12 森へ
主君リチャード1世王が不機嫌になった。忠臣クレイグ・ゴードン卿は、慌てて発言の意図を説明する。
「あ、いえ、陛下。ヒルトップの息がかかった奴らも、単なる暗殺団員として処理なされたら良いのです」
エリンの表情から靄が晴れた。
「あっ、そうか。王朝交代の野望が残ってるんなら、叛逆罪の公表は、却って勢いを与えちまうかも知れないんだね?国王暗殺とか国家転覆なんて力を持ってる一族がいるとなりゃ、そっちにつく連中も現れるだろうし」
リチャードは憂鬱そうに肯首した。
「病弱な王族より頼もしいと思う連中はいるだろうな」
「相手の思惑がひとつじゃないってのは、やりにくいもんだね」
エリンは口をへの字に曲げた。
「単純にひとグループづつ切り離せば良いというものでもないしな」
リチャードは、読書室の窓から外を眺めた。晩夏の濃緑が揺れている。エリンの眼のほうが少し明るい色だな、とリチャードはぼんやり思った。
「何処と何処がどの順番で手を組んだのかは分かりませんし、それぞれの利害が何かしら一致して出来上がったグループとなると、複雑に事情が絡み合って、却って崩しにくそうですな」
「商団は、国土を売り渡そうとしている。奴らは儲かればなんでもいいからな。だが、ヒルトップの残党は、それに紛れて王朝交替を狙っている」
リチャードはクレイグの言葉を受けて、整理を試みた。
「その他の外国勢力は、何を商団に提供したのだろうな?」
3人が記録を始めた時には、反トリガー朝リーフィー王国同盟は既に手を組んだ後だった。今や取り分の相談も最終段階になっている。
ことの発端はおそらく、クーデターを目論むシュロスアードラーの軍部が、特殊な金属を手に入れたことだろう。近隣で得られる最高の武器は、リーフィー王国を本拠地とする商団が扱っている。商団は、隣国がクーデターを起こす為の武器開発を、利益の為に請け負った。だが、当然正規の手順は踏めない。リスクを盾に高値と武器専売権を勝ち取った。
「そこは解る。わかりやすい」
「エリンも、いろんな国でいろんな勢力が出し抜きあってるのは見てきただろう?」
「まあね。そう言うのは、少しわかる」
だが、諸外国が割り込めた理由がわからない。割り込みたがるのは理解できる。商団とシュロスアードラーの利益になるのは何なのだろう。陰謀は、知る人が少ないほど成就しやすいものだ。参加者が多ければ、利益も分散してしまう。
「混乱が大きければ、どさくさに紛れて玉座簒奪はしやすいよね」
「それはそうだが、商団長はヒルトップではないから、謀叛が起ころうが起こるまいが、同じことだろう?」
クレイグが指摘する。エリンは首を捻っている。
「全部の国が何かの専売権を約束したとは考えられないよね」
「商人が得することは色々と思いつくが、一番大きいのは何だろうなあ」
クレイグはひとつひとつ口に出して唱え始めた。
「潤沢な資金、関税の軽減、高級品の専売権、稀少な物品買い付けの優先権、職人の確保、店舗や流通手段の確保」
「理由は何であれ、リーフィー王国を滅ぼそうとしているのは確かだ」
リチャードが焦燥を見せた。
「一刻も早くシュロスアードラーと同盟を組まねばな」
「密使を立てないといけませんな」
クレイグが提案する。リチャードはそれを聞いて、候補者を思いついた。銀色の瞳がキラリと光る。
「クレイグ、遍歴時代にシュロスアードラーの王族と交流があったのではないか?」
「はい。友好使節団を盗賊から守る手伝いをしたんで、そのまんま護衛としてついていったのです。あちらの王族は下々の者にまで優しく、護衛の詰所をご訪問くださいまして、現王の弟君とは特にウマが合いました」
「今でも交流があるよな?」
「はっ、陛下。この老いぼれ、お役に立てて光栄にございます」
