〜第六章〜トリプルティアラ
■ 三冠がかかった最終戦──テーマは「距離」だった
マザーグースSを10馬身差で勝ち切り、
トリプルティアラは残すところ コーチングクラブオークス(G1・2000m) だけとなった。
ここまでの二戦、ダークファントムは圧勝に次ぐ圧勝。
マティルダも脱落し、対抗馬はすべて名目上の存在にすぎなかった。
それでも、このレースには一つだけ不安材料があった。
──2000mという距離。
過去のレースは1600〜1800m。
さらにダークファントムは依然として 320kg台の細身のまま で、馬体に成長の気配はほぼない。
専門誌は慎重にこう書いた。
「唯一の懸念は距離。
ファントムが“スピードの馬”であることは間違いない。」
だが、世間は揺るがなかった。
「勝つのはファントムだ。」
「問題は距離じゃない。格が違う。」
「三冠は確定しているようなものだ。」
そして前売り単勝は 1.2倍。
依然として揺るぎない大本命だった。
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■ レース前──
ダークファントムは静かだった
前日の最終追い切りで、ダークファントムは軽く流しただけだった。
それでも100mの伸びは鋭く、
砂の上に足音がほとんど残らないほど静かだった。
オルブライト調教師は手綱を持つ助手に言った。
「ここを勝てば三冠だ。
けれどファントムは、特別なことをしなくていい。
いつも通り走れば足りる。」
馬体は細い。
華奢と言われても仕方がない。
しかし、その中身は研ぎ澄まされていた。
パドックに現れたダークファントムは、
落ち着き払い、まるで“結果を知っている”ような雰囲気をまとっていた。
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■ スタート──
自然と流れをつかむように前へ
ゲートが開くと、ダークファントムは軽やかに前へ。
押したわけではないが、
馬自身がペースを把握しているかのようにスッと好位に収まった。
他の馬たちは距離を意識し、慎重な出方をしていた。
誰もダークファントムに絡まない。
結果として、2番手の外という理想的な位置を確保した。
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■ 向こう正面──
距離不安という言葉が薄れていく
1000mを通過しても、ダークファントムのリズムは変わらない。
呼吸は安定し、脚捌きは軽い。
後方の馬たちは徐々に手綱が動き始め、
ペースについていけない馬が出始めていた。
その中でも抜けて軽い走りを見せていたのが、
ダークファントムだった。
「これは……持つな」
という声が記者席から漏れ始める。
2000mという数字の不安は、
砂煙の向こうへ消えていった。
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■ 3コーナー──
手応えの差がはっきりと表れた
残り600m。
鞍上がわずかに体を沈めると、
ダークファントムはその合図に応えるように前へ伸び始めた。
他馬は必死に反応しようとするが、
ついていく余力がない。
3馬身、4馬身と差が開き、
そのまま4コーナーへ入る頃には、
レースは完全に“独走の構え”を見せていた。
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■ 直線──
ただ、前を見るだけの走りだった
直線に向くと、
ダークファントムは軽いフォームのまま伸び続けた。
鞍上はほとんど追っていない。
ただ、砂の上を走ることを楽しんでいるようだった。
後方は大きく離れており、
追い比べになる気配すらない。
観客席からは静かなざわめきが広がった。
「勝った……」
「いや、強すぎる……」
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■ ゴール──
10馬身差
砂上の三冠、完全制覇
ゴール板を駆け抜けた瞬間、
ダークファントムは後続に 10馬身差 をつけていた。
その走りは、
努力とか気迫では説明できない。
才能の純度そのものだった。
場内は歓声に包まれ、
その熱はしばらく止まらなかった。
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■ レース後──
「小さな名馬」ではなく
“砂上の女王”として記憶される
表彰式の最中、ある記者がつぶやいた。
「細身の身体で、三冠……
これは奇跡だな。」
オルブライトは静かに馬の首を撫でながら、
深く、深く息を吐いた。
「よく頑張ったな……
本当に……よくやった。」
ダークファントムは、
この日を境に“軽い牝馬”という枠を完全に超えた。
人々の記憶に刻まれる呼び名は、
すでにひとつしかなかった。
砂上の女王──ダークファントム。
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■ そして大衆は、その先を見始める
三冠を達成した瞬間から、
競馬界の視線は次の物語へ向かい始めていた。
「この馬、同世代の牡馬と戦ったらどうなる……?」
「歴戦の古馬たちにも勝てるかもしれない。」
「アメリカ全土の砂を制する存在になるのでは?」
人々の期待は、
すでに「三冠牝馬」ではなく、
“歴史を動かす馬”としてダークファントムを見ていた。




