智ちゃんの問いについて考え中
学校の帰り道、とは言え帰り道じゃない道を歩いていた。水道みち、僕のお気に入りの散歩道だ。時々こうやって大回りをして帰宅する。こうやって道草をして帰るのは、特に理由があってのことではない。まあ、気分だね。
そういう気分だったこの日、ぶらぶらと水道みちを歩いていた。秋も随分深まって来て桜並木も赤茶に染まっている。散り始めた紅葉がちらほらと風に舞い、歩道に落ちた枯葉がかりかりと石畳を引掻いている。でもその数はそれほど多くない。これからが本番なんだろう。そんな道を僕はゆっくりと歩いて行った。そして仲田公園まで来た。
すると公園入口のベンチに顔見知りのおじいさんが座っているのが見えた。随分な年齢で、ひ孫までいるんだ。小さな女の子。けれどひ孫娘じゃあ面倒くさいので孫娘と本人は呼んでいる。本人曰く、これは略称だ、とのこと。ただ孫と呼んでも十分すぎるくらいご本人はしっかりしたおじいさんで、全くかくしゃくとしている。太平洋戦争中兵隊さんだったそうだから鍛え方が違うのかも。僕のお兄ちゃんやお姉ちゃんとも仲が良く、僕も同席させてもらって時々昔の話を聞かせてもらっている。二人とも昔の話にとても興味があるからね。お年寄りは自分の昔話を聞いてもらえると、とても喜ぶものだ。だから二人はおじいさんのお気に入りだった。それでおこぼれでもないのだけど、僕もお気に入りの一人にしてもらっているというわけ。でも最近はちょっとご無沙汰気味だったかも。
そんなことを考えながら近付いて行ったら、おじいさんは公園内を見つめながら立ち上がった。何やら考え事をしているようだ。だからどうしようかとも思ったんだけど、間近に来ていたんだしこのまま通り過ぎるのもどうかなと思い直して、こんにちはと声をかけた。おじいさんはびっくりしたように振り向いた。よした方がよかったかしら。
「おお、お前さんか。えらい久しぶりだがね、元気でやっとりゃぁすか?」
僕は、元気でやっていること、兄と姉も同様だということを伝えた。それから、考え事をしているようだったが、何かあったのかと訊ねた。そこで、智ちゃんからの質問について聞かされたんだ。成程、難しい問題ではある。このおじいさんは、特に子どもから何か尋ねられたようなとき、一生懸命答えようとしてくれる。この点お兄ちゃんとよく似ている。だから今回のこの質問についても、きっと何とか答えを出そうと頑張っているに違いない。そこで僕は智ちゃんの質問への解答探しに付き合うことにした。もともと散歩で来たんだし。「ほら心強いわ。ありがと」おじいさんはいつものように“が”にアクセントをおきながら笑顔でそう言ってくれた。
僕らはそのまま公園の東側を南に向けてゆっくりと歩き始めた。
冷たく乾燥した風に吹かれながら公衆トイレわきを歩いていると、その風をものともせず飛び交っている小さな子どもたちの歓声が心地良く響く。その元気な声が風と一緒に自分の背中を押してくれているようで、自分の身体が少し軽くなるように感じられた。それに、その楽し気な笑い声、叫び声、唄声の中に智ちゃんの声も混じっている。直ぐに他の子どもたちの仲間に入ってしまったようだ。「子どもというのは大したもんだて」おじいさんは独り言のように言った。「大人はどうも、ああはいきゃぁせん。自分も、智ちゃんがもっと小っさい時分から子守りしてきよった、けど例えばこうやって公園に来ても他の大人と仲良くなるなんちゅうこともあんまりありゃせんかったで。まあこういうとこは若いお母さんが多いでっつうこともある。ほいだけど別段照れくっさいで、とかじゃああれせんよ。ほんな年でもにゃぁしね。ただどうも積極的に知り合いになろうとするのにも気が引けるんだわ。確かにお母さん達は直ぐに仲良くなっっとるみたいだけどな、あれもほんとに無邪気な仲間意識だけで動いとるかっちゅうと、そうでもないみたいなんだわ。