クレイグが城塞都市国家シュロスアードラーに派遣されて、しばらく奇書館へは入れなくなった。魔法使いにしか扉は開かれないのである。そのため、逆天鎖と雷鳴槍の調査は、一旦休止となった。
「次の襲撃に備えなきゃね」
回帰前は、予行演習が偶然実戦になった。ヒルトップの残党が一枚噛んでいる以上、あの道が選ばれたのは必然である。だが今回は、その日リチャードが現場に行かなかったので、まだ暗殺は実行されていない。調査は幸い気づかれていないようだ。こちらを侮っているため、雑談や通常の視察だと信じたのである。
そうなると彼等は、次の機会も場所を変えずに行うと予想される。相手は当然、武器に改良を加えて来るだろう。なにしろ、周辺諸国一の武器開発者と手だれの暗殺団、そしてシュロスアードラー軍が丸ごと関わっているのだ。用意周到に違いない。
「式典や視察と違って日時は決まってない。暗殺団は、クレイグ卿の休日に余があの道を通るのを待つようだが」
「それだって変更になるかも知れないねぇ」
「毎日あてもなく護衛や巡回を増やすわけにもゆくまいし」
「人員にも予算にも限りがあるもんねぇ」
「エリン、柔和機構に何か良さそうな道具はないのか?」
「すぐには思いつかないけど」
エリンは、新たに防御装置を作成することにした。
「奇書館にあった資料の中に、良さそうなのがあると良いんだけど」
「え、エリン、それ、いいのか?」
エリンは記録装置を起動したのだ。奇書館で閲覧した柔和工房関連資料が順に映し出されている。
「奇書館は持ち出し禁止だけど、写しは作ってもいいんだろ?」
「いや、知らぬ」
リチャードは不安そうだ。奇書館の掟を破って何か起きたら、対処できない。クレイグがいない今、冒険は避けたいのだ。
「まあ、大丈夫だろ」
「魔法に関わるものの扱いには注意が必要だ、とクレイグ卿にも言われたではないか?」
「記録を撮ったのは随分前だよ?今のところ何も起きてないから、心配しなくていいと思う」
「この先何かあったらどうするんだ」
「そんなこと言い出したらキリがないよ、あ、ほら」
押し問答の最中に、エリンは使えそうな装置の記録を見つけた。
「残念ながら設計図はないけど、けっこういろんな角度からの図があるね。説明もついてる。これなら作れそうだよ」
「防護服にも鎧にも見えないんだな」
「油断させて犯人を釣り出せるかも」
エリンが見つけたのは、使用者の周囲に皮膜を張る防護装置だ。身体の表面を流れる空気を振動させ、流動する風の膜が防刃服の役割をする。名称は風布杉。
「これを着用してる間は、一切物を触れないから注意して」
すべて破壊してしまう。
「分かった」
王様なので、扉の開け閉めなどはおつきにやらせればよい。だが、食事もできず馬車にも乗れないのは不便である。
「馬にも乗れないのだな?」
「馬が大怪我をするだろうね」
「力加減というか、出力調整は出来ないのか?」
「改良してる時間があるかどうか」
シュロスアードラーに派遣されなければ、老近衛騎士クレイグ・ゴードン卿の休日は、明後日である。犯行グループの計画では、その日が暗殺実行のXデイだ。クレイグ卿が暗殺団に足取りを掴まれるようなヘマをするとは思えない。犯人は、予定通りに襲撃してくるだろう。
「仕方ない。明後日を乗り切ったら改良に着手してくれ」
「そうするしかないね。図面起こして材料も集めなきゃなんないから、資料通り復元するのもギリギリってとこだよ」
柔和機構の製品は材料も特殊だ。フィアレスウッドで採れる木材や石材、森と接した崖下にある海岸で採れる資源や、地底湖付近の鉱石のみから作られるのである。地底湖へと続く洞窟も、フィアレスウッドの中にある。
