名前が変わった日
「人魔大戦最終節、ですよね?」
「おや、知ってるのかい」
ラウラの話を聞き終わったリンネがおずおずと聞き、ラウラはいつもの調子で笑いながら言った。
そこへルティアがやって来て、一品目の料理とスプーン、ナイフ、フォークを置く。
「僕の家は古本屋でしたから、そういう古い書物も取り扱ってました。
戦記物の本は好きでしたから覚えてます。
でも、登場人物の魔法使いの名前は違うかったはずです、なんで先生は自分の名前を……」
「名前の事は禁忌に触れたのが有力な貴族だったからってのが大きいね。
当時の王国は他国につけ込まれないよう、事実を隠蔽したのさ。
よくある話だよ。
全部本当の話さ、なんなら証拠でも見せようか?」
そう言っておもむろにテーブルの上のナイフを手に取るラウラ。
その行為の意味するところは、今ここで死んで見せようか? という若干脅迫じみたものでもある。
自分が死ぬのに脅迫というのもおかしな話ではあるが。
そんなラウラを止めたのはメインディッシュを運んできたルティアだった。
「ラウラ様、ご自宅をご自分の血で血みどろにするおつもりですか?」
ラウラの前とリンネの前にそれぞれ皿を置きながらそう言うと、ルティアはテーブルの横に立つ。
「マスター、ラウラ様の仰られていることは本当です。
この世界に長く生きる我々にとっては有名な話ですからね。
魔族には禁忌の魔女の名でラウラ様の名は言い伝えられています、人間の伝承では奇跡の魔法使いの名で伝説が伝わっている国もありますしね」
使い魔として召喚した少女が言うのだ嘘ではないのだろう。
何より嘘をつく理由がないのだ。
にわかに信じがたいが、それを言うと本当に先生は喉をナイフで一突きしかねない。
そう思うとリンネから疑いの声は上がらなかった。
「じ、じゃあその……先生の願いって言うのは?
僕に願わなくたって、そんなにすごい人なんだったら大抵の悩みなんて無いんじゃ」
「いや、これは私が叶えられる願いではないんだ。
……まあ料理が覚めてしまう前に頂こうじゃないか」
険しい顔から一転、いつもの笑顔に戻ったラウラは手の中のナイフをペン回しの要領で持ち直すと、フォークを取り、食事を始めた。
「……リンネ」
そう呼ばれてラウラに続いて食事を口に運んでいたリンネは口の中の物を飲み込むと「はい先生」と短く答え、ラウラの言葉を待つ。
「私の名前、エーデルシュタインの名前を、私の家を継いでくれないかい?」
「ぼ、僕がですか? つまり養子になってここで暮らさないか、と?」
「いや、約束したろ? 一緒に居るのは3年でいい、3年あれば私はリンネに大体のことを教えられる自信があるし、リンネ、君はそれを余すことなく吸収する筈だ。
あの戦いから三百余年、いつまでも平和は続かないだろう。
何かあったとき、エーデルシュタインの名は必ず必要になる。
でも私の体は子供を産めない。
リンネのように才ある子供に出会うことはもう無いだろう。
リンネは旅をしたいんだろう?
ならエーデルシュタインの名を語り、リンネはリンネがしたいことをしてくれればいい。
家を再興してくれとは言わない。
噂程度でもいい、エーデルシュタインはまだ滅んでいないと世界に教えてやるのさ。
どうか、この哀れな魔法使いの成れの果ての願い、聞いてくれないだろうか」
リンネの目をまっすぐ見つめるラウラの目を、リンネも真っ直ぐ見返していた。
自分はあの狼に追われた夜、本当なら死んでいるはずだった。
いや、それ以前にあの夜、両親が死んだ夜。
自分は一度死んだのだ。
だからあのとき、狼に囲まれたあのとき、微笑んだのではないか。
死を受け入れて、生きるのを諦めて。
なら、なら僕は――――
「分かりました、母さん。
まだまだ未熟者ですが、僕頑張ります。
リンネ・エーデルシュタイン、胸を張ってこの名前を名乗れるように、母さんの期待に応えられるように、明日から改めてよろしくお願いします」
「そうか……ありがとう、リンネ」