1話 僕のための魔女
3話完結予定です。
2話目から視点がころころ変わるのでご注意ください。
1回目
「あなた、だれ? このもりにははいっちゃだめなんだよ」
聞こえてきた声に意識を向けると5、6歳ほどの小さな少女がこちらを丸い大きな瞳でじぃ、と見つめていた。柔らかそうな髪がふわりと揺れている。将来美人になりそうな子だった。
「小さなレディ。君のご両親は人に名乗りを求めるならば自分から名乗るべきだという礼儀すら教えてくれないの?」
「……れいぎ」
意味が分からないなりに馬鹿にされているのが伝わったのか、少女はムッとした顔をした。
「僕の名前が知りたいなら君の名前をまず、僕に教えるべき、ということだよ」
「ミリーのなまえ? ミリーだよ」
「そう、ミリー。僕の名前はレオナルド・リオッド・マクスクライン・レレンダール・オズドル・ワズイルダム」
「れおな……」
「それじゃあ、女性の名前だろう。もう一度言ってあげるよ。レオナルド・リオッド・マクスクライン・レレンダール・オズドル・ワズイルダム」
「れおなるど・りお……っで?」
「レオナルド・リオッド・マクスクライン・レレンダール・オズドル・ワズイルダム」
「ながいー。レオじゃダメなのー? おぼえられないよー」
ふにゃ、と眉を下げてねだってくる。可愛いね。
「レディ・ミリー? 初めて会った男を愛称で呼びたいだなんて、大胆な子だね? もちろん、ダメだよ」
「えー……じゃあ、もういい」
ぷっくり膨れたほっぺはずいぶんと柔らかそうで、思わずつついてみたくなる。
「もういい? ミリー。君、自分から僕に名乗りを求めておいて、覚えるのが難しいだなんて理由で投げ出すつもりかい? なんて呆れた子なんだろうね。まぁ、この程度も覚えられないような馬鹿なら仕方ないと諦めてあげてもいいよ」
「うう、ミリー、ばかじゃないもん」
「そうなの? じゃあ、馬鹿じゃない証拠に、ちゃんと僕の名前を言ってごらん。レオナルド・リオッド・マクスクライン・レレンダール・オズドル・ワズイルダムって。言えるようになったら、馬鹿じゃないって認めてあげるよ」
「うー……れおなるど・りおっど・まくくら……」
「はい、また間違えたー」
大きな瞳に涙が盛り上がる。さて、ミリーはいつまで頑張れるかな。
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2回目
「あー、レオナルド!」
聞こえてきた声に、顔を上げると柔らかそうな茶色い髪の女の子が駆け寄ってくるところだった。見覚えのある子だ。
「いた、見つけた!」
「やぁ、ミリー」
記憶にあるよりも、少し大きくなったようだ。以前よりも目線が高くなっている。
「どこに行ってたの? ミリー、レオナルドの名前、忘れそうになっちゃってたよ」
そういえば以前、きっちり名前をフルネームで覚えさせてから返したんだった。意外と根性がある子だったと感心したんだ。
「へえ、忘れそうになっちゃってたんだ。じゃあ、まだ覚えてるよね。僕の名前を言ってごらん?」
「えーっとね。レオナルド・リオッド・マクスクレイン・レンダール・オズドル・ワズルイダム」
僕は聞えよがしにため息を吐いた。
「全然違うよ。すっかり忘れちゃったようだね。薄情な子だな。レディ・ミリ―は」
「え? あれ? ちがう?」
「レオナルド・リオッド・マクスクライン・レレンダール・オズドル・ワズイルダム。ほら、言ってごらん?」
「んと、レオナルド・リオッド・マクスクレイン・レレンダール・オズドル・ワズルイダム」
「全然だめ。まったく、やっぱり君は馬鹿だね」
「ばかじゃない! レオナルドがずっといなかったのがわるいんだもん」
「人のせいにするなんて、君という人間の高が知れるというものだね」
「うううー」
地団太を踏んで怒りを表現している。なんとも子供らしいことだ。昔から思っていることだけど、改めて思う。子供は心を和ませる存在だ。
「ほら、言葉を発してごらんよ。でないと君、動物と一緒だよ? ああ、もしかして本当に動物なのかな。だから僕の名前を覚えておくことさえできないんだね?」
「ちがうもん!」
ミリーは高らかに異議を唱え、再び僕の名前を覚えることに没頭した。本当に、この愛すべき単純さには癒される。
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3回目
「レオナルド・リオッド・マクスクライン・レレンダール・オズドル・ワズイルダム!」
久方ぶりに呼ばれたフルネームに目を開けると、半ば予想していた琥珀色の瞳が僕を迎えた。
記憶にあるよりも、また伸びた背丈が少女の成長と時間の流れを教えてくれる。
