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第十一話 二人の始まり(中)


 夏休み明けの教室は、浮かれた空気がいまだ抜けきっていない。

 

 部活なり遊びまわるなりで真っ黒に日焼けした生徒。長期休暇の中で人間関係に若干あるいは大いな変化があった生徒。久しく顔を合わせていなかった同士が他愛のない武勇伝で場を繋いだりしている。

 

 だが、一人の少女が教室に入った瞬間その空気が微かに変わり、過半数のクラスメイトの意識が一部そちらへと向けられる。

 

 少女はそれを特に気にする風もなく、自分の席について頬杖をつく。高校生と言うにはあまりに小さい体を、それに比べてやや大き目に見える机に預けて、ぼんやりとした視線を宙空にさまよわせる。

 

「タマちゃん、それどうしたの?」


 最初に声をかけたのは護皇院姫子だった。タマメはきょとんとした顔で姫子を見上げて、はたと気付いた様子で小さく笑みを浮かべる。


 右目を覆う白い眼帯を指で差して、タマメがさらりと言った。


「ん? ああ、ちょっと事故でな。右目がくなった」


 教室が静まり返る。

 

 自分の耳と頭を信じられない様子の姫子が、ゆっくりとタマメの顔を覗きこんだ。タマメはちらりと眼帯をめくり上げてみせ、自分の言葉を証明する。徐々に世の終わりを見るような表情へと変わっていく姫子のただならぬ気配に、数人のクラスメイトが席の周囲に集まり始めた。


 タマメはちょっとばかり面倒なことになりそうだと心の中でため息をついた。


 ざわつき始める教室の隅、篠崎八潮は自分の席に座っている。タマメを取り囲んだクラスメイトが口々に言葉を少女へ向ける光景。少年はそこから思わず視線をそらした。


 少年は頬杖をつくようにして自身の青い右の瞳を覆い隠す。怖かった。少女の傷が自分の責任であることを知られるのがとてつもなく恐ろしかった。


 ふと肩に載せられた手に心臓が跳ね上がる。


 ぎくしゃくと頭を回す。そこにはタマメの方を眺めながら心配そうな顔をする友人の姿があった。


「なあ篠崎。タマメちゃん、マジでそんなんなってんのか。大丈夫なんか、あれ?」


 八潮が動揺に言葉を詰まらせる。少女の傷と自分の右目の異変との間に因果関係を見いだせる者はいないはずだった。常識的な観点でそんなことに気付く人間は存在しそうに思えない。


「う、うん。大丈夫……だよ」


 その場から逃げ出したくなる気持ちを必死に抑えながら、八潮はやっとの思いで震える声を絞り出した。






 九月に入ったばかりの空は、その半ばほどがまだらのように隙間の空いた雲に覆われている。


 <GKIインフォメーション>屋上にあるベンチに背をあずけた八潮は、ぼんやりとした顔で空をゆっくりと流れていく雲を眺めていた。


 錆びつくような小さな音をさせながら、屋内へと続くドアがゆっくりと開く。ひょこっと顔を出したその人物が八潮の姿を見とめ、小さく微笑んでベンチの傍らへと歩み寄る。


「シズカのサボり癖が伝染うつったか?」


 優しく笑みを浮かべて立つ制服姿のタマメを八潮は見上げた。少女の顔を眩しそうに見つめたあと、少年はすぐに気まずさにさいなまれるように視線を足元に伏せた。


 タマメが一歩だけ八潮に近づいた。


 八潮は自分のつま先にわずかにかかるタマメの影から逃げるようにベンチの上で体を回した。背中を丸めて両手を膝の間で組む。指先に上手く力が入らない自分を内心自嘲しつつ、少年はぼそぼそと話しだした。


「僕は……馬鹿なことをしたと思います。人の言うことも聞かず突っ走った挙句、たくさんの人に迷惑かけて、勝手に死にそうになって……貴方を傷つけて」


 八潮は消え入るように言葉を切り、後には沈黙だけが残った。時折流れる弱い風にタマメの長い金髪が揺れている。少年の姿を見下ろしていたタマメが口を開く。少女の声は静かではあるが芯の通った物だった。


