5 王妃館の惨劇
ソーングリフは平和な城下町である。ここは城塞都市とは程遠い。城はなだらかな丘の上にある。城壁内には城で働く人々が暮らしている。それ以外の商人や生産業者たちは、丘の麓に城下町を形成して暮らしていた。城のある丘を取り囲むのは、村に薔薇園にフィアレスウッドだ。その更に外周には、国境地帯が存在している。
リーフィー王国は首都郊外に荒磯を持ち、陸続きの小国と隣接していた。ただ、この地域は豊かであり、敵対や略奪よりも手を取り合って共同利益を上げることで栄えて来た。あちこちできな臭いことは起こるが、ここ100年ほどはどうにか戦を回避していた。
トリガー朝リーフィー王国の現国王リチャードは、病弱王朝の最後のひとりだ。国内外の勢力が、虎視眈々とその地位を狙っている。現在22歳のリチャードは、既に5回の暗殺を経験していた。未遂ではない。命をとられた。逆天鎖がなければ、その運命を覆すことは不可能だった。
(どうにかしないとな。逆天鎖がいつ効果を失うのかは今のところ資料が見つかっていないし)
22年間で5回、回帰を含めるともう数え切れないほど息を引き取ってきた。流石に警備体制を見直す時期である。
(このファイトバックと一対となるパニッシャーがどんな道具なのか、早急に調べないと)
味方に引き入れるべきか、捉えて処刑するべきか。国王は考えをまとめるために薔薇園を散歩していた。豪華な八重咲きながらも優しい香りのソーングリフローズが見ごろなのだ。首都ソーングリフの名称の由来となった峡谷が存在したのは古代だ。リーフィー王国が成立するよりも遥か以前のことである。そこが原生地だった薔薇は、改良を加えながら栽培され続けている。初代国王が山中で発見し、国花と定めた薔薇である。初代国王は、一重咲きの野薔薇の中で一際豪華に重なる花弁を讃える詩まで遺していた。ソーングリフローズの原種に近い株を鑑賞できるのは、世界でもここソーングリフ王立薔薇園だけだった。
「ん?」
リチャードは、背後に殺気を感じた。敵意を隠しもしない、刺すような視線である。優雅な薔薇園には似つかわしくない。
「お?」
どうやら、探していた人物があちらから出向いてくれたようである。殺気さえなければ、自分の家の庭先に出たのかと間違えるような、涼しい顔で歩いてくる。特に騒ぎもなかった。護衛たちは何をしているのだろう。薔薇園の衛兵、巡回騎士、リチャードにくっついて来た近衛騎士団。発熱で休養中のクレイグこそ欠けているが、ほとんどフルメンバーの護衛陣である。
「ちょうどよかった」
くるりと振り向いて、リチャードは槍を携えた女性の元へと走り寄る。
「えっ?」
着実に近づいていた女性が、困惑して足を止めた。リチャードの足取りには応戦の緊張感がない。顔も真面目ではあるが、戦意は見えなかった。
「どういうこと?どういうつもり?何するつもり?何がしたいの?」
独り言なのか、リチャードに向けて発した言葉なのか、自分でもわかっていないようだ。声を出すそばから言葉にしてしまったことに慌てている。
「あっ、いや、その、ええと」
槍を持つ女性があたふたしているうちにも、リチャードはぐんぐん物理的な距離を詰めてくる。
「そっ、それぇぇっ」
前回出くわした時とは別人のようなへっぴり腰だ。つい先程までの、ひりつくような殺意も霧散してしまった。リチャードは思わず声を立てて笑った。
「あははは。如何したのだ?暗殺者よ」
「如何って!こっちくんな!」
「余を暗殺しにきたのだろう?ターゲットが近いほうが良いのではないかね?」
リチャードは言葉の端々に笑いを滲ませる。相手の神経を逆撫でしてもおかしくない態度だ。しかしエリンは混乱していた。国王が予想外の行動に出たので、復讐心も怒りもどこかへ行ってしまっていた。
「ひとつ尋ねたいことがある」
リチャードは真面目な顔を必死に作る。
「な、なんだっ!」
エリンは険しい顔を躍起になって見せようとする。だが、ふたりとも上手くいかない。エリンの槍はまだリチャードを狙ってはいる。
「王族はどうせ短命なのに、何故わざわざ殺しに来たのか?」
リチャードにとってはそれがまず、疑問だった。これはエリンに限ったことではない。暗殺者が来るたびにする質問だ。例えば12年前の祖父・狂信的国益主義者ヒルトップ公は、短命が国に不利益になるからだと答えた。一刻も早く頑健多産家系の自分達が新王朝を立てる為なのだ、と。酷い理屈ではあるが、思想と行動は一貫している。
「き、きさまっ」
へっぴり腰のまま槍をリチャードに突きつけ、エリン・ソウは恨みを述べることにした。
「わからないのかっ?貴様らが100年前に何をしたのか、知らないとでも言うのかァアッ!」
声がひっくり返っている。凄みはない。
「ぷぷっ、やあ、ごめんなさいよ」
リチャードが笑いを堪え切れずに、突然砕けた調子になる。エリンは再び度を失う。
「なんだっ?どういう王様か?庶民みたいな口聞いてさあ」
「あはははは!あ、でも」
リチャードはすっと真面目な雰囲気を取り戻す。
「100年前って何のことかな?」
「本気で知らないみたいだな?」
「ごめん、わからないよ」
「いいか、よく聞け」
