16 ある夫婦の物語
柔和工房にやって来たふたりは、廊下でガブリエラ・ロセッティに出くわした。窓辺でスケッチをしている。彼女は休憩中だった。
「工具は館長にお渡しいただけましたら」
「そうするよ。しかし、ロセッティさん、ずいぶんと精密なスケッチだねえ」
「え?はい、細かく描くのが好きなんです」
「館内にある柔和機構の解説図、もしかしてロセッティさんが描いた?」
「私が描いたのもあります」
「たいしたもんだねぇ」
隣で会話を聞いていたリチャードは、ふたりに提案をした。
「エリン、今後開発する道具の記録係にロセッティを起用してはどうだ?」
ガブリエラ・ロセッティは、柔和機構の手入れを正しくできる。古代魔法文字の文献もある程度は読めた。
リチャードは博物館の視察に何度か訪れていた。その時接した職員たちのひととなりは、なんとなくわかっていた。館長からも、ロセッティ嬢の真面目な勤務態度には太鼓判を押されていた。エリンは少し考えてから、徐に頷いた。
「記録は自分で出来るけど、カタログは作って貰うのもいいかもね」
ロセッティ嬢は博物館の職員である。カタログの作成はお手のものであろう。レプリカという触れ込みなら、エリンが復元した柔和機構を正確に描画して貰っても支障は無さそうである。新開発予定の監視装置については、国家機密なので除外する。ロセッティ嬢の働きぶり次第では、そちらの仕事にスカウトしても良い、とエリンは考えていた。
「館長と相談致しませんと」
王権の弱い国である。直ちに謹んでお受け致しますとはならない。一旦は保留となった。
翌日クレイグ卿が帰還した。
「ずいぶんかかったな?」
リチャードが探るような視線を老騎士へと送る。
「むしろ超特急でございましたよ?」
「左様か?」
「事が事でございますから。謁見の順番をかなり融通していただいたんです」
「おお?謁見が叶ったのか?」
クレイグ卿の友人である、先王の弟と話すだけかと思っていたのだ。今回の訪問は、クーデターの企みをシュロスアードラーの王族に知らせるだけでも大手柄だ。そこから先、シュロスアードラーの首脳陣がどう出るかは、未知数だった。よもや密使クレイグが国王に拝謁を許されるとは、思ってもいなかった。
「はい。首謀者の似顔絵を持参致しましたし、陛下からの親書にも詳しい状況が書かれておりました故」
「戯言扱いされずにすんだか」
リチャードはほっと胸を撫で下ろした。
「国としての対応は、やはりシュロスアードラー側も独自の調査を行った後に決定が下されるでしょうが、返信はしかとお預かり致して参りましたよ」
「上出来だ」
リチャードはその場で親書の封を切る。
「お知らせ感謝する。商団の摘発が成功することを祈っている。我が国の状況が貴国に影響を及ぼさぬよう、最大限努力する」
軍人らしい簡潔な書信だった。シュロスアードラーは城塞都市国家である。国家元首は王であるが、同時に国軍総帥でもあるのだ。元々が騎士王の建国した軍政国家なのだが、世襲の王族をトップに置くことへの不満が根強かった。ここへ来て鉱山を統括する生産部隊が、特殊金属を得て野心を抱いたという経緯らしい。
「当たり障りない手紙だな。本心は分からぬが、ひとまずは各々内患に対処し隣国へ災禍を招かないよう努力しよう、という提案だと受け取っておこう」
今はそれで充分である。少なくとも、リーフィー王国が公式にクーデター勢力を支持した、という言いがかりをつけられる心配は無さそうだ。
「戦争が回避できるかどうかは、シュロスアードラーにかかっているのが気に食わぬが、目下これ以上の対応は期待できぬしな」
「そうだね。信じてくれただけでも御の字だよ」
「クレイグ卿の人脈が活かされたな。お手柄だ」
「逆に申しますと、友人家族との談話でしかないのでございますが」
「だからこそ、ではないか。このような事態は、公式的なやり取りをするとなると、両国とも会議に時間がかかろうぞ」
クレイグ卿の交友関係により、非公式だからこその迅速さが実現出来たのである。
「陛下、商団長は西の国境で捕縛され、護送中とのことでしたな?」
「そうだ。城に着くまであと二日はかかるであろう」
「とりあえず、回帰は免れたってことだよね?」
エリンにとっては、そこが一番重要である。復讐のためにリーフィー王国で潜伏していたが、本来エリンは外国人旅行者だ。リーフィー王国もシュロスアードラーも関係がない。両国の民には気の毒なことであるものの、エリンが参戦する謂れはなかった。護衛も私的な雇用である。雇用主はリチャード個人だ。よその国家に奉仕する義務は無い。戦争が勃発したら、中立地域に逃げれば良いのである。ただし、一対の回帰蘇生装置の影響下にあるので、国王に不慮の死を遂げられると困るのだ。戦争ともなれば、国王とて命の保証がない。出来れば、両国が戦争を回避してくれるとありがたかった。
