第3話:筋肉(バルク)の悲鳴
石畳を派手に削り、周囲を恐怖のどん底に陥れた第一王女の暴走は、たった一錠の「甘味の結晶」によって収束した。
だが、事態はさらに面倒な方向へと転がった。
「――その男を、私の私室へ連行せよ。指一本触れるな。傷つけたら私が貴様らの首を跳ねる」
ラティシマ王女の鶴の一声で、俺は無罪放免の解放……ではなく、武装した騎士たちに囲まれ、豪華絢爛な王宮の奥深くへと放り込まれた。
「……さて。どう説明するつもりだ、平民」
王女の私室。そこは貴族の娘の部屋というより、重厚な武器庫と、申し訳程度の寝台が置かれた殺風景な空間だった。
ラティシマは俺を壁際に追い詰めると、巨木のような腕で壁に手をついた。いわゆる「壁ドン」だが、相手が二メートル近い巨躯では、ただの処刑前の尋問にしか聞こえない。
「今の……あの結晶は何だ。食べた瞬間、脳を直接殴られたような衝撃と共に、枯渇していた私の魔力回路が強制的に再起動した」
彼女の眼光は鋭い。だが、その瞳の奥には隠しきれない「飢え」の色が張り付いている。
俺は冷や汗を拭いながらも、前世から染み付いた「スキャン」を止められなかった。今の俺はただの平民だが、脳細胞に刻まれた知識だけは、勝手に彼女を分析してしまう。
(……近くで見るとさらに酷い。首の付け根、胸鎖乳突筋が異常に強張ってる。呼吸も浅い。外見は強固な鎧だが、中身はボロボロのスカスカだ)
「……あんた、最近まともに眠れてないだろ。それと、食後に激しい動悸や、視界の霞があるはずだ」
「なっ、なぜそれを……」
「今のあんたの体を見ればわかる。あんたのその筋肉、今はまだ立派に見えるが……それは『貯金』を切り崩して無理やり維持してるだけの、偽りのバルクだ」
俺の言葉に、ラティシマの表情が凍りついた。
この世界の魔法使いは、魔力を「精神」や「才能」だと思っている。だが、俺の目にはもっと残酷な物理現象として映っていた。
「魔法ってのはエネルギーだ。使えば減る。あんたの魔力出力は、その辺の魔道師とは桁が違う。だが、その燃料となる『糖』の補給が、消費に全く追いついてねえんだよ」
「補給……? 食事なら摂っている。王族として、最高級の肉や野菜を、常人の三倍はな」
ラティシマが不快げに鼻を鳴らす。だが、俺は首を振った。
「足りねえ。全然足りねえんだよ。あんたの身体は、魔法を撃つたびに燃料不足を起こし、代わりに自分の筋肉を溶かして燃料に変えてる。……あんたが『脳筋』なんて影口叩かれてる理由は、脳に回るはずの糖分を魔法回路が全部食っちまうからだ」
沈黙が部屋を支配した。
異世界の常識では、魔法は使えば使うほど「熟練度」が上がるとされる。だが、彼女の場合は、使えば使うほど「身体が自食作用で崩壊」していたのだ。
「私の……筋肉が、溶けている……?」
「ああ。あのまま放置してりゃ、あんたは数年以内に歩けなくなってた。……さっきの結晶は、その崩壊を食い止めるための『緊急燃料』だ」
俺は、彼女のドレスから僅かに覗く前腕の筋肉を指差した。
「あんたは最高の素質を持ってる。だが、最悪の『運用方法』でそれを台無しにしてる。……いいか、王女様。あんたに必要なのは、呪文の詠唱でも、魔法の修行でもねえ」
俺は一歩踏み出し、自分より遥かに巨大な王女を見上げた。
「――正しい『栄養管理』と、筋肉を休ませる『超回復だ。それを俺が……いや、俺の『知識』が証明してやる」
ラティシマの喉が、期待と戸惑いで小さく鳴った。
その瞬間、彼女の腹から「グゥゥゥゥ……」という、地響きのような音が鳴り響いた。
「…………っ! 不、不敬だぞ、平民!」
顔を真っ赤にする王女。だが、俺は笑わなかった。
知識の裏付けがある今、目の前の王女は畏怖の対象ではなく、救うべき「深刻なガス欠のクライアント」にしか見えなかったからだ。
「笑わねえよ。それが、あんたの体が上げてる正当な悲鳴だ。……とりあえず、その腹を黙らせるのが先決だな」
■胸鎖乳突筋とは?
顔を横に向けた時に、首筋に斜めに「ピン!」と浮き出る、あの太い筋のことです。
• どこにある?:耳の後ろから、鎖骨の付け根に向かって伸びています。
• どんな役割?:首を曲げたり回したりする時に使いますが、実は「呼吸」の補助もしています。
• なぜレイはここを見た?:
極度のストレスや過呼吸、低血糖状態で体がパニックになると、この筋肉がガチガチに強張ります。レイは、王女の威圧感に騙されず、この「首筋の硬さ」から彼女の体が限界(ガス欠)であることを一瞬で見抜いたわけです。




