言った。


「タマちゃんも……困ってたら頼って欲しいな」


 沈黙が流れる。姫子はタマメの背中を見つめたまま、ただ待ち続けた。やがて、タマメの小さな声が闇にこぼれ出した。


「例えばの話なんだが……ヒメコにとって大切な人物がいたとする」


「うん」


「その人物から大切な『何か』が奪われたとしよう。それは決して取り返しの付かないことだとする」


「……うん」


「そして、ヒメコ自身はその一件に直接的な責任はないが、全くの無関係とも言い切れない。そんな時、お前ならどうする?」


 一分近い沈黙の後、姫子がおずおずと答える。


「ごめん、タマちゃん。よく分かんない……」


 しょんぼりとした姫子の声に、タマメの優しげな声色が応える。


「そうか。儂も分からん」


 再び部屋を支配する沈黙。やがてタマメはそのまま目を閉じようとした。その時、彼女の体が暖かく柔らかい匂いに包まれた。毛布の中にそっと忍び込んできた姫子が、タマメの体を両腕でそっと抱きしめている。そしてタマメも姫子の腕に顔をうずめるように身をよじった。


 二人はそのまま言葉を重ねることも無く、深い眠りの中に身を委ねていった。






 普段よりさらに早く目覚めた八潮は、何の気なしに縁側から庭を眺めていた。

 

 雨の名残りに濡れる植木の枝葉が、昇ったばかりの朝陽を反射して、澄んだ空気の中にきらめきをばら撒いている。


 居間に向かおうとした彼はその途中、障子の閉じられたある部屋の中に気配を感じた。吸い寄せられるように、そっと障子を開けて中を覗き込む。

 

 小さな背中が、仏壇の前で手を合わせている。

 

 金色の長髪が薄暗い部屋の中でくっきりとした色彩を際立たせていた。

 

 絵画のようなその情景に、八潮はその場に立ち尽くしていた。その少女は座布団の上で座り直すと、八潮の方へ体を向けた。哀しげな青い視線が少年を捉える。彼女はすでに制服に着替えていた。


 仏壇の中のポートレート。そこに写る女性の笑顔をちらりと見やってから、タマメが少年に尋ねた。


「竜が故人に手を合わせるのは変か?」


「いえ……」


 八潮は呟くように答えると、仏間の中に入り後ろ手で障子を閉める。彼は一瞬戸惑った表情を見せたあと、タマメと少しだけ離れたところにあぐらをかいて座り込んだ。


 線香の煙が二人の間を薄く漂う。小さく息をついたタマメが話し始めた。


「竜の『血』が人の体にとってどういう物なのか、親父殿から聞いているな?」


「……はい」


 八潮は視線を畳に向けたまま答えた。タマメの声はごく落ち着いた様子で淡々と事実を挙げていく。


「竜と人の血を併せ持つ命を『次の世代に継承』させる……それは人の体に負担を与える行為だ。非常に重い負担だ」


 八潮は黙りこくったまま、少女の言葉に耳を傾けていた。


「人間の女が、竜の血を引く子を産むという行為。それは『母体』の絶対確実な『死』を意味する」


 あぐらをかいた自分の足首を握る八潮の手に力が込められる。彼は弱々しく言葉を発した。


「……<大喪失>以前の時代には、何代にも渡って色々な努力がなされたと聞いています。人の医者だけではなく、竜族も力と知恵を尽くして母体の命を救おうとしていた、と」


「だが、医療の技術で回避できる問題ではなかった。それを解き明かすことは人にも竜にも出来なかった。きっとそれは、生命の根源的な部分に抵触する『何か』なのだろう」


 寂しげに呟いたタマメは仏壇を見つめたまま、再び言葉を継ぐ。


「母を奪われたお前にしてみれば、竜の血は『呪い』以外の何物でもないのだろうな。竜や……竜の存在を可能にしている魔法を憎むのも当然だ」


 そう言ってタマメは八潮に膝を寄せ、彼の手に触れようとした。しかし彼女は寸前でそれを思いとどまり、自分の手を畳の上に力なく投げ出す。タマメは目を伏せたままの八潮に向かって、細々と言葉を絞り出す。


