全力悪役令嬢!
――忘れもしない、あれは私が10歳の時。
ファルシオン王国のスペンサー公爵家の娘である私レティシア。両親に連れられ王宮で婚約者だというフィリップ王子のその癖のある金髪と緑の瞳を見た時に、何故か全て理解した。
――ここは、いわゆる婚約破棄される悪役令嬢の物語。……そして、私はその悪役令嬢なのだと。
そしてこのままいけば私は断罪される。
我がスペンサー公爵家はこのファルシオン王国でも一二を争う権威ある家。2代前には王女も降嫁されている程だ。家柄もさる事ながら曽祖父が始めたという商売も非常に上手くいっており、財政的にも世間から一目置かれている。そんな私には歳の離れた兄が2人いる。
そして今の王家には私と同い年のフィリップ王子。
今の高位の貴族にもたくさんの御令嬢がいるけれど、一番地位が高いのはおそらく私。そして、王家も我がスペンサー公爵家を味方につけておきたい。そんな事から決まった婚約だった。
私は10歳の時に自分が悪役令嬢役なのだと気付いてからは、なんとかこの婚約をやめさせようと努力した。……が、貴族の婚約など家同士の決まり事。しかも相手は王族。向こうが乗り気であるのにこちらから断れる訳もなく、また私の両親もこの話に非常に乗り気だった。
更に兄達も『お前が王妃になれば私達は宰相や大臣だな!』とプレッシャーをかけてくる。
……イヤイヤ、このままこの話が進めば私は婚約破棄され、おそらくお兄様達も出世街道から外れちゃうと思いますよ?
勿論、悪役令嬢と気付いてからは両親や兄達に何度もその事を伝えたのだが……。まあ、信じられないわね、こんな話。
それから、私は悪役令嬢と侮られぬよう王妃教育に励みつつ、そして人に優しくをモットーとした。更にもし婚約破棄に至っても生きていけるよう密かに民の暮らしの勉強もした。……それは厳しい日々だった。
しかし。どんなに努力をしても話の流れは止まらない。
いつの間にか、私が人を見れば睨んでいると言われ、声を掛ければその言い方がキツいと言われるようになっていた。
確かに私レティシアは妙に表情が出にくく、流れるような銀の髪に冷たいアイスブルーの瞳という外見もあり、おそらく他の人と同じ事をしても無表情で冷たいと感じるのだろう。……いやどうしたらいいんだ、これ。
だからといって、公爵令嬢はそれ程喜怒哀楽を出してはいけない。特に、王妃教育ではそのように厳しく躾けられた。
それが、13歳の時。……ある日のお茶会で、私は対立関係にある侯爵家の令嬢とフィリップ王子が話しているのを聞いてしまった。
「……レティシア様は氷のように冷たく、思いやりのないお方ですもの。殿下のご心中お察しいたしますわ」
「……彼女はまるで月の如くに、僕には遠い存在だよ」
「まあ! ……うふふ! それでは私が殿下の御心を温めて差し上げますわ!」
その時はなんだか聞いていられなくて、ついその場を離れてしまった。だが後で考えればその場で姿を現して2人がどんな顔をするのだか見てやれば良かったと思う。
……そう。私はその時まで、なんとか優しい令嬢でいよう、悪役令嬢なんかにならない! と努力をしてきた。……つもりだった。
だけどどれだけ努力をしても、結局周囲は私を『悪役令嬢』に仕立てあげてくる。心遣いをしても何をしても、なんだかいつも反対に取られてしまう。
――急に、馬鹿馬鹿しくなって来た。
その時、私は心から思った。そして、決めたのだ。
その『悪役令嬢』、とことんやってやろうじゃないの!!
それからの私は悪役令嬢らしく過ごす事に邁進した。
派閥の違う者、特にこの前フィリップ王子にしなだれかかっていた侯爵令嬢などには、悪役令嬢らしく容赦なく厳しく接する事にした。
ある日の茶会で、例の侯爵令嬢は私に不遜な様子で声を掛けてきた。
「あら、氷の……いえ、レティシア様、ご機嫌麗しゅう」
「……貴女は、随分と機嫌が良ろしいようですわね。お家が大変でいらっしゃるというのにそれをお見せにならないなんて、流石でいらっしゃるわ」
「!? ……何を仰ってらっしゃるのかしら?」
「まあ。……まさか、ご存じないのかしら? 確か貴女のお父上が投資されていた領地の布織物の価値が、暴落したとお聞きしましたけれど。隣国から新たな絹織物が入り更に他の産地でもとても質の良い布織物が出回り出したそうですわよ。今まで我が国で貴女の侯爵家がほぼ独占して来た市場が一気に崩れましたわね」
「ッ!! な……! そんな、そんなはずありませんわ!」
侯爵令嬢は真っ青な顔をしてその場を離れていった。
そう、あれから私は動いたのだ。あの侯爵家がほぼ布織物で成り立ち市場を独占していると知った私は、ちょうど我が国に絹を輸出したいと申し出て来た商人に許可を出すようお父様や王宮の役人に働きかけた。まだ絹の価値を知らなかった周囲は初め難色を示したけれどね。……こんな時は王妃教育で王宮に通っているのが幸いしたわ。
貴族の女性達は絹織物の美しさにすぐに虜になった。……勿論、我が公爵家が仲買人として儲けの独占をするのだけれど。ほら、悪役令嬢っぽいでしょう?
