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第二十一話 選ばれた災厄(後)


 黒い竜との対話から、何度目かの春が過ぎた。


 世界は相変わらずのどかに時間が過ぎていく。


 白い竜は竜族の中でも知識に対する欲求が強い個体だった。頻繁とはいかないものの、学者やそれに類する人間とも交流を重ねている。

 

 その気質は彼女がようやく授かった娘にも引き継がれていたようだった。その子は特に『魔法』への興味が強く、言葉を覚えるようになってからは、自分一人であちこちの高名な魔術師を訪れ、その知識を貪欲に吸収していった。

 

 家を持たず、財産も持たない竜には代価として支払えるものは己自身の労働力だけだった。娘は主に力仕事、畑や家畜の見回り、果ては子守や語学の手ほどきまで様々な仕事をこなして、人々から教えを請う代価とした。

 

 人間の立場からしても、希少な種である竜族と触れることは幸運の象徴とも言われ、互いに利のある取引であった。

 

 ただ、竜の尺度からすると娘はいささか人間と関わりすぎており、その競争心や殺伐さまでも学んでいるふしがあったが、ことさら目くじらを立てる者もいなかった。

 

 やがて娘の聡明さは竜族全体が知るところとなる。それは<血の盟約>を遂行する役目に就いていた竜が、その寿命をまっとうしたのと同時期だった。

 

 世界を巡り、およそあらゆる魔法の知識を修めていた娘は新たな御役目としてうってつけであった。

 

 竜族の習いに従い、娘は御役目の任に就くことを喜んで受け入れる。その誇り高い選択は、白い竜にとっても自慢できることの一つだった。

 

 娘が眠りについてから、人の暦ではそろそろ百年になる。

 

 白い竜はゆっくりと目を開けた。

 

 山肌からひさしのように突き出た岩棚の奥にある小さな隙間。そこに彼女は体を横たえている。ここ数日続いていた雨は今朝になってようやく止んでいた。雲の隙間から柔らかく差し込んでくる朝日にいくぶんかの懐かしさを感じる。

 

 ぴくりと白い竜の体が震える。

 

 竜の鋭い感覚が、周囲に突然出現した気配を感じ取った。

 

 この険しい場所には似つかわしくない滑らかな足取りは、人間の物ではない。

 

 白い竜の決断は迅速だった。

 

 岩棚から飛び出した瞬間、二人の『竜』の姿を視界に捉える。見覚えのある顔だった。『黒い竜』とよく行動を共にしていた二人。

 

 彼らの物腰からあふれる隠しようのない『殺気』が、白い竜の警戒心を引き上げる。

 

「何のつもりです?」


 どちらも自分に比べれば年若い竜たちだった。彼らは無言のまま、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 

 白い竜は小さく息をつき、明確な敵意を放つ二人の竜と相対した。もはや穏便に収めることは不可能だと直感する。全神経に意識を集中させ、呼吸を整える。

 

 そして数分後若い二人の竜は、白い竜の力量を見誤っていたことを、自身の体に出来た傷や噛み砕かれた四肢を代償に理解することになる。






 白い竜が滝のほとりに辿り着いた時に目にしたのは、赤い老竜が地面に体をぐったりと横たえて休んでいる姿だった。背や腕の体表を裂くように入った傷から桃色の筋肉組織が露出している。


 顔をしかめながら、白い竜が老竜のそばに近づく。弱々しく目を開いた老竜が、頭を上げるのも億劫なのか視線だけを彼女に向ける。


 細々とした声が絞り出された。


「無事じゃったか、白いの」


「その傷は……」


「見た目ほど深くはない。それより、ちとマズい事になった」


 白い竜が脚を畳んで座り込み、首を伸ばして老竜をのぞきこむ。予想が的中してほしくないと儚く願いつつ彼女は尋ねた。


「……黒い竜ですか?」


「知っとったか。 誰ぞから話を聞いたか?」


「先日、彼と親しくしていた二人の竜に襲われました」


 白い竜の爪や尾にこびりついた返り血を見て全てを察したように老竜がうなずく。


「お前さん、腕っ節も意外にあるのだな」


「それより、一体何が起きているのです? 竜が同族に害意を向けるなど」


 赤い老竜は会話をして多少疲労が紛れたのか、傷ついた体をゆっくりと起こす。案ずるように体を寄せる白い竜を押しとどめて、老竜は瞳に真剣な色を宿らせた。


「黒い竜のやつが作っとった『術式』の話なんだが……本当に完成する見込みは無かったのか?」


 怪訝な顔の白い竜が、考えこむように視線を辺りに巡らせる。黒い竜が自分に示した術式。その細部までを記憶の中で慎重に吟味しながらうなずく。


「ええ。術式の中枢を埋める『媒介』が竜には作れないんです。たしかに回路全体の構造に論理上の矛盾はありませんでした。ですが最も重要な部分に、埋めることの出来ない穴があるのです」


