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8 やまさく

今日は4月17日。

雲ひとつない青空が、障子越しの光となって部屋に差し込んでいる。


「おはよう、愛梨」

柚葉の声に目を覚まし、枕元の小窓から見える新緑の山々に一瞬だけ安らぎを覚える。

時計は朝の8時を指していた。


私たちは硝子戸を開け放った先の露天風呂へ向かう。

まだ朝露が残る庭園を通り抜けると、薄い蒸気とともに土と苔の匂いが鼻をくすぐる。

湯気に霞む檜の湯船にゆっくり腰を下ろし、肌を撫でる温泉の熱が体中にじんわり広がる。


「はぁ……やっぱり温泉はいいね」

柚葉がぽつりとつぶやきくが、自分に言い聞かせるために言ってるように聞こえた。


やがて浴衣に着替え、食堂へ。

木製の長い廊下には、朝の静寂を切り取るように鳥のさえずりが響く。


朝食の間は窓際の席に通され、山菜と焼き魚、ほかほかの白ご飯に香り高い味噌汁、色とりどりの漬物が並ぶ。

湯上がりの身体に、塩気の効いた焼き魚の旨味が心地よかった。


けれど――箸を置くたびに、胸の奥のざわめきが大きくなる。

本来なら爽やかな朝のはずなのに、明るい気分にはなれない。


村田さんがもうこの世にいないこと、そして『人造人間』の真実。

それを思い返すたび、温泉の湯気も、山菜の香りも、遠い世界の出来事のように感じる。



朝の用意を諸々済ませると、時間はもう9時半だった。

チェックアウトまで30分ほど時間がある。


柚葉は部屋の隅に置かれた村田さんからの皮のトートバッグをそっと抱え寄せた。

彼女は中身を一つずつ畳の上へ並べていく。

最初に取り出されたのはスマホが二台。

つづいて、薄型の持ち運びWi-Fiルーター、手のひらサイズのタブレット、折り畳み式の太陽光充電器。

さらに、小型のポケットナイフ、懐中電灯、ペン型録音機、GPSタグと、小さなブザーを内蔵したセンサー式アラームが出てきた。


私はひとつめのスマホを手に取り、裏面には小さな付箋が貼られてい流ことに気づく。

『別名義で契約中、追跡リスクなし』

太めの黒いペンでぎゅっと書き込まれていた。


私はスマホを起動してみると、デフォルトアプリしか入ってない。

まるで新品そのものだ。

だが連絡先を開くと、自分の番号、柚葉用の番号、そして見慣れない一件が並んでいた。

ラベルはローマ字で〈Anvls〉。


「あんゔるす?あんゔぃるす?」

読み方に戸惑う私の肩越しに、柚葉が覗き込む。


「なんだろう、それ」

少し困惑しながら、顔を見合わせた。



私たちはさわやかな朝風を浴びながら、チェックアウトをするべく旅館のフロントに向かう。

「ここからは任せて」

柚葉は得意げな顔で会計を済ませる。

「おっ、あざす!」


私たちは旅館を後にして、桜江町の北へと歩き出す。

目指すは、山田桜江孤児院だ。


ほどなくして江の川を渡る橋が見えてくる。

川面には早朝の光がちらちらと踊っている。

私たちは川を渡り切り、国道沿いの歩道をまっすぐおよそ15分進む。


やがて、青いローソンの看板が目に入る。

店内に入ると、ずらりと並ぶお弁当やお総菜が目を引く。

私は真っ先に大好物の三色そぼろ丼を探したが、代わりに見つけた二色そぼろ丼をカゴに入れる。

さらに、長い1日に備えて使い捨ての手袋とウェットティッシュも手に取る。



コンビニを出てからさらに5分ほど歩き、右手に深い緑の山影、左手にゆったり流れる江の川を見送りながら、国道を外れて細い市道へと入る。

国道からひと筋それた市道は、アスファルトの継ぎ目に苔が生え、ところどころに小石が転がる。


やがて、木造2階建ての廃屋が視界に入る。

崩れかけた瓦屋根の隙間からは空が覗き、引き戸は半ば外れ、板張りの床が家の奥へと続く。

前庭の錆びた門には、『山田桜江児童養護施設』とペンキがかすれた看板が打ち付けられていた。


「よいしょっと」

柚葉は門の裏に手を伸ばして錠を外し、軋む鉄の扉をゆっくり引いて見せる。


私たちは網目模様に絡まるつたをかき分けながら門をくぐり、広い前庭へと足を踏み入れた。

目に飛び込んできたのは、一見して民家のような建物と釣り合わない、本格的な遊具たち。

小ぶりながらも堅牢に作られた滑り台、木製の砂場、ブランコの支柱

――かつてここで遊んだ私たちの笑い声が、今にも聞こえてきそうだ。


幼い日の思い出が胸に迫る。

院長先生は、いつも優しく微笑んでくれた。

嘘をついたり危ないことをしたりしたときだけ、本気で叱ってくれる、お父さんのような存在のおじいちゃんだった。


しかし今は、つたに覆われた遊具が、残酷な時の流れを醸し出している。


やまさくは、私たちが高校に進学する前に、院長先生が亡くなって閉鎖された。

それ以来このような廃屋になってしまっている。


「誰かいますかー?」

柚葉が先陣を切り、小声ながらもはっきりと呼びかけた。

廃墟の静寂を破るような声が、軋んだ木の床にこだまする。


「…誰もいないみたい」

私のほうを振り返り、柚葉は肩をすくめた。


躊躇いながらも建物の中へ足を踏み入れると、床がキィキィときしんだ。

