11 大木
<4月19日 午後3時22分>
江津駅から少し離れたカフェの窓際で、私は帽子を深く被り、望遠鏡のレンズ越しに江津駅を見つめていた。
スマホが振動し、柚葉からLINEが届く。
『準備OK』
私は腕時計と望遠鏡に視線を交互に送りながら、胸が締め付けられるような緊張の中で1分、2分と過ぎていく。
午後3時24分。
江津駅のホームに左側から列車がゆっくりと到着した。
やがて数人の乗客が改札口を出て駅前へと流れ出てくる。
待つことさらに1分ほど。駅から10人ほどの人影が現れ、それぞれが駅前の方向へ散っていく。
迎えの車に乗り込む人、バス停へ向かう人、徒歩で市街地へ向かう人。
その中に一人だけ、明らかに挙動が不審な男がいる。
痩せ型で猫背、眼鏡をかけた30代くらいの男性。無精髭が目立つ。
きょろきょろと周囲を見回しながら、居心地悪そうに立ち尽くしている。
おそらくこの男が『大木』だろう。
私はスマホを取り出し、『Anvls』の連絡先へメッセージを送った。
『つきました?』
送信後、再び望遠鏡で男を確認する。
彼はポケットからスマホを取り出し、両手で何かを打ち込んでいる。
直後に私のスマホが鳴った。
『はい、つきました。ここからどこへ行けばいいでしょうか?』
再び望遠鏡に目を向けると、男はスマホから目を上げ、またしても不安げに辺りを見回している。
間違いない。
彼こそが大木だ。
私はすでに準備していたメッセージを送る。
『今から伝える指示を行ってください。
まず駅の中にあるコインロッカー14番に向かい、奥にスマホを置いてください。
ロッカー内に手紙があります。その指示に従ってください。
私たちも慎重にならざるを得ないので、ご理解ください』
数秒後、『わかりました』とだけ返事があった。
私は自分の役割に集中し、望遠鏡を握る手に力を入れた。
*
<2日前 >
大木と電話で話した後、私は彼と会う決心をした。
しかし、Anvlsと名乗る謎の人物や大木を完全に信用するにはリスクが大きすぎる。
私は自分の考えを柚葉に共有した。
「今の時点では、大木を完全には信用できない。
最悪の場合、会う日にスーツの男たちが代わりに来て私たちが捕まる可能性もある。
だったら、確実に大木が一人かどうかを事前に確認すればいい」
柚葉が真剣な表情で頷く。
「ドラマとかでよくある誘拐犯の身代金のやり取りと同じだよ。
『一人で来い』と言っても、必ず警察が後をつけてくるじゃん。
それを防ぐために身代金を持ってる人を孤立させるように誘導するじゃん。
私たちも同じことをすればいいんだよ。」
柚葉は理解した様子で再び頷く。
私は作戦の説明を続けた。
「まず、適当に集合場所を決める。
その後、大木にはスマホを一旦手放してもらって、別の方法で次の集合場所を伝える。
その移動を遠くから観察して、誰かが尾行していないか確認する。
もし誰もついてこなければ、大木が本当に一人だとわかる。
そうなったら、私たちは後から合流すればいい」
「なるほどね!」
柚葉は小さく拳を握って納得した。
*
<現在>
大木は指示通りに駅舎へ戻っていく。
私が潜んでいるカフェは見晴らしが良いものの、駅構内にあるコインロッカーの位置はここからでは死角になっている。
だが、それは問題ない。
しばらくすると、スマホに仕込んでおいたセンサー式アラームが鳴った。
ーーよし、成功だ!
