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第十六話 光る空(前)


 九月も終わりに差し掛かり、うんざりするような暑さにもようやく陰りが現れつつあった。

 

 駅からほど近く、芝生や木々の緑が優しく広がる敷地。そのほぼ中央に建つ鉄筋コンクリート造のL字型建築物は、『病院』として実にふさわしい清潔な印象を見る者に与えていた。一階エントランスに通じる自動ドアが静かに開く。

 

 篠崎八潮は夏用制服の襟を整えながら、陽光の下に進み出た。

 

 ちらりと辺りを見回し、駐車場へと続くスロープの端、植え込み花壇のブロックに腰をかける少女を見つける。

 

 タマメが八潮の姿に気付き、ひらりと立ち上がる。長い金髪と制服のスカートが柔らかく持ち上がり、形の良い細い脚が一瞬ふともも辺りまで光の下にさらされた。ちらりと目に入った白い肌に、八潮は何とも言えない感情を持ってしまう。


 八潮のさざ波のような動揺は悟られることもなく、タマメが言葉を向ける。


「思ったより早かったな。どうだった?」


「特に異常は無いそうです。あくまで『人間の医者』の物差しで、という但し書き付きですけど」


「そうか。ひとまずは安心して良さそうだな」


 ため息を一つついて、タマメがブロックに乗せた鞄を手に取り、小さな肩にたすき掛けにした。


 言葉とは裏腹にどうにも心休まらない様子のタマメを見て、八潮が頭をかきながら苦笑いする。


「大丈夫だって、何度も言ったじゃないですか」


 いささか緊張感に欠ける少年を、口をへの字に結んだ少女がじろりと見つめる。


「慎重になるに越したことはない。儂の知るかぎり、原型を保った<竜眼>が人の体と融合した事例は無い。カルラと対峙した時のお前は、普段とはまるで別人のような動きだった。体にどんな負担がかかるのか分かった物ではない」


 タマメが自分を案じてくる言葉に込められた真摯さを八潮も感じ取る。彼は表情をやや引き締め、視線を上に向け記憶を探る。


「たしかに……不思議な感覚でした。時間がゆるやかになったような……心の速さに体がまるで追い付かなくて」


「それは意識的に制御できるんだな?」


「ええ。最近ちょっとコツが掴めてきました」


「……どんな副作用があるか分からん。不用意に<竜眼>を使うなよ」


「そうします……でも」


 言葉を切ってタマメを見つめる。きっと自分が何を言わんとしているか、少女も知っているだろう。


 金色の長髪をかき上げてタマメが見上げてくる。白い眼帯に覆われていない左目がわずかに憂いを浮かべる。


「お前が戦ったり、危険に身をさらす理由はどこにも無い。儂もそんなことをして欲しくはない」


 それでも、少年は自分の意思を曲げるつもりは無かった。だから少しでも強く見えるように、頼りなくなど見えないように、そういう笑顔を少女に向けてみせた。


「僕は貴方とずっと一緒にいると決めたんです。何があっても。だから、最後まで付き合って下さい」


 微笑む八潮が手を差し出す。タマメが肩をすくめて駄々っ子を優しく見守る母親のような目になる。少女はため息をついて少年を見つめ返した。

 

「あまり格好つけて、転んだりするなよ」


 少女は照れくさそうな微笑を浮かべ、少年が差し出したままの手に自分の手をそっと重ねた。






 徹夜続きの激務が一段落したその空間には、弛緩した空気が漂っている。


 ビルの一層をほぼ占有する見通しの良いフロア。そこにはビジネスデスクを五つか六つずつ向かい合わせた『島』が一定の間隔で配置され、数十名分の職員の作業スペースを確保している。

 

 しかし、昼下がりのこのフロアからはほとんどの人間が出払っている。ところどころの席で静かに作業をしている職員も、前日ほどのせわしなさには追われていない。

 

 壁際にずらりと並んだ背の高い書類戸棚の列。それが途切れた先、出入口そばの空いたスペースには応接用のソファがテーブルを囲むように置かれている。

 

 そこに寝転がって新聞を広げている一人の男は、数日ぶりに得られたのどかな休憩時間を満喫していた。

 

 黒背広をソファの背へ雑にかけ、ワイシャツ姿の鷹城は新聞の活字を追っている。テーブルの上の紙コップに手を伸ばそうとしたその時、彼はふと背後に人の気配を感じた。

 

 マグカップを片手にした若手の部下が鷹城を見下ろしている。仏頂面の目の下にできた小さなくまを見て鷹城が苦笑いする。

 