目を吊り上げたエリンが、口早に説明を始めた。長々語る予定などなかったのだ。まさか本当に王家では真実が伝えられて来なかったとは。面倒なことになった。エリンはそう思って、喋りながら眼は逃げ道を探していた。
「強欲だった100年前の王が、侵略戦争を起こすためにテンダーアートを作らせようとしたのは知っているか?」
リチャードの顔が引き締まる。
「なんだと?」
今はむしろリチャードのほうが殺気を迸らせている。エリンは構わず続けた。
「そこから説明しなくちゃいけないのか。とにかく、柔和機構の戦争利用に王妃が抵抗していた。王妃は柔和工房きっての天才だったからな。文化保護とか何とか言うご大層な空言に騙されて、王室との和平婚を受け入れたのさ。本当は、王妃の才能を戦争の為の資源としか考えていないんだと知ったら、抵抗するのは当然だろう?」
「それが本当であるなら、色仕掛けで騙したよりは幾分マシかな」
「ふん、同じことだよ。相手にとっていちばん大切なのが愛だったなら、その王は心を溶かす言葉で王妃となった天才を騙したんだろうよ」
リチャードは青褪めた。
「確かにそうかもしれないな」
血を分けた祖父に何回も殺された身の上だ。あくどい奴等のやり口には心当たりがあった。その様子を以外そうに眺めて、エリンは言葉を継ぐ。
「抵抗が無意味だと悟って、王妃はある夜逃げようとした」
忠義の侍女がひとり、頼り甲斐のある騎士がふたり。他の皆は、万が一近衛騎士団がやって来た時に備えて、足止めのために残った。
「みんな、気をつけてくださいね」
「王妃様、お急ぎを!」
「抜け道は足元が滑りやすいですから、お気をつけて」
皆が王妃を気遣った。人質にされた王妃への憐れみから始まった交流は、いつしか主従を超えた友情へと育っていた。
侍従が素早く抜け道への扉を開く。100年後には半分朽ちて、エリンに蹴破られることとなる悲運の扉だ。抜け道への階段を降りてゆく。妊婦には些か狭くて急だ。松明を手に行く道を照らす騎士、手を貸して足元に気を配る侍女。そして、背後に鋭く目を向ける女騎士。
「あっ」
王妃が小さな声を出した。微かな音でも地下通路には反響する。4人の小さなグループは、ビクリと肩を震わせた。
「王妃様?」
侍女がそっと寄り添う。
「進めそうですか?」
「ううう」
王妃のこめかみに脂汗が滲んでいる。
「ぐ、ううう」
運悪く王妃が産気付いてしまったのだ。
「妻に産婆を呼んだ時と似ておりますが、戻って横になられた方がよろしいのではないでしょうか?」
騎士がおろおろと進言した。
「何を言い出すのです?」
女騎士が騎士を叱り飛ばす。
「むしろ逃げ切ってから産婆を呼ぶ方が安全でしょう?」
「しかし」
騎士は心配そうだ。侍女は王妃の背中をさすっている。
「ふーっ、ふーっ」
王妃は気力をふり絞り、ゆっくりと地下道を進んでいた。そこへ、ドカドカという重い靴音が響いて来た。4人はハッと身をすくめた。
「衛兵の足音ですな?」
「ええ、そのようです」
「王妃様」
「急ぎましょう」
王妃はお腹と腰に手を当てて、ぜいぜい言いながら抜け道の出口を目指した。
王妃館には、王から派遣された監視員がいた。王妃が逃げたと知らせを受けた王が、兵を率いて駆けつけたのだ。足音はあっという間に近づいてきて、抜け道の地下道に兵が押し入って来た。一番最後に、王が悠然と姿を現した。
「うわあっ」
「ぎゃあっ」
騎士がふたり叫び声を上げて倒れた。王自ら、一太刀で切り捨てたのだ。返す刀で侍女もやられた。
「きゃああっ」
「へ、陛下」
王妃が恐怖で蒼白になる。王はギラリと目を光らせ、あろうことか王妃の頭を鷲掴みにした。
「ひいいっ」
王妃の瞳には、痛みで涙が滲んだ。
「痛い」
王は構わず王妃を引き摺り、急な階段を昇り始めた。
「ああっ」
王妃が逃れようとして暴れる。王は傲然と睨みつけた。
「離、して」
王妃が一層暴れた。
「ふんっ」
王が押さえつけようとした瞬間、王妃が弾みで足を踏み外し、階段を転げ落ちてしまった。
「陛下、手遅れのようです」
衛兵が報告する。
「そのまま、王妃は帰らぬ人となってしまったんだ」
「そんなことがあったとは」
青年王リチャード1世は唇をかんだ。エリンはリチャードの人間性を評価しても良いかな、と微かに感じた。エリンは少し気持ちを鎮めて、落ち着いた口調に改めた。
「その日王妃の城にいた者は、口封じのために全員殺されたんだよ。王に派遣されていた監視員も殺されたそうだ。事件の後で忍び込んだ柔和工房の生き残りが、王妃が仕込んでおいた記録装置を全部回収したから、今すぐにでも証明できるよ」
「何と!いやしかし、ありうる話だ。暗殺者、あ、いや、ご令嬢、その記録を拝見させてはいただけまいか?」
エリンはきつねに摘まれたような顔になる。そこまで友好的な反応が得られるとは、思いもよらなかったのだ。リチャードはリチャードで、歴史の闇を初めて知って蒼白になっている。この会見は、お互いにとって驚きの連続だった。
「ええっ、まあ、いいけど。先に説明全部聞いてくれる?」
「続きがあるのか」
「ある」
エリンは肯定して先を話した。ふたりの空気が和らいで、自然とそぞろ歩きを始めた。話しながら、薔薇園の外にある低い石積みまでやって来た




