13 海の精霊
リチャードが逆天鎖を見つけた洞窟は、大木から程近い斜面にあった。入り口は苔むした岩に囲まれ、シダや木の根で半分隠されていた。
「たぶんここだと思う」
「取りに来た鉱石もここにあるはず」
ふたりは早速洞窟に入る。エリンが持って来た小型光源が洞内を明るく照らす。奇書館に浮かんでいた魔法灯と呼ばれる装置を参考にした照明だ。柔和機構は魔法ではない。だが、一般的な技術では実現できない装置を作れる。丸い明かりは空中に浮かび、ふたりの周りに幾つか浮かんで着いてきた。
「陛下、ご覧よ。色が違うとこがあるだろ?」
「あの石か。これはまた奇遇だな。あのあたりで逆天鎖を見つけたんだ」
洞窟内の岩壁には、周囲より濃い色の場所があった。その周辺には、幾つもの割れ目が出来ている。
「こんなところに?持ち主が落としても手元に戻る機能もついてる、って書いてあったのに?」
「エリンの天雷槍もであろう?」
「そういやあそうだね。この槍も、なんでか岩山に刺さってた」
「前の持ち主が亡くなったから戻らなかったんだろうね」
リチャードは遠い昔を臨むように、逆天鎖を見つけた裂け目を眺めやる。
「ペンダントの持ち主は、ここで亡くなったんだろうか?誰かが遺体を葬ったとき、ペンダントは見つけられなかったのかな」
エリンは哀悼の意を込めて、その場でこうべを垂れた。しばらくして、エリンは頭を起こして分厚い手袋を履いた。遮音用の耳当ても取り出す。
「さあ、始めるよ。耳は塞いでおきな」
「分かった」
明かりは自動で手元を照らし空中に浮かんでいる。採掘はエリンが行う。リチャードは手伝えない歯痒さを味わった。
カンカンと乾いた音が洞窟に反響する。
「材料は全部で何種類くらい集めるんだね?」
今聞かなくても良いことだ。好奇心に駆られたのと、手持ち無沙汰に耐えられなかったのと両方で、リチャードが大声で聞いた。岩を削る音は止まらず、エリンも負けずに大声で答えた。
「全部で5種類だよ」
「そんなに少なくていいのか?柔和機構は、かなり複雑な作りをしていると思っていた」
「今回作る風布杉は、材料も少ないし構造も単純だよ」
それでなければ、明後日の襲撃に製作が間に合うとは思えない。
「そうか」
叫び返すリチャードの腕を、エリンが急に掴んだ。びっくりしてエリンの方へと顔を向けながら、リチャードはぐいと引っ張られる。頭ひとつ小さなエリンの後ろへと、銀髪の大男が庇われた。5人ほどついて来ていた近衛騎士が色めき立つ。洞窟内は狭いので、残りは外で待機している。
「えっ、何ですか?いやだなあ。怖いなあ」
洞窟の奥から、へらへらと薄ら笑いを浮かべた痩せぎすの男が現れた。背丈は平均的である。片手に松明を持っていた。派手な金髪にカラフルに染めた鳥の羽を幾本となく飾っている。服装も異国のものであった。
「何者だ?」
リチャードが声を尖らせる。
「やだなあ。何者なんて上等なもんじゃないですよ」
「何者かと聞いておる」
リチャードが睨みつけても、痩せた男は肩をすくめるだけで怯まない。
「その日暮らしの旅人ですよ。特に何かをしてるわけじゃない」
見慣れない装いではあるが、身につけている物はみな高級そうである。金持ちの道楽者といったところか。何処かの国の王侯貴様かもしれない。その割には威厳も気品も感じられないのだが。
「名は?名を名乗れ」
槍や剣を突きつけられて囲まれているが、痩せた男はへらへら笑いをやめない。
「レフ・ゴドノフ」
男は名前だけをぽんと差し出した。国や身分、ここに来た目的などは依然として口にしない。
「この国の民ではないようだな?どこの国から来た?」
「氷の大地スクーシュナから参りました」
聞かれれば素直に話すが、真実か否かは不明だ。
「身分を証明する物はあるか?」
男は懐に手をやる。
「ん?」
エリンが目を吊り上げて、槍を握り直した。
「ははっ、怖いなあ。ここに旅券が入ってるんですよ」
「妙な真似はするなよ?」
「おっかないなあ」
レフと名乗った男は、悠然と旅券を取り出した。二つ折りにされた紙挟みを開くと、身元を証明する書類が見えるようになった。
「誰か、この国の旅券を知っているか?」
残念ながら、その場に確認できる者がおらず、男の身柄は拘束された。
「酷いなあ」
「大人しくしろ」
「ねえ、さっき柔和機構って言ってたでしょ?僕の先祖はね、柔和工房の職人なんだよ」
「話は後で聞く」
男が洞窟の外へと追い出されるのを見届け、エリンは採掘を再開した。期限は明後日だ。余計な時間を取られて、少し焦りを見せている。
洞窟を出て森を後にする。空はすっかり灰青色に染まっていた。
「このまま海岸に出るけど、陛下は?」
「せっかくだからついて行くよ」
ふたりは疲れを見せずに歩いて行く。後に続く近衛騎士団も汗一つかかずにいた。
海岸につくころには、月が昇っていた。崖上にはフィアレスウッドが黒々と夜に沈んでいた。
「あれからひと月経つんだねぇ」
夜空に架かる望月を眺めて、エリンはしみじみと言った。この前月が満ちた頃、月夜の海岸で暴れたことを思い出す。
「まだひと月、もうひと月。どっちの感じもするな」
夜の波が岩に砕けて青白く煌めく。エリンは、滑りやすい岩場を慣れた足取りで進む。
