エピローグ 始まりの廊下
「耳を塞げっ!」
エリンの怒声が乱戦場に轟く。敵も味方も一瞬戸惑い動きを止めた。エリンは疾走する馬から飛び上がり、馬車の屋根へと戻ってきた。
「天雷招来!」
エリンの鉄槍はその手を離れて灰色の空に吸い込まれてゆく。
「えっ」
「ひいいい!」
「ぎゃあああ!」
小雨に加わり天から落ちてきたのは、雷である。雨にけぶる草原を、蒼白い稲光がいく筋も走った。
「エ、エリン、商団長は生きているか?」
馬車の下に立っていたリチャードが、恐る恐るエリンを見上げた。証言をさせる必要があるので、商団長に絶命されては困るのだ。
「そんな機能があるのか」
正確に敵だけを仕留めた雷撃に、クレイグは驚きのあまり却って冷静な感想を口にした。
「へへっ!試してみるもんだね!」
「確証もなくこんな危険な技を放ったのか?」
「そう怖い顔しなさんなよ、陛下」
エリンは、落ちてきた鉄槍を得意気にキャッチした。
「回帰の元凶を罰したのさ!まあでも、こいつらの企みは国王暗殺の隠れ蓑にされただけだから、遠因ってことで、軽くて気絶、重くても大怪我ってとこだろうよ」
「そうか」
リチャードはため息をついた。
薔薇園でふたりが出会ってから、一年の月日が経った。古い柳の木が生えた岸辺には、初夏の花々が揺れていた。ある日、エリンとリチャードは、柳の下で花束を作っていた。できたものを見せ合いながら、保存装置に入れてゆく。
「追悼式の分はどうしようか」
花束は彩り豊かである。この国の習慣では、追悼式や葬式の花は白一色と決まっていた。
「クレイグ卿が手配している」
「それで姿が見えないのか」
「そうだ。今日はこっちに来られないと思うぞ」
「神官は何人来るんだっけ?」
リーフィー王国には独自の自然宗教がある。周囲の国々で優勢な宗教とは違った。それも侵略を企てられた一因なのだろう。神官たちは未開の国境山地に隠棲しており、国民の元に姿を現すことは滅多にないのだ。それを複数人式典に招く。リチャードがいかにこの追悼式に力を注いでいるかが伺える。
「3人おいでくださる」
「それだけの規模だと、会場の設営に時間がかかりそうだね」
「ああ。来賓も多くて会場が広いし、献花の準備も必要だ」
「一般来場者にも献花して貰うんだよね?」
「そうだ。式典の最後になるが」
「そうなると、クレイグ卿は忙しいよねえ」
今回クレイグは式典警備隊長から外れて、エリンと一緒にリチャードの側で護衛につく。前日の今日は、花の準備を指揮している。式典後に一般公開される王妃館は、要所要所に花を飾るだけの予定だ。慎ましやかな気風の女性だったと伝えられているからだ。修復を終えて要人にお披露目された日にも、王妃の肖像画に白い花を供えただけだった。
鴛鴦夫婦という触れ込みだったので、幸いにも肖像画は残っていた。ただ、悲しみに暮れたことになっている残虐な王は、観るとつらいと言って王妃の肖像画を片付けさせた。悲嘆のあまり王妃館に近付かなくなったという設定で、建物も放置されていた。肖像画の保存状態もお察しである。修復技術は、スクーシュナ帝国が優れていた。
リーシャの縁をきっかけにして、リチャードはスクーシュナ帝国との国交を開いた。肖像画修復の為に指導員を招くことにも成功した。国の恥ではあるが、100年前の事件も公表した。その誠実さが国際的に評価され、リチャードには縁談が舞い込み始めた。
「短命王朝なんて揶揄されて、以前は人気なかったんだけどねぇ」
リチャードが煩わしそうに中空を見た。
「枢密院も煩くなってきた」
「ふうん」
エリンの胸がチクリと痛む。
「呪いのフリをした攻撃が止んだから、ここ100年ではけっこう健康なほうだしな。忌避されるポイントは減っているそうだ」
いつもの皮肉も、どことなく暗い。寂し気な視線が花束に落ちた。明るい色彩の塊に、爽やかな風が戯れている。柳の枝が作る陽の波が、大小の花びらを洗う。
「そうかい」
喜んだらいいのか、励ましたらいいのか、エリンには分からなかった。そんなエリンを、リチャードは不服そうにちらりと見やった。
翌日はレフも出席した。ただの参列者ではない。工房復興メンバーの一員でもあり、歌手でもあった。100年前の真実を新しい物語歌にして、献花の開始時に披露したのだ。