「言えた! あってるでしょ!?」
「ああ、正解だよ。レディ・ミリー。ようやく僕の名前を覚えてくれたようで嬉しい限りだ。これでようやく、君を動物ではなく人間だと思うことができるというものだね」
「あたしは、最初から人間だもん」
唇を尖らせて主張する少女を動物だと思ったことは実際のところ一回もないが、それには勿論触れないで、意味ありげに微笑んでやると、少女は勝手な解釈でますます唇を尖らせた。鳥のくちばしのようだ。可愛らしい。
「ねえねえ、レオナルドってどうしてここにいるの? ここ、うちの家族以外入れないっていうか入ったら迷うようになってる森なのに。それに、その鎖は? 何か悪いことしたの?」
「いきなり僕が悪いことをしたと決めつけてくるなんて、レディ・ミリーの瞳は偏見に満ちているんだね。僕は深く傷ついたよ」
「え、ご、ごめんなさい。」
「いや、謝ってもらわなくて構わない。ただ、君の瞳に映る僕がどれほど歪んだ存在であるかなんて、知りたくなかったかな」
芝居がかった仕草で目を下に向ける。軽いジョークのつもりだったのだが、ミリーは慌てて僕の肩に手を触れようとして、その勢いのまま僕の座る木の根元に頭を打ち付けた。
「い、痛いー。 レオナルド、透けてると思ってたけどやっぱり触れないんだ」
「予想してたなら、それなりの行動を取った方がいいと思うよ」
反射的に受けとめようとして宙に浮いた手を気付かれないように下ろした。手首に繋がれた鎖が重い音を立てる。
「レオナルドって、幽霊なの?」
「さぁ? 僕に聞かれてもね」
これは本当だ。僕は僕が誰であるかは知っているけれど、僕が何であるかは知らない。幽霊なのか。人間なのか。それとも他の何かなのかさえ分からない。
「お母さんにも聞いたんだけど、レオナルドのことは知らないって言うの。それなのに、危ないからもう近付くな、って言うんだよ」
「それは君のお母様が正しいよ。安全かもわからない存在に近づくなんて、賢い者のすることじゃない。つまり、君はやっぱり馬鹿ってことだね」
「レオナルドはそればっかり! そんなにあたしのこと馬鹿にしたいの!?」
「君よりも年長の存在として、君が馬鹿にならないように注意を促してあげてるんだよ」
「馬鹿っていう、レオナルドが馬鹿!」
捨て台詞とともにミリーは去って行った。もう会うことはないかもしれない。別れの度に思って来たことだが、3回目ともなると次を少し期待してしまう。だが、どちらにしろ、次に誰かと言葉を交わすのはまた年単位で先の話になるだろう。
時間の感覚があいまいになってどれほど経つのか。自分がここに繋がれてからどれほど経つのか僕には分からない。
分からないままに、意識はまた閉じていく。次に目覚めるとき、また少女の言葉で目覚めることができるのだろうか。意識が途切れる前にと、僕は懐に手を入れた。
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4回目
「レオナルドの馬鹿!」
「………」
ミリーの声で目を開けた。息が触れるほど近くにミリーらしき顔がある。
少し距離を取ってみれば、ずいぶんと前より成長したようだった。成長期がすでに来ているのだろう。髪も簡単にだが結われているし、年頃の娘に近づきつつある容貌になっている。まだまだ子供の範囲だが。
「馬鹿!」
空けた距離を詰められてもう一度距離をあける。背中が木に当たり逃げ場がない。そう言えば、この木には触れることはできる。土にも、草にも。だが、偶然近づいてきた鳥に触れようとした時はダメだった。そしてこの少女を含め、人間にも触れられない。この違いはどこにあるのだろうか。
「レオの馬鹿!」
「……勝手に人の名前を省略するのはよくないと思うよ。ミリー」
「いいの! レオなんて、レオでいい!」
「よくないよ。君だってミ、なんて呼ばれたくないだろ? まるで自分の名前じゃないみたいで」
「そ、そりゃあ一文字まで略されたらそうだけど……!」
「そういうことだよ。本当ならフルネームで呼んで貰いたいところを、レオナルド、までで勘弁してあげているんだから、それ以上略すなんてずうずうしすぎると思わない?」
「う……」
「……そういえば君ちゃんと僕の名前を覚えているんだろうね?」
「お、覚えてるもん。レオナルド・リオッド・マクスクライン・レンダール・オズドル・ワズイルダム、でしょ!?」
「違う。また忘れたね……? 本当に君の頭の中はどうなってるのかな。あれだけ繰り返し教えたのに、何度も何度も間違うし」
「そんなの……そんなの、レオナルドがいつもここにいないのが悪いんじゃない!」
いつもの調子に持っていこうとしたら、ミリーは耐えかねたように声を上げた。目が赤くなっている。