「だが、儂らはこうして生きている。十分満足できる結果だと思うがな」


 返事も返さず覇気のない顔で黙りこむ八潮を見つめていたタマメが言葉を継いだ。


「儂はこれからタカシロの所で用事があるのだが……お前はどうする?」


 八潮は顔を伏せたまま、小さく首を左右に振る。


「そうか」


 短く返したタマメがそのままきびすを返して建物の中に戻っていく。下へと続く階段前の壁に寄りかかって立っていた女性を、タマメはからかうような笑顔で見上げた。


「立ち聞きとは趣味が悪いな」


 腕組みをした天童静が、視線を天井に向けたまま小さく呟いた。


「守ってやれなくて……悪かった。もっと上手くやれたと思う」


 不器用そうに眉をしかめる静に、タマメがにやりとした顔をする。普段の静の傍若無人さを少女が代わりに受け持つような様子だった。


「お前たちのお陰で命拾いしたのは事実だ。あれ以上を望むのは贅沢が過ぎるだろう」


 そう言って、タマメは軽やかな足取りで階段を降りていった。






 タマメが去った後の屋上で、八潮はベンチに座ったまま何をするでもなくただぼんやりと空を眺めていた。

 

 どれだけ時間が経ったのだろうか、いつの間にやら太陽もかなり傾き始めている。それでも夏の蒸し暑さはしつこくなる一方だった。


 ふと視線を巡らせた瞬間、八潮は体を飛び上がらせた。一人の人物が気配も何も感じさせずに、少年の隣に座っていた。

 

 野呂栄作が膝の上で頬杖をついたまま、視線だけを八潮の方にちらりと向けて、くすりと微笑む。


 あんぐりとした口をなんとか動かして、八潮は言葉を押し出した。


「い、いつからいたんです?」


 栄作が丸みのある筋肉質な体を起こし、太い腕を胸の前で組む。得意気に目を細めると、その大仏のような顔が一層柔和さを増した。


「三十分くらいかな」


 そう言って、彼は八潮にミネラルウォーター入りのペットボトルを差し出した。少年は小さく頭を下げてそれを受け取る。


 ちらりと栄作に視線を向けて、八潮が口を開く。


「栄作さんは……タマメさんの、その……『事情』を知ってるんですか」


 再び頬杖をついて、栄作が穏やかな声でうなずき返した。


「ついこの間、会長から聞かされたよ。八潮くんの事も、というか『篠崎家』の事も一緒にね」


 それを聞いてうつむいた八潮を見ながら、栄作は言葉を続けた。


「あまり、深く考える必要は無いんじゃないかな。物事の『流れ』ってのは個人の力じゃどうにもならない事の方が多いんだよ」


 そう言って、栄作は自分が持っていたペットボトルに口をつける。八潮が細い息を長々と吐き出してから、ところどころ言葉をつまづかせながら話し始めた。


「自分が何をどうしたらいいのか、よく分からないんです。もしかしたら、何も『しない』で大人しくしているのが、誰にも迷惑かけずにすむ一番の方法じゃないか、とも」


 ようやくそこまで言い終えた八潮が、鬱積するものに耐えかねるように目を閉じる。じっと耳を傾けていた栄作が、何かを懐かしむような顔で空を見上げた。


「君はまだ、それを見定める時期じゃないよ。もっと大人になってからでも遅くないさ」


 八潮がペットボトルを持つ指に力がわずかにこもる。噛み締められた歯の間から抑えられない感情が声となってこぼれ出た。


「それでも、何かの役に立ちたかったんです……何かが変わってほしい、と思ったんです。だから……」


 言い淀んだ八潮がうつむく。懊悩する少年を見ていた栄作がふっと息を吐き出した。気配に違和感を持った八潮が思わず顔を向ける。そこでは栄作が妙におかしさをこらえ切れない顔をしていた。


