試練
【ある朝】
その日、店を開けても、客が来なかった。
いつもなら朝一番に来る常連の老婦人も、昼に訪れる商人も、誰も来ない。
「……おかしいですね」
アレンが、不安そうに言った。
「ああ」
俺も、違和感を覚えていた。
通りを行く人々は、店の前を通り過ぎる時、わざと目を逸らすように歩いていく。
何かが、起きている。
◆◆◆
【昼過ぎ】
昼を過ぎても、客は一人も来なかった。
そのとき、エレナが店に駆け込んできた。
「ガレスさん!」
彼女の顔は、青ざめていた。
「どうした」
「あの……街で、変な噂が……」
エレナは、息を切らしながら言った。
「ガレスさんのことを、犯罪者だって……人殺しだって……そんな噂が流れてるんです」
「……」
俺は、静かに頷いた。
やはり、そういうことか。
「ガレスさん、あの噂、絶対に嘘ですよね?」
「ああ」
俺は、エレナの目を見た。
「俺は、騎士団で人を守る側だった。犯罪者でも、人殺しでもない」
「わかってます!」
エレナは、強く頷いた。
「私、ガレスさんを信じてます。絶対に」
「……ありがとう」
俺は、彼女に微笑んだ。
「でも……このままだと、お店が……」
「大丈夫だ」
俺は、静かに言った。
「真実は、必ず伝わる」
◆◆◆
【その夜】
店を閉めた後、アレンが深刻な顔で言った。
「ガレスさん、噂の内容、かなり酷いです」
「どんな内容だ」
「『あの花屋の主人は、騎士団を追放された犯罪者だ』『任務中に無実の人間を殺した』『暴力を振るって追い出された』……」
アレンは、悔しそうに拳を握った。
「全部、嘘です。でも、街中に広まってます」
「……」
「絶対に許せません。俺、噂の出所、突き止めます」
アレンは、真剣な目で言った。
「頼む」
俺は、静かに頷いた。
「だが、無理はするな」
「大丈夫です。情報収集は、俺の得意分野ですから」
アレンは、力強く言った。
◆◆◆
【数日後】
噂は、日に日に広まっていった。
客足は完全に途絶え、通りを歩く人々は店を避けるようになった。
だが——
エレナは、毎日店に来てくれた。
「ガレスさん、今日も花を買いに来ました」
「……ありがとう」
俺は、彼女に花を渡した。
「噂なんて、気にしないでください。私は、ガレスさんを信じてます」
彼女の言葉は、俺の心を温かくした。
そして——
トーマスも来てくれた。
「ガレスさん、俺、信じてますから!」
あの時、恋人と仲直りした若者だ。
「あんな噂、絶対に嘘だって、みんなに言ってます!」
「……ありがとう」
俺は、彼に感謝した。
他にも、何人かの常連客が、変わらず店に来てくれた。
「花屋さん、頑張ってください」
「私たちは、信じてますから」
彼らの言葉が、俺を支えた。
◆◆◆
【一週間後】
一週間が経った夜、アレンが興奮した様子で店に戻ってきた。
「ガレスさん! わかりました!」
「噂の出所か?」
「はい!」
アレンは、メモを見せた。
「噂の出所は、貴族区の『フォンテーヌ商会』っていう情報屋です」
「情報屋……」
「で、その情報屋に金を払って噂を流させたのが——」
アレンは、怒りを込めて言った。
「ヴィクター・フォン・アルトハイムです」
やはり、か。
俺は、静かに頷いた。
「証拠は?」
「あります」
アレンは、懐から書類を取り出した。
「情報屋の帳簿です。ヴィクターからの依頼内容と、支払い記録が載ってます」
「……どうやって手に入れた」
「まあ、色々と」
アレンは、ニヤリと笑った。
「俺、情報収集だけじゃなくて、情報"抜き取り"も得意なんですよ」
さすがだ。
「この証拠、どうしますか? 王太子殿下に報告します?」
「……いや」
俺は、首を横に振った。
「これは、俺が直接片付ける」
「え?」
「ヴィクターには、俺から話をつける」
俺は、静かに立ち上がった。
「明日、騎士団本部に行く」
◆◆◆
【翌日・騎士団本部】
翌日、俺は久しぶりに騎士団本部を訪れた。
門番は、俺を見て驚いた。
「ガレス団長……!」
「今は、ただのガレスだ。団長室に案内してくれ」
「は、はい!」
俺は、かつて自分が使っていた団長室——今はヴィクターが使っている部屋——に向かった。
扉を開けると、ヴィクターは椅子に座っていた。
「……! お前、何しに来た!」
ヴィクターは、驚いて立ち上がった。
「話がある」
俺は、静かに部屋に入った。
「お前が、噂を流したんだろう」
「な……何のことだ」
「とぼけるな」
俺は、アレンが手に入れた証拠の書類を机に置いた。
「これが、証拠だ」
ヴィクターは、書類を見て顔が青ざめた。
「こ、これは……!」
「フォンテーヌ商会に金を払って、俺を犯罪者だと噂を流させた。間違いないな?」
「……」
ヴィクターは、何も言えなかった。
「ヴィクター」
俺は、静かに彼を見た。
「お前が、俺を嫌っているのは知っている。だが、これは度が過ぎている」
「……」
「噂を流すのをやめろ。今すぐにだ」
俺の声は、低く、静かだった。
だが、そこには——拒否を許さない力があった。
「も、もしやめなかったら、どうするつもりだ……!」
ヴィクターは、震える声で言った。
「王太子殿下に、この証拠を持っていく」
俺は、淡々と答えた。
「お前が騎士団長の地位を利用して、民間人に嫌がらせをした。それが明らかになれば、お前は騎士団長の座を失うだろう」
「……!」
「選べ。今すぐ噂を止めるか、すべてを失うか」
ヴィクターは、歯ぎしりをした。
だが、最終的に——
「……わかった」
彼は、力なく言った。
「噂は、止める」
「賢明な判断だ」
俺は、踵を返した。
「二度と、俺や店に関わるな」
そう言い残して、俺は部屋を出た。
◆◆◆
【数日後】
ヴィクターとの話し合いから数日後、噂はピタリと止んだ。
そして——
街の人々の間で、新しい話が広まり始めた。
「あの花屋の主人、元騎士団長だったんだって」
「しかも、平民出身で実力で登りつめた人らしい」
「噂は全部嘘だったみたい。誰かの嫌がらせだったんだって」
真実が、少しずつ広まっていった。
そして、客足が戻ってきた。
「すみません、変な噂を信じてしまって……」
「いえ、気にしないでください」
俺は、彼らに微笑んだ。
常連客も、みな戻ってきた。
そして——
「ガレスさん」
エレナが、嬉しそうに言った。
「良かったです。真実が伝わって」
「ああ。エレナさんや、みんなが信じてくれたおかげだ」
「私……ずっと信じてましたから」
彼女は、優しく微笑んだ。
その笑顔を見て、俺は心から思った。
——この人たちがいてくれて、良かった。
◆◆◆
【日誌】
噂によって、店は危機に陥った。
だが、エレナや常連客が、俺を信じてくれた。
アレンは、噂の出所を突き止めてくれた。
そして、俺は直接ヴィクターと対峙した。
結果、噂は止まり、真実が広まった。
試練だった。
だが、この試練を通じて、俺は改めて知った。
信じてくれる人たちがいる。
支えてくれる仲間がいる。
それが、どれだけ大切か。
俺は、もう一人じゃない。
この花屋には、多くの人が関わってくれている。
それが、俺の財産だ。