そして他にも我が国の別の布織物の産地を探し提携して後押しをしている。やるならば徹底的にやらないとね。
ふふ、これからあの令嬢の侯爵家は火の車で、余計な事など考えていられないでしょう。
そして私は今回の流れで気付いた。前世の記憶を生かして何か物を作る事が出来なくても、前世流行っていたものの歴史を辿り同じように流行りを作り出せるのだと。今回は絹、シルクだった。
……となると、この中世ヨーロッパ的にはやはり次はアレかアレ、なのよねぇ。私ももっと商人達と関わってこの世界の諸外国にある前世の流行りに近いモノを探していかなきゃね。そうして私は家業の商売関係にもどっぷりハマっていったのだ。
そんな事をしながら、私はもう一切の気遣いなくバッサバッサと周りをぶった斬っていった。……どうせ、気を遣ったところで私は悪く言われるのでしょう? それなら最初から堂々と『悪役令嬢』で突っ走りますわよ!
そう、私はもう遠慮はしない。
自分の信念に従って、他の者に遠慮などせずガッツリ参りますわ。
『悪役令嬢』、全力でいかせていただきます!!
それから早4年。
私は王立学園に通っていた。勿論、婚約者のフィリップ王子も同学年なので一緒だ。
「……フィリップ殿下。最近、おかしな噂を聞いておりますわ。殿下が1人の女生徒とかなり親しげにしてらっしゃるとか……。貴方様はこの国の将来を背負うお方。そのお方が率先して貴族らしからぬ態度を取り続けるとは、国の模範となるべき方の行動ではありませんわね」
……私は立派な『悪役令嬢』となっていた。
冷たく見える無表情な人形のような顔。その顔で繰り出される歯に物着せぬ物言い。それが相手にはかなりキツく感じるようだ。
オブラートになど包まない、普通の者なら言いにくい事でも『悪役令嬢』なら何でもござれ、よ。身分の高い事も味方して、最早私に逆らえる者など王族しか居ない。両親や兄達でさえ、私に怯えている……ような気がするわ。
これは、婚約破棄した後に家族は私を助けてくれないかもしれないわね。
そんな時の為に私は密かに安全な場所の幾つかに金品を隠しているし、実は小さな商会も立ち上げている。前世も私は平民だったようだし断罪後平民に堕とされても生活はしていけるとは思うけど、何せやはり先立つモノ、お金は必要ですものね。ソレを持ってさっさと誰も知らない外国にでも行ってそこで商売を始めようと思っている。
あ、候補地も幾つかあるの。海の近くかスイスの山の麓のような所か……。迷うわぁ、ちょっと楽しみ!
そんなこんなで、私はあれから見事な『悪役令嬢』となっているのだが……。
でも一部、私の悪役令嬢ぶりが効かない人が居る。私が気遣いをしてた頃、どんなにいい事をしても悪いように取られたように、どれだけ悪役令嬢っぷりを見せても良いように取る人っているのね……。
「私は道案内をしただけだよ。愛しい君がいるのに、他の女性に目が行くはずがないだろう?」
……実はこの人もその1人。フィリップ王子。
いや、昔貴方はどこぞの侯爵令嬢と私の悪口言ってましたわよね? そして令嬢に心を温めてもらってたんじゃなかったの?
「まあ、愛しいだなんて。お世辞は結構ですわ。それよりもそのような噂がたってしまう事自体が問題ですわ。王族としての自覚が足りないのではございませんか?」
コレでどうだ。
王子程の身分でこれだけの事を言われれば、いくら普段温厚な王子でも気分を害するに違いない。
「……ヤキモチかい? 嬉しいね。私には貴女だけだよ。しかしそんな風に見られたなんて、僕が至らないせいだね。貴女を不安にさせて申し訳ないと思ってるよ」
それなのに王子はそう言って、笑顔で私に微笑みかけた。……それは蕩けるような良い笑顔で。
……この王子は人垂らしなのかしら。
彼はいつもこんな調子で、私の悪役令嬢ぶりを見事に躱しているのだ。内心はらわたが煮え繰り返っていたりするのかもと観察しているが、フィリップ王子はいつもこちらを愛おしそうに見つめてくるのだ