「そろそろ移動しよう」
エリンとクレイグに付き添われたリチャードが先頭に立ち、一同は旧王妃館の正面扉へと移動した。献花を終えた人々が道を開けて待っている。近衛兵が観音開きの大扉を開く。広い玄関ホールは吹き抜けである。二階部分に回廊があり、正面には大階段が見えた。モザイクの床に続く大理石の階段を登って、リチャードたちは回廊へと差し掛かる。
改修中も、完成後も、昨夜も、3人はここに来ている。だが、正式な公開日となると感無量であった。エリンは一年前の出来事を思い出す。あの時は復讐心に燃え、鉄槍を握りしめてこの階段を登った。ホールに面した回廊を進み、内回廊へと至る。この館の回廊は二重構造になっていて、その先にはまた廊下や階段がある。そこを通れば、やっと各部屋に辿り着く。
(100年前の王妃さまも、生まれることが出来なかった王女さまも、いまは安らかに眠っただろうか)
階段を昇り切ったところの壁には、王妃の肖像画が飾られている。小卓には白い大理石の花瓶が載っていた。活けられた花は豪華すぎず地味すぎず、希望を感じさせる色合いだった。そこから左右に伸びる壁には、旧王妃館と柔和工房の来歴が展示されていた。柔和工房博物館職員ガブリエラ・ロセッティが手がけたパネル展示である。
エリンがリチャードを天雷槍の力で呼び寄せ暗殺した時には、館中が夜の闇に沈んでいた。嵐が起こり、稲妻が走った。扉という扉は朽ちてまともに機能せず、かろうじて残った蝶番が、くり抜き窓から吹き込む風にキイキイと悲鳴をあげていた。
「エリンが初めて回帰を体験した場所だな」
リチャードの囁きに、エリンが苦笑いを浮かべた。
「余は全く覚えておらぬのだが、嵐の夜に崩れかけた建物に入るとは、エリンはつくづく豪胆な娘だな」
「この館で惨殺された人々を思えば、恐ろしさよりも悔しさと悲しさが勝るってもんさ」
リチャードは皮肉を引っ込めた。
「それは確かにそうかも知れないな。エリンの一族だけでなく、ここで働いていた者の魂も、少しは安らいでくれただろうか」
「あんな朽ちかけた建物よりは、きれいになって気も晴れたんじゃないかい」
廊下に響く靴音も、心なしか軽く聞こえる。閲覧者たちの驚きや同情のさざめきが、そこかしこに広がっていた。真実が隠蔽されていた100年間よりは、死者たちも幾分慰められたに違いない。
「だといいが」
リチャードは銀色の髪をかすかに振って口をつぐんだ。
100年前の惨劇が起きた館は、今は全てが修復されて扉ごとに衛兵が立っている。王妃が逃げ損ねた隠し階段への扉も新しくなっていた。エリンがこの扉を蹴破った時には床に落ちていたタピスリーも、復元されている。勿論、オリジナルは殆ど朽ちていたので、画家や職人が智慧を絞ってレプリカを作成したのである。レフは感心して、重そうなタピスリーの前に立ち止まった。
「しかし、よくまあ、ぼろぼろに腐ったタピスリーを復元できたよなあ」
幸い奇書館に無彩色の図案が残されていて、おおいに復元の助けとなった。完成品は隠し扉の横に掲げられた。フィアレスウッドの森陰で、古代龍と森林霊が出会ったシーンが織り出されている。落ち着いた色合いながらも目に楽しく、小川の歌や小鳥たちの囀りが聞こえてくるようだ。
「先祖の話も言い伝えじゃなかったんだなあ」
「ほんとだよなぁ」
「まて、俺たち、元は人間の血が一滴も混ざってなかったってことか?」
レフが感動で目を潤ませている。スクーシュナ大陸から来てくれた数人の親戚も、自分たちの血の不思議に想いを馳せているようだ。
リチャードとエリンが作ったカラフルな花束が、扉の内外に飾られている。その先にある内回廊は、残虐な殺戮の夜も、陰惨な復讐の闇も、まるで無かったことのように明るい。突き当たりのくり抜き窓から昼前の透明な陽射しが入ってくる。石を並べた廊下は磨かれており、窓に嵌った鉄柵も新調されていた。鉄柵には花が飾られている。窓の外には、シュロスアードラー側の山々を背景にして城の本館が呑気そうに雲の影を映していた。
「エリン、縁とは不思議なものだなあ」
