〜第二章〜初勝利から覚醒
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■ 11戦目前夜──後方から敗れ続けた馬に見えた“兆し”
1967年。
寒さが増し始めたケンタッキーのダートコースには、乾いた砂が風にさらわれていた。
ダークファントムはここまで10戦。
すべて後方から行って敗北していた。
出遅れではない。
馬群に突っ込めば力負けし、
砂の蹴り返しにも押され、
位置を取ることができなかったのだ。
しかし10戦目の直線。
ファントムは、わずかにだが“前へ伸びる”という動作を見せた。
その変化を見逃さなかったのが、調教師ジョン・オルブライトだった。
「……前に行けば、変わるかもしれない。」
320kgという異常な軽さは、
本来ならダートでは不利だとされる。
しかしオルブライトは逆を読んだ。
“軽いからこそ沈まない。その利点が前へ出れば生きる”
直線での加速は、その片鱗だった。
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■ 11戦目──砂煙の中で初めて“前へ”
スタートが切られる。
ダークファントムは軽い体でスッと前に出た。
重い砂にも沈まない。
初めての“好位”。
観客は特に騒がない。
名も知られていない小柄な馬に反応する者はいない。
3コーナー──
砂を嫌がらず、前を追う。
4コーナー──
鞍上はまだ追わない。
軽い手応えのまま直線へ。
そして直線。
ファントムは砂を弾き、
スッと前の2頭をかわした。
初勝利。
伏兵でもなく、
無名でもなく、
ただ「黒影が初めて勝った」その瞬間だった。
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■ 初勝利後──調教師が感じた“質の違い”
勝利後のファントムは涼しい顔をしていた。
汗も薄く、息も乱れていない。
助手は首を傾げた。
「……この距離走って、この余裕って……何なんですか?」
オルブライトは確信していた。
「やっと、この子の走り方がハマったんだ。
前で運ぶ──それだけで別馬になる。」
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■ 初勝利後の条件戦──砂上で弾けた“異質のスピード”
そして迎えた
初勝利後の条件戦。
オルブライトの指示はひとつ。
「逃げよう。前を取りにいけ。」
スタート。
ファントムは砂を軽く蹴り、
力むことなく先頭へ躍り出た。
320kgという軽量馬体は、
砂の沈みをほとんど受けない。
3コーナー──リード1馬身。
4コーナー──まだ鞍上は追っていない。
そして直線。
砂煙の向こう側でファントムは伸びた。
2馬身差の逃げ切り勝ち。
助手は呟いた。
「……これはパワーじゃない。
あの子のスピード……本当に、とてつもないのかもしれない。」
オルブライトは深く頷いた。
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■ ガーデニアステークスへ──1600mの大舞台
年末が迫った頃。
2歳牝馬最強を決める
ガーデニアステークス(1600m)
への出走が決まった。
出走馬は450〜480kgが中心。
ダークファントムだけは 320kg台。
150kg以上の差。
いわば“体格では勝負にならない戦い”だった。
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■ 新聞の評価──淡々と、冷静に、厳しく
新聞の扱いは冷静だった。
「条件戦を勝ち上がったばかりで、
重賞の強豪牝馬相手に上位進出は厳しい。」
「逃げ脚質に魅力はあるものの、
重賞で通用するかは未知数。」
体重に触れる記事はあっても、
センセーショナルな書き方はされない。
“挑戦者の一頭”
その位置付けだった。
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■ 大衆の評価──「320kg? 買う価値ゼロ」
しかし、一般ファンの反応はまったく違った。
「え、320kg? 無理だろ」
「馬体見た瞬間に馬券から外すわ」
「ダートで320kgなんて勝てるわけない」
その結果──
単勝オッズは100倍以上。
誰もこの黒影を馬券に入れようとはしなかった。
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■ ガーデニアS当日──静かに、淡々とゲートへ向かう
パドックでは強豪馬ばかりが注目される。
ダークファントムを見る者はほぼいない。
ざわつきも歓声もない。
ただ、黒い小柄な馬が淡々と砂を踏みしめてゲートへ向かった。
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■ スタート──軽さが生む“自然な先頭”
ゲートオープン。
ファントムは軽い脚取りで前へ出る。
そのまま無理なく先頭に立つ。
観客は反応しない。
「まあ軽いから前に行くよな」
「問題はすぐ沈むかどうか」
そんな声ばかりだった。
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■ 3〜4コーナー──静かな場内、異様な手応え
3コーナーで強豪馬たちが迫る。
砂煙を上げて圧力をかけてくる。
だが、ファントムの手応えは落ちない。
沈まない。
バテない。
むしろ“走りたがっている”。
4コーナーを回った瞬間、
オルブライトは息を呑んだ。
「まだ余裕がある……?」
周囲の観客は気づかない。
しかし、この手応えは異常だった。
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■ 直線──150kg差をものともしない黒影
直線で強豪馬にかわされる。
だが、脚は止まらない。
差されてなお、再び伸びる。
軽い身体が砂を弾き、
最後の最後まで走り切った。
大健闘の4着。
体格差150kg以上。
常識ではありえない内容だった。
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■ レース後──世間は無視、厩舎は震えた
翌日の新聞は淡々としたものだった。
「軽量馬、逃げて健闘の4着」
「一定の走りは見せた」
注目されることはない。
一方で厩舎の空気はまったく違った。
「……あんな手応え、見たことない」
「3歳になったらどうなるんだ」
「パワーじゃない。あれは“天性のスピード”だ」
オルブライトは静かに言った。
「……もしかしたら、来年は全部この馬のものかもしれない。」
誰にも見向きされない黒影は、
確実に“怪物への階段”を上り始めていた




