第六話.あの日のこと
私が家に早く帰ってくるのを知っていたのか、お母さんは玄関前で「ただいま」の声を出す前に急に抱きしめられた。
洗剤の匂いが残るエプロンから見上げる私に、申し訳なさそうな表情を見せる。
「賢治……しばらく旅館に行くのを止めてほしい」
私の両肩をつかみ話すお母さんの目は、涙目になっていて「ーーうん」と素直に頷いた。
「本当にわかったの? お爺さんと暫く会えないのよ?」
聞き返してきたのは、私が反対すると思っていたからだろう。でも今はむしろ会いたくなかった。
お爺さんが遊ぶ約束を破ったこと。
大人に内緒でテレビに触ったこと。
そして何より、お爺さんが泣いている姿を見てしまったこと。
幼い私でも、なぜか顔を合わせづらくなっていて、お母さんの言葉は逃げ道となったからだ。
お爺さんが泣いていた日から「お腹が痛い」「頭が痛い」と嘘をつき、幼稚園も休み、家で過ごす日が続けていた。それほどショックだった。
そんなある日、お母さんは「旅行に行こうね」と言って荷物をまとめ始めた。
車に荷物を詰め込み、夜が明ける前に出発するが、車の中は妙に静かでお母さんはラジオもつけず、口を一文字に結んで前だけを見ている。
いつもの旅行みたいに「楽しみだねー」って笑わないから、私は何も聞かなくても〝旅行じゃない〟と幼心に気づいていた。
ーーそう、ただ私は別の街に引っ越しただけだった。
新しく住む場所は、それなりに栄えていたが、自然が少なく家も狭く、前の家に帰りたがる私にお母さんは「〝ほとぼり〟が冷めたら戻れるからね」と、口癖のように言い続けていた。
その時に、母がいつも寂しそうな表情をするのが嫌で、私はずっと〝ほとぼり〟の意味を、調べることをしなかった。
知ってしまうのが怖い気がして、「熱いスープか何かだろう」と、バカみたいなことだけ考えるようにしていた。
今までと真逆の生活が始まった。
私の性格は変わり、小、中学校を不登校気味に過ごしたため、内申点はボロボロ。高校へ入学する頃には、旅館の記憶を思い出すこともなく、〝ぼく〟から〝私〟という一人称を使用するまで成長していた。
母と二人三脚で生活を続け、就活で初めてネクタイを結ぶ練習を鏡の前で悪戦苦闘していると、ネクタイをビシッと締めていたお爺さんの姿が脳裏に浮かんだ。
――そういえば、あの日は何で沢山のスーツ姿の人達が来たのだろう?
本当に何気なく、いつもと同じようテレビを観ていた母に話を聞いてみる。
「母さん、小さい頃だけど旅館に遊びに行ったら、スーツ着た人が沢山降りてきて、名前を書かされたことあったけどアレ何だったの?」
言い終わった後に母の動きがほんの一瞬止まるのがわかった。。
何も気にしてない様な顔をして振り向いた母は冗談めいた口調で語り始めた。
「あー、あの頃は大変だったわね。もう時効だから言うけど。まあ……お爺さんは悪いことをしたのよ」
「悪いことって?」
「……何をしたかって? 簡単に言えば脱税だね」
あっけらかんとすごい話を打ちあけ、あまりの衝撃に開いた口が塞がらない私と対照的に、母はまるで堰を切ったみたいに話し始めた。
「私も人づてに聞いただけだけど……マルサの人が、一人で一千万持ってかれるって言っていたから、何千万か何億か払っただろうね」
早口で、どこか楽しげにさえ聞こえるその声は、ずっと私に話したかったのだろうと思い黙って聞き続けたーー狭い田舎町だからこそ、そのまま暮らすことで受ける村八分の現実や、私が学校でいじめられる前に、この街へ急に引越しをしたこと。
お爺さんは、その後も旅館の経営を続けていたが三年程たった時、体調を崩し病院に入院生活することで旅館を廃業したことを。
当時の『ぼく』ではわからなかった事が、今の『私』なら理解できてしまう。その日、全ての疑問が綺麗に埋まっていった。
そこで初めて、旅館を追うように、お爺さんも〝人生をたたんでいたこと〟を知ったーー。