「竜と人の間に生まれた血族への絶対的な献身……『血の盟約』を竜族が定めたのは、自分なりの贖罪のつもりなのだろう。お前の一族に背負わせてしまった物の大きさに比べれば、取るに足らぬ身勝手な物だがな」


 タマメはゆっくりと立ち上がり、障子を開けて縁側に出る。朝陽を浴びて美しく輝く少女の髪を、八潮は座ったまま見つめていた。ガラス戸に手をあてて庭に目を向けながら、タマメが言った。


「いつか謝らなければならないと思っていた。だが、それが怖かった。竜の身勝手な『盟約』で縛った自分の存在を、お前に否定されるのが怖かったのだ」


「……違うんです」


 少年の小さな声に応えることなく、タマメは言葉を続ける。


「お前が言う通り、今の世界に魔法は……竜は存在すべきではないのかも知れん」


「違うんです!」


 八潮は弾かれたように立ち上がり、タマメの背後へ一息に歩み寄った。小さな肩をつかんで、八潮はタマメを自分に振り向かせる。


「僕は自分の血が嫌いです。母を死なせたこの血が嫌いなんです」


 気まずそうに視線を伏せるタマメを、八潮は両手で無理矢理自分の方に向かせた。予想外の力強さにタマメの目が丸くなる。


「でも僕はまだ何も知らない子供です。だから知らなくちゃいけないんです。この血がただの呪いでしかないとしても、理由もなくそれを否定する事は、違う気がしたんです」


 吐き出すようにまくし立てる八潮の手から、力が少しずつ抜けていく。


「盟約が貴方を縛るなら、僕も自分の血に縛られています。それだって何かの意味があると思うんです……そう思いたいんです」


 もはや少年の手は少女の肩にそっと触れているだけだった。


「だから、その……すいません、自分でもよく分かりません」


 八潮の手に、タマメがそっと小さな手を重ねた。困ったような微笑を浮かべる少女の口から、気遣うような声が漏れ出す。


「竜と共に進む覚悟はあるのか? その先に何があるのか儂にも分からんぞ」


 青い瞳がまっすぐに八潮を見つめている。八潮は少女の手をしっかりと握り返す。

 

 八潮の答えはもう既に決まっていた。





10


 その日の放課後、タマメは校舎の昇降口に立っていた。彼女は背後の面々に振り返る。オカルト研究会の二人と、姫子とその友人。八潮は少し離れた場所から様子を見ている。


 タマメが階段へと続く廊下を指しながら言った。


「ここから各教室への道のりのどこか。そこに魔力が滞留する場があるのだろう。呪印への魔力供給もそこが源になっているはずだ」


 眼鏡のオカ研部員が口元に指を当てて独り言のように呟く。


「それを取り除けば、おまじないでくっついたカップルも無効になるの?」


「まじないで成就した仲ならな。中にはまじないなど無関係に、本当に好き合っている者もいるだろう。そういう連中にまで影響は無い」


 姫子の友人が微かな苛立ちを浮かべる。


「そりゃ羨ましい……」


「呪印に供給された魔力は、形を持った術式から生成された物では無い気がする。おそらくもっと単純な……『祈り』のような物から発現した魔力を吹き込まれた媒体。それが、ある程度の数をもってまとめられているのではないかな」


「『媒体』って?」


 聞き返した姫子に、タマメが肩をすくめて返す。


「それを今から探すのだ。とは言ったものの、どこから手をつけるかな」


 考えをまとめるように腕組みをして目を閉じるタマメ。その時、彼らの横から声が飛んできた。


「何やってるの? あなた達」


 八潮のクラス担任の雛瀬千鶴が、怪訝な顔で見ていた。返答に窮した姫子が頭に指を当てながら言葉を選ぶ。


「あーいや、文化祭に向けての調査活動というか、何というか」


「あら、感心ね。まあ頑張んなさい」


 片手をひらひらさせながら千鶴が通り過ぎる。すれ違う千鶴の手首に巻かれたアクセサリーを、タマメは注意深く見つめていた。





11


 職員専用のロッカールームの一角で、千鶴は真剣な表情をしていた。彼女は自分のロッカーの扉を開けて、その中に向かって一心不乱に手を合わせている。

 

