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第十二話 二人の始まり(後)


 帰宅したタマメは、ピンク色のジャージに着替えて居間に寝転がっていた。


 台所からは立原文乃が夕食の準備をしている気配が小さく伝わってきている。文乃の普段の手際と今晩の予定を鑑みるに、自分が行って手伝う必要はなさそうだった。


 天井を眺めながらここしばらくの出来事をぼんやりと思い返す。


 悠久の長さを誇る竜族の歴史の中でも、自分はずいぶんと風変わりな生き様を送っていると感じていた。


 竜として生を受けた最初の百年は、魔法を含めた種々の知識をひたすら学ぶ日々であった。その中で数多の同族や人間と交流を重ねてきた。やがて<血の盟約>を執行する者として選ばれ、少女はいつ覚めるかの保障もない眠りにつく。


 そして目覚めた時には世界から魔法は失われ、同胞たる竜族は影も形もなく何処かへと消え失せていた。


 地の底で眠りから呼び覚まされたタマメの目の前。そこに立っていた一人の少年の顔が心に浮かぶ。ずいぶんと昔の話のような気がしていた。

 

 その後のてんやわんやな日々が脳裏を一気に駆け巡り、思わずタマメの唇に笑みが浮かんだ。


 その時、障子が静かに開き、足音が近づいて来た。


 篠崎厳真の低く響く声が少女の注意を惹く。


「タマメ」


 いつもの濃紺の着流しを身に付けた厳真は、畳に横たわる少女の枕元に正座し背筋を伸ばした。


 タマメの表情にほのかな戸惑いと狼狽が浮かぶ。思わず彼女も体を起こし、厳真と向き合うように正座の姿勢を取る。


 厳真の顔色をうかがい見ながら、探るようにタマメが尋ねる。


「どうした、親父殿? いきなり改まって」


 厳真はその愚直なまでに真っ直ぐな眼を少女に向け、一言ずつしっかりとした思いを込めて言葉に出した。


「まだ礼を言っていなかった。八潮を助けてくれて、感謝する。ありがとう」


 深々と頭が下げられる。ぽかんとした少女は、彼の丁寧に整えられた黒い髪をぼうっとした目で眺めていた。やがて、タマメの肩が自然にだらりと下がり、呆れるような笑みが唇に現れる。


「今日はあちこちで礼を言われたり、謝られたりしているな」


 少女の青い左の瞳に決まりの悪い思いが浮かび上がる。ほっとしたように足を軽く崩し、彼女は厳真を見つめる。鋭い表情に、がっしりとした体格。まるで正反対の外見なのに、どことなく八潮の面影が垣間見える気がした。