コインロッカーの14番の奥にスマホが置かれると起動するよう、事前にセンサーをセットしていたのだ。
これが反応したということは、大木はきちんとスマホをロッカーの中に入れ、次の指示を確認したことになる。
私はアラームを止め、再び望遠鏡を覗き込んだ。
大木は駅舎から出ると、指示した通り西の方向へゆっくり歩き出す。
ここからが重要なポイントだ。
私は慎重に大木の周囲を観察し、不自然に後を追う人物や車がいないかを入念にチェックする。
今回、大木が辿るルートはわざと複雑で不自然な経路にしてある。
そのため、大木以外の誰かが同じルートを辿れば、追手である可能性が非常に高い。
私は息を潜めて、大木がロータリーをあえて逆回りに周り、狭い道に入って視界から消えるまでの約2分間、彼を見届けた。
――よし、誰も後をつけてはいない。
スマホで撮った大木の写真と一緒に「クリア!」という文面を柚葉に送ると、すぐに返信が返ってくる。
『承知!こちらも準備OK!』
*
大木はそのまま、指示に従って江津シビックセンター公園を目指す。
その途中にあるローソン付近には、柚葉が待機している。
柚葉の役割も私と同様、大木に不審な人物や追手がついていないかを別の視点から確認することだ。
大木が私の視界から消えて15分ほどが経つ。
私はまだ念のためカフェで待機を続けていた。
スマホが震えた。
柚葉からのLineだ。
『こっちも多分クリア…!』
その合図を確認すると、私はようやくカフェを出る決心をする。
『わかった、今そっちに向かう』
*
ローソンで柚葉と合流し、二人で江津シビックセンター公園へ向かった。
公園は江津警察署と市役所のすぐ前にあるため、万一スーツの男たちが追ってきても、100メートル以上先から視認できるほど見通しが良い。
その開けた芝生の真ん中に、大木がぽつりと立っているのが見えた。
私たちが近づくと、大木もこちらに気づき、静かに歩み寄ってくる。
痩せていて少し猫背気味の姿勢は、いかにも研究者らしい雰囲気を漂わせていた。
「はじめまして、白瀬愛梨さんと成海柚葉さんですね」
「はい。大木さん、はじめまして」
軽く挨拶を交わし、芝生に座って話を始める。
「いやー、まさかスマホを置いて、ここまで歩かされるとは思いませんでしたよ」
「すみません、大木さんを完全に信頼できる状況ではなかったので。
スーツの人たちを引き連れている可能性を考えての対策だったんです」
私が申し訳なさそうに答えると、大木は柔らかく笑った。
「いいえ、当然ですよ。そのくらい慎重であるべきです
ただ……実はそのスマホ、私たちの名義で契約しているものなんですよ。
その気になれば、あなた方の居場所はいつでも特定できるんです」
「えっ!? これ、村田さんが用意してくれたんじゃないんですか?」
思わず声が裏返る。
すると、大木は頷いた。
「はい。その通りです。
村田も『Anvls』の一員でしたから、私たちの名義のスマホをあなた方に届ける役目を負っていました」
そして彼は表情をさらに曇らせ、悔しそうに続ける。
「村田は……あんなことになってしまいました。
私たちAnvlsが守れなかったことを、本当に悔いています」
私は泣きそうになるのを必死にこらえ、震える声を絞り出した。
「教えてください。村田さんって、一体何者だったんですか?」
「村田は元々、バイオトランスフォーマティクスの研究員でした。
しかし彼は人造人間計画の真実を知り、我々Anvls側に加わったんです。
そして、あなた方がいた山田桜江児童養護施設に向かい、万が一あなたたちが『オムニリンク』を発症しないかを観察する任務についていました」
大木は一呼吸置いて、さらに言葉を継いだ。
「それと、あなた方が育った山田桜江児童養護施設の山田理事も、元はバイオトランスフォーマティクスの研究者です。
そして、Anvlsの創設メンバーでもあります」
「え……院長先生が?」
驚きを隠せず、私と柚葉は顔を見合わせた。
「そうです。
山田理事こそが、あなたたちを研究所から救い出した張本人です。
理事はその後、あなた方をオムニリンクの支配から解放するための研究を続けていました。
オムニリンクも所詮はプログラム、つまりコンピューターコードの一種ですからね。
そのコードを解析して解除方法を見つけ出し、あなた方二人にインストールしたんです。
そのおかげであなた方は、今までオムニリンクを発症することなく過ごしてこられたんですよ」
ここまで来ると、もう何がわからないのかすらわからなくなってきた。
「人造人間って……どれだけ人造人間なんですか…」
自分でも何を言っているのか分からない質問をしてしまったが、大木さんはそれをすんなりと解釈してくれた。
「バイオトランスフォーマティクスが開発した人造人間は、『バイオファブリケーション』という技術を用いて作られています。
つまり、人工的に生きた細胞を組み上げて人体を作っているわけです。
ただ唯一違うのは脳の構造です。
脳そのものも生きた細胞で構成されていますが、その中枢部分には特殊なチップが埋め込まれ、脳内の電気信号を制御しています。
そのチップには、最近普及しているChatGPTなどのLLM型AIと同等の技術が使われています」
「でも……それが人造人間が作られたのが2000年ごろだったんですよね!?
そんな技術が当時から存在するなんて、さすがに信じられません。」
私が戸惑いながら口にすると、大木は静かに頷いた。
「『政府は一般に公開される技術より20年は先の技術を持っている』という話を聞いたことはありませんか?