 向かいに腰を下ろした部下にならい、鷹城もソファの上に起き上がる。軽く背をのばしてこわばった両肩を回す。

 

 テーブルの上によけられた新聞記事に目を落とし、部下がぼんやりと呟く。

 

「課長。自分はどうにも消化不良な感じです」


「胃薬なら救急箱に残っていたな」


 鷹城が、すっとぼけて紙コップに口をつける。


 <統法機関>に対する立入検査は満足な結果を残したと言える。少なからず証拠隠滅の行為はあった物の、信徒の体を使った『実験』に対する立件についてそれが十分可能なだけの物証は集まった。

 

 関係者の多くを参考人として聴取を行い、その一部は近日中に身柄を送検される見通しが立っている。

 

 所期の目的はほぼ達成されたと鷹城は考えていた。

 

 眉をひそめた部下が無言で紙面を指し示す。

 

 <教団>の『新』教主として就任した『沙久耶』の姿が大きなカラー写真で報じられている。続く記事本文において『旧』教主に関しては『病気理由による引退』と記されている。部下はその部分を強調するように指でとんと突いてみせる。

 

「教主……『旧』教主ですか。こいつが今回の件の首謀者だって、なぜ伏せるんです? 指名手配でもなんでもしてさっさと<教団>ごと潰せばいい話でしょう」


「それは悪手だ。影響範囲が広すぎる。状況がコントロール不能になる可能性が高い」


 即答する鷹城に、部下は不満を隠そうともしない視線で言い募る。


「新教主だって言ってみりゃ共犯です。それをこんな野放しにしたままで……」


 鷹城は身を乗り出し、なだめるように声を落とす。


「言い分は理解できる。だがな、百パーセントの解決にこだわると肝心な所を取りこぼすぞ。どこかで『すり合わせ』は必要だ。その内イヤでも分かるようになるさ」


 深くため息をついて、部下がぐったりと体をソファに沈める。


「なんだか一杯やりたい気分になって来ました。どうです、今夜あたり?」


 部下のこういう切り替え方は鷹城も嫌いではなかった。にやりと唇と眉を傾けて鷹城は答える。


「それは次の休暇前にしよう。今日は今回の『功労者』に個人的な謝礼をする事になっていてな」


 そう言って鷹城は立ち上がり、仕事の残りを片づけるために自分の席に戻っていった。






 駅の改札を出た鷹城は、星がちらつき始める空を見上げた。

 

 帰宅する人の流れに逆行するように、彼は足を繁華街の方へと進める。

 

 大通りから道を一本外れた場所にぽつんと建つ、隠れた名店として密やかに噂されている一軒の中華料理店。そこが今夜の彼の目的地だった。

 

 先に到着していた相手に片手を上げて謝意を示す。

 

「すまん、待たせたか」


 制服姿の八潮が軽く会釈する。


「いえ、いま来たところです」


 少年の隣でタマメがうずうずとした様子で店の方を見つめている。タマメの子供らしい仕草を見て表情をゆるませた鷹城が二人を促す。

 

「そうか。では中に入るか……ところで、何故キミ達がここにいるのかな」


 半眼になった鷹城が八潮と反対方向に立つ二人の人物にじとっとした視線を向ける。

 

「おう、メガネ。久しぶりぃ。わりいね、アタシらまでおごってもらっちゃって」


「恐縮です。鷹城さん」


 天童静と野呂栄作がジャージ姿でだらりと立っている。ぴくりと眉を引きつらせた鷹城がこわばるような微笑を取り繕う。


「……君たちを招待した記憶は無いんだが」


「それはほら、あれじゃん? アタシらだって一応『功労者』じゃん? な、栄作」


「へい、姐さんのおっしゃる通りで」


 静がヘラヘラと笑う横で、栄作が真面目な顔で賛同する。さらに文句を言い連ねようとした鷹城の腕を、にこやかに微笑むタマメがノックするように軽く叩く。


「良いではないか。食事は賑やかな方が楽しいぞ」


 ため息をつく鷹城の後ろで、八潮は苦笑いするしかなかった。






 タマメの前に置かれたラーメンの丼から、もうもうと湯気が立ち昇る。

 

 待ってましたとばかりに箸を取り、中身にさっそく手をつける少女。その隣で八潮はすでに天津飯を黙々とぱくついている。

 

 鷹城は背広を脱いでネクタイをゆるめている。四人がけテーブルの向かいの席に座る八潮とタマメの姿を視界に収めつつ、彼はラー油の瓶を隅に戻した。

 

