15 暗殺団を捕縛する
流動する風の刃を身に纏い、リチャードは件の通りに足を踏み入れた。通りの住民は、事前の通知を受けて家に立て籠っている。調べによれば、住民は全員暗殺や侵略とは無関係だ。敷石の点検を名目に外出禁止にしたのである。現在通りを歩いている者は、偶然居合わせた通行人か犯人グループの一員だ。
「来たな」
リチャードが囁いた。1組目の矢が放たれたのだ。エリンと近衛騎士団が矢を地面に落とす。弾き飛ばすと通行人に被害が出るからだ。回帰前には、それが原因で死傷者が増えた。
「エリン、油断するなよ!」
「陛下もね!」
エリンたちが防ぎきれなかった矢は、風布杉に粉砕される。粉になるのだが、風の流れに導かれて飛散せず足元に積もる。矢を回収したり無害なものに取り替えたりすると、犯人グループに気づかれた時に厄介だ。相手に予定通りの行動をさせる為、敢えてそのままにしておいた。
「薬剤散布!」
矢は改良されていた。回帰前にはただの金属製の矢だった。硬度が極めて高く先端が鋭利というだけだった。だが、今回セットされていたのは毒矢だ。ざらざらに加工した鏃の表面に塗られたのは、無色透明な猛毒である。近衛騎士団は王立薬学研究所と連携し、これを無毒化する薬剤の開発に成功していた。
リーフィー王国現王朝は代々病弱な家系だ。医学や薬学へ国が手厚い支援を行っている。そのため、町医者も多くいる。この界隈にもひとり、医院を営む者が住んでいた。リチャードたちの聞き込みに協力してくれた医師である。診察料は諸外国に比べてかなり安い。庶民も安心して医療を受けることができた。
しかし、この政策が与えたのは良い影響だけではなかった。水面下で毒物の開発に勤しむ薬学関係者も存在したのだ。国の衛生面を統括する役職は、かつてヒルトップ一族が担当していた。専門領域に於いて、役職が世襲でなくとも施される教育の差は大きい。事実上の世襲制と言っても過言ではない。
ヒルトップの残党が暗殺団と結びついたのは、毒を通してのことだろう。そもそも、残党になる前から結びつきはあったとみえる。分家の私設護衛騎士団から、適正のある者が移籍したと考えられた。退団により、ヒルトップとの関係を非公式にする。国王暗殺の際、背後関係を曖昧にする為のやり口だ。エリンはリチャードの心情を想うと、やりきれない気分になった。
リチャードは通行人の動きに目を光らせる。完全な通行止めにすると犯人まで締め出してしまう。名目とした敷石の点検は、道の半分ずつに分けて行う。半分は自由に歩けるため、一般の通行人もいるのだ。
リチャードたちは、暗殺団の全メンバーを把握しているわけではない。いま通りにいる人のうち、誰が犯罪者なのか判別が難しい。一同は動きに注視して襲撃に備える。同時に、無関係な者が負傷しないように気を配る。偶然通りかかった者は少ない。守るのは容易かった。それでも擦り傷を追う者は出る。中和剤の散布によって、傷口から劇物が体内に入るのを防ぐ。
「こちらへ!」
「落ち着いて!」
近衛騎士団が慌ただしく避難誘導にあたる。薬剤散布班もきびきびと行動している。地面に落ちた矢をさりげなく回収する者どもが、次々に捕縛された。二組目、三組目の矢を発射する装置は、速やかに破壊された。エリンは、目つきの怪しい男を見逃さなかった。リチャードも同じ男を見ている。回帰前に襲撃してきた小太りの男であった。
男は、興味深げにリチャードの足元を眺めていたのだ。突然降り注ぐ矢の雨に驚く振りも忘れて、しげしげと金属粉の堆積を観察していた。エリンが、入り乱れる人々の間をスルスルと縫ってゆく。小男はハッとして懐に手をやった。回帰前にリチャードへと投げつけた金属製の礫を出すのであろう。
「危ない!エリン!」
「心配無用!」
エリンは高く跳躍すると、槍のなかほどを握って振りかぶる。
「イヤアアアッ!」
鉄槍がうなりをあげ、思わず見上げた小男の脳天に叩きつけられた。落下の衝撃も手伝って、相当な強打になった。
「エリン!殺すなよ?」
「死にゃあしないよ」
倒れた男のフードが外れて、内側に被っていた鋼鉄の兜が現れた。兜はへこんでいる。脳震盪を起こしたらしく、男は目を閉じて倒れていた。手から零れ落ちた極小の金属粒が道に散らばっている。
「引き揚げるぞ」
リチャードの号令で、近衛騎士団は速やかに撤収する。巡回騎士団も押収品の運搬に参加した。城に戻ると、暗殺団の根城は手筈通り摘発に成功した、という報告が待っていた。
「国境からは何かあるか?」
リチャードが近衛騎士団長に質問した。
「商団長の身柄を抑えました」
「護送中か?」
「はい」
「同行者は?」
「商団の者たちだけです」
「まあ、予想はしていた」
諸外国の侵略関係者は、後日抗議文書を公式に送ることで始末をつけることになった。リーフィー王国が証拠を記録するだけの技術力を誇示すれば、当面は大人しくなるだろう。
「問題はシュロスアードラーのクーデター勢力だな」
武器はすでに供給されている。国王リチャード1世への襲撃は噂となって、リーフィー国民に不安が広がるに違いない。現場付近の住民へ箝口令を敷いたところで、人の口に戸は立てられないものだ。未然に防げたこれまでの暗殺事件とは違い、国王自ら囮となって暗殺者を釣り出したのだ。平和なリーフィー王国に衝撃が走る。
