第2話:神の怒りか、ただのガス欠か
会場の空気が、物理的な重圧となって床を叩いた。
豪奢なドレスをはち切れんばかりに膨らませた巨躯。二メートル近い身長。丸太のような腕。
第一王女、ラティシマ・ル・ストライエイテッド。
彼女が踏み出すたびに石畳が鳴り、周囲の受験生たちは、まるで見えない巨大な手に押さえつけられたかのように平伏した。
「――どけ。私の『食事』の時間だ」
その声は低く、野獣の唸りに似ていた。
だが、俺だけは、彼女の放つ凄まじい威圧感の「裏側」を見ていた。
(……おかしい。あのドレスの布を内側から押し上げている大腿四頭筋のバルク(質量)。歩くたびにボコボコと不自然に波打っている。あれは単なる威圧じゃない……筋肉が悲鳴を上げている証拠だ!)
周囲の連中は「王女の怒りに空気が震えている」と怯えている。宮廷魔道師らしき男などは、慌てて防御魔法の結界を展開し始めた。
だが、俺の「プロの目」は誤魔化せない。
あれは威圧などではない。制御を失った自律神経が悲鳴を上げているのだ。
(インスリンショック寸前の筋痙攣……いや、この世界の言葉で言えば、深刻な『魔力飢餓』だ。あのデカいエンジンに、一滴の燃料も残ってねえ!)
ドォォォォォン……ッ!!
予感は予測を超えた確信へと変わった。
ラティシマ王女が、巨木が倒れるような音を立てて膝をついたのだ。
石畳に亀裂が走る。彼女の肩は激しく上下し、瞳からは理性の光が消えかかっていた。
「ひっ、王女殿下!?」「おのれ、誰か不敬な魔法をかけたか!」「防御陣を最大展開せよ!」
パニックに陥る会場。騎士たちが剣を抜き、犯人捜しを始める喧騒の中――俺の右手は、脳が考えるより先に無意識に動いていた。
……かつて、過酷な水抜き中に意識を飛ばしかけた、あの地獄の記憶。
あの時以来、俺の指先は「緊急事態」を察知すると、あるべき場所へと伸びるよう調教されている。たとえ魂が別の世界に飛ばされようと、プロの習慣だけは剥がれなかった。
(……っ、あるのか? こんな場所にまで!)
祈るように突っ込んだボロい作業着のポケット。
指先に触れたのは、ザラりとしたアルミ包装の感触だった。
(あった……! なんでか知らねえが、こいつだけは俺を見捨てなかったらしい!)
中身を確認するまでもない。指先の感覚だけでわかる。
減量末期の俺を、何度も死の淵から繋ぎ止めた『最後の一錠(保険)』――ブドウ糖タブレットだ。
俺は、制止する騎士たちの腕をすり抜け、膝をつく王女へと駆け寄った。
「貴様、平民! 何をするつもりだ、離れろ!」
「うるせえ、黙って見てろ! このままだと、あんたらの主の脳が焼き切れるぞ!」
怒号を背中で受け流し、俺はラティシマの顔を覗き込む。
至近距離で見る彼女の筋肉は、厚いドレスの生地越しですら、過負荷で爆発寸前のボイラーのように脈打っていた。
「……おい、あんた。聞こえるか。死にたくなきゃ、これを噛め」
俺はアルミを剥き、現れた白い「結晶」を、彼女の食いしばった唇の間にねじ込んだ。
「なっ、毒を盛ったか!? 殺せ! その不敬者を斬り捨てろ!」
背後で剣が振り上げられる音がした。死を覚悟した、その瞬間。
「…………っ!?」
ラティシマの喉が、大きく鳴った。
彼女が反射的に、その結晶を噛み砕いたのだ。
次の瞬間、会場を支配していた嵐のような魔圧が、嘘のように凪いだ。
異世界の住人が知る「甘味」とは、果実や蜂蜜の、ゆっくりと広がる穏やかなものだろう。
だが、俺が与えたのは現代の精製技術の結晶。喉を通った瞬間に血へと変わり、脳を直接殴りつけるような、暴力的なまでの『活力』だ。
「……あ、あ……。力が……、満ちる……?」
濁っていた彼女の瞳に、鋭い理性の光が戻った。
震えていた豪腕がピタリと止まり、彼女は自分の手を見つめて驚愕している。
油の切れたランプに、最高級の油を注いだ。ただそれだけの、物理的な結果だった。
「…………貴様」
ラティシマが、ゆっくりと顔を上げた。
二メートルを超える巨躯が立ち上がる。その眼光に、騎士たちは思わず剣を引いた。
彼女の視線が、ガリガリの平民――俺に突き刺さる。
「今のは何だ。私の空っぽだった『腹』に、これほどまでの活力を一瞬で注ぎ込むとは……。貴様、どこでこの『結晶』を手に入れた?」
俺は冷や汗を拭い、精一杯の「不敵な笑み」を浮かべてやった。
「神の奇跡じゃねえよ。ただの『甘味』だ。あんたの体はデカすぎる。……いいバルクだが、運用方法が最低だな、王女様」
会場が、静まり返った。
無能と判定された平民が、第一王女に「指導」を始めたのだから。




