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第一章 第4節 昼の出来事

「あれ? 弁当がない……」


 休憩室兼食堂に置かれている仕出し弁当屋のケースの中が空だ。頼んでいたはずの弁当が無くケースの前でオレは立ち尽くしていると誰かが何か叫んだ。


「あ、永沢さん! 今日の弁当注文してないでしょう!」


 その声の方を見るとそこには弁当をがっついている永沢さんに指差している人の姿があった。たしか永沢さんの同僚の高橋さんだったな。


「え? そだっけ?」


 永沢さんはあからさまに『嘘ついてます』と言っているにやけた表情だ。


「ユウキちゃん、ごめん! 今朝ここでシャワー浴びてる間に完全に弁当頼むこと忘れてたわ。つい頼んだつもりで弁当食べちゃった。ホントごめん」


 永沢さんは箸を持ったままオレを拝むようにして言ってきた。まあ、無い物はどうしようもない。


「ああ、ぜんぜん構わないですよ。コンビニでなんか買ってきますから」


「悪いねぇ、ユウキちゃん。今度の弁当はオレ奢るから」


 オレはそんな現実になりえない永沢さんの言葉を残して外へと出た。外に出ると空の色は今朝よりさらに濃い灰色で、今にも雨粒を落としそうな気配をかもし出していた。


 オレは昔からコンビニ弁当が好きではなかった。だからいつも昼は仕出し弁当を食べていた。コンビニ弁当というやつは基本的にどれも味付けが濃く、惣菜はどれも変わり映えがない。そのくせ結構人気があるらしく、昼などのピーク時にはキレイに売れていくようだ。見方によっては濃い味つけは、味がハッキリしていて客への分かりやすいアピールと言えるかも知れないけれど、そこが何かオレには媚びている様に思えて好きになれない。しかし、これが好きな人間は好きなようで自慢げにまた「今夜もコンビニ弁当だよ」なんて話しているヤツもいる。本当にイヤだったら買うわけないよ。


 オレはコンビニに入ると、コンビニで売れ残りの弁当は選択外と思いながら昼飯をどうするか考える。この季節は冷やし中華やそうめんも目を引くが結局オレは菓子パンと缶コーヒーにした。


 しかし昼メシはコンビニで買うもんじゃない。レジに辿り着くまでに悠久乃森まで帰ることができそうなほど客が並んでいる。さほど広いわけじゃないコンビニの通路に大人たちが行儀良く並んでいるわけだが、その様は非常に暑苦しい。オッサン達から吹き出ているであろう加齢臭に女達から発しているであろう化粧の臭い。これらが入り混じったこの窮屈で吐き気のする空間に居る自分に嫌気をさす。


 オレは意識を違うところへ散らして気を紛らわせようと店内のあちらこちらに目を向けた。改めてコンビニというところには色々なものがあると感心する。食料はもちろん、生活雑貨用品に衣類、そして薬とあらゆるものが置いてありここにあるものだけで十分に生きていける。これだけのものを扱い管理しているコンビニの店員は可愛そうだ。恐らくオレの収入より遥かに少ない賃金で働かされているに違いない。


 そんな頼まれもしない勝手な心配をしているうちにオレはレジ前に立たされていた。オレはパンと缶コーヒーを出すと手際よくバーコードリーダーでレジ処理していく手が目に入った。それは透き通るような白さと表現していいほど白く、そしてか細い。


「490円です。パンは温めますか?」


 目を引く白い手に気を奪われていたオレは、その店員の問いかけに慌てた。


「あ、はい。お願いします……」


 オレはその白い手の持ち主が少し気になったが視線を上に上げるまでの気にはなれなかった。


「お支払いはどうされますか?」


 パンをレンジに入れた店員は透かさず次の問いかけをオレに投げつけてきた。


「しまった……」


 何も考えずそのまま外に出てきたオレは電子マネーカードを忘れてきてしまった。


「すみません、IDでお願いします……」


 オレは店でIDクレジットを使うのは好きではなかった。なぜかと言うとIDクレジットで支払うとオレの名前が分かってしまう。オレは自分の名前が好きになれないんだ。


 仕方なくオレは黙ってIDブレスレットをした手を差し出すと、白くか細い手がIDチェッカーを使ってオレの手をスキャンする。その白い手の根元には淡いピンク色のリストバンドをしていた。


「タチバナ ユウキさんですね? 490円入りました。どうもありがとうございました」


 その軽やかに弾んだ女の声を耳にしたとたん、オレの視線は白い手首から前腕を伝い細身の二の腕に流れ、半袖の制服に隠れた肩から一気に女の唇へと動いていた。そしてオレは女の目を見てしまった。

 

 その女の持つ丸っこくて大きい黒い瞳。そして嘘くさい最上級の笑顔を作るとたちまちその大きな黒い瞳は消えてなくなる。なんて嘘くさいんだ、まったく。


「ども……」


 オレは女から缶コーヒーとパンの入った袋を受け取り、情けない声を出して店を後にした。嫌なものを見てしまった。俺の脳みそにあの黒い瞳が張り付いている。吸い込まれそうな瞳なんていう使い古された腐った台詞があるが、それ以外の表現が思いつかないような嫌なものだった。



「ガイドの方ですよねー?」


 悠久乃森へ向かって歩いているところにふいに女の声が耳に入ってきた。オレは外で『ガイド』という言葉を耳にすることがなかったから、一瞬、何を言っているのか理解できずにいた。そしてその声の方を見ると短めの栗色の髪に赤いセルフレームの眼鏡をかけた中年女性がオレにいかにも興味ありげな眼を向けていた。中年女性はオレと目が合うと続けてきた。


「突然ごめんなさいね。わたし、コンダクターやってる島田っていうの。初めましてだよね。なかなかコンダクターとガイドって話す機会ないでしょ? で、よく昼時に休憩室であなたを見かけてたんだけど、そしたらさっき、そこのコンビニであなたを見つけちゃって。ごめんなさいね、いきなり。驚いたでしょ? 私ね、いつもそこのコンビニで昼食とデザートを買いに通ってるの。めずらしいよね、コンビニに買い来るの?」


 いきなりこの一方的な会話をする中年女性はオレから何を聞き出そうとしているんだ? オレはこの中年女性に恐怖を感じた。


「あ、どうも。いつもは(しょ)の弁当なんですが、今日はちょっとした手違いで自分の分がなかったのでコンビニへ」


「ああ、そうだったんだ。あそこのコンビニすごい混んでたでしょ。このあたりはあそこしか無いのよね。あとはこの大通りを渡った向こう側しかないから集中するのよね。とくにこの時間帯は。いやあ、でも今日もホント蒸し暑いわね」


 この中年女性は独り言を言っているのか、それともオレに会話を求めているのか今のオレにはどうだっていいことであるが無用に悩んでしまった。そしてその悩みはやはり無用だった。その後も中年女性は続けざまにこのクソ暑い空気を増幅させるような言葉の詰まった一方的な言葉を発してきた。中年女性はガイドの仕事はどうなんだ、一日どれくらいビジターが来て、どれくらいが帰っていくのだとか、つまらないことでの電話も多いからコンダクターも大変だとか中年女性の話に止まる瞬間がやってきたのは休憩室に戻ってからだ。


「それじゃ、また何か機会があったらお話してくださいね」


 中年女性はそう言い放って去って行った。オレはオレ自身が何を話していたかさえ覚えていない、時間を消費するだけの会話に疲れを感じた。ただ、おかげでオレはコンビニでの記憶をこの時点では無くしていた。

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