「大した物だな。余は自信がない。ここで見ているよ」
「分かった」
リチャードと近衛騎士団が見守る中、エリンはヒョイヒョイと槍を動かしている。岩場に夜だけ上がってくる貝の一種を槍の先端で剥がし、跳ね上げているのだ。腰に提げた小さな籠に、さながらお遊戯の行列の如く、貝が一列になって吸い込まれて行く。
「楽しそうだなあ」
月の光に照らされて、まるで波間に遊ぶ海の精霊と飛沫の妖精たちのようだった。リチャードは自分でも気付かないうちに笑顔になっていた。
「陛下!」
エリンが槍先に引っ掛けた何かを急に放って寄越した。振り向きざまに流れる長い栗色の髪が潮風に波うち、仄白く浮かび上がる頬はふっくらと優しく、思いがけないあどけなさを醸し出していた。
「えっ、ああ」
投げられた物は湿ってはいるが、海辺のものにしては滑りのない塊だった。反射的に受け取ったものの、リチャードの視線はエリンの姿に縫い止められたように動かなかった。
「月夜苔だよ!」
いつもの明るい口調が、何故かとても魅力的な声に思えた。青年王リチャードは、波音が自分の鼓動にかき消されるような気がした。
「そのまま齧ってごらんよ!満月の岩場でだけ、急に膨らんで爽やかな味になる海藻だよ!」
「ああ、うん、ありがとう」
上の空で口に運んだそれは、ほのかに塩味が効いていた。リチャードは目を見開いて、まじまじと月夜苔を見た。
「ははっ、気に入ったかい?今夜はひとつしか採れなかったけど」
ピョンとひと跳びに戻って来たエリンが、槍を肩に預けている。
「気に入ったなら、今度また探しにこよう」
「ああ!またこよう!今度はもっと見つかるといいな」
リチャードは言いながら、ひとつと聞いてふたつにちぎった。
「あっ、ずいぶんと大きさに差が出てしまった」
言いながら、齧っていないほうをエリンに差し出す。
「こちらは小さいけど、齧ってないから」
などと言い訳もする。エリンはカラカラと陽気に笑う。
「いいよう、陛下。あたしは何度も食べたことあるからさ。今日は陛下が全部食べなよ」
リチャードは、訳もなくどぎまぎしながら、黙って頷いた。
翌日、残りの素材も森の周辺で手に入れると、エリンは柔和工房博物館に向かった。そこの展示品を使いたいと言うのだ。
「資料に書いてあった工程に必要なんだよ。あたしは持ってないし、城でも見たことないし、ソーングリフじゃ売ってない」
「展示品は古すぎないか?使えるのか?」
「大丈夫だと思うよ。見てみないと分かんないけどね」
一夜明けても、リチャードの目にはエリンが海の精霊に見えていた。声も海のように深く魅力的に聞こえる。
(なんだ、エリンはどうしたんだ?昼間なのに、昨日の夜と同じように幻想的だぞ?月の魔法にでもかかったのか?大丈夫か?海に魅入られたんじゃないといいが)
どうかしたのはリチャードである。エリンに関する心配は見当はずれだ。大丈夫ではないのも、トリガー朝最後のひとり、リーフィー国王リチャード1世のほうである。
「なんだい?ぼんやりして」
「あっ、悪い」
「嫌なこと、思い出しちまったかい?」
ここは、初めての回帰を引き起こした場所だ。10歳の時、祖父が送り込んだ暗殺者に襲われた現場である。
「いや、忘れはしないが、あの回帰は乗り越えた。それに、あの事件はまだ終わっていないと判ったからな。過去に囚われていたら解決できない」
今回相手にするのは、その事件の残党である。
「そうだね。目の前の事件をなんとかしないとね」
エリンの同意に励まされ、リチャードはきりりと顔を引き締めた。
博物館の職員たちは、国王の訪問に緊張していた。応接室で待っていると、館長が担当者を連れてきた。目的の工具を担当しているガブリエラ・ロセッティは、明るい栗毛のおとなしそうな女性だった。エリンたちより5、6歳は若そうだ。
「よく手入れされてるね。これ、ロセッティさんが管理してるのかい?」
「え?ええ、はい」
「使い方、知ってる?」
ロセッティ嬢は、訝しげにエリンを窺った。国王の訪問なのに、護衛が出しゃばっていることを不快にさえ思った。
「え?ああ、キャプションにもございますが、こちらの資料は」
ちらりと国王に目をやりつつ、ロセッティ嬢は解説を始めた。
「ああ、そう言うんじゃないよ。ロセッティさんは使えるのか知りたかったんだ」
エリンは、ロセッティ嬢が柔和工房の血筋のものなら、道具の製作を手伝ってもらおうと考えたのだ。
「え?つかう?」
「いいよ、悪かったね」
エリンは、バツが悪そうに一歩退がった。
「エリン、どうだ?使えそうか?」
国王はおっかなびっくり工具を手に取り、エリンに渡した。
「うん、ひとつ作るくらいなら充分だよ。長く使うなら、道具から作んないとダメそうだけどね」
「ひとまずはまあ、よかった」
「これ、持ち出せるのかい?」
「今手続きするから、ちょっとまってて」
ふたりのやりとりを聞いて、立ち会っていたロセッティ嬢と館長が目を白黒させた。
「ああ、館長、これ借りてくから、貸し出し帳お願いします」
「はっ、はいっ、ただいま。ロセッティ君、台帳お待ちして!はやく」
「あっ、はい、ただいま!」
ロセッティ嬢は慌てて部屋を出て行った。