「その『媒介』とは『魔力の発現を担うもの』、という意味か?」


 念を押すように老竜が頭をもたげる。彼の言葉の裏を怪しみつつ、白い竜は首肯する。


「はい。魔力を発現させることが出来るのは『人間だけ』です。術式によもや生きた人間を組み込めるはずもないでしょう」


 老竜がじっと見つめる。その瞳に映るおそれの色が指し示す結論。そこへ唐突に辿り着いてしまった白い竜は雷に打たれたように愕然とした。

 

「まさか」


「最悪の事態のようだな。黒い竜は、『人間を生きたまま』術式に『組み込む』つもりのようじゃ」


「信じられません。何か根拠が?」


「黒のやつが動き回っとるの地の周辺で、人間が『何者』かに大量に連れ去られる事件が起きている」


 東の方角をアゴで指し示し、言葉を続ける。


「百や二百どころでは無いらしい。それを不審に思って調べていた一部の竜と、黒のやつの側に就いた連中の間で一悶着あったのだ。その顛末は既に竜族ほぼ全体に知れ渡っているはずだ」


「……貴方の傷も、そのせいですか」


「うむ。伝令作業の途中に巻き添えを食らってな。やつらめ、問答無用で襲ってきおった。さすがに逃げるのが精一杯だったわい。お前さんが襲われたのも、必要以上に魔法に通じている竜を邪魔だと思ったのかもな」


 白い竜が立ち上がる。


「止めなくては」


「無論だ。だが問題がある。くだんの術式だがな、竜の間でも意見が分かれ始めとるのだ」


「何ですって?」


 耳を疑う白い竜に、小さく首を振りながら老竜が語る。


「数千年に渡って一定の数を保っている竜族と、日々その数を増やし続けている人間。やがて世界の均衡は、魔法という強い力を持つ人間側に傾くだろう、という主張をあやつらは掲げとる」


 白い竜がため息をついて、言葉を吐き捨てるように押し出した。


「だから我々も『魔法』を持つことで竜の『力』を強化しなければならない、ですか。いかにも彼らしい論法ですね」


「黒い竜についた連中が、全ての竜に立場を明確にするよう求め始めている。もちろん奴に反発するものも多いが、状況を確実に制するほどの数にもならんと思う」


 黙りこくって考えこむ白い竜。赤い老竜が深く息を吐き出して無念そうな声色になった。


「海を隔てた西の地では、血の気の多い連中が派手にり合ったと、もっぱらの噂じゃ。確かにここしばらく顔を見せん奴が何人かいる」


 白い竜が言葉に苦悶の影を混じらせる。


「私が彼の所へおもむきます。何とか思いとどまるように話をしなければ」


 彼女に対して左右に首を振る老竜の表情は、すでに覚悟を決めた者のそれだった。


「黒の奴はかなりの数を引き入れておる。説得が通じる段階はとっくに過ぎてしもうた」


「ですが、竜同士で血を流して争うなど」


「このままでは黒のやつに逆らう竜は、一人ずつ潰されるだけだ。こちらも数を集めて対抗せざるを得ん」


 承服しかねるように表情を曇らせ黙りこむ白い竜。やがて老竜が意を決したように口を開いた。


「なあ、白いの。儂らの上に立って戦ってくれんかの? 自分じゃ分かっとらんかもしれんが、お前さんの信望なら皆付いて来てくれるぞ」


 突然自分の両肩に乗せられた一族の運命の重さに、白い竜の心が激しく波立つ。抗いようが無く、同時に受け入れがたくもある選択に瞳をぎゅっと閉じる。


 白い竜はふと、遥か東の地で眠りについている娘の事を思い出した。人間との盟約のためにその身を捧げた娘の母親として、自分がなすべきことは何だろうか。


 娘は人との約束のために殉じると決めたのだ。ならば、自分も人のために、そして竜の誇りのために。


 白い竜はゆっくりと瞳を開き、そこに強靭な意思の光を宿らせた。






 そして竜族は二つに分かれた。


 人の命を多少犠牲にしてでも『魔法』を手に入れて力を拡大し、種族の安寧を目指す事を主張する者たち。

 