「いっつもそうやってあたしのこと怒らせて、気が付いたら帰らなきゃいけない時間になってるし。こうやって会えたと思った次の日にはいなくなってるし、いくら呼んでも探しても出てこないと思ったらいきなりいるし!」
「………」
「あたしがレオナルドの名前を一生懸命覚えて、紙に書いて何回も何回も暗唱して、それでこれで馬鹿にされないですむ、って思って探しても出てこなくて、諦めてたころに出て来たってちょっとくらい忘れちゃってもしょうがないじゃない! そんなに言うなら、毎日ちゃんとここにいてよ!」
ぼろ、と大きな瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「……そしたら君は毎日会いに来てくれるの?」
立ち上がると鎖の重さで自然と手が垂れる。この鎖は僕の後ろの木に繋がっている。以前は僕の腕で簡単に囲えるほどだった幹は、どう腕を伸ばしても、もう囲い込むことはできない。
「この通り、僕はここから動けない。どこにも行けない。誰にも触れない。誰とも喋れない。君だけを待って、ずっとここに居ろって言うの?」
座っていれば、もう僕の目線よりも上にあった少女の瞳は、立ち上がればやはりまだまだ下で、幼い。
僕の言葉にか、それとも立ちあがった僕が予想よりも大きく見えて怯えたのか。少女は怯んだように視線をさまよわせ、口をつぐんだ。
背後の木に背をもたれかけた。
「あのね、ミリー。僕は、ここにいる。いつだって、ここにいる」
「うそ」
「君から見ればね。でも僕はここにいる以外の僕をもうずいぶん長いこと知らない。もしかしたら、君次第で君から見ても僕がここに居続けることは可能かもしれない」
ただ、僕にとってそれはいいことではないだろう。
誰にも触れられず、喋ることもできず、見つけてもらうこともできないでいる時間は、きっととても長く感じるだろう。
「君は、魔女の素質がある。僕を見つけたのがその証拠だ。なにより、この森に自由に入ることができるのは、あの魔女の末裔だけのはず。……この森に呪いが解けていなければ、だけど」
「あの魔女?」
「僕を、ここに縛り付けた魔女――魔女・キーリ」
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僕は、ワズイルダム王国の第5王子として生まれた。王位継承権からは遠かったから、ずいぶん自由が効く身分で、国から離れて色々な場所へ見聞を広めるのと外交のために飛び回った。
兄上たちも、能力的には僕に劣るところは多かったけど有能だったし、何より人を引き付ける魅力があった。カリスマ性っていうのかな。僕の有能さに王にならないかと言ってくる馬鹿もいたけど、王になることだけが自分の有能さを示すことじゃないって分かっている僕は、丁重にお断りして、兄上たちにこういう馬鹿がいますよ、ということを伝えて場合によっては適当な処分をしたりしながら平和に過ごしていた。
だけどある日、1番目の兄上、つまり王太子に害虫――失礼。ある魔女が言い寄って来た。魔女といえば国にとって益をもたらすか害をもたらすか2つに1つ。ハイリスクハイリターンな存在だ。ある天災に見舞われた国は魔女によって救われたと聞く。ある大国は魔女によって滅ぼされたと聞く。
当然、兄上たちや父上、母上は勿論のこと、僕も出来る限りの情報を使ってその女を調べた。
出てきた結果は……本当に、馬鹿な魔女が王子に恋をした、というものだった。
といっても純粋に兄上に惚れて、兄上の役に立ちたい。あわよくば結婚してほしい。これは十分に国としては困ったことだ。王太子の結婚は国を挙げての一大事。できればそれなりの国とつながりを持つことができる政略結婚が望ましい。なのに、魔女がお熱を上げている男となると、魔女に恨まれたらと思われてそれも望めない。兄も含めて、家族全員が困った。大臣たちも困った。国民も、魔女を追い出すべきか応援すべきか困っていた。
みんなが困る中、兄想い、家族想い、国想いな僕が一肌脱ぐことにした。
つまり、その魔女を口説いて矛先をずらそうとした。第5王子の僕には国を支えるほどの良縁はそもそも望めなかったし、幸い1番目の兄上と僕は家族の中でも一番似ていたからやりやすいと思った。頑張っても振り向かない意中の人の態度に傷ついているところに、優しくしてくれる好きな男に似た、しかもその男よりも少し格好良くて、頭がよくて、しかもセンスもある男となるとね。まぁ、揺れない方がおかしいよね。
そして、うまい具合に魔女を口説き落とした僕は、そのまま魔女の魔力を奪い取ろうとして――失敗して今に至る。
なぜ魔女の魔力を奪い取ろうとしたか?