薄暗い廊下は、子どもの頃のままに絨毯が敷かれている。

私はその端をめくり、落とし戸がないか念入りに探すが、特に何もなかった。


「うーん、同じだね」

柚葉は外と中を行き来しながら、どこか不自然に部屋割りが合わないところはないかを確認する。


そのとき、私はふと閃く。

「あ、院長先生の部屋かもしれない」


10年以上住んでいたのに、あの部屋だけは厳重に立ち入り禁止で入ったことがなかった。

もしそこに隠し部屋があるなら、気づかなかった理由に合点がいく。


私たちは一階のリビング脇、最も奥まった扉へ向かった。

扉は古びた木製で、ドアノブがくすんでいる。

緊張と期待が入り混じる中、私はゆっくりと手をかけた。

だが確かに鍵がかかっている。


「蹴り開ける…?」

柚葉は眉を上げながら横目で私を見て言う。

「やっちゃいますか」

「じゃあせーので」


「せーの!」

――ドンッ!

二人で息を合わせ、扉の右側をめがけて勢いよく体重を乗せた。

扉は開かなかったが、ロック部分からはいかにも乾いた『メキッ』という音がした。


「もう一回!」

――ドンッ!

木材が軋み、ついに扉は勢いよく押し開かれた。


暗闇が吹き抜け、外側の光が埃を浮かび上がらせる。

院長先生の部屋は狭く、窓が一つもないためなおさら闇が濃い。

壁紙は色あせ、ところどころ剥がれ落ちている。


私たちは村田さんから預かった懐中電灯を取り出し、スイッチを入れた。

柔らかな光が部屋の隅々を照らし出す。


右手には天井まで届きそうな押し入れ。

手前の隅には、小さな仏壇が静かに佇み、院長先生の妻の位牌が並んでいる。

正面の壁には横幅1メートルほどの棚が掛けられ、本やレコード、古い写真立てが無造作に置かれている。

左側の壁には、人ひとりがようやく横たわる程度の小さなソファが寄せられ、その前にはひとつのサイドテーブルだけが置かれていた。


「なんか、不気味だね」

「うん」

確かに窓がないからか、不気味な感じがする。


「まずは地下室がないか確かめよう」

そう言い、私はわざと足音を響かせながら部屋の周囲を一周した。

木の床をコンコンと叩くが、空洞を感じさせるような反響は一度も返ってこなかった。


「地下室とかはなさそう」

「そうっぽいね…」


「あそこは?」

柚葉は押し入れの前へ歩み寄り、指を差しながら言った。

そして引き戸を開けると、中には工具箱や登山用の小物、使い古されたキャンプ用品が雑然と積まれていた。


下段には、年季の入った布団が丸めてある。


「うわっ、これ…カビ生えてるよ!」

柚葉はそう言いながら、思わず口元を手で覆い、少し後ずさった。


「それはなかなかの強敵だな」

私は先ほどコンビニで買った手袋を取り出し、自分の手にはめる。

ついでにTシャツの襟元をグッと引き上げて鼻と口を覆い、カビの胞子を吸わないようにする。


「布団を出して、奥の壁を叩いてみるね」

そう言うと、柚葉柚葉は『頼む!』みたいな合掌ポーズを取る。


柚葉は若干潔癖症みたいなところがあり、対して私は全く抵抗がない。

昔、やまさくでゴキブリが出た時も同じように柚葉は合掌ポーズを取り、私が特に気にすることなくゴキブリを捕まえたことを思い出す。


私は布団をそっと引きずり出し、横に置いた。

そして足だけを押し入れの中に滑り込ませ、壁と床をコンコンと叩く。だが、そこからも空洞がありそうな反響は返ってこなかった。


「うーん何もなさそう」

「ないかー…」


次に柚葉がソファを動かし始めた。

彼女も手袋をはめ、ゆっくりと重いソファをずらしていく。

「こっちも、ないなー」と呟く。


私は棚のほうへ近づいた。

そこには、幼い頃の私、柚葉、院長先生が仲良く写った写真立てが並んでいる。

懐かしさで手を伸ばし、そっと縁に触れると、写真立てがネジでがっちり固定されていることに気づく。

レコード立ても全てが固定されている。


「ゆず、この棚の全部固定されてるみたい」

「え、どういうこと?」

柚葉も近寄り、ネジ止めされた金具を確かめる。


「ちょっと、棚ごと動かしてみようか」

「わかった」


私が棚の右側から体重をかけ、柚葉が左側を引っぱる。

すると、棚の裏から隠された扉が現れた。


「隠し部屋…本当にあった」

これは朗報でも悲報でもない。


私は埋め込み式の小さな取っ手を握り、そっと扉を押し開ける。

鍵がかかっていない扉は、ぎい、と音を立ててゆっくりと開き、その向こうに真っ暗な空間をのぞかせた。

持ち物

・ノートパソコン

・使えるスマホ

・充電器

・ノートと教科書

・ペッパースプレー

・着替え(シャツ、ズボン、下着、靴下x2)

・帽子

・メイク用品(化粧水、日焼け止め下地、パウダー、アイブロウ)

・持ち運びWIFI

・タブレット

・太陽光充電器

・ポケットナイフ

・寝袋

・懐中電灯

・ペン型録音機

・GPSタグ

・センサー式アラーム

・手袋

・お弁当

・財布(貯金:337,787円)

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