 種族の生滅しょうめつは自然の摂理に委ねるべき事柄であり、生存のために他種族を犠牲にする行為は決して許されないと主張する者たち。


 相容れぬ思想をぶつけあう二つの集団がその血を流して争い始めるまでに、大した時間はかからなかった。


 戦いはもっぱら人間の目の届かぬ所で行われた。それは竜の最後の矜持だったのかもしれない。凍土に覆われた荒れ地。灼熱の砂漠。人が踏み入れたことのない深い森の奥。


 竜同士の戦いの痕跡は自然現象では到底あり得ない規模の破壊を大地に穿うがつ。そして後世にそれを発見した人間の目には神がかり的な力の顕現とも錯覚され、人々の詩的な想像を大いに掻き立てた。


 武器を携えることも魔法を行使することもない竜族。彼ら同士の戦いは、純粋に己の牙や爪や尾を用いた原始的な物だった。単純ではあるが一般的な生物を凌駕する凄まじい力は、互いの体を容赦なく破壊するに十分な威力を持っている。


 全ての竜が熱病に浮かされたように、老幼を問わず戦いに身を投じていった。


 一つの死が、十の死を呼びこむ。その暴力は際限なく連鎖し、竜は一人また一人と確実に数を減らしていった。


 終焉を避ける意思から生まれた行動が、彼らに終焉をもたらそうとしていた。






 何故、こんなことに。


 地下通路を進みながら、白い竜は絶望に苛まれている。


 新雪が積もったように美しかった体。そこに刻まれた数多の傷跡の数は、彼女がほふった命の数だとも言える。


 ごく単純な理由で竜同士の戦いは終わりを迎えた。


 全ての竜が死んだのだ。

 

 世界中に感じられていた竜の気配はもう一つも存在しない。ただ一つの例外として、眠りの術式によって気配を封じられている娘の無事を心の隅で祈る。


 これが竜族の運命なのだろうかと懊悩する。竜が消えた世界で人間は何を思うのだろうか。人間に力と知恵の象徴とまで讃えられた存在が、こんな愚かな末路を辿ったとは想像もつかないかもしれない。


 やがて白い竜はその部屋に辿り着く。以前一度訪れた時と同じ場所に、同じ相手が佇んでいる。


「久しいな。白い竜よ」


 黒い竜が穏やかに白い竜を見つめる。彼女は渦巻く衝動を堪えるように視線を返した。


「終わりにしましょう。貴方にも分かるはずです。生き残った竜族は、もはや私たち二人だけです」


 牙をちらりとむき出して、黒い竜が笑みを浮かべる。


一番ひとつがいさえ残っていればまた子は成せる。再び竜族は栄えるだろう。魔法の力をもって人間にも負けぬ種族となるだろう」


「貴方はまだそんな世迷い言を……」


「世迷い言ではない。術式は……<竜法術式>は既に完成した。見よ」


 自信をみなぎらせた彼が『祭壇』の表面に前脚を乗せた。途端に部屋を囲む石壁全体に刻まれた紋様が赤く輝き出す。


 白い竜はその意味を一瞬で悟る。


「……何ということを」


「適合する人間を見つけるのは苦労した」


 うっとりするような表情で、祭壇正面の壁を見つめる。そこには一糸まとわぬ年若い人間の女性が、石壁に融け合うようにその身を埋めていた。断末魔に叫ぶ表情のまま石に塗り固められた女の彫刻のような美しさが、白い竜の心を痛みとともに刺し貫く。


「術式との融合を試すそばから人間どもが死んでいくのだ。あの光景を見ているのは実に心苦しかったな」


 肩を震わせて笑いをこらえる黒い竜の口元から唾液が一滴床に垂れ落ちる。


「五百人を越えたところからは数えるのをやめたが、彼らの亡骸なきがらを無駄にするつもりは無い。術式が完全に起動した後は、この祭壇を守る不死の兵として目覚めるように<術石>を埋め込んである。何者にも邪魔はさせん」