ふたりを出会わせたのは、100年前の血みどろの悪縁である。だが、リチャードの誠実さとエリンの単純さが今日の公開日にまで辿り着かせた。
「そうだねえ」
ふたりがしみじみと外を眺めている隣で、クレイグも青空を見上げていた。亡き老騎士の墓に誓った、リチャードを守るという使命はまだ続くのだ。シュロスアードラーはクーデターの阻止に成功したが、周辺諸国は以前ほど友好的ではなくなった。山向こうや海峡対岸の戦争に巻き込まれない立ち回りも必要だ。
(陛下なら、平和な御世をお築きになられることだろう)
クレイグは、10歳のリチャードが、暗い部屋でひとり涙にくれていた姿を思い出す。
(今はエリンがいるし、レフたちもいる。この先も裏切りに会うことはあるかもしれない。だが、100年の怨恨を乗り越えた彼等なら、きっとよい未来を歩んでゆけるはずだ)
クレイグの思いに応えるかのように、レフたち工房復興チームがやって来た。エリンとリチャードは振り向いて、にぎやかな雑談が始まった。
見学を終え、会食もお開きとなり、工房復興チームは博物館へと足を向けた。入庫制限が厳しい地下書庫があるため、博物館の一部は工房関係者以外立ち入り禁止になった。ただ、13年前に行った大規模な改修工事も無駄にせず、一部は博物館のままである。職員も変わらず働いている。今後は、敷地内にできた新しい作業場も含めて、「柔和工房」と呼ぶことになった。
作業場の入り口には、ガブリエラ・ロセッティ作の絵がかかっている。彼女には珍しく、線ではなく光の表現を優先した画風だった。白い花の咲く草原で、リチャードとエリンが明るく話している姿である。悲劇の終わりを強調する意味もあり、仲の良い様子を描いたのだ。
旧王妃館の公開日から数ヶ月が過ぎた。エリンは、国をぐるりと囲む監視システムの開発で忙しい。回帰はいつまた起きるかわからない。護衛の仕事を辞めるわけにもいかず、かと言ってリチャードが常にエリンの行動に合わせるわけにもいかない。1日や2日ならともかく、恒常的になると不可能だ。
「エリン、ひとつ相談があるんだが」
ある日工房の視察にやって来たリチャードは、付近の森をエリンと歩いていた。クレイグは休暇を取って、シュロスアードラーまで遊びに行っている。いつものように、近衛騎士団は離れて守っていた。
「なんだい、改まって」
ふたりは川の見える斜面で、木々を縫って歩いていた。夏ではあるが、深い森だ。足元の落ち葉がかさこそと小気味良い音を立てている。
「その、護衛を辞めないか?」
「えっ、回帰したら後で共有すんの面倒じゃないかい?」
「エリン、今のままでは仕事が多すぎる。エリンは工房の指導に全力を尽くして、回帰後に情報を共有するほうが合理的だ」
「うんまあ、そうして貰えるとありがたくはあるけど」
トンボがチョンチョンと水面を突いている。卵を産みつけているのだろう。樹の幹をトカゲが登っている。川面に反射する光の欠片が、トカゲの背中で玉虫色に踊っていた。
「それに、その、仕事以外の時間を共に過ごすことにすれば、同じことなんじゃないかと思うのだ」
「休暇くれないのかいっ?」
エリンが目を剥く。リチャードは慌てて否定した。
「違う!いや、その、なんだ。生涯を共にしないか、という提案なのだが」
「ちょっと、陛下?」
エリンは口元を緩ませるが、目元はキリリと引き締めている。
「あたしに王妃は無理だと思うよ?」
「そんなことはない。防衛システムの開発責任者を、国に貢献していないと言う者があるだろうか?チームを率いる統率力も親和性もある。柔和機構を作れるほどの頭脳と器用さ、それに槍を操る身体能力があれば、必要な作法などすぐに身につく。今度こそ本当に、フィアレスウッドの民とリーフィー王国の友好婚が叶うとなれば、国民も喜ぶことだろう」
「言われてみれば、そんな気はするねぇ」
エリンは丸め込まれた気がしつつも、諦めたように眉を下げた。
「いいよ。引き受けた」
「エリン!ありがとう!一生愛すると誓うよ!」
リチャードは満面の笑みでエリンを抱きしめた。
「うん、まあ、あたしも誓うよ」
エリンは照れながら、リチャードを抱きしめ返したのだった。夏の川風は涼しく吹いて、川岸の草や葉を軽やかに吹き抜けて行った。