いろんな話を聞いとるとね。うちの娘も息子も、昔そういった話をしとったら言葉の端々にほんなような調子が見えとった。けど子どもは違う―――と思うわ。ありゃぁただ単純に好きでやっとるんだ。他の理由はあれせんで単に面白いもんだで、ああして見知らんもん同士ですぅぐ打ち解けて楽しく遊んでござるんだわ。実際たいしたもんだと思うわ―――いや、お前さんも子どもだったがね、変なこと言ってまったわ」僕は、全然構わない、それどころかそういう大人の感じ方を聞かせてもらって面白い、とこたえた。
おじいさんは莞爾した。そして僕らはそのまま公園を大きく一周するように歩き続けた。この小さな公園をいろいろな角度からながめつつ、視界に常に活発な智ちゃんの姿を入れつつ、その楽し気な声を聞き分けつつ、僕らはゆっくりと歩みを進めた。「ほんだでな」おじいさんはまた話し始めた。「子どもは先ず第一に、これが好き、こうしたい、こうなって欲しいということを行動の出発点にしてまうんだわ。さっきの智ちゃんの質問も、こういう気持ちから出てきたに違いにゃぁて。ほんならあの質問は智ちゃんにとっちゃぁえらく大事なもんに違いにゃぁわ。だで自分も責任持って考えんとかん―――葉っぱはいつ死にゃぁすか。葉っぱは‥‥‥先ず生まれよる。丸裸で冬を越した木の枝から芽吹いて葉っぱが生まれて来よる。葉っぱの命はこっから始まる。始めは柔らかく薄くたおやかで、初夏の日差しが透き通って、そこで取った通行税を使うんかな、ほのかな緑に着色する。ほうしてその一枚一枚に当たる陽光の一筋一筋が重なり合って、全体青々としとる光景を織りなしていくんだわ。これこそか初夏の色彩だがね。ほの時分のこの活動、日の光を透しとる時の葉脈は小っさく小っさく震えとる、この様からあの無数の葉っぱどもがまさに生きとると言えるんだがや。間違いないて。」
公園の南の角を右に曲がると目の前に水飲み場があった。この時期はあまり使う人がいないんだけど、真夏にはよく汗だくの人がやって来て飲んでいた。そういう時ピチャピチャ跳ねる沢山の水滴が夏の強い光をきらきらと反射させていたっけ。それにその頃は、確か傍らの木には葉がこんもりと繁っていた。だからこの辺りは、あそこにあるベンチも含めていつも日陰になっていた。その季節、盛夏、この木だけじゃなくこの公園の樹木はすべてもこもこと丸々と膨らんでいた。そのため公園内は多くの部分が木陰になっていた。けれど今は太陽の鋭角的な光が直接降り注ぐ。大して背の高くないこの水飲み台までが長い影を落としている。
「お前さんも同じことを考えとりゃぁすか。ほうだわ、あの木も今じゃあほとんどの葉を落としてまった。裸になってまった。ほんだであれの影は丸っきり骸骨だて。これだと辺りを日陰にできん。こうやって見ると、この木はまあ何とも沢山の葉をまとっとったんだわなあ。その葉も大方落ちてまった。けど今問題になっとるのは落ちた葉っぱの方だでなあ―――ちょこっと、御免」おじいさんはこの水飲み場を使った。この寒い時期に。ただおじいさんは以前からこういう時よく水を飲んでいた。
僕らはまた歩き始めた。公園の南側面、交通量の多い車道に面したところ、間近で自動車が騒々しく走っている。それらの車は公園の方からちらちらと舞っていく枯葉を踏みつけたり蹴散らかしたり、ひどい風圧で吹き飛ばしたりと今の僕らの気持ちを逆なでするような傍若無人の有様、おじいさんの方をそっと見るとやっぱりちょっと不機嫌そうだった。それでだろうか、おじいさんはちょっと立ち止まり公園内へと顔を向けた。するとその先はコンクリートの富士山遊具で、ちょうど智ちゃんがそのてっぺんで脚を開いて踏ん張って両手を腰に当て、えっへんとふんぞり返っていた。そしておじいさんと僕を見つけると、笑顔になって右手を振った。僕らも二人して手を振り返した。おじいさんの表情から不愉快の影は直ぐに消えた。
