危機
【ある日の朝】
その日は、いつもと違う朝だった。
街が、ざわついていた。
通りを行く人々の表情は、不安に満ちている。
「ガレスさん、なんか街の様子がおかしくないですか?」
アレンが、心配そうに言った。
「ああ……何かあったのかもしれない」
俺も、違和感を覚えていた。
そのとき——
店の扉が、勢いよく開いた。
「ガレス!」
その声に、俺は顔を上げた。
王太子リオネル殿下だった。
だが、いつものお忍びではない。
正装に身を包み、剣を腰に佩いている。
「殿下……どうされました」
俺は、驚きを隠せなかった。
「大変なことになった」
殿下は、息を切らしながら言った。
「西の森で、魔物のスタンピードが発生した」
——魔物のスタンピード。
魔物が異常発生し、群れをなして人里に襲いかかる現象。
数年に一度起こる、大災害だ。
「騎士団は?」
「全部隊を出している。だが……間に合わない」
殿下は、苦渋の表情で言った。
「魔物の数が多すぎる。このままでは、街に到達してしまう」
俺は、黙って殿下の話を聞いた。
「そして……問題はそれだけではない」
殿下は、悔しそうに拳を握った。
「ヴィクターが、指揮を放棄した」
「……何?」
「魔物の群れを見て、恐怖に怯えた。そして……逃げた」
殿下の声には、怒りが滲んでいた。
「騎士団長が逃げたことで、指揮系統が崩壊した。各部隊はバラバラに動いている」
「……」
「民間人の避難も間に合っていない。このままでは、大惨事になる」
殿下は、俺を見た。
「ガレス、頼む。戻ってきてくれ」
◆◆◆
「殿下」
俺は、静かに言った。
「俺は、もう騎士ではありません」
「わかっている。だが——」
「俺は、今、花屋です」
俺は、店の花を見た。
「花を育て、花を売る。それが、俺の選んだ道です」
殿下は、苦しそうな顔をした。
「……そうか」
彼は、諦めたように肩を落とした。
だが——
俺は、続けた。
「それに、殿下」
「……なんだ」
「ふんぞり返っている貴族様が、なんとかしてくれるんじゃないですか?」
俺の言葉に、殿下は目を見開いた。
「俺を追放したのは、貴族の権力でしょう。なら、その権力で魔物も倒せばいい」
俺の声は、静かだが、皮肉に満ちていた。
「自分たちが招いた事態です。自業自得でしょう」
「ガレス……」
殿下は、何も言えなかった。
なぜなら、それが真実だからだ。
貴族たちが、俺を追放した。
そして、無能なヴィクターを騎士団長に据えた。
その結果が、今の事態だ。
「すまない……本当に、すまない……」
殿下は、深く頭を下げた。
その姿を見て、俺は少しだけ心が動いた。
だが——
まだ、動くわけにはいかない。
「殿下」
俺は、静かに言った。
「ただし——」
殿下は、顔を上げた。
「もし、国王陛下からの正式な命令であれば」
俺は、殿下の目を見た。
「話は、別です」
殿下は、ハッとした表情をした。
「父上からの……命令……」
「俺は、王族に忠誠を誓っています。王の命であれば、俺は応えます」
俺の言葉に、殿下は理解した。
「……そうか」
彼は、静かに微笑んだ。
「貴族の圧力ではなく、王の権威で、か」
「ええ」
俺は、頷いた。
「王族の決定には、貴族も従わざるを得ない。王の命で俺が動けば、貴族たちも文句は言えないでしょう」
「そして、王族の権威を示すことにもなる……」
殿下は、深く頷いた。
「わかった。すぐに父上に伝える」
殿下は、立ち上がった。
「ガレス、待っていてくれ。必ず、父上を連れてくる」
「お待ちしております」
殿下は、急いで店を出ていった。
◆◆◆
【その後】
殿下が去った後、アレンが言った。
「ガレスさん……戻るんですか?」
「……王の命令があれば、な」
俺は、静かに答えた。
「でも、本当はもう戻りたくないんじゃ……」
「アレン」
俺は、彼を見た。
「俺は、騎士団を辞めたことを後悔していない」
「……」
「だが、民を守るのは、騎士の務めだ」
俺は、窓の外を見た。
「魔物が街に来れば、多くの人が死ぬ。それを、見過ごすわけにはいかない」
「……はい」
アレンは、静かに頷いた。
「じゃあ、俺も準備します」
「お前は、店を守れ」
「え?」
「誰かが、店を守らなければならない」
俺は、アレンの肩に手を置いた。
「それに、殿下への報告も必要だろう」
「……わかりました」
アレンは、少し寂しそうに笑った。
「でも、必ず帰ってきてくださいね」
「ああ」
俺は、頷いた。
◆◆◆
【日誌】
今日、殿下が来た。
魔物のスタンピードが発生し、騎士団が苦戦している。
ヴィクターは、恐怖で逃げた。
殿下は、俺に戻ってきてほしいと頼んだ。
だが、俺は断った。
俺は、もう花屋だ。
だが——
王の命であれば、話は別だ。
俺は、王族に忠誠を誓っている。
そして、民を守るのは、騎士の務めだ。
明日、陛下が来るだろう。
その時——
俺は、再び剣を取る。




