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プロローグ: 果てなき復讐

挿絵(By みてみん)





 稲妻が嵐の夜を切り裂いた。雷の轟音が響く。血走った目を見開いた背の高い女が、闇夜の城に一瞬だけ浮かび上がった。石造りの廊下には、血溜まりが出来ている。女の手にした武骨な鉄槍からは、ポタポタと緋色の雫が垂れていた。


「ふーっ、ふーっ」


 女は目を見開いたまま息を吐き出していた。視線の先に倒れた大男を油断なく見守っている。稲光に照らされた男の顔に浮かぶのは、呆気に取られた表情だった。既に動くことのない眼球には、銀色の睫毛が影を落としていた。


 女がハッと眉を顰める。ガシャガシャという鎧の足音が聞こえたのである。


「なぜ」


 槍の穂先を物言わぬ骸に向けたまま、女は突き当たりの細窓から外を覗く。一群の松明があかあかと揺れていた。遠くから衛兵が駆けて来る。この廊下は、半分崩れたまま放置されていた旧王妃館にあった。王城内部に建てられているため、防犯上周囲の見通しは良い。だが、館へと続く広い石畳にはひび割れが目立つ。かつて華やかだったモザイクも欠けてしまって見る影もない。ここで異変があっても気づかれぬ筈なのだ。


 昔、王妃マーガレット・テンダー・トリガーが一の姫を産んだ朝、この館は惨劇と共に廃墟と成り果てたという。館にいた者全てが、無惨な姿で発見されたのだ。館の主は身分が身分である。徹底的な調査が行われた。国王夫妻が有名な鴛鴦夫婦だったこともあり、国民もこぞって捜査に協力した。しかし、犯人の痕跡はただの一欠片も見つからなかった。そうして月日ばかりが過ぎて行き、とうとう100年余り経ってしまった。ある者は呪いだと言い、またある者は政敵による暗殺だと噂した。今では歴史の授業にも取り上げられる有名な悲劇である。



 死骸の胸元で何かが光った。大男の寝巻き(ナイトガウン)は、白い絹のワンピース型だ。致命傷となった喉を始めとする数多の傷口が、鮮血のシミを作っている。その布の下から、点滅する黄緑色の光が漏れ出したのだ。


柔和機構(テンダーアート)か?」


 遥かな昔、柔和工房(テンダーワーカーズ)というからくり工房があった。跡地は博物館となっている、実在が確認された工房だ。現代に後継者はおらず、発掘された工房には不思議なからくり細工がいくつか遺されていた。そこで発見された製品が柔和機構テンダーアートと呼ばれている。


 起動方法は未だに研究中だが、設計図が公開されている製品もある。動力が特殊で現代技術では再現できないのだ、と考えられている。現在展示されているのは、発見された物のうちごく僅かだ。多くは研究中として非公開なのである。強力な効果を持つ物は、王族が秘匿していると噂されている。



「緊急信号でも送っているのだろうな」


 女は忌々しそうに呟くと、勢いよく走り出した。突き当たりから右を向けば、回廊へと出る出入り口がある。扉は朽ちて、今は石壁に穴だけがあいていた。2階の回廊は、吹き抜けを一巡りする造りだ。壁を隔てたこの廊下へは、二箇所の扉で繋がっていた。


 吹き抜けになっている玄関ホールが闇の底に沈んでいる。回廊から伸びた大階段が、闇溜まりのようなホールへと導く。これは、来る時に上がってきた幅広の大階段である。大階段を降りるのは避ける。衛兵たちと鉢合わせになるのを防ぐためだ。女は朽ちた扉を蹴破って、飛ぶように裏階段を降りてゆく。王妃が生きていた頃は、豪華なタピスリーで隠されていた扉であろう。床に織物の残骸が落ちていた。



 凶器の鉄槍は背中に固定し、女は両手を開けてひた走る。


(捕まってたまるか!20年の努力が水の泡だ)


 地下道の湿った土に足跡が残る。


(くそ、思ったより跡がつく)


 女はギリリと歯を食いしばる。悔しいが、今は足跡を消している暇がない。足音に驚いた鼠が騒ぎ出し、女の殺気に虫が逃げ惑う。これだけ騒がしくなれば、駆けつけた衛兵は迷わずこの地下道へと下りてくることだろう。


(捕まれば、頭のおかしい暗殺者になってしまう。100年の呪いとされなくてはならないのに)


 地下道の天井が低くなる。女は素早く這い進む。出口の小さな扉を押すと、黄緑色の靄に視界を遮られた。


(なんだ?)