 その集中ぶりは、彼女の様子を後ろから覗きこんでいる女子生徒たちにも全く気づかないほどだった。


「……何かすごいね」


「ふぇえっ!?」


 ぽつりと呟いた姫子の声に飛び上がった千鶴が、ロッカーに体をぶつける。

 

 その衝撃で中身がいくつか床に散らばる。姫子がその中の一つを拾い上げてしげしげと眺める。


「恋愛成就のお守り……? なんだこりゃ」


 タマメがひょいと背伸びをしてロッカーの中を見た。内側の空間を埋め尽くすようにぶら下げられた、縁結びに恋愛成就、その他無数のお守りやアクセサリーが異様な存在感を放っている。


「魔力の供給源はここだな。生徒たちの移動経路とも位置的な矛盾は無い。『祈り』から生まれた魔力が、この部屋の前を通る生徒たちの呪印に流れ込んだのだろうな」


 長髪のオカ研部員がおずおずと口を開く。


「よく分かんないけど、これで解決するんかな……?」


「まあ何もしないよりはマシだろう」


 肩をすくめるタマメの横から、姫子もロッカーを覗き込む。


「うわー、中もいっぱいだ。お店とか開けそう」


 がやがやと騒ぎながら物珍しそうな視線を向ける生徒達を押し返しながら、千鶴が言い訳を始める。


「ち、違うのよ、護皇院さん。これはね、ちょっとした願掛けみたいな物で……」


「先生、まだ焦る歳じゃないじゃん」


 姫子がさらっと口にした『歳』という言葉に敏感に反応した千鶴が、唇をひくつかせて抗弁する。


「いいこと。あのね、こういうのはね、早め早めに動き出さないとダメなのよ。行き遅れてから焦っても遅いのよ、だから……」


「ヒナセ殿」


 不意に投げかけられた、静かでそれでいてきっぱりとした物言いのタマメに、千鶴がぎょっとした表情を浮かべた。


「こういうまじないを私的に行うのは構わんだろう。だがそれを校内に持ち込むのはいかがな物かな。最近、恋のまじないとやらで風紀が乱れていると、生徒会が憂慮しているのは知っているだろう。であれば教師がまずその範を示す立場にあると儂は思うのだが」


 とうとうと述べるタマメに返す言葉も無く、ただ額に脂汗をにじませる千鶴。そんな彼女を姫子たちは気の毒そうに見つめていた。





12


 八潮とタマメは学校の中庭のベンチに腰掛けて、紙パックの清涼飲料で喉を潤していた。夏の太陽は雲の隙間から時々顔をのぞかせる程度で、戸外での活動をそこまで不快にしてはいない。


「ヒナセ殿には悪いことをしたな。いつか埋め合わせできると良いのだが」


「結局、先生が原因だったって事ですか?」


「一因であったかもしれん。そもそも、まじない自体やはり錯覚だった可能性も十分あるしな。本当のところは誰にも分からんだろう」


 そう言って、タマメは最後の一口を飲み干すべくストローに唇を付けた。


 オカルト研究会の二人はそれなりに納得したようだった。棚ぼた的ではあるが、千鶴から生徒会への取り成しを頼めたという事実の方が、まじないのカラクリ解明よりよっぽどの安心感を彼女たちにもたらしたようだった。


「ただ、『祈り』には力がある。人が誰かを、何かを想うということは、それ自体が人を強く衝き動かす力になる」


 タマメはちらりと八潮の様子をうかがうと、ベンチの上で彼の方に体を寄せた。互いの腕が軽く触れ合う距離で、少女が少年を見上げる青い瞳が微かに潤んだ。八潮の意識がその視線に釘付けられる。彼の方へ更に顔を近づけたタマメの唇が小さく開いた。


「儂もきっと……」


「タマちゃーんっ!」


 上から降ってきた能天気な声に、二人は肩をびくつかせた。恐る恐る見上げた先に、二階の窓から手を振る姫子の屈託ない笑顔がのぞく。


 苦笑いでぎこちなく手を振り返すタマメ。ふと八潮とタマメの視線が交わり、どちらからともなく柔らかな笑みが浮かぶ。

 

 少年は、少女の飾らない本当の笑顔をそこに初めて見た気がした。



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