そこへ隣国シュロスアードラーの軍隊が攻め込めば、混乱に乗じた周辺諸国も再び暗躍を始めるだろう。
「クレイグ卿はまだ戻らぬか?」
「往復だけならもう戻っていい頃だけど、要人に接触するとなれば時間がかかるんじゃないのかい?」
「確かにそうなのだが、気が急くであろう?」
「気持ちはわかるけどね」
密使に出したクレイグ卿は、表向き病欠ということになっている。扉を何処にでも開ける魔法が使えるため、移動そのものに時間はかからないのだ。そうでなくても、シュロスアードラーまでは片道一日もあれば足りる。
「クーデターを防げない場合に備えたほうがいいんじゃないかい?」
「辺境騎士団長が、各国境騎士隊長と密に連絡を取り合っている。侵略を視野に入れた国境警備など、経験したことがないからな。今回はやり過ごせたとしても、不安は残る」
西の大草原は山脈に突き当たり、自然国境としている。山脈の麓には砦がある。辺境騎士団の駐屯地だ。山向こうの小さな国々が、今回侵略を狙う諸国の中心だった。東のシュロスアードラーと挟み撃ちというより、混乱に乗じて入り込む作戦のようである。それだけに、彼等の国力は、シュロスアードラーが侵略に失敗したところで削がれることがないのだ。
大草原の北は森の向こうに断崖を削る荒海がある。海を渡った先に、スクーシュナ帝国が広大な国土を広げている。国交はないが、敵対もしていない。北東には島が点在し、小国群を形成していた。ここにも漁父の利を狙う国々がある。草原の西南では、海峡を隔てて小国が群雄割拠の状態だ。これらの国々は睨み合いを続けている。
「どうだろう、エリン」
「なんだい?」
「今回の事件を機に、各国境沿いぐるりと監視システムを構築してみては?」
「えっ、ずいぶんと広い範囲だけど」
「国防について、見直しが必要だと思わないか?」
エリンは、呑気そうなリチャードの国王としての一面に驚いた。確かにリチャードは、時折は威厳を見せる。幼少期に受けたショックが暗い陰を心に落としてもいる。だが、クレイグやエリンと過ごしている時には、生来ののんびりした性格が前面に出ているのだ。エリンはつい忘れがちなのである。
「で、それを、あたしが全部やると?」
「どうだろうか?」
「どうだろうか、じゃないよ!何言ってんだい?」
エリンは抵抗を試みる。リチャードは尊敬と期待に満ちた眼差しを注いだ。
「エリンなら出来るだろう?」
「いや、無理だよ」
リチャードはあからさまにシュンとした。エリンに叱られると、酷く辛いのだ。
「地形も環境も調べないとだし、辺境都市の城門や特定の区画だけに設置するのと違って、装置の配置も考えなくちゃいけないし、そもそもかなりの数になるだろうから、製作も設置もひとりじゃ、ちょっと負担が大きすぎやしないかねえ?」
正論である。
「エリン、急がなくてもいいんだ。レフ・ゴドノフみたいに、工房の末裔が訪ねてくることもあるかもしれないし」
「そっちは期待しないほうがいいよ。修行中にいろんな国を回ったけど、末裔って人はゴドノフが初めてだ」
「そうしたら、やはり難しいのか?一般的な動力で作動する、似た機構は作れないだろうか?それならば、騎士団の工兵部隊や国の技術大臣も協力できるであろ?」
「うーん、そうだねぇ。それは門外漢だから、なんとも言えない」
リチャードが肩を落とす。あまりにもがっかりしているので、エリンはどうにか手伝ってやりたくなった。
「動力源を作れないかなあ?柔和工房一族の力を溜めとける装置が出来れば、血族じゃなくても起動できるようになるだろ?」
「それは素晴らしい!フィアレスウッドで発見された新資源という建前で、実用化出来るやもしれぬな?」
リチャードの輝く笑顔に、エリンはどきりとした。リチャードが国を思う気持ちに打たれた。100年前の強欲な王とは、柔和機構を求める動機がまるで違う。その人間性に、エリンの胸がどうしたわけか高なったのだ。
(なんだろ?陛下がかっこいい。リチャード1世陛下は、確かに立派な王様だけど、なんだか輝いて見える)
対するリチャードは、純粋に国を思うだけではなかった。神秘的な海の精霊が、自分の心を受け入れてくれた気がしたのだ。
「これからは単なる私設護衛ではなく、私の治めるこの国もまるごと守ってくれないか?」
「なんか壮大な話になっちゃったけど」
エリンはまだ不満そうである。
「100年も復讐を続けた一族にとっちゃ、さほど壮大でもないと思うが?」
「ははっ、そうかもね。いいよ。守ってあげる」
エリンは困ったように笑う。リチャードは嬉しさ余って、思わずエリンを抱きしめてしまった。
「えっ、陛下?」
エリンがギョッとして身を離す。
「あっ、ごめん。つい嬉しくて」
「はは、うん、ああ」
ふたりは気まずそうに目を逸らした。
「あ、そうだ、工具を返しに行かなきゃ」
「そうだったな。取り調べはひとまず騎士団に任せて、柔和工房へ行くか」
「ああ、そうしよう」
ふたりは何事もなかったかのように、表情を消して城を出た。普段とは違う様子に門番が不安の色を示すほど、不自然な無表情だった。