僕らはさらに進んで、公園の南西の角を北へ折れた。暫く行くと公園の西側にある幼稚園の建物の影が大きく行く手にかかっていた。まぶしい西日が遮られて周囲の景色の色合いがくすんでしまい、何となく暗く元気がないように感じられる。足元には多くの落ち葉が這いずっていて、それらが地面をかすかにかりかりと引掻いているものだから、ますます淋しく思われた。枯葉のこの動き、この音は、公園内の賑やかな笑い声やら歓声やらを遠くの方へ追いやってしまうような、それらを静かにしかも素早く彼岸へと引きさらっていってしまうような不思議な力を持っていた。僕は少し不安な気持ちになったんだけど、おじいさんはどう思っていたんだろう。
なおも進む、風の具合なんだろうか、落ち葉の吹き溜まりがそこかしこに点在していた。僕らは二人とも申し合わせたように、それらを踏まないように避けつつ歩く。何故だか分からない。おじいさんもうつむき加減に歩きながら明らかに避けていた。日陰になった晩秋の地面は、ことさらにわびしく荒涼としている。そこで相集い重なり合ってこんもりとある枯葉の群れ、あるいはそれぞれ単独で横たわっている枯葉達、そういう連中を踏みつけてしまうのはやっぱり忍びない、傍からは、僕らはきっとよろよろしているように見えたろう。そうした場所を過ぎると枯葉がほとんどないところに出た。一安心だ。するとおじいさんが立ち止まった。どうしたんだろうと思ったら、おじいさんが悪戯っぽい様子で僕の方を見て「いや面目ない、要らんことにかまけとって、智ちゃんの質問のことすっかり失念しとったわ」と言って笑った。実は僕もそうだった。
気を取り直してまた少し行くと藤棚が現れた。これは、下の二つのベンチの屋根として公園の北西角近くにしつらえてあるもので、この時期は花は勿論葉も全て落とし鉄骨柱に巻き付いている幹や枝だけになってしまっている。だから藤棚と呼ぶのも何なんだけど仕方がない。それはともかく、僕らはまたまたその手前で立ち止まった。そこにあるベンチの一つにホームレスらしきおじさんが座っていたから。
冷たい日陰に沈み込んだ藤棚とその下に置かれた二つのベンチ、そこにみすぼらしい身なりの初老の男、絵になるんだかどうなんだか。おじいさんは僕の隣でこのおじさんを凝視していた。みすぼらしい、というより汚いぼろぼろなその身なり、さんざん痛めつけられたようなやつれ果てこわばった無表情な顔、薄汚れた顔、丸めた背中と膝の上で組んでいるごつごつした指―――「こりゃあ敗残兵だわ」おじいさんが呟いた。「わしよりえらく若いみたいだがね。何があったのか知らんが、気の毒なことだて。」
そのおじさんを見るおじいさんの目には、同情、というか共感、何となく親近感のようなものまであるように、僕には見えた。そんな考えが伝わってしまったんだろうか、おじいさんはにこにこと僕を見ながら言った。「あの男を見とるとな、自分の記憶の奥の方からいつもは全然忘れてまっとる随分昔のあんまり楽しくなゃぁ思い出がちらちら点滅してきよるんだわ。今のこの光景と昔の自分の姿とがな、ほの小っさい部分々々で共鳴をおっ始めてよぉ、ヴンヴンと音を立てとるみてゃぁで、ほんだでまあ頭がくらくらしてくるでかん。ほんでも」と一呼吸置いて、「あのベンチのすぐ前の砂場、あそこで遊んどる子どもが一人もおらせん。やっぱりあの男がおるからかしゃん。あそこに変な人がおるで、近付いちゃかん、とか言われとるんかな。親御さんからしたらな、しゃあないか―――おい、ちびさん、ちょっとあそこで休んでってええかね?」僕は、実は自分も少し疲れてたので喜んで、と言った。おじいさんは何も言わず目だけで、ありがと、と言った。それで僕らは藤棚の方に向かい、もう一つの方のベンチに並んで腰掛けた。