フィアレスウッドには、かつて古代龍と森林霊が住んでいた。森にたまたま遊びに来た古代の龍が、その森の守護霊と恋に落ち、夫婦となったのである。共に暮らした2人の持つ魔法の力が混ざり合って、周囲の様々な物に染み込んだ。
ふたりの子供達は、古代龍の知識と森林霊の器用さで、次々と便利な道具を開発した。住んでいる場所にある身近な物で作ったので、素材は全て森で手に入る物であった。
「今から素材を採りに行きたいんだけど、護衛業務はどうしよう?契約では、起床から就寝まで、休日はクレイグ卿と重ならない日、だったよね?」
クレイグ卿が密使としてリーフィー王国を離れている間、エリンは休めないということだ。
「護衛対象と共に行動すればよい」
「え、着いてくんのかい」
エリンが戸惑った。リチャードの瞼が残念そうに少し下りた。
「素材の採集場所は秘密なのか?」
「いや別に、普通に歩いてても見つかるけど、けっこう足場が悪いし、虫も多いと思うよ」
リチャードは元気を取り戻す。
「虫くらい大丈夫だ。フィアレスウッドに猛獣や猛毒の生き物はおらぬであろ?」
「いないとは思うけどね。急に出て来る場合だってあるんじゃないのかい?」
「そのようなことを言い出しては、何も出来ぬ」
エリンは根負けした。結局、密かに護る近衛騎士団を引き連れて、ふたりはフィアレスウッドへと出発した。
柔和工房博物館を通り過ぎ、森の奥まで分け入ってゆく。人が殆ど来ないところで、道はなく薄暗い。木々の下枝もそのままである。鳥や小動物たちの声が響く。姿の見えない生き物たちが、ガサガサと枝や葉を鳴らす。
「この大樹は見覚えがあるぞ」
一際歳経た古木があった。硬くなった樹皮、太い幹、鳥が顔を出す洞、捻れた枝、重なり合い分厚く繁るギザギザの葉。
「陛下、こんな深くまで来たことがあるのかい?」
「幼い頃、祖父ヒルトップ公と共に探索を行ったのだ」
「小さい子には、危険だと思うんだけど」
リチャードは皮肉な笑みを浮かべて続けた。
「朝からどんよりと曇っていて、この辺りに着いた時にとうとう雨が降って来てな」
エリンはなんとなく察した。
「祖父と逸れてしまったんだが」
「ああ、やっぱり」
「はは、今思えば、そういうことだったんだろうな」
エリンには、掛ける言葉もなかった。
「運良く洞窟を見つけて、雨宿りができた」
リチャードは淡々と語った。
「そこで緑色のペンダントを拾ったんだ」
「逆天鎖」
「その通りだ」
話が一区切りして、ふたりは再び歩き出した。
「その洞窟は、この近くかい?」
「多分な。子供の脚では遠く感じたが、近いところにあるのだろうな」
「近くに洞窟はあるよ。もうちょっと遠くにもある。でも、きっと近いほうだと思う。雨が降ってきて、祖父ちゃんと逸れたら、そりゃちっちゃい子には心細くて、うんと遠くに感じたろうよ」
エリンの声に同情が滲む。リチャードは、心が幾分軽くなるのを感じた。エリンもまた、クレイグ卿のように信頼のおける相手になっていたのだ。年齢や性別を超えて安心して話ができる仲間がいるのは、とても心強いことであった。
(クレイグ卿もエリンも、広い世界を見て来た人だからな。器が違うのだろう)
リチャードは王であるし、血縁者からは命を狙われた。ペットも飼っていない。馬には乗る時もあるが、城の外へは主に徒歩か馬車で行く。リチャードは10歳の時からクレイグ卿と下町を歩き回っていたので、馬より徒歩が好きだったのだ。だから、ただ気が合うものが存在する、という事実には思い至らなかったのである。
リチャードは気のおけないふたりのことを、ずば抜けて人間が出来た者だと誤解した。むしろ、ふたりは抜きん出た個人主義者なのだが。ふたりとも気に入らないことはしないし、おとなしくルールに従うようなタマでもなかった。