 不審げに見つめてくる八潮の視線に気付いた栄作が、謝るように眉を傾けた。


「八潮くん、やっぱり厳真さんに似てるよ」


 言葉の意味を捉えきれず、八潮はぽかんとした顔のまましばらくそのまま固まっていた。






 殺風景な壁と天井に囲まれたその空間の佇まいは、機能性を追い求めた結果であった。


 このブースとそこに収められる各種機器は大抵の状況に対応できるだけのフレキシブルな設計の元に作られている。しかし、これほどまでの異物を取り扱った前例は未だかつて存在していなかった。


 鷹城は作業服姿の人間が行き交う中、その異物をじっと見つめていた。


 白い巨人はコンクリート製の床に大の字に横たえられ、ボルトで床に固定された鋼鉄製のプレートに頑丈そうな金具で四肢を固定されている。


 その白い表面はある程度の柔らかさと強靭さを兼ね備えた金属で作られていた。三メートルほどある体の表面は、ライフル弾の衝撃によりところどころえぐれ、土や木を擦りつけた跡もうっすらと残っている。


 二メートルを優に超える長い腕や、人間と変わらぬサイズの脚。それらの関節は装甲の一部を除去され、内部の機械的な構造が露出している。


 数週間前に公園で大暴れしたこの<石傀儡いしくぐつ>は今や完全に動作を停止している。他の二体の<石傀儡>は静と栄作によって大きく破壊されていたがその残骸も警察に回収され、詳細な調査が行われている。


 常識的な科学技術から大いに逸脱したこの異物は、現代の最先端知識を結集しても再現することは困難に思えた。それは失われた技術である『魔法』でも使わなければ無理な相談だと、調査に携わった皆が匙を投げている。


 警察附属の科学捜査研究を担うこの機関だったが、今回のように魔法が関連するケースは前例が皆無であり、その調査は難航していると認めざるを得なかった。


 いくつか懸念の声はあったが、結局のところ『竜』の知識を当てにするのが近道なのは確かであった。


 鷹城から少し離れた場所では、臨時に持ち込まれた長いテーブルとホワイトボードの周囲にタマメと佐々森忠成、機械構造物が絡む案件に通じた部署の研究員が集まっている。彼らはこれまでの調査で判明した情報の資料を囲みながら意見の交換を続けていた。


 鷹城がテーブルに歩み寄ると、議論の中心的人物となっている少女の声が聞こえてきた。


 ホワイトボードにはいくつかの用語が書き込まれており、それを眺めながらタマメが言葉を続ける。


「あれは、魔力を動力とする自動人形に手を加えた物だな。だが、戦闘用に使った事例は無いはずだ。金持ちか物好きな魔術師のオモチャがせいぜいだったぞ」


 研究員の一人が手を上げた。


「それは製造コストの問題?」


 タマメが小さくうなずく。


「それもあるが、運用に原理的な制限があるのだ。無生物を魔法で動かすにはそれ相応の『魔力』が必要になる。儂の記憶にある自動人形は、魔力供給用の術式の『内側』でしか活動できなかった。それに加えて、体の大きさや手足の力も、今の儂と大差ないくらいだったな」


 数週間前の夜の公園で<石傀儡>が公安の部隊をなぎ倒していった光景を思い出しながら、床に横たわる<石傀儡>をアゴで指したタマメが言葉を続ける。


「こいつの巨体や並外れた力は、現代技術による改良が少なからず影響しているだろう。だが『核』となる部分はほぼ手付かずのはずだ。にも関わらず、あの巨体をあそこまで自在に走り回らせるだけの魔力を供給する仕組みがよく分からん」


