3 尋ねあてる王様
老近衛騎士クレイグ・ゴードン卿は、12歳のリチャード1世王に秘密の扉を教えた。それは、何の変哲もない下町の家にあった。
「むさ苦しい我が家へようこそ、陛下」
「こら、駄目であろ。誰が聞いてるかわからない。リッチーと決めたではないか?」
「はは、そうでした、そうでした」
「まったく。気をつけよ」
リチャードもリッチーという感じの言葉遣いではない。老騎士は気にしない様子でへらへらと笑っている。笑いながら、床にある跳ね上げ扉をリズミカルに五回叩くと、持ち上げた。この辺りの家にはよくある地下貯蔵庫の入り口である。不満そうに口をへの字に曲げた国王を案内して、クレイグは階段を下りてゆく。日干しレンガを積み上げただけの、粗末な段々である。それでもハシゴよりは幾分高級なのだ。若き日のクレイグはこの家を買った時、レイノルドに自慢したものだ。
「地下貯蔵庫とは、こんなに明るいものだったか?それになんにもないじゃないか」
リチャードは不審そうに眼を細めた。
「別の扉を開いたんですよ。まあ、ついてらして下さいよ」
「あいわかった」
リチャードは、クレイグの言うことがよく分からない。だが、そのままついてゆく。大人が5人は並んで通れるほどに広い通路だ。歩いていると、やがてもう一つの扉が見えた。今度は普通の扉である。クレイグがカチャリと音を立てて扉を開いた。
「なんだいっ!またかい!クレイグ!ノックしな!」
扉の向こうには本棚が並んでいる。本棚しかない。姿の見えない老女の声が怒りを含んで飛んでくる。クレイグ卿は呑気な声で応答した。
「ははは、西の婆さん、相変わらず元気だねぇ」
「クレイグ、久しぶり。そちらは?」
天井まである本棚は、途中に回廊がついていて、移動式の高い梯子が設置されていた。その梯子の上から、紳士が声をかけてくる。
「先生。お久しぶりでございます」
「ちょいと!クレイグ!この悪たれが!なんであたしには乱暴な物言いをするんだよ?」
「そりゃあ婆さんが乱暴な物言いをするからさ」
「小憎らしいったらありゃあしないね!」
「いちいち叫ばなくても聞こえるよ」
老女の姿は見えないが、近くの本棚の向こう側にいるようだ。
「それで、そいつは?」
「そちら、魔法使いではなさそうですね?」
「珍しい魔法機構をお待ちなんですよ。先生、ご覧いただけますか?」
「何言ってんだい。玩具ならティム坊んとこいきな」
「柔和工房の作品なんだよ、婆さん。ここに古い目録があっただろ?そんなかに載ってねぇかな?」
「ああ、なんだ、調べ事かい。そんならそうと先にいいなよ」
「あの」
それまで黙っていたリチャードが、遠慮がちに口を開いた。
「なんだい坊や」
「あ、俺はリッチーといいます」
「ふん、そういうことにしといてやるよ」
老女が急に姿を現した。本棚と同化するような茶色いローブを纏っている。人を喰ったような態度だ。どこまで見抜いているのかわからない。
「それで、なんの用だい?」
「ええと、その前に聞きたいことがあるのですが」
「リッチー、婆さんに腰低くする必要なんざありませんよ」
「あ、むしろ、クレイグ卿に聞きたいというか、その、すごく若くなっていないか?」
リチャード1世王は、とうとう不思議に思っていたことを聞いた。
「ん?気にしなくていいですよ」
「気になる」
「ははは、リッチーさん、そりゃあ気になりますよね」
先生と呼ばれた紳士が穏やかに笑う。
「ここは時間の外にありますから。特に決めない限り、魔法使いになった時の姿になるんですよ」
「えっ」
リチャードは絶句した。
「あれ?申し上げてませんでしたっけ?」
「えっ」
リチャードは眼をまんまるにしている。銀色の睫毛が、空中を漂う不思議な灯りに美しく輝いている。
「なんだい、魔法使いを知らないのかい?」
「婆さん耄碌したのかよ?俺たちの時代にゃ魔法はねぇのさ」
「何言ってんだい。お前さんがいるじゃないか」
「うんまあ、俺もちっとばかしは魔法使いと言えるかも知れん」
「違う時代の弟子までとってよく言うよ」
「えっ」
リチャード1世は兎にも角にも驚いている。
「いいかい、リッチーとやら。こいつの言うことなんか、真に受けんじゃあないよ?」
「えっ?」
「時も場所もお構いなしに扉を開いて、図々しく乗り込んで来やがるんだから。だいたい、名前だっていくつも適当に名乗って回ってんだ。何が本当なんだか、分かりゃしないんだよ」
老女が本名を知っているのかどうかは、実際のところ判然としない。ただ、クレイグ・ゴードン卿がリーフィー王国に住むゴードン伯爵家の六男で、現伯爵の叔父であることは、事実だった。老女が疑おうとも、クレイグ卿は紛れもなくリーフィー王国生まれであり、老いてなお現役の近衛騎士だ。
「こっちの坊やを先生なんて呼んでるけどさ、別にクレイグは坊やの弟子でも何でもないよ。資料の探し方を教わってはいたけどね。そのうえこの子に教えた奴は、子供の頃にクレイグが助けて魔法の指導をしたんだよ。その時代の魔法使いは、師匠がいなくちゃいけない決まりだからね」
「えっ?」
時間も空間も滅茶苦茶なので、12歳のリチャードにはまったく理解できなかった。要するに、クレイグ卿が過去に行って弟子を取り、その弟子が大成したのちにここにいる紳士を手解きした。紳士はクレイグ卿に資料の探し方を伝授した、ということらしい。