それは、好きでもないのに口説いたことがばれそうになって、しかも呪いをかけられそうになったから。女の勘は馬鹿に出来ないって分かってたことだけどしみじみと感じたものだよ。
でも結局それにも失敗して呪いをかけられてしまったというわけだ。
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5回目
「レオナルドってサイテーだよね」
「そうかな」
体に丸みを帯びてきた少女は、小脇に古ぼけた本を持っている。木と僕の周りには不思議な図形が描かれており、ミリーがあれから魔法について勉強し、意図的に僕を呼び出したということはすぐに分かった。
「ちゃんと、理由を説明すれば分かってもらえたと思わないの?」
「確かに分かってもらえたかもね。でも、分かってもらえなかったかもしれない。分かってもらえなかったら、困るからね」
「だからって魔女を一方的に傷つけていいの?」
「自分の立場を考えずに、第一王子に言い寄ってくるからには相応の覚悟があってしかるべきだよ」
「相手が王子様だからって好きな人に好きって伝えて、自分のことを好きになってもらいたいって思っちゃいけないの? 恋は理屈じゃないって言うじゃない」
「そんな身勝手、知らないよ」
ミリーは傷ついたような顔をして口をつぐんだ。
そんな顔は、小さいころからちっとも変わっていない。
「その本は?」
「……キーリさんの日記。レオナルドのことが書いてある。あと、この魔法陣のこととかも書いてあった」
「へえ。それは相当に色々書かれていたんだろうね」
生前は呪いをかけた後、顔も見せに来なかった。呪いをかけられる前にはもう声も枯らさんばかりに詰られた。簡単に心変わりするような気持ちで王族に近づいたからだよ、と言ったら激昂されて気が付いたらこうなっていたのだ。
「本気で好きだったのに、って」
「そのひと月前には僕の兄を好きだと言っていたのに? まったく説得力がないよ」
「そんな風に言わないでよ。なんなら読んでみる? 本気だったって分かるんだから!」
「遠慮させてもらうよ。全く興味がない。第一、君がいるってことは彼女は他の男と結婚して子供を産んだってことだろ? 立派に立ち直ってるじゃないか。僕をこんなところに縛り付けておいて」
あ。とミリーが口を開けた。本当にミリーは馬鹿だなぁ。
「そっか。そういえばそうだね。っていうかなんかごめんなさい」
「君に謝ってもらうことじゃないよ。謝るなら僕のこの状況をどうにかしてくれない? さすがにもういい加減解放されたい」
「うん……」
ミリーと話すようになってから、麻痺していた僕の感覚は随分と昔のものに戻っている。ここに縛り付けられた当初は、気が狂いそうになっていたことも思い出した。
縛り付けられてからは人と出会うこともほとんどなかった。ただでさえ人が来ない森の中なのに、そもそも僕の存在を認識できない人がほとんどだった。まれに最初に会った頃のミリーくらいの年頃の子は僕に気付いてくれたけれど成長するに連れて僕が見えなくなり、忘れてしまう。
しばらくしてから、人や動物が近づくとき以外には意識が途絶えるようになっていると気付いた時には心底ほっとした。ずっと意識を保ち続けてたままで狂わずにいられる自信はなかったからだ。でも、ミリーは何度も気付いていくれたから、その状況を手放してでもミリーとの繋がりを失くしたくないと思うようになった。いつか会った幼い子供たちのように、ミリーに僕が見えなくなってしまうのではないかと感じる不安に勝てなかった。
もしもミリーがいなくなった後、僕はどうなるのか。永遠にいなくなるのか。それとも、ミリーがいなくても、意識が戻ることがあるのか。その時、僕は自分を保っていられるのか。
あえてそこから思考を逸らす。考えていても仕方のないことを考えるのは、いまの僕には毒にしかならない。
「ずいぶん自信がなさそうだね。もしどうしても無理ならこの木の前に住んで僕の暇つぶしに一生付き合うくらいの誠意は見せてくれてもいいよ?」
「え、さっきあたしが謝ることじゃないって言ったよね!? それに「誠意を見せてくれてもいいよ」!? なんでそんなに上から目線なの!」
「でも君は謝ったじゃないか。つまり僕に対して申し訳ないと感じたってことだよね? だったら、それに相当することをしたいっていう想いがあるってことだ。だったら、そうしてくれてもいいよ、って言ったんだよ。それとも君がした謝罪は、その場の雰囲気で適当に言ってみたという種類のものなのかな? だったらいいんだよ? やっぱり君は言葉を正しく使えない馬鹿だって――」
「馬鹿じゃないってば!」
思うだけだよ、と続けようとしたところで反発が返ってきた。この子は本当に変わらないなぁ。楽しい。癒される。なんて扱いやすいんだろう。
かくして、魔女・ミリーは僕の呪いを解くために全力を尽くすことを誓ったのだった。