 気の抜けたように息を吐き出し、タマメが視線を和らげる。


「礼も詫びも、本来なら儂の方が言わねばならん」


 その言葉に厳真が顔を上げる。少女はその感情にゆったりと身をまかせながら、思いのままを素直に口にした。


「儂はヤシオに命を救われた。その結果、あやつは危うく死にかけた。どうにかヤシオの傷こそ癒せたものの、心には要らぬ重しを縛り付けてしまった」


 タマメが白い眼帯に指をそっと触れ、寂しそうに呟く。


「あやつが気に病むことなど、何一つ無いというのにな」


 厳真が畳に視線を落とし、決して手の届かない何かを見つめるような表情になる。少女が静かに耳を傾ける中、彼はぽつぽつと語る。


「母親の……万里絵の事を初めて教えた時も、八潮はずっと塞ぎこんでいた。いや……きっと今もそうなのだと思う」


 畳に後ろ手を突いて体を支え、少女は天井を見上げた。少年と出会ってからこれまでの日々が心をよぎり、彼女の表情をほころばせる。


「そういう所が、良くも悪くもヤシオのヤシオたる所以ゆえんなのかも知れんな。きっと、親父殿に似たのではないか?」


 にやりと笑うタマメに、厳真は喉に熱い飲み物を流し込まれたような顔をした。くすくすと吹き出し始める少女に、厳真が居心地悪そうに軽く渋面を作る。


 ひとしきり続いた笑いを治めてから、ふと思い出したようにタマメが言葉を向ける。


「ああ、それでフミノ殿には言ってあるんだが、今晩はな……」


 タマメが肝心の部分を口にする寸前、玄関が威勢よく開け放たれる音と共に、元気さに満ち溢れた声が飛んでくる。


「おっ邪魔しまーすっ! タマちゃーん、みんな来たよっ!」


 そして護皇院姫子の能天気な叱咤が、畳み掛けるように傍らの少年に飛ばされる。


「あ、ちょっと八潮、お寿司斜めにしちゃダメだよ!」


 両手に寿司桶やピザの箱をどっさり抱えさせられた制服姿の篠崎八潮が、フラフラになりながらぶつぶつと呟く。


「な、なんで僕がこんなこと……」


 そうボヤく八潮の背後から、非難の声が続けざまにぶつけられだす。


「おい篠崎、さっさと中入ってくれよ」


「ねー。後つっかえてるんだから、早くしてよ」


「タマちゃんもお腹空かして待ってるっしょー」


 そして少年を押しのけるように、数人の少年少女達が続々と玄関から口々に挨拶しながら家の中へと入っていく。


 目をしばたかせる厳真に、タマメは小さく唇をゆるめて肩をすくめて見せるだけだった。






 篠崎家の居間は一気に上昇した人口密度によって、ここ数年来でも最高潮の熱気で満たされている。


 事の始まりは例によって姫子だった。


 タマメの怪我についてクラスの皆が知ることとなった時、一つの提案が姫子の口から発せられる。

 

 折もよく明日は休日でもあるし、色々と遅まきながら退院祝いを催そうということで姫子が音頭を取り、普段八潮やタマメと交流のある男女のクラスメイトを十人近くかき集めたのだった。


 来る途中で人数分の食糧を直感で見積もり調達もこなす姫子にさすがだという感想を八潮も持つ。皆で均等に出資するはずの費用の配分が、妙に自分だけ多く求められていた事には、八潮もこの際目をつぶることにした。


 文乃が用意した見た目も味も手の込んだサラダやスープが食卓を彩り、皆の会話も弾んでいく。女子生徒が用意した花束をタマメに手渡すささやかなセレモニーを最後に、途中からは退院祝いもあまり関係のない、単なる食事会兼座談会に変貌していたが、そこを気にかける者はあまりいなかった。


 また、間もなく途中から参加した立原純二郎が高校生組にアルコールを勧めようとする狼藉は、文乃が彼の頭頂へ力任せに叩きつけた角盆によって阻止される。


 狂騒の果てに時計はいつの間にか日付をまたぎ、満腹と喧騒にあてられ睡魔に敗北した者が一人また一人とその場に崩れていく。


 やがて篠崎家の居間は静まり返り、かき乱された空気も徐々に流れを落ち着かせ、人々の寝息と共にその場をゆるやかに鎮めていく。


 そんな中ただ一人、眠りについていなかったタマメが、空になったグラスをそっとテーブルに置いた。


 野戦病院のように累々と転がる友人たちをまたぎながら、タマメはゆっくりと縁側に進み出た。彼女は皆の眠りを妨げないようにそろそろと障子を閉め、開け放たれたガラス戸から夜の庭に視線を巡らせた。


 八潮は母屋に背中を向け、サンダル履きで夜空を見上げていた。


 その後ろ姿をしばらく眺めていた少女は、やがて自分もサンダルを履いて少年の背後へと歩み寄った。

 

 足音に振り向いた八潮の顔が、少しだけ曇る。


 小さくため息をついたタマメが、困ったような笑顔で八潮を見上げた。


「いつまでそんな顔を続けるつもりだ?」


 極力タマメの顔を見ないようにしながら、八潮はぼそぼそと返す。


「自分の非を忘れてしまえるような強さを、僕は持っていないんです」


 背を丸めてうつむく八潮を見て、タマメは大きく伸びをする。腰に両手を当てて、空を覆う星を見上げながらタマメはぼんやりと言う。


「自分の行動を省みるのは構わん。それをどう評価するかもお前の自由だ」


 八潮は黙りこくって少女の言葉の続きを待つ。視線を少年の横顔に戻し、一呼吸置いたタマメは小さくそれでいて芯の通る声で言葉を継いだ。


「だがな、まだお前は子供だ。そして『儂も』子供だ。少しばかり長く生き、知識を蓄えただけの頭でっかちな子供なのだ。最近、強くそう思うようになった。だから」


 タマメが一歩、八潮のそばに歩み寄る。ぴくりと反応する少年の指先から微かな拒絶の意思を読み取り、少女はほんの少し瞳に陰りを浮かべた。


 それでも最後まで言葉を続けることを、少女は選択する。


「思うようにいかなくてもいいのだ。何度でも間違えればいい。お前も……儂も今はそれでいい。そう思う」


 静かに言葉を終えたタマメ。それに答えることも無く、視線を伏せたままの八潮が体を回して家に戻ろうとする。


 八潮がタマメの横を通り過ぎようとした瞬間、彼女が彼の右手を掴み引き寄せる。

 