 女の意識が遠のいてゆく。



(はっ!)


 女は跳ね起きた。質素な小屋の粗末な寝台である。部屋の中はがらんとしていた。壁に打ちつけた鉄釘に着替えがかかっている。その脇には安物の鉄槍(てっそう)が立て掛けてあった。小さな木のテーブルの上に木箱がひとつ載っている。中にはリンゴがひとつだけ。


(どういうことだ?夢だったのか?)


 逃走の準備を整え、朝食べるリンゴを残し、後はまるごと処分した小屋だ。昼にありつければ恩の字な暮し向きだった。だから、処分するようなものは元からたいしてありはしなかった。それでも、流石に調理器具や多少の修繕道具などはあったのだが、すべてを逃走資金に変えていた。


 それは、銀髪の国王を刺殺した日の朝と寸分違わぬ状態だった。


(緊張しすぎて悪夢を観たか)


 女は、この日のために20年間準備をしてきた。五歳の時に一族の秘術と怨みを受け継いで以来、一日も休まず研鑽を続けたのだ。


(なにが鴛鴦夫婦だ。わが一族の秘術を狙って、一族の天才を騙しただけの癖に。惨劇の後100年もの間、調査という名で生き残りを探し続けている。それほどまでの妄念に囚われた王族めが)


 鉄槍の柄には、よく見ると何か文字が彫られていた。それは、博物館に保存されている、古代工房の看板と同じ文字だ。「柔和工房(テンダーワーカーズ)」「天雷槍(パニッシャー)」と書いてある。この文字は、古代魔法文明の叡智を刻む為に使われた。当時はただ文字と呼ばれていたようだが、現代の研究者たちは、「古代魔法文字」と呼んでいる。


 柔和工房のからくりは、刻まれた文字が欠けてしまうと動かなくなる。研究者は、この原理を説明した文章を古代外国人の紀行文から発見した。その紀行文では、この技術を「魔法」と呼んでいた。そこで研究者たちは、からくりに刻まれた文字を「古代魔法文字」と名付けたのである。



(今日で終わりだ。100年前に惨殺された王妃の呪いで、この国の王族は滅びるのだからな)


 現在の王室は、お飾りのようなものである。魔法があった上古の夢に縋りつき、現実の内政も外交もそっちのけにしているのだ。国の実権が大臣や軍人に移るのも無理はない。


(王家が呪いで滅びれば国民は不安になるだろうが、中枢部がしっかりしているから、国は安泰だろう)


 王族が弱体化しても、玉座を脅かす者は現れなかった。不思議なことに、この国は代々クールな家臣が多かったのだ。王族も、100年前の愚王が現れるまでは、冷静で公平な小国の君主一族だった。だが、たったひとりの暗君によって、王族の気風も変わってしまったのである。


(我等一族は100年かけて愚王の血族を減らしてきた。現王の息の根を止めればひとりも残らない)


 現王は歳若く未婚である。最後の一人は呪いで息絶えたことになるだろう。そうなるような演出を、抜かりなく用意してあるのだ。それをきっかけに100年前の真相が知れ渡れば、王朝交代も容易いに違いない。家臣団は進歩的だから、王政そのものが無くなるかもしれない。


(どのみちあたしは国を出るから、どうなろうと知ったことではないのだがな)



