10.夏期講習
高校二年の夏休み、って言ったら字面は素敵ですけどね。
ははははは。
夏休みに入っても、歴史ある高校には伝統行事がある。
伝統行事というか、中には学校所有の山林での下草刈りなんて奉仕活動もあったりする。
そして、生徒が参加する行事ともなれば、養護教諭にも仕事が割り振られる、という寸法だ。
しかも、夏休みの後半は「夏期講習」という名の自主学習の為に校舎が使用可能になる。名目は自由参加だが各教科の教師が教鞭をとる講習であり、進学を目論む者は参加せよ、とのお達しだ。だから、夏休みといっても、我が校では言うほど休みじゃない。
夏休みの前半には、俺も参加した学校主催のキャンプ合宿があり、わざわざ隣県の明媚な湖畔のキャンプ場へ移動して、大勢での野外活動と共に一晩過ごしてきた。男子校だから当然ヤローばかりで、青春の思い出って言い方には抵抗があるが、逆に男子校だからこそ、こんな行事が学校主催で実施できるんだろうな。
あんな大人数でキャンプファイヤーを囲んだのは初めてだったが、いつもの静かなキャンプとは大違いで、まあこれもいいかなーとは思えた。
そういえば驚いたのは、クラスメイトはみんな誰一人として湖で泳ごうとしない事だった。夏の真っ盛りにきれいな水があれば、浴びたくなるんじゃないだろうか? そう思ったのは俺だけだったみたいなので、秘かに一人で湖を泳いでさっぱりした。
そしてフジサワ先生に見つかって秘かに怒られた。
リスクがどーの、という事らしい。すみません。
そのフジサワ先生は、特訓の甲斐あって魔力の制御がみるみる上達し、一学期が終わるころには保健室の渋滞は解消されていた。だが、それでもまだ訪れる生徒は多いので、俺は一計を案じた。
「胸を小さくしろ」
「嫌。これは私の未来の姿そのものなの。偽ることはできないわ」
魔力を用いて自分の未来の姿を投影する場合、そこにはどうしても自分の希望願望が混ざる。だからフジサワ先生の姿は、それが正しい可能性は多分にあるが、可能性の一つでしかない。
「まったく見栄っ張りが。男に飢えてる寂しい女に見えるぞ」
言い過ぎは重々承知だが、男子校の教諭には、はっきり言って不要なのだ。
「なっ……アンタねえ、その口の悪さはやっぱり魔王ね。でも、私の美貌には惑わされちゃう感じ?」
「いいや。俺は勇者エリーの方がカワイイと思うな」
美しい、じゃなくてカワイイ、な。だから嘘じゃない。
「……」
「どうした?」
なぜか物凄い形相で睨まれた。部分的にせよ褒めたはずなのに。
「わ、分かったわ。言うとおりにしてもいいわ。けど、いきなり小さくなったら、不自然じゃないかしら」
「大丈夫だ。寄せ上げブラを使うのをやめたらしいって、それとなく噂しておくから」
我ながら完璧な作戦だ。一部の隙も無い。
なぜかまた物凄い形相で睨まれた。でも勇者に睨まれるのは慣れている。
「あーもう、言うとおりにするわ。けど、その噂はやめて」
§
そんなわけで、二学期までに小さくなることが決定したフジサワ先生だが、夏休み後半の夏期講習が行われている或る日に、体調を崩したとして休みを取った。
俺以上に元気で魔力豊富なフジサワ先生が、体調を崩すとは俄かには信じられない。もしかして、この世界特有の病気にでも罹ったか。とすればさすがに心配になる。見舞いに行こうとして、何か欲しいものは無いかメッセージを送ると、すぐに返事が来た。
「大黒牛ヒレステーキ」
「スポドリな、わかった」
「A5ランクで宜しく」
食欲が旺盛なら、どうして体調不良なんだろう?
高校生の小遣いで大黒牛は無理だけど、地元で美味しいと評判の、有名精肉店のメンチカツを買ってアパートを訪ねてみた。チャイムは鳴らさない。俺ならサムターンもチェーンも解除できる。体調が悪いのにわざわざ出迎えさせるのは良くないとも思ったからだ。
「こんにちわー」
「ちょっと! 勝手に入ってきて……、いいにおいね」
ほらみろ、許された。
フジサワ先生はソファにぐったりと身を沈めていたが、発熱している様子ではなかった。そして、どうしたのかと聞くまでもなく、俺にはその不調の原因がすぐに分かった。
フジサワ先生の輪郭が、ぶれて歪んで滲んでいる。
これは恐らく、大きすぎる魔力が体内で行き場を失って、荒れ狂っているのだ。
勇者エリーは、その驚異的な魔力回復力から勇者と認定されたツワモノだ。だが、この世界で魔力を表に出すなと言った俺に従い、いつの間にか許容いっぱいまで魔力を溜め込んでしまったのだ。
俺もびっくりするほどの魔力湧出量だが、それと比べると貯留量はそれほどでもなかったという事。
しかしまあ、俺が原因の一つか。なんかスマン。速やかに楽にしてやろう。
「熱はないか?」
無いのは知ってるが、俺が掌をかざすと、フジサワ先生はおでこを突き出して目を閉じた。ちょろいね。育ちの良さもあるんじゃないだろうか。
俺はすかさず両手でフジサワ先生の頬をホールドすると、思いっきり口づけした。
「んむ!」
そして思いっきり吸った。魔力を。
俺が前世で魔王とまで呼ばれた理由の一つは、他に類を見ない大きな魔力貯留量だ。一杯になったことが無いから、どれほどの許容量なのか俺自身もよくわからない。だから勇者が持て余すほどの魔力量であっても、それを吸収することに躊躇いはない。
ただ、戦場ヶ原での対決時のように全部吸ってしまうと、それはそれで体調を崩しかねない。なんとなく半分くらいかと感じたところで吸うのをやめた。
「ふう」
ごちそうさま、と言おうとしたら、グーパンチが飛んできた。
身体強化が出来る俺はそのまま頬で受け止める。
「元気が出たな、良かった良かった」
「良くないっ!」
「アパートであまり大きな声を出すな。原因を知りたいか?」
「う……、し、知りたい」
いいにおいに我慢できず、俺の買ってきたメンチカツをフジサワ先生はそのままで頬張った。五個買ってきたが、全部自分で食べるつもりかもしれない。そんな勢いだ。
「ソースは?」
「いらない。この世界の料理はみんな味付けが濃いのよね。そこはちょっとだけ不満」
とりあえず、魔力許容量に関する俺の説明にフジサワ先生は納得したが、問題は今後どうするか。いずれまた同じことが起こるが、それでも普段から魔力を周囲に発散するのはやはり避けたい。
「溜まったら、俺がまた吸ってやる」
「なんで口から、なのよ」
「粘膜から粘膜でないと非常に効率が悪い」
「粘膜……」
嘘だ。粘膜じゃなくてもまあ何とかなる。けど、過去二回の既成事実を追及されたくない。
「……考えさふぇて」
「飲み込んでから喋れよ。メンチカツは逃げないから」
結局、フジサワ先生は高校二年生の小遣いで買ってきたメンチカツを全部一人で平らげた。
あ、って指さしたら疑いなくそっちを向くタイプですね、フジサワ先生は。
鈴木あきらに都合よく魔力補給されちゃってます。