 不意に加えられた力に驚いて、八潮が目を丸くする。

 

 何事かを問いかける暇も与えぬまま、少女が彼の手のひらをぐいと取り、自分の胸のささやかな膨らみへと押し付けた。


 突然の行動に八潮の思考が停止し、反射的に声が漏れる。


「あのっ……!」


「静かにしろ。皆が起きる」


 振りほどこうとする八潮の腕を、タマメは強く握り抑えつける。

 

 Tシャツ越しに少女の胸の暖かさと柔らかさを強く感じた。その奥から少年の手のひらを通して『鼓動』が伝わってくる。


 少女の『命』がそこに確かに存在していることを、少年の感覚が彼自身の意識の隅々にまで染み渡らせていた。


 タマメが真剣な視線で八潮を見つめる。


「分かるか? この命は『お前に』助けられた物だ。だから、そんなお前のために自分の体を役立てることが出来て、儂はとても嬉しかったのだ」


 表情を歪ませて顔をそらす八潮に、タマメは強く言い聞かせる。


「お前がやったことには意味がある。それをお前自身が百回『否定』するなら、儂が千回『肯定』してやる」


 居間へと通じる障子をちらりと見て、その向こうでだらしなく眠りこける人々を思い、タマメがふっと微笑む。


「儂はこの世界が好きだ。そしてその世界の真ん中に『お前』がいる。お前のためなら何でもやってみせる。『竜』の誇りに賭けて誓う」


 少年は少しだけ瞳を潤ませ、少女の長い金髪に指を触れる。脆いガラス細工を慈しむようにこわごわと少女の頬に手を当て、右目を覆う白い眼帯に優しく指を添えた。


「僕は貴方を傷つけたくないんです。たとえ今の僕たちが<血の盟約>から始まった関係だとしても、それを言い訳にしたくないんです」


 少女の白い頬に微かに紅が差す。

 

 ゆっくりと少年に体を寄せて、タマメがその細い両腕をいっぱいに伸ばして彼を抱き締めた。


 八潮の胸に顔を埋め、彼の鼓動を全身で感じ取ろうとした。体をこわばらせて退こうとする八潮を逃がすまいと、タマメは彼の背に回した腕に込めた力を更に強くする。


 永遠にも等しいと思える時間が流れる。夜の冷えた空気が辺りを包む。そして二人の間の距離は限りなくゼロへと近づいていった。


 ぽつりと静かにこぼれだした涼やかな声が、八潮の心を優しく叩く。


「ならば今、ここから始めさせてくれ」


 少女がゆっくりと八潮の顔を見上げた。夜の空気に映える青い瞳が、少年の心のもつれた糸をそっと解きほぐしていく。


 タマメの左の瞳、そこにたたえられた青い光にゆらりとさざ波が立つ。まなじりに一粒浮かんだ涙が流星のように音もなく伝い落ちる。


「これは<血の盟約>ではない。儂が心の底から望む『約束』だ」


 少女の唇が小さく開き、そっと語りかけた。ささやくような声だったが、それはどんな慟哭も超える力をもって少年の魂を震わせる。


「儂は、お前と共に生きる。この命の限り」


 心を押し流されそうな感覚に八潮は唇をぎゅっと噛み締め、その言葉を飲み込む。夜空を見上げた。いつもより多くの星がまたたいているように思える。


 その瞬間、八潮は気付いた。


 今この時、世界に存在するのがこの二人だけである事を。他の誰でもない自分の意思が、二人の進む道を照らす道標である事を。そして、今自分の心が明確に指し示すその先には、微塵も疑いを差し挟む余地が無い事を。


 八潮は自分にすがりつく華奢な体を見下ろした。タマメはただじっと八潮の瞳を見つめている。これ以上の言葉を重ねて回り道をする必要はないと思った。

 

 少年は少女の小さな背中にゆっくりと両手を回し、見た目以上に細く柔らかいその体を抱きかかえ、夜闇の中でも美しくきらめく金色の髪に上から頬を押しあてる。


 今はただ、この少女の体を自分の持てる全てをもって、全身全霊で包み込みたいと願った。


「ずっと一緒にいます。どんなことがあっても」


 果てしなく広がる星空の下、二人の本当の始まりが、今ここに生まれた。



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