表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/14

第8話:『調和の代償、あるいは論理の諧調』

 翌朝、訓練場を包んでいたのは、静謐な、しかし肌を刺すような魔力のプレッシャーだった。

 ラティシマは、昨日のスクワットによる激しい筋肉痛に顔をしかめながらも、俺の指示通りにその場に立った。


「殿下、昨日の痛みは『超回復』の兆しです。……今、あんたの筋肉は昨日よりも強く、マナを受け入れる準備ができている。撃ってください。手ではなく、脚で」


「……あぁ。やってみよう」


 彼女が腰を落とす。昨日叩き込んだフォーム。大腿四頭筋がはち切れんばかりに膨張し、皮膚の下で太い血管が浮き上がる。地面からの反発――『大地の反動』を、強靭な背筋と腹筋が一本の「線」として繋ぎ止める。


(いいぞ。瞬発の筋肉(速筋)の火花を、持続の筋肉(遅筋)のポンプが支えている。魔力が逆流せず、指先へと加速していく……!)


 次の瞬間、放たれた火球は、昨日までのそれとは次元が違った。

 轟音すらない。空間を焼き切るような白光が標的を蒸発させ、後方の防壁までもが熱波で赤く溶けた。


 そして――彼女は倒れなかった。

 荒い息をつきながらも、その両足はしっかりと大地を噛んでいる。魔力で満たされた全身の筋肉は鋼のように硬質に輝き、怒張した血管がマナの循環パンプを雄弁に物語っていた。


「……はは、ははは! 見ろ、レイ! 指先まで、力が……熱い血液が、痺れるような神経が、すべて一本に繋がっているぞ! 私は、今、自分を完全に支配している!」


 爆風の残滓の中で、彼女が振り返った。

 汗に濡れた髪、紅潮した頬。そして、一点の曇りもない、歓喜に満ちた笑顔。


 その瞬間、俺の視界に**『ノイズ』**が走った。


(……なんだ、これは)


 脳裏に浮かぶはずの『笑筋と大頬骨筋の完璧な収縮データ』が、砂嵐のようにかき乱される。

 黄金比と言ってもいいほど正確な表情筋の駆動。だが、そのデータの向こう側から、俺の知識には存在しない「何か」が溢れ出している。


「……ッ」

 胸の奥、何もないはずの「空白」が、不快なほどに熱く跳ねた。

 心拍数の急上昇。末梢血管の拡張。アドレナリンの過剰放出。……すべて生理学的に説明がつく反応のはずだ。なのに、俺の論理回路は「計算不能」というエラーを吐き出し続けている。


(……計算が、合わない。なぜだ。なぜ、この『現象』を既存の知識で定義できない?)


 俺は、自分の手首を強く掴み、脈拍を測った。

 120……130……。

 込み上げてきたのは、得体の知れない「恐怖」だった。


 俺は、あの大腿四頭筋の完璧な連動データを知るために、この笑顔を受け止める『心』を捨ててきたのか……?


 思い出せない母の顔。霧の向こうに消えた故郷。

 過去を燃やして得た「牙(知識)」は、目の前で輝く「一人の人間」を定義することすらできない。


「どうした、レイ? 自分の功績に見惚れたか?」


 快活に笑い、歩み寄ってくる王女。その一歩ごとに、俺が殻のように纏ってきた「冷徹な理論」がひび割れていく。

 俺は必死に脳内の解剖図を書き換え、数値を再計算しようと試みる。

 だが、俺の腕を掴む彼女の指先の熱さは、どんな高度な知識よりも、残酷なまでに「今」という現実を刻んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