「まあ、いいって。それより、テンダーアートだ。リッチー、ペンダントを見せてくださいますか?」
「あ、うん、これです」
驚きすぎて、リチャードは状況を受け入れてしまった。時系列がよく分からない師弟関係は、当面の問題とは無関係だ。リチャードはペンダントを老女に差し出す。紳士も覗き込んだ。
「確かに古代魔法文字だね。テンダーワーカーズ、柔和工房の刻印もある。逆天鎖?」
「初めて聞く名前ですね?」
「うん。知らないねえ。どれ、目録出してやんな」
「はい」
紳士はひとつ手を叩く。すると、一冊の分厚い本が現れた。
「これは、目録の索引です」
リチャードは12歳だが、真面目な国王である。索引が何かは知っている。巻末に少しだけついている書籍もある。だが、何巻もある長大な辞書や目録、全集などの場合、別巻の索引が付属しているのだ。リチャードはそのことも把握していたので、真面目な顔で受け取ろうとした。
「あ、重いですよ?」
「先生、軽くできないですか?」
「ごめんなさいクレイグさん。これは、奇書館内部で書架から手元に呼び出す以外、魔法を全く受け付けないのです」
「防犯ってことでしょうかね?」
「そうなんだろ」
子供には重すぎるため、クレイグ卿が索引を受け取る。
「ん?索引そのものがまた、100巻?」
「えっ」
「や、でもちゃんと語頭の文字が含まれる巻ですよ」
皆が注視するなか、クレイグはページを繰る。
「ありゃ、ありませんね?」
「おかしいなあ」
「工房の職人が、個人用に造ったものなんでしょうか?」
紳士が意見を述べた。
「分かりません。柔和工房に関する資料を根こそぎ持ってきて調べ尽くさないと、出てこないかも知れないですね」
クレイグ卿は夕陽色の眉を寄せた。
「順番に調べる」
リチャードはこともなげに言った。
「リッチー、すごい量ですよ?わたくしめもお手伝い致しますけれど」
クレイグが心配そうにリチャードを見やった。
「ふん、面白そうじゃないか。魔法で呼び出せないなんて、生意気だね。あたしも一緒に探すよ」
老女は好奇心を剥き出しにした。
「そうですね。やりがいのある調査です」
紳士は静かに述べた。
目指す情報が見つからないまま、リチャードは22歳になっていた。その間、また一度の回帰を体験した。クレイグ卿は出会った頃に比べてだいぶ老いている。だが、未だ現役だ。矍鑠たる老騎士である。当然、調査に赴く奇書館では、いつも赤毛の青年となる。
ある日のこと、クレイグ卿がリチャードに呼ばれて王の読書室にやって来た。すると、青年王がなにやらどんよりとした空気を纏っている。
「クレイグ卿、また戻った」
「今度はどのように?」
クレイグは時空の扉を自在に開く男だが、逆天鎖の回帰には干渉出来ない。記憶の持ち越しもしていない。
「今夜なのだが」
「その日の朝へと回帰するのは変わらないのですね」
「うん。それは決まっているみたいだ」
「それで、何が引き金になったのでしょうか?」
「それが、全くわからないんだ。寝ていたら凄く痛くなって、すぐに緑の光が溢れて、目が覚めたら同じ日の朝だったよ」
「なんと、それは困りましたね」
リチャードは顔を顰めた。
「困った。とにかく痛かったのだが、なんだか漠然としていた。どこが痛かったのか、何が起きたのか、まるで見当もつかない」
「お休みになられる前に、何か変わったことはございませんでしたか?」
「それが、特に何もなかったのだ」
ふたりは途方に暮れた。
「今回は、今のところどうしようもない。レアリティハウスにヒントがないか探しに行くよ。今から連れて行ってくれるか?」
するとクレイグ卿は申し訳なさそうに肩を落とした。
「陛下、お連れすることは勿論出来ますが、今日はちょっと、調査はご一緒できないんです」
「クレイグ卿が断るなんて、天地がひっくり返るんじゃないのか?」
「しかし、新伯爵が継承祝賀会を開きますので」
「あっ、悪かった」
リチャード1世はしゅんとした。
「そんな、勿体無い」
「忘れていて済まなかった。大事な友の家長が新しくなったお祝いだっていうのに」
「陛下、また回帰なされたのですから、他のことがすっかり思い出せなくなっても、不思議ではありませんよ」
老クレイグは恐縮した。リーフィー王国では、王命が最優先とは限らない。ゴードン一族は特に家族仲が良いことで有名である。家族の大切な祝い事に欠席するなど考えられない。それでも、忠義の騎士としては、今回の回帰についてすぐに調べないのは気が引けた。
「さ、参りましょう。わたくしめも、祝賀会が済みましたら、すぐにお手伝いに上がります」
「ありがとう。急がなくていいよ。今回は何にも分からないところから調べないといけないんだから」
何事も見つかる時は、呆気なく見つかるものだ。12歳の時から探し始めたペンダントに関する項目が、突然目に飛び込んできた。22歳で起きた回帰の二周目に、最初に手に取った本の第一頁の第一行目に記載されていた。
曰く、槍とペンダントは一対である。ペンダントは2人で回帰する、逆天鎖。槍は雷を呼ぶ天雷槍。
端的すぎてわからない。だが、リチャードには思い出したことがある。黄緑色の光の向こうに、鉄槍を構えた女が見えたのだ。
(あれが天雷槍か?あの女も回帰してるんじゃないか?画家を呼んで似顔絵を作成して探しだそう)
そう思いついた帰り道、リチャードは件の女とばったり出くわしたのだった。
「えっ、うわっ、何をする!」