 その夜、女は鉄槍を背に王城へと出かけた。あらかじめ警備の手薄な時間は調べてある。旧王妃館に近い城壁も分かっている。女は闇に紛れて軽々と壁を登り、音もなく王城の庭に降り立った。そのまま影の中を走る。旧王妃館に着くと、2階の廊下へと向かう。突き当たりのくりぬき窓から鉄槍を突き出し、空中になにか文字を書いた。待つこと1時間ほど。夜空を雷雲が覆い、寝巻き姿の現王が夢遊病よろしく旧王妃館へとやってきた。


「来たな。天雷槍(パニッシャー)が裁くべき罪人を呼び寄せる力に抗える魂はない、という口伝は本当だった」


 ふらふらとおびき寄せられた王の白い服が、旧王妃館の暗闇へと吸い込まれてゆく。崩れかけた階段が、大男の足元で軋む。一歩、また一歩と漆黒の中を進んでゆく。大階段を昇りきり、石造りの回廊へと足を踏み入れた。足元は柔らかな室内履きだ。天雷槍の呼んだ嵐に濡れている。



 女は、細い窓を背に狭い廊下の突き当たりで待ち構えていた。


「やあーっ」


 女は王へと槍を繰り出す。王が素早く身を横にして、女の傍をすり抜けた。


「ちいっ、今朝の悪夢と同じかっ!」


 王は夢うつつでありながら、ひらりひらりと槍を躱す。大男なのに身軽なことだ。女は腕を広げて、槍の両端付近を握っている。片手は穂先の近くに、片手は石突の近くに。脇を締め身体にピタリと槍をそわせている。標的との距離は、時に拳一つ分にも満たない。王は身を躱すだけで応戦しないので、女は退がることなく攻め続ける。穂先は常に王の喉元を狙っていた。


 くるくるとふたりの位置が入れ替わる。寝ているはずなのに、王は突き当たりの窓から飛び出そうとした。2階の窓であるが、旧王妃館は斜面に建っているため、地面までの距離は近い。女の槍が落下する王を追う。手の中で柄を滑らせる。女は手を揃えて槍の石突ギリギリを持つ。槍の穂先は開いた距離を瞬時に詰める。だが空中では逃し、二度目には身を捻られて肩を掠めるに留まった。躍起になって繰り出す槍は、窓に取り付けられた鉄柵の隙間を正確に突く。落ちながらも身を捩る王の動きに従い、右の隙間、左の隙間、更に隣の隙間へと槍は素早く移動した。王の襟元が穂先に引っ掛かる。


「えいっ」


 女は腰を落として腕を大きく振り上げた。鉄槍がうなりを上げて、先にぶら下げた王を建物内部へと放り返した。


「てやーっ」


 女の握る鉄槍は、時に王の皮膚を掠り、髪を切り、手脚を穿つ。槍は鋭い風切音を立てて、まるでその女の腕の一部であるかのように自在な動きを見せていた。槍の穂先がついに標的の首を貫いた時、王の胸元で微かな光が点滅を始めた。倒れた大男の肩に足を掛け、女は槍を引き抜いた。返り血を気にも留めず、女は大きな王の寝巻きを切り裂いた。


「これだな?」


 胸元には、黄緑色の光を放つペンダントが下がっていた。悪夢の中で見た光と同じである。表面には古代魔法文字が彫られている。


「やはり来るか」


 こちらも夢の中で見た通り、衛兵の足音が聞こえたのだ。一族の遺品である柔和機構を、仇の亡骸に持たせたままにはしておけない。女は急いで王の亡骸からペンダントを奪い取り、裏階段へと走った。



「なんでだ!」


 地下道の出口で黄緑色の靄を見たあと、女は再び何もない小屋で目を覚ました。


「通報装置じゃ無かったのか?もしや、回帰蘇生装置か?でもなんであたしに回帰前の記憶が残っている?」


 それも疑問ではあるが、女にはもっと気がかりな問題があった。


「これじゃ、いつまで経っても100年来の復讐が終わらないじゃないか!」


お読みくださりありがとうございます

この下に挿絵がございます









呼び寄せられる王

挿絵(By みてみん)



待ち構える復讐者

挿絵(By みてみん)

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