「取り調べが終わっていないから、確定ではないがな」
「相変わらず慎重だねえ」
「今回は、国の命運もかかっておる。いくら慎重に対応しても足りないくらいだ」
「王様って大変だよね」
復讐以外は特に責任も目的も無く生きてきたエリン・ソウだ。同じ年頃のリチャードが担う重責は、想像を絶するものであった。
「はは、労ってくれるか?」
リチャードが微かに甘えを見せる。エリンは、青年王の無防備な雰囲気に晒されて、ほのかに頬を染めた。
「おやおや?」
クレイグ卿が好々爺の笑みを浮かべた。
「なんだ?クレイグ?」
「いえいえ、ほっほっほっ、さて、無事に今回の回帰を回避出来たことですし、祝杯でも上げに繰り出しますか?」
「そうしよう」
「いいね、行こう行こう」
いつもの居酒屋に入ると、レフ・ゴドノフが民謡を披露していた。3人はその実力に目を見張る。
「民謡で旅費を得たというのは本当だったのだな」
「興行許可が下りるのも納得の喉だねえ」
リーフィー王国では、旅芸人でも国内興行には許可が必要だ。文化担当の部署が審査する。その際、実際の演目を観せる決まりになっていた。この審査は、かなり厳しいことで有名だったのだ。
「さてお次の演目は」
一曲歌い終えたレフが陽気に語り出す。伴奏楽器は持っていない。歌一本で路銀を稼いで来たのである。
「ある夫婦の物語。ここリーフィー王国は、わが祖先の生まれたところ」
語りが自然に旋律を得て物語歌へと変わってゆく。
レフの祖先はフィアレスウッドを出て旅をしていた。
「フィアレスウッドの森蔭で、愛を歌った古龍と森の精霊。その血を受けた一族に、リーシャと呼ばれる娘があった」
彼女は見聞を広めようと森を出た。草原を越え、北の海を渡り、氷の大地に上陸した。雪深い山を登っていた時、リーシャはひとりの若者と出会う。
「氷と雪が舞う中で、リーシャは足を怪我した若者を見つけた」
若者は怪鳥に襲われていた。
「巣に戻れ怪鳥よ。さもなくば八つ裂きにしてくれようぞ!」
リーシャは果敢に怪鳥に挑む。
「取りいだしたるは一枚のハンカチ。雪の白さに鮮やかな青い絹の輝きをみせる」
ハンカチは風となってリーシャの周囲を巡った。固めた雪玉を投げつけて、リーシャは怪鳥の注意を引く。怒り狂った怪鳥が飛びかかってきたが。
「哀れ怪鳥、風の刃で引き裂かれ」
それは、明らかに風布杉であった。レフの祖先は、ウィンドマントの開発者なのだ。縁とは誠に奇なものである。
「勇敢なお嬢さん、私はサーシェンカと申します。貴女はいったいどなたです?」
「私はリーシャ。遠い森より遥かな道を参りました」
リーシャはサーシェンカに肩を貸し、近くの村まで送って行った。ふたりはすぐに打ち解けた。程なくサーシェンカの迎えがやってきた。サーシェンカはリーシャを家に招いた。
「なんとまあ。サーシェンカのお家は宮殿なのですか?」
「驚かせてごめんなさい。私はアレクサンドル・ニコラエウィチ・ゴドノフ、氷の国スクーシュナ公国を統べる一族に生まれました」
「貴方は王子様なのですか?」
リーシャは緑の瞳をまんまるにした。
「いいえ、スクーシュナ公王は父の従兄弟でございます。一族はみな、宮殿で暮らしているのです」
それでも高貴な方には違いない。森に住むからくり職人は畏まる。
「ご無礼をばお赦しくださりませ」
「何をおっしゃっる、恩人様」
宮殿に滞在するうちに、ふたりは益々仲良くなった。やがて友情は恋へと変わる。サーシェンカは気楽な末端王族だったので、誰にも咎められることがなかった。そしてふたりは婚姻へと至る。
「婚約の記念にリーシャは一組の不思議な道具を拵えた。雪の山には危険がいっぱい、あの怪鳥めがしたように、貴方を襲うものあらば、我が手にかけてくれようぞ」
リーシャのパートは、まるで女性のような高い声で歌う。独りデュエットができる音域に、観客は眼を輝かせて聴き入った。
「もしも私が間に合わず、儚い命を散らしても、天命などとは諦めぬ。若葉の色に輝く石で逆天改命してみせる」
3人はハッと顔を見合わせた。逆天鎖だ。黄緑色に輝く回帰のペンダントが謳われている。
「我が鉄槍も寄り添って、共に時を渡ろうぞ。憎き仇を討たんが為に、裁きのいかづち打ち鳴らし、目指す相手を呼び寄せん」
今度は天雷槍だ。歌を聴いて、3人は驚く。槍とペンダントの物語は、レフの祖先が夫婦となったことに深く関わっていたのだ。
その恋物語は民謡にまでなる人気エピソードだった。歌い手レフの祖先は、現スクーシュナ帝国の前身である公国の君主一族だ。しかし、レフの代では遠戚というのも烏滸がましいほど遠くなっている。
一方で、柔和工房の血は、絶対的な優勢遺伝だ。エリンは、レフが柔和機構を起動できるに違いないと思った。その時である。歌い終えたレフが、戯けたように手を叩いた。




