第一章 第7節 嫌な気持ちの意味
本屋での出会い以来、オレの中にあの目とあの匂いがセットで住み着き、嫌な気持が続いた。それはなんだかどうしようもなく、何かせずにいられないような苛立ちみたいなものが溢れ、一日という時間の経過が異常なほど長く感じ、息苦しさばかりが続く嫌な気持ち。
そんなオレはその気持ちに意味を見つけたいという危なげな好奇心で、みっともないと分かっていながらも再びレジ前で丸っこい目と対峙することにした。
「いらっしゃいませ。あれ? もしかしてこの前、肘をぶつけちゃった……」
丸っこい目をさらに大きく見開かせて女は言った。
「ども……」
みっともないオレは小さく短く応える。
「ああ、それであの時私を見てちょっと驚いてたんだ。この辺りで働いているんですか?」
「ええ」
オレが想像もしなかった内容がさらりと返ってきて慌てたオレはまともな返事もできず、瞬間にして後悔した。
「そうなんですか。えーっと、490円になります。お支払いはIDでいいですか?」
後悔した故にオレは口が聞けず、黙って手を差し出す。
「はい、タチバナ ユウキ様、490円入りました。午後のお仕事もがんばってくださいね。どうもありがとうございました」
会話と言うにはあまりに程遠く、乾いた感情が交差しただけの出来事だった。オレは最初から分かってたんだ。結局は意味など見つかるわけもなく、空しさが残るだけなんだよ、こんなの……
「おやっ、ユウキちゃん。またコンビニで昼飯買って来るなんてどうしたの?」
休憩室に入ってすぐのテーブルにいた永沢さんがオレを見つけるなり意味深な顔で話しかけてきた。間違いなくあれこれ言ってくるに違いない。
「あー、あれ、あの子だろ。割と最近入ったかわいい子。あの子目当てで行ってきたな?」
永沢さんはニヤニヤと異様な笑いを見せて言ってきた。
「え? 何訳のわからないことを言ってるんですか。違いますよ。この前コンビニ行った時に、たまには気分転換的に外へ出てコンビニで買ってくるのもいいかなと思ったんで……」
やばい。簡単に永沢さんの言葉にオレは反応している。
「何、ごまかしちゃってぇ。わかってるって。なあ、高橋」
「ええ? どっちの子です?」
「どっちって、決まってるじゃん。あのおっぱいの大きい子だよ。あの背がちっちゃくてさぁ。オレの推測じゃFだな。いや、もう一声言ってGでいこう」
「ああー。はい、はい、あの子ね。ありゃ、たしかに目は引くな。なんかちょっとエッチっぽい雰囲気ありましたね。たしかに」
「だろ? やっぱ女はパイのデカさが重要だな」
「永沢さん好きっすねー。あの子いくつだろ?」
「そうだなあ……19!」
オレはあの丸っこい目の店員じゃない女の話で盛り上がる二人を通過して休憩室の一番奥に座りコンビニで買ってきたパンをかじった。しかし、永沢さんの言う胸の大きい子なんていたっけ?
「俺はその子よりもうひとりの目がパッチリした黒髪の子の方が断然かわいいと思うなあ。色白で」
高橋さんの声がオレの耳にクッキリと明瞭に聞こえてきた。オレはその言葉を認識するなり高橋さんを見てしまった。すると高橋さんの方を見たオレに何を納得しているのか頷きながら永沢さんが言う。
「お、そうか。ユウキちゃんの目当てはパッチリおめめの子か。あの子も悪くないけどちょっと細いなぁ。うん、あれは細いっ! そして無いっ!」
「永沢さん、無いって……そうでしたかねぇ」
永沢さんの言葉に高橋さんは何やら真剣に店員の事を思い出しているように言った。そして二人の会話が勝手に続く。
「いやあ、ありゃいかん。もっとこう、ボーンといかないと」
「すんげぇ、永沢さんの好み分かりやすいっすね。たしかにあの子はボーンじゃなかったと思いましたけどね。しかし、永沢さんは、女の胸しか見てないんですか?」
「イエス」
「だから結婚できないんですよ」
「うるさいなあ、高橋」
「そういえば、例の強制見合いってヤツどうなったんです? 永沢さんたしか3回目のラストチャンスだったんですよね?」
「あんなもん、どうでもいいよ。あんな推薦パートナーなんか大嘘だって。ぜんぜんオレとの相性がいいなんて思えないぜ」
「じゃあ独身で突き進むってわけですね?」
「当たり前だ。税金ぐらいいくらでも払ってやるよ。まあ、そういう高橋も俺と同じレールを突き進むことになるぜ」
オレは永沢さんが、根掘り葉掘りオレに聞いてくると思って緊張してしまったが、二人の話は上手い具合に反れて行ってくれた。オレは黙ってポソポソとパンに噛り付いた。
「で、ユウキちゃん。あの子、何ていう名前?」
不意に永沢さんはオレにとんでもない質問を投げてきて、オレは噛り付いていたパンを少し吹いてしまった。
「そんなもん、オレは知りませんよ!」
「なんだ、名前もチェックしてないのか。名札ぐらい見とかなきゃなあ」
(そうか、名札か……そんなもの付けてたっけ?)
オレは永沢さんの言葉を真剣に受け止め思い出そうとした。しかし、名前を知ったところでオレは何かを求めているわけじゃないし、別にそんなのどうだっていいんだ。