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6 桜江町

目が覚めたのは朝の9時ごろだった。

「んー……よく寝た……」

完全に倒されたリクライニングチェアで寝返りを打とうとして、壁にぶつかった。

「いたっ……」


当然ながら寝心地はベッドには到底敵わない。

それでも、十分に深く眠ることができたようだ。


ぼんやりと耳を澄ますと、すでに外は多くの人の足音で賑やかになっている。


「今日は長い日になるぞーー」

これからの一日を想像し、私は少し気合を入れるために朝のシャワーを浴びることにした。


「広島にいるのはバレてるから油断はできないけど…久しぶりに柚葉に会えるんだよね」

不安とワクワクが混ざった不思議な気持ちを抱えながら、シャワーを浴びる。

温かいお湯が身体を流れていくにつれて緊張が少しずつほぐれていった。


簡単に日焼け止めとアイブロウだけで手抜きメイクを済ませ、受付で販売している歯磨きセットを購入し、歯を磨く。


「時間に余裕があるっていいなぁ……」

普段なら15分もあれば身支度が済むところを、今日は50分もかけてゆっくり準備を整えることができた。


荷物をまとめて受付で清算を済ませる。

6880円。すごく良心的な値段だ。


私は帽子を深く被り直し、予定通りの時間にネカフェを後にした。

逃亡中の今では、5分前行動などはむしろ危険でしかない。

まあ、普段からそんな几帳面なことはしないが。


外に出てからも、常に周囲を警戒しながら昨日以来の八丁堀駅へ向かう。

駅に着くと、手に持った路線案内の紙と電車の時間表を慎重に照らし合わせた。


「これだな……」

私は小さく独り言をつぶやき、ホームへと急いだ。



準備を万全に整えたおかげで、スマホが使えないという不便さも全く気にならず、スムーズに目的地へ近づくことができた。

高速バスが到着したのは、『道の駅インフォメーションセンターかわもと』という、島根県川本町にある山間地域の施設だった。

時刻はちょうど昼の12時を過ぎた頃だ。


「ふぅ……」

私はバスから降りると、大きく深呼吸をした。

澄んだ山の空気が胸いっぱいに広がっていく。

やっぱり田舎の空気はおいしい。


ふと見上げれば、周囲には緑豊かな山々が穏やかに連なっている。

この場所を訪れたのは初めてだが、『因原』という地名はまったく知らないわけではなかった。

ここは、かつて中学生の頃に使っていた電車の停車駅のひとつだったからだ。


「名前だけは聞き覚えがあるけど、来るのは初めてだな……」

私はぼそりと呟きながら、周囲をゆっくりと歩いて回った。

しかし、次に乗るバスは13時半にならないとやってこない。

1時間半という微妙に長い時間を、このインフォメーションセンターで過ごすことになった。



時刻は13時20分。

私はバスの到着予定時間の10分前に、余裕をもってバス停の前で待機する。

先ほど5分前行動が致命的だとか言ったが、こんな山奥であれば流石に追手は来ないだろうから、きっと大丈夫だ。

しかももし万が一このバスに乗り遅れたら、次の便は夕方の17時だ。


私はソワソワしながら、心臓の鼓動が少しずつ早くなっていくのを感じていた。

ーーあと少しで、柚葉に会える……

緊張なのか興奮なのか、胸が高鳴る理由が自分でもよくわからない。

ただその両方が混ざり合い、私は落ち着かない気持ちのまま、バスを待ち続けた。



バスに乗り込んで30分ほどが経った頃、窓の外に流れる景色は次第に見覚えのある懐かしいものへと変わっていった。

その景色は5年前と全然変わってない。


この気持ちが、いわゆるノスタルジアなのだろうか。


「次は、桜江総合センター……」

機械音声による無機質なアナウンスが車内に響いた。

その瞬間、私は慌てて停車ボタンに手を伸ばした。


バスが停車し、私は降りた途端にもう一度深呼吸をした。

この澄んだ空気の匂いすら、私には懐かしく感じられた。


私はゆっくりと辺りを見渡し、周囲の風景をじっくりと心に焼き付ける。

ここに立つことで、私はようやく『故郷に帰ってきた』という実感を得たのだった。


もう地図は必要ない。

私は手に持っていた路線案内の紙を丁寧に折りたたんでカバンにしまい、懐かしい町並みの中を、自然と慣れ親しんだ足取りでゆっくりと歩き始めた。


懐かしい風景を楽しみながら歩くこと5分、川戸駅が見えてくる。


青いトタン屋根の小さな駅舎は、木枠の窓とガラス戸すべてが開け放たれ、夏の風をそのまま取り込んでいる。

正面ドアの上にぶら下げられた白い看板には、丸みを帯びたフォントで『川戸駅』と書かれていた。

すぐ近くに人家があることもあり、廃駅にしては綺麗に保たれている。


駅の前に集まっているのは、制服姿の中学生らしい少年たち数人。

スマホを覗き込みながら、楽しげにゲームの画面をタップしていた。

廃駅のはずなのに、それを集合場所として使いこなす彼らの姿が、不思議とこの場所の息づかいを感じさせる。


私はゆっくりと歩を進め、看板の下をくぐった。

木製のベンチは年月を経て色を失い、細かなひび割れがそこかしこに走っていた。


「懐かしいな…」

声に出してつぶやくと、自分の吐息が夏の湿気に溶けるようだった。


私はベンチに腰を下ろし、視線を遠くの踏切に向ける。


そういえば読者のみなさまには伝えていなかった。

桜江町は私と柚葉の故郷なのだ。

私たちはこの町の孤児院で育っている。


中学一年の頃、私は柚葉と二人このホームに集まってから、一緒に電車で登校していた。

「川戸駅が廃駅になるって、本当?」

「うん、来月からもう電車来ないんだって」

そんな会話を交わしながらも、二人で「そろそろゼロ番線になっちゃうね」なんて冗談を言い合った。

零番線――私たちだけの秘密のホーム番号。


あれから7年。

錆びかけたホームの縁には、踏まれることを忘れた雑草が生い茂り、かつての賑わいを懐かしむかのように背伸びしている。


待ち合わせ場所はほぼ間違いなくここだろう。

しかし肝心の待ち合わせ時間は決まっていない。

Lineに既読がつかない以上、連絡する手段が他にない。


Lineの既読がつかないのには、きっと理由がある。

もしかして、私と同じようにスマホの電源を切っているからかもしれない。

柚葉も私と同じく追手に追われていて、捕まっているから既読をつけない可能性もあるが、不思議と彼女は大丈夫な気がする。


そんな考えをしていた時、古びた駅舎の方からから、涼やかな声が響いた。

「久しぶり、愛梨」

思わず顔を上げると、入口の影から一人の優しい笑顔の少女が現れていた。

――「柚葉…!」

持ち物

・ノートパソコン

・スマホ

・充電器

・ノートと教科書

・ペッパースプレー

・着替え(シャツ、ズボン、下着、靴下x2)

・帽子

・メイク用品(化粧水、日焼け止め下地、パウダー、アイブロウ)

・財布(貯金:339,107円)

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