 狂気に彩られた眷族の姿に白い竜が苦々しく呟く。


「貴方をあの時、殺しておくべきでした」


「いい物を見せてやろう」


 自身に投じられる殺意を歯牙にもかけず、黒い竜は相手に向き直る。玩具を見せびらかす子供のような顔だった。


「術式が惑星全体に効果を及ぼすまでにはまだ少しかかる。だが、この部屋の中でなら既に竜でも魔法が使える」


 黒い竜が前脚を軽く上げて、指を一本立てる。短く呪文を唱えた。それが発火魔法の発動呪文であると白い竜は気付く。

 

 そして黒い竜の指先に輝きが生まれる。爪の先に生じた小さな『炎』のゆらめきを、彼は恍惚とした面持ちで見つめた。


「……素晴らしい。これこそ竜が数千年追い求めてきた希望の光だ。我ら竜族はついに魔法を手に入れた。さあ、共に竜の生きるべき場所をこの世界に築こうではないか」


 同意を求めるように白い竜に視線を向けたその瞬間、空気の弾ける音が部屋に響く。


 指先でささやかに揺らいでいた炎が一気に膨れ上がり、黒い竜の全身を覆い尽くした。


 苦痛に悶える暇もなく火力は更に上昇し、黒い竜の体表が急速に炭化し剥落はくらくしていく。目を見開き、信じられないという表情で黒い竜が一歩踏み出す。


 業火の中で口を開いて言葉を発しようとした刹那、炎が黒い竜の体内へと手を伸ばす。勢いを増した炎は大きく渦を巻いて天井付近まで吹き上がる。


 更に一歩、白い竜の方へ進んだ拍子に、脚の一本が根元からぼろりと破断する。どさりと倒れこんだ体を起き上がらせることも出来ず、驚愕に歪む顔を前へ向けた。


 助けを求めるように伸ばされた震える前脚を、白い竜が思わず掴もうとした時、炎がさらに激しさを増す。黒い竜を包んでいた炎がオレンジ色を通り越して強烈な白色光となったかと思うと、それは突然消滅した。


 そして部屋を満たす静寂。

 

 白い竜の前に残ったのは炭の塊だけだった。最前まで竜だった物の残骸を呆然と見つめている内に、徐々に思考が元の回転を取り戻し始める。


 やがてこの状況を説明する仮説が、白い竜の中で組み立てられていく。


 壁に駆け寄り、赤く鈍い輝きを発し続ける紋様を食い入るように調べる。術式には以前見た時からかなり変更が加えられている。


 やがて彼女はその誤りを見つけ出した。魔力の『増幅』、発現を構成する部分の論理回路に決定的な誤りがある。黒い竜の最期から推測するに、その誤りが吐き出す魔力は本来あるべき出力の『数十万倍』になるはずだった。


 それは前人未到の規模と複雑さを持つ、この<竜法術式>だからこそ生じうる致命的な欠陥だった。


 仮にこの<竜法術式>が完全に起動したなら、その瞬間何が世界に起こるのか白い竜は理解した。この惑星に発現する魔力は、全てこの術式を通して数十万倍に『増幅』されることになる。


 この世界に発現する『全て』の魔法の力が数十万倍になるのだ。

 

 どこかに住む農夫がロウソクに火を灯すために唱えた何気ない発火魔法は、地獄の門が開かれたがごとく村を丸ごと焼き尽くすかもしれない。


 膝を擦りむいた幼子に母親が唱える治癒まじないは、爆発的な勢いで細胞組織を増殖させ、子を瞬時に肉塊へと変えるかもしれない。


 食卓で捧げられた祈りの行為から発現するささやかな魔力は、無秩序に荒れ狂う暴風となって絶望的な破壊をもたらすかもしれない。


 世界中の人々が毎日何気なく行使している全ての魔法が、凄まじい暴力となって彼ら自身を覆い尽くすのだ。


 何が起こったのか理解できないまま、彼らは再度魔法にすがろうとするだろう。そしてそれ自身が更なる破壊を引き起こすのだ。


 それが世界に、人間にどれだけの『死』をもたらすのか彼女には見当もつかない。


 白い竜は、世界を包もうとしている災厄を前に立ちすくんだ。


 その時、祭壇の上に刻まれた文字列の輝きが、一段と明るさを増す。白い竜は<竜法術式>が完全に起動するまで一刻の猶予もないことを知った。


 この部屋を破壊するという選択に意味が無い事を、彼女は理解していた。


 極めて特殊なこの術式は『実体』を持っていない。

 