「木の葉はいつ死ぬんだか」おじいさんは話しながら、口に出しながら考えるタイプのようだ。「春生まれた葉は初夏の頃を盛りに集団でざわざわと生きとらっせる。このころは元気いっぱいで生きてござる。けど夏が終わると段々としょぼくれてきよる。ほいで早いもんは初秋の頃から枯れ落ちて、その老いぼれた姿を地面にさらすようになってまう。晩秋にもなりゃぁほとんど全部が散ってまう。ほんなら、散るっちゅうことが死ぬっちゅうこときゃ?その前は、枝に引っ付いとる時は生きとるんきゃ?枝から離れて空中をひらひらと蝶々みてゃぁに舞っとる時は、そん時はもう連中死んどるんきゃ?ほじゃなくて、その間はまだ生きとって、ほいで地面に落ちた時、別の木の枝に引っ掛かった時、道路標識の上に落ちた時、そこでご臨終ということなんきゃ?ほうでなくて」おじいさんは足元の落ち葉の群れを、これはイチョウの葉ばかりだったのでまっ黄色でそのかたまりがざわざわと乾いた音を立てていて、まるで黄色の服を着た沢山の小人たちが集まって何やらきいきい楽し気に騒いでいるような落ち葉の吹き溜まりを見つめた。「ほでなくて、まだこいつらは生きとるのかも知れん。まだ死んどらんのかも知れん。こいつらはまだ生きとる?前より多少元気がなくなっとるだけで、まだまだしぶとく生きとるのかも知れん。」
こんな風に話しているおじいさんの姿勢が、いつの間にか隣のベンチのおじさんと似通ってきていた。二つ並んだベンチそれぞれに、背中を丸くして膝の上で手を組みうつむき加減で座っている二人の男だ。どちらも疲れた風の初老の男と全くの老人。全然関係のない二人なんだけど、何故だかどことなく雰囲気が似ている気がする。おじいさんの方は葉っぱ、枯葉のことばかり考えている。なのに外面的には人生の難問に対峙している哲学者のような風貌、に見える。隣のベンチのおじさんは疲れ切った無表情な顔、その心の中はわからない、これまでの人生の努力、苦労、失敗、挫折、絶望といった様々な局面をくるくると回想している―――のだろうか、それとも何も考えておらず、おじいさんと同じく地面の枯葉をじっとながめているだけなのだろうか。そんな二人なのに雰囲気だけはとても似ている。ただそんなことにはお構いなしに、おじいさんは至極真面目に地面上の枯葉たちを一生懸命睨み続けていた。そして独り言を呟きながら考え続ける。
「こいつらはまだ生きとるのかも知れん。死んどるように見えて、ほんとはまだ生きとってくすくすと笑っとるのかも知れん。確かに、ほうかも知れん。枯れて萎びて本体から切り離されてまっとるで、まるっきり死んでまっとるみたいに見える、けど実際は生き続けとるのかも知れん。ほそぼそとではあるけども、命は続いとるのかも知れん―――ただこれもあんまり説得力があれせん。こんなん、風に吹かれて水に流されて踏まれて蹴飛ばされてなされるがまま、こんな連中が生きとるなんちゅうことは、なかなか‥‥‥」
こんな風におじいさんはぶつぶつと呟きながら一生懸命考えていた。残念ながら僕に出来ることは何もない。おじいさんの隣に座っていることだけだ。するとその時、赤く色づいたもみじの葉が一枚、どこからともなく――多分水道みちの方から風に吹かれて――地面を転がってきた。そしてその吹き溜まりの上にすうっと上がった。こんもりと黄色い小さな山をつくっているイチョウの落ち葉の集積のてっぺんにちょこんとのっかった、赤い五本指のようなもみじの葉、おや面白い色の組み合わせ、と僕は思った。けれどその時、「ひっ!」という小さな悲鳴のような声が聞こえ、思わず声がした方、隣のおじいさんの方を見た。そこには眉を上げ目を見開き口を少し開いて唇を震わせているおじいさんの顔があった。さっきの悲鳴はあの口から発せられたんだろう。小さな悲鳴だったから。
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