 資料を眺めていた女性研究員が顔を上げた。


「魔力って貯蔵できないの?」


「そういう術式を組めばできる。だがあの巨体を動かすだけの魔力を貯める術式は、少なくとも数十メートル四方の規模が必要になる」


 そう言って考えこむように口元に指を当てたタマメに、別の研究員が疑問を投げかける。


「魔力を貯める、のではなく『内部で生成』している可能性は?」


 人差し指を立てて、タマメが丁寧に説明を返す。


「魔力を発現できるのはあくまで『人間』が術式なり呪文なりを行使した時だけだ。機械が魔力を生み出すことは無い。決してな」


 黙りこくっていた佐々森が口を開き、皆の視線が集まった。


「この<石傀儡>ですが……私とは別の部署で開発していた物で、名前しか知りません。なので、断言はできませんが」


 その後に続いた言葉に、タマメが目を険しくする。しばらくの問答が交わされ、やがてタマメはゆっくりと首肯した。


「非常に気に食わないが、辻つまは合う」


 研究員の一人が横から言い添えた。


「破壊された<石傀儡>の残骸からもその手の痕跡が検出されています」


 その言葉と同時に準備が完了したとの報告が入る。テーブルの周りにいた人間が<石傀儡>の方へと向き直り、その作業を見守る。


 <石傀儡>の胴体の継ぎ目にエンジンカッターが唸りと火花を上げて刃を食い込ませていく。しばらくの試行錯誤の果てに、巨体の胸から腹部にかけての装甲を固定していた部位が切断された。


 数人の作業員がゆっくりと装甲を手で持ち上げる。徐々に現れる<石傀儡>の内部構造は、佐々森の仮説を裏付ける物だった。


 人間で言えば心臓に相当する位置。そこに金属製の部品を組み合わせた筒状の構造体が埋め込まれている。その前面の一部は透明な材質でやや大き目の窓が設けられ、筒の内部を見て取ることができた。

 

 筒の中には何かの液体が封入されていると見え、気泡が時々浮かび上がっては消えていく。その中に浮かぶものを見て、タマメが口元を引き結んだ。

 

 それは穏やかに眠っているような表情を見せている。


 『人の頭部』が筒の中に固定されていた。


 眉や頭髪は全て取り除かれ、額の中央には『術石』と呼ばれていた赤石が外科的処置によって埋め込まれている。

 

 そして本来あるべき、胴体は存在していなかった。

 

 首の断面から露出した脊髄が何かの呪印を刻まれた機器に接続されている。


 窓越しにその顔を凝視していた佐々森が小さく呟く。


「顔に見覚えがあります。何週間か前に死亡した『被験者』の一人です」


 鷹城が眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。


「魔法による医療実験で死亡した人間を、魔力を生み出す部品として『流用』したというわけか」


 そう言って鷹城は佐々森に向かってしっかりとうなずいて見せた。


「これは犯罪行為の明らかな『物証』だ。<教団>に捜査の手を入れる根拠としては十分な物だ……ありがとう、ここからは我々の仕事だ」


 複雑な表情で息を吐き出した佐々森が目を閉じて小さく頭を下げた。


 そこから数十分ほどの間、<石傀儡>の内部を見ながらいくつかの意見を求められていたタマメがようやく解放され、そこから退室しようとしていた。そんな彼女の後ろからある人物が声をかける。


 佐々森がはにかむような微笑でタマメに言葉を向けた。


「八潮くんにお礼が言いたいんだけど、外出も難しくてね。君から『ありがとう』って伝えておいてもらえるかな。いつか必ず改めてお礼はさせてもらう、ってさ」


 目を丸くしたタマメに、大げさな身振りで佐々森が言葉を継ぐ。


「いや……あの夜、八潮くんが会ってくれなかったら、私は<教団>に連れ戻されていたかも知れない。それに、君のその怪我も……」


 きょとんとした視線を向けられて不安そうな表情になった佐々森に、タマメが肩をすくめて笑顔を見せた。


「ん、これは気にしなくていい。儂が自分で決めた事だからな」


 そう穏やかに言って聞かせて、タマメはその場から辞する。

 

 期せずして自身の足取りが軽くなったことに軽い驚きを覚える。少年に向けられた感謝の言葉が、少女にとっても我が事のように嬉しく思えていた。



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