 <竜法術式>本体は既にこの世界とは別の、言わば次元のずれた空間に織り込まれるように展開されており、物理的な干渉を加える事が不可能である。


 壁の紋様や祭壇を破壊しても、別次元空間の中で起動している<竜法術式>を止めることは出来ない。


 ではどうすればいい。どうしたら。


 竜が滅ぶのはもはや自業自得だと彼女は受け入れている。だが、そのツケを人間にまで支払わせるような真似は、何としてでも阻止しなければならない。


 竜はもう一度、<竜法術式>を見る。何かあるはずだ。絶対に諦めるわけにはいかない。

 

 その時、一つの光明が竜の脳裏に閃いた。

 

 それは一つの希望ではあるが、大きな犠牲を伴うだろう。そしてそもそも完全な解決法ではない。ただの時間稼ぎにしかならないだろう。


 だが時間は無い。<竜法術式>が完全に起動したが最後、世界は莫大な魔力の奔流に包まれ、人間は壊滅的な打撃を受けるだろう。


 白い竜は決断した。どちらの災厄を選択するのかを。

 

 この部屋の中では竜でも魔法が使えるようになっているはずだった。彼女は呪文を幾つか唱えながら、石の床に爪で簡単な魔法陣を刻む。


 黒い竜は人間を生贄として<竜法術式>に組み込んだ。

 

 ならばその方法を流用すれば、白い竜が『自分自身』を<竜法術式>に組み込むことも可能なはずだろう。


 魔法陣から沸き上がる光が、白い竜の体を包み込む。


 不可視の力が竜を物理的存在から、別次元に存在する<竜法術式>へ組み込まれる形而上学的な『機能』へと変換していく。


 それは、この世界の『魔力の発現を抑制する』機能であった。

 

 『竜』という『魔法を使えない生命』を触媒として形成する、安全回路とでも表現できる物である。


 この惑星ほしの上で行使される全ての魔法は、その魔力の大部分をこの<竜法術式>の内部に取り込まれ、事実上発現しなくなる。たとえ理論上最大規模の術式を組んだとしても、現実世界に顕現する魔力は微々たるものになるだろう。


 すなわち、それは『人間から魔法を奪う』ことを意味する。


 魔法を失った人間社会は、大きな混乱に陥るだろう。


 医療や治安をはじめとした社会基盤の柱の幾つかは魔法に強く依存している。病に対抗する術を失い、野獣に怯える夜が再び蘇るかもしれない。自然界に君臨していた人類が容赦ない生存競争の嵐の中へ突き落とされるのだ。


 それまで魔法によって保たれていた社会の均衡が崩れた結果、民族や国の間で激しい戦乱が巻き起こることも容易に予想できる。


 仮にそれらの混乱が終息したとしても、その先に『真の災厄』が待ち構えている。


 魔法が失われたことに気付いてからも、人間は魔力を何気ない日常の中で発現させ続けるだろう。


 日々の祈りや、ちょっとした迷信の類に関わるまじない。それらから発現する微小な魔力はやはり<竜法術式>の中に蓄積されていくのだ。


 蓄積された魔力は、<竜法術式>本体が持つ論理的欠陥によって数十万倍に増幅されるだろう。そして術式が蓄積できる魔力は膨大ではあるが、無限ではない。

 

 人間が日々生活すること、その行為そのものが魔力を生み出し、<竜法術式>という器の中に注がれていく。数十年、数百年の先にその莫大な魔力は世界に溢れ出すだろう。その結果がどうなるのかは誰にも分からない。


 その時までに誰かがこの<竜法術式>を無力化し、内部に蓄積された魔力を安全に解放してくれないだろうか、という淡い期待を持つ。自分の行為が結局は破滅を先延ばしにするだけの気休めだとしても、希望をもってこの世界を去りたかった。


 白い竜の体を包む光がさらに強さを増し、部屋全体を照らし上げる。


 最期の瞬間、白い竜は最愛の娘の名を呼んだ。


 そして<大喪失>が始まり、世界から魔法は失われ、人類の半数が死んだ。


 白い竜が選択した災厄。

 

 それが正しい選択だったのかどうか、誰にも分からない。



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