 静と栄作はカウンター席でさっきから好き勝手に料理を頼んでいる。彼らの間に積み重ねられた皿が十枚を超えたら、<GKIグループ>に料金を請求してやろうと鷹城は密かに決めていた。

 

 首を小さく左右に振りながら餃子をつまみ始める。紹興酒のグラスにちびちびと口をつけ、頬杖をついて視線を心の赴くままに任せる。


 八潮とタマメが旺盛な食欲で料理を平らげていくのを鷹城はぼんやりと眺めていた。何とはなしに、少女の右目を覆う白い眼帯に視線が向く。


 鷹城はあの夜の公園、ほぼ絶命していた八潮の前でタマメが成し遂げた行為を思い出す。


 少女が自らの顔に迷うこと無くナイフを突き立てた時、その食いしばった歯の隙間から押し出される悲痛な呻き。それは少なからず修羅場をくぐり抜けてきた鷹城の部隊の隊員たちでさえ息を呑み、思わず目を背けそうになる光景だった。

 

 そして公園の中に絶叫を響かせつつ少女がえぐり出した<竜眼>。それが少年の欠損した頭部を再生し傷を塞いでいく様子。やがて息を吹き返した少年を見て、自身の出血や傷など忘れたように安心しきった笑顔になる少女。


 何が少女をそこまでさせたのか、鷹城には想像することしか出来ない。だが彼が目の当たりにしたものは夢でも幻でもなく、紛れも無い現実だった。

 

 少年と少女の間を繋ぐ強い絆。種族を越えた献身。

 

 それは、より大きな『可能性』のような何かを指し示すものに思える。


 数口、麺をすすり上げてからタマメが誰にともなく呟く。


「オオギは残念だったな。個人的に色々と聞きたいことがあったのだが」


 思考から引き戻された鷹城が、仕切りなおすようにグラスを持ち上げる。グラスの中で揺らぐ液体に蛍光灯の明かりが反射した。


「そうだな。彼の身柄を抑えられれば我々も文句無しだったが」


「『教主』はまだ見つからないんですか?」


 心持ち声を低めた八潮に鷹城が肩をすくめる。

 

「残念ながらな。網は張っているし、国外には出ていないと思うんだが。どこかの在家信徒にかくまわれているのかも知れん」


「僕らは安心していいんでしょうか? その……また『竜』を狙って、みたいなことがあったりは……」


 腕組みをした鷹城が八潮とタマメを交互に眺めやる。


 タマメが中身の半分ほど残った自分の丼を、八潮の前の皿と交換する素振りを見せる。少年の方も無言でそれに応じる。一度の食事で複数の味を楽しむため、外食時にはタマメがこの習慣を半ば強制する形になっている。

 

 鮮やかな黄金色のかに玉の上で、つやつやと透き通る甘酢あんがきらめく天津飯。ねっとりとした甘い香ばしさを放つそれを、タマメは物珍しそうにレンゲで一口すくい上げ、ぱくりと頬張る。途端に感極まったように表情をほころばせる少女。


 それを鷹城は優しく見守りつつ餃子を一つ口に入れ、箸を置いてから少年に視線を戻す。


「<統法機関>はもはや存在しない。<教団>絡みで君たちに害が及ぶことも無い。万が一、組織的な動きの兆候があったとしても、それに即応する体制は万全だ」

 

 口内で絡み合う味覚をゆっくりと満喫しながら、タマメが思い出したように視線を上げる。


「ずいぶんと自信ありげだな」


「新教主が話の分かる相手でな。大っぴらに公言は出来んが、公安とGKIグループは<教団>とも良好な関係を築きつつある」


 複雑な表情で納得しきれない様子を見せる八潮。タマメは特に感慨も無い声色で言葉を返した。


「政治的判断、というやつだな」


 鷹城は自嘲するように唇に笑みを浮かべる。だが彼の根底に流れる信念は八潮にもなんとなく読み取ることができた。


 鷹城が眼鏡を外して、店内の湿気でわずかに濡れたレンズを布で拭き始める。


「世界は複雑だ。理不尽なことも多い。だから面白いし、やりがいもある」


「……大変なんですね。大人って」


 思わず口をついて出てしまった言葉に、八潮はバツが悪そうに目を伏せる。いいおもちゃを見つけたように瞳を輝かせたタマメが、肘で少年を突っついて茶化し始める。


 そして鷹城は久しぶりに声を上げて笑った。


 こうやって何の気兼ねもなしに人と食事をして楽しく時を過ごす。それが当たり前である世界こそ、自分が守るべきものだった。


 この仕事を選んだ理由を鷹城が思い出すのも久しぶりのことだった。



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