実際、一般社会に新しい技術が公開されるときには、すでに政府や一部の巨大企業が数十年単位で運用していることがほとんどです。
公開されるのはあらゆるリスクが検証され、利権や優位性が確立されてからなのですよ。」
返す言葉もなく、私は唇を噛み締める。
すると、大木が優しく言葉を続けた。
「ただ、以前も電話でお話ししましたが、私は人造人間をほぼ人間そのものだと思っています。
違うのは脳の中枢に埋め込まれたチップだけです。
そして、そのチップにプログラムされたオムニリンクのコードさえ解除してしまえば、人造人間は人間とまったく同等の存在になると考えています」
「それじゃあ、もし山田院長が本当にAnvlsの創設者なら、なぜ院長が亡くなったあと孤児院は廃止されてしまったんですか? 私たちがそんなに重要な存在なら、すぐにAnvlsが保護に動いたはずじゃないんですか?」
私は疑問を抑えきれず、少し強い口調で問いかけた。
大木はそれを聞くと、申し訳なさそうに視線を落とす。
「それは……山田理事が亡くなったことで、Anvls内の権力バランスが大きく崩れたためです。
複雑な事情がありますが、正直に申し上げると、今は組織としてお二人を全面的に保護できる状況ではありません。
組織内では、あなた方を保護したい派閥とそうでない派閥に分裂している状態なのです。
たとえば村田さんはあなた方を保護すべきだと考えていました。」
大木は真剣な表情で私たちを見つめ、言葉を続ける。
「もしあなた方がオムニリンクを解除するための手がかりとなり、それが実証されれば、Anvls内部の状況は大きく変わります。
保護派が力を持ち、間違いなく組織の方針はあなた方の味方へと傾くでしょう」
大木はショルダーバッグを開け、一枚の黒いカードを取り出した。
チタン製のクレジットカードほどの薄さで、表面には銀色の回路模様が刻まれている。
「これは〈コードエディター〉と呼ばれる Anvls 製の専用ツールです。
お二人のオムニリンクを無効化したコードがすでに書き込まれています。
理論上、このカードを人造人間の後頭部――脳内チップの近くに十秒ほど当てれば、カード側のマイクロチップが干渉し、問題のコード領域だけをピンポイントで停止させられます。
今日は、これをお渡しするために来ました」
私はカードを受け取り、角度を変えて眺めた。
見た目はただの金属板だが、指先にわずかな静電気のような振動を感じる。
「私たちには、一つの仮説があります」
大木さんは声を落とし、真剣な眼差しで続けた。
「『人造人間は、同類を感知できる』――という説です。
もし、お二人がそれを体得できれば、Anvls が今もっとも苦しんでいるボトルネック
――潜伏している人造人間を特定できない問題を一気に突破できます」
そこで大木は小さく苦笑した。
「正直に言えば、私は上層部の許可を取らずに、半ば独断で今日ここへ来ました。
組織として正式に身柄を保護はできません。
ですが、逃走と身の安全をサポートすることはできます」
「サポートって言っても……」
私は肩をすくめる。
「お金もコネもないし、護衛だっていないんですよ?どうやって?」
「私もそう思い、考えてきました。『ソーシャルシールド』という概念をご存じでしょうか。
世間の注目を集めた人間には手を出しづらいという、いわば社会的バリアです。
バイオトランスフォーマティクスは秘密裏に活動しています。
ならば、お二人が情報を発信し、有名になり、世間の視線を集めれば、やつらは動きにくくなるはずです。」
「有名になるって……どうやって?」
「そこですよね…インスタとか…?」
大木が急に頼りなくなった。
すると横で黙っていた柚葉がぽつりとつぶやいた。
「――小説家になろう」
私は「え?」と声を上げる。
柚葉は真っ直ぐこちらを見た。
「私たちの人生も、人造人間も、まるでSFじゃん。
なら小説家になろうに自伝を投稿すればいいんじゃない。」
私は大木さんと顔を見合わせた。
…確かに
みなさん、初めまして。
白瀬です。
これまで物語を過去形で綴ってきた理由にお気づきでしょうか。
察しのいい方なら既に気づいていたかもしれません。
この作品は、約1か月前の出来事を振り返りながら書いている自伝です。
今も逃亡を続けながら、Anvls を通じてこの文章を書き残しています。
私たちは人間ではないかもしれません。
けれど、喜びも悲しみも、痛みも失望も――紛れもない感情を抱き、生きています。
どうか、人と同じように朝を迎え、働き、普通に日常を過ごす──そんな「普通」がほしいのです。
この想いを胸に、私たちは小説家になろう、Instagram をはじめとするSNSで情報を発信し始めました。
皆さまのお力をお借りし、この声を一人でも多くの方に届けていただければ幸いです。
白瀬愛梨
持ち物
・ノートパソコン
・使えるスマホ
・充電器
・ノートと教科書
・ペッパースプレー
・着替え(シャツ、ズボン、下着、靴下x2)
・帽子
・メイク用品(化粧水、日焼け止め下地、パウダー、アイブロウ)
・持ち運びWIFI
・タブレット
・太陽光充電器
・ポケットナイフ
・寝袋
・懐中電灯
・ペン型録音機
・GPSタグ
・センサー式アラーム
・手袋
・望遠鏡
・財布(貯金:335,287円)




