4 それもひとつの解決策
エリン・ソウは安物然とした鉄槍を片手に、リーフィー王国の城下町ソーングリフを歩いていた。住まいは町から少し離れた森にある。そこは、エリンの祖先が暮らしていた場所だ。森の名前はフィアレスウッド。その森にはかつて、森林霊と古代龍という異種族婚姻の夫婦がいた。エリンたち柔和工房所属技師の祖先である。
いつのまにか出来ていたリーフィー王国が森を領土だと主張しても、柔和工房は認めなかった。とはいえ、彼等は小さな一部族にすぎない。表立って抵抗することよりも、目眩しの装置を作って隠れることを選んだ。一族には村と言える人数すらいない。森から出る者も多かった。100年前にリーフィー王国による殲滅作戦を仕掛けられた時には、もはや一家族としか呼べないほどの規模だった。遅かれ早かれ絶滅していたかもしれない。だからと言って、外敵に滅ぼされて良い筈はないのだ。
現在工房は王国に奪われたが、そんなものは単なる抜け殻だ。たったひとりであろうともワーカー一族がいるところが、すなわち柔和工房なのである。ただし、柔和機構の素材は、フィアレスウッドでしか手に入らない。エリンの祖先は、時折フィアレスウッドに潜入して素材を得ていた。彼等は外国に住み、目眩しの装置を小型化して個人用に改良した。そのおかげで隠密行動が可能となったのだ。
暗殺にも使えそうだが、エリンの目的は呪いに見せかけることだ。隠密行動では意味がない。恐怖や驚きを残した断末魔を作り上げたいのである。
(忌々しい悪夢だった)
エリンは裂けた裾をバタバタ言わせながら、荒々しく敷石を踏みつける。緑色の革で仕立てた胴衣は、着古して裾がぼろぼろなのだ。歩くたびに細く裂けた革が足に当たって煩いのである。暮れ始めた街角には人影がない。まだ炊事の煙は立たず、束の間の静寂が辺りを包んでいた。エリンの靴音と衣摺れだけが響く。それを騒音だと咎める人はいない。
(早すぎた。どこかで時間を潰さなければ)
エリンは、目覚める前に見ていた悪夢によって一日中気分を害されていた。腹を立てるあまり、普段の数倍の速さで歩いて来たようだ。エリンは今、城に向かう道を辿っている。今夜、100年来の恨みを晴らすのだ。仇敵リーフィー王国トリガー王朝の最後のひとり、リチャード・トリガーを討ち果たす計画である。目指す場所は崩れかけた旧王妃館。100年前に惨劇が起きた現場だ。
(復讐を果たした直後、我等の機構が衛兵を呼び寄せるとは、なんという夢だ)
エリンが手にした鉄槍には、秘められた力が宿っている。定められた手順で起動すれば、雷雨を呼ぶことができる。それはただの嵐ではない。裁きの雷撃であり、その雷鳴と稲妻は標的たる罪人を槍の元へと呼び寄せる。この槍には名前が付けられていた。天雷槍、パニッシャーである。
(現王は、惨殺された古代の王妃と血縁関係にないんだ)
エリンは時間を潰すために、酒場へと導く角を曲がる。酒を喰らう気も食事を腹に収めるつもりもない。決戦を前にして気が緩むようなことは避ける。
(テンダーワーカーでもないのに、我等の機構を起動できる筈がない)
一度は回帰かとも思った。古代、そういう機構が開発されたと両親から聞いている。だが、一族出身である100年前の王妃は、第一子の姫君が生まれ出る前に惨殺されたのだ。現王は一族の末裔ではない。当時の王が後妻に迎えた人物の子孫だ。血に宿る神秘の力を動力源とする柔和機構は、一族の者のみが起動できる。エリンは、回帰蘇生装置が現王によって起動されるのはおかしいと気がついた。
エリンは夢の中の出来事が現実ではなくて良かったと思う。しかしやはり、不愉快である。仇が身内の作った道具で自分を危険に晒した夢だったのだ。気に障って当然である。
(冒涜だ!赦し難し!)
