第三話.おおきな旅館
そういえば――、きいろいジュースだけじゃなく、ラムネの日もあった。
私が瓶の中のガラス玉を、いろんな場所にかざして眺めて楽しむ。その姿にお爺さんは「そんなに好きなら――」と松の根元を掘って、ガラス玉をそっと埋めてくれた。
「ここに隠しときゃ、いつでも取れる。ガラスは腐らんから大丈夫や」
「ガラスって腐らないの?」
「ああ、ガラスやプラスチックは腐らへん。形が変わらんのや。わしらより長生きするわい」
「他にも変わらない物ってあるの?」
「そうやなぁ……また今度、ここに隠して教えたらぁな。ん? 賢治、もう飲んだか。欲しかったら赤い冷蔵庫から好きなだけジュース飲んだらええ」
嬉しいいな。でも、なぜ好きなだけ飲んでいいのだろうと、お母さんに聞いたことがある。
「お爺さんの旅館に、何であんなにジュースが置いてあるの? ジュース好きなの?」
母は笑って答えた。
「フフフ、お爺さんの旅館にはね、旅行にきた人たちが贅沢できるように、子どもやお酒を飲めない人のために沢山飲み物が置いてあるのよ」
「ふーん、じゃあ僕が子どもだから、いっぱい置いてくれているのか」
「そんなわけないでしょ。お爺さんが何て言ったか知らないけど、一日一本だけにしときなさい。そして必ず、ありがとうって感謝しなさいね」
「うん、わかった!」
――口では、そう答えたが、正直、その時はよく分かっていなかった。
ただ、これだけははっきりと言える。
お爺さんは、かっこよくて、優しくて、私が世界で一番好きな人だということだ。
幼少期の記憶だからかもしれないが、お爺さんの旅館は凄かった。今風に言うと、テーマパークみたいに見えて、とにかく楽しかった。
通っていた幼稚園の入り口より、ずっと大きな扉をくぐると、まず左側に大きな水槽が目に飛び込んでくる。絵本でしか見たことがない色とりどりの魚たちが泳ぐ姿は、時を忘れ見入ってしまう。
右側は『受付』と書かれた部屋があり、その奥には旅館で働く人たちの休憩室があって、チェックインを済ませたお客さんは、少し先へ進むと、ロビーと客室、それから厨房へと続く分かれ道。そこで大きな熊の剥製と対峙することになる。
私は、その開いた口のキバが怖くて、いつも目を逸らしていたけれど、お客さんたちは平気な顔でその前を通り過ぎると、三段だけの階段を上がってロビーでくつろぐのだった。
もちろん、覚えているのは旅館の中だけじゃない。
お爺さんと一緒に過ごした出来事の一つ一つを、今でもはっきり思い出せる。
昼間の誰もいない宴会場で、お爺さんと新聞紙についてくる広告を全部使って、どっちが遠くまで紙ヒコーキを飛ばせるか競争したこと。
中庭の生簀では、まるで大根みたいに太った鯉を網ですくわせてもらって、暴れる鯉に大はしゃぎしたこと。
お客さんが入る前の、何十人も入れる大きな岩のお風呂に、二人だけで入ったこと。
お母さんに内緒で、二本目の黄色いジュースをこっそり飲ませてくれたこと。
初めて二階へ上がるとき、私が薄暗さにおびえているのを見て、何も言わずにサッと手を握ってくれたこと。
数えきれないくらいの、楽しい思い出が詰まっている。今思えば、本当に贅沢な時間を過ごしていたのだ。
――あの日までは。