エリンは鉄槍を握る手に力を込めた。頬は緊張し、眼差しには殺気が篭っている。今にも天雷槍を振り回しそうな形相だった。
(あっ!)
角を曲がったところで、エリンは思いがけない人物に出くわした。
(ここで会ったが100年目!)
文字通り、仇同士の子孫が100年目に邂逅した瞬間である。エリンは無言で槍を繰り出した。柄のなかほどをしっかりと握り、相手の胸に飛び込むようにして突く。
「えっ、うわっ、何をするっ!」
ダークブルーの重そうな高級衣装に身を包んだ銀髪の大男が、ひらりと横様に跳んだ。建物の陰から、通行人に扮した近衛騎士団が飛び出して来た。国王が単独行動をするのは危険すぎる。常に護衛は引き連れているのだ。
奇書館への扉は秘密だが、老騎士クレイグ・ゴードン卿の家を訪ねてリチャード1世王が下町に来ることは、近衛騎士団に周知されていた。クレイグ卿は本日、故郷へと繋がる扉を開いて出かけた。だが外にいる近衛騎士団からは、自宅に王とふたりで入ったところしか見えていない。王の帰路をクレイグ卿が送らないのは初めてのことで、近衛騎士団は老騎士がついに体調を崩したかと心配していた。落ち着かない気持ちでいたところに、国王が奇襲を受けたのだ。彼等はこめかみに青筋を立てて駆け寄って来た。
「待て!止まれ!」
国王の号令で、近衛騎士団が急ブレーキをかけたように少しつんのめりながら止まった。
「ちっ、しまった!」
エリンが舌打ちをした。国王暗殺は、呪いの様相を呈していなければならないのだ。頭に血が上り、そのことを忘れていた。近衛の鎧に身を固めた多数の騎士たちを目にして、エリンは冷静になった。幸い騎士団が動かなくなったので、エリン・ソウは猫のように建物の屋根へと駆け上った。木の枝、木組み、窓枠などの突起という突起を足がかりにする。弾みをつけては爪先で垂直な壁を蹴り上へと進む。槍を片手にみるみる屋根の上に到達し、棟を駆け、家と家の間は飛び越えてゆく。
「あーあ、聞きたいことがあったのになあ」
リチャードは残念そうにエリンの背中を見送った。高い位置でひとつに束ねたダークブラウンの長い髪が、波打ちながら夕べの風に流れている。
「あの人で間違い無さそうだったのに」
回帰前、息絶える直前に一瞬だけ見た髪と顔だ。
「しかも、回帰前と違う行動をしている」
こんなことは初めてだった。10歳で回帰を繰り返した時から今まで、リチャードが行動を変えても、暗殺者たちは同じ行動を続けるだけだった。むしろ、何をしても変わらないことに、10歳の時は絶望しかけた。
「逆天鎖と天雷槍かあ。運命に逆らい、抵抗し、天命を変える道具と、裁きの槍とがセットだなんて、不思議だなあ」
むしろ対立しそうな組み合わせである。
「あっちにも回帰前の記憶があるのか、それとも槍の力が影響を及ぼす、変数のようなものなのか?」
槍の特性による偶然なのか、記憶の持ち越しによる意図的な行動変更なのか。
「以前の暗殺は彼女と関係ないみたいだし、予測がつかないなあ」
リチャードは、ますますエリンと話をしてみたくなった。
「とにかく早く帰って、画家を呼ぼう」
近衛騎士団は、速やかに物陰へと消えた。王は独り言をやめて、城への道を再び歩き始めた。
その夜、ニ度目の回帰が発動した。同じ日の朝に目覚めたエリンは混乱した。
「なんだ、なんでだ?どういうことだ?やはり回帰蘇生なのか?あたしに回帰前の記憶があるのはどうしてなんだ?」
エリンは、自分が持っている槍と王が身につけているペンダントが一対だとは知らない。口伝は、代々伝えられるうちにいくつもの情報がこぼれ落ちたり変形したりするものだ。発祥も定かではない古代民族が作り続けて来た柔和機構の全てを、正確に言い伝えることは叶わなかったのである。
エリンがこの槍を手にしたのは偶然だった。国王が雨宿りをした洞窟でペンダントを見つけたように、エリンもまた、奇妙な縁に導かれたのである。エリンは、5歳から一族の秘術と怨みを受け継いでいる。仇敵を討ち果たすため、エリンは13歳で武者修行の旅に出た。若い頃のゴードン卿とは違う。怨みに突き動かされての行動だ。そこには自由な青春の勢いは微塵も感じられなかった。
凶暴な暗器遣いとして、エリン・ソウは名を馳せた。賞金稼ぎではあるものの、追い剥ぎを追い剥ぐなどと揶揄される少女であった。その日は、一仕事を終えて次の町を目指す山路にいた。折からの嵐で土が流され、地盤はゆるくなっていた。エリンが足場を確認しながら歩いていると、山頂から崖下へと大岩が落ちて来た。
「ひいっ」
あわてて岩の破片を避けられる窪みに身体を丸める。直後、轟音とともに落ちて来た岩が割れた。真っ二つだった。
「なんなの?あれのせい?そもそもなんで、槍なんか刺さってたの?」
落ちた岩には粗末に見える鉄槍が刺さっていたのだ。落下の衝撃で、槍の先端から岩に亀裂が走り、最終的には割れたようだった。そのままエリンは、嵐が収まるのを待った。雨も上がって窪みから這い出すと、そこに落ちていた鉄槍を観察した。
「柔和工房、天雷槍。天雷槍?裁きの雷とそれを受けるべき罪人を呼ぶパニッシャー?ほんとに?」
パニッシャーについては、口伝があった。鉄の柄に刻まれた二つの単語を見て、エリンは我が目を疑った。
「なんでこんなところに?」
疑問は湧いたが、とりあえず持ち帰って両親に確認してもらうことに決めた。
「槍もかっこいいよね。偽物でも、まあいいか」
エリンは思い詰めた復讐鬼に似ず、大雑把なところがあった。旅の途中で出会った、長短2本を華麗に操る双槍遣いのかっこよさを思い出すと、それまでの疑問は吹き飛んでしまった。目の前の鉄槍は一本しかない。それでもすぐに手に取り、思い出せる限りの動作を真似てみた。
足元の悪い山路を舞うように登りながら、時には長く、時には短く槍を持つ。前へ後ろへ右へ左へ斜めにも。回転させ、背に担ぎ、腹に押し付けるように持ち、潜るように身を屈め、跨ぎ、幾つもの点を打つように素早く地を突き、小石を跳ね上げ草の根を掘り起こす。大きく跳んでは前方に突進し、飛び降りざまに回転して薙ぎ払う。背中に収めて片手を突き出す。横向きにして柄を握り、両腕でグッと前に出し迫り来る障害物を押し戻す。槍の回転にも意味がある。風車のように回せば、回転に巻き込まれたものは一息に吹き飛ばされた。鉄槍は、誂えたようにエリンの手によく馴染み、手放すことができなくなった。
「いくら槍が本物でも、回帰させられちゃあどうにもなんない。これじゃ、いつまで経っても100年来の復讐が終わらないじゃないか!」
エリンは永劫に終わらない復讐の虚しさに腹を立てて、月夜の海で槍を振り回した。滑りやすい岩の海岸を難なく走り、波を叩いて水を跳ね上げ、巻き上げ、遠心力で撒き散らした。どうせこの1日が巻き戻ると思うと馬鹿馬鹿しくなり、暗殺には出かけなかった。
数日が経った。日々をぼんやり過ごしていたエリンは、ある朝、度し難い現象を目の当たりにして絶句した。
「え。は?回帰した?なに?もしかして、国王に死なれた?」
どうせ戻るなら、自分が殺したほうがいいのでは?そう判断したエリンは、柔和機構を使って王の居場所を特定した。場所を知ると急行した。王城を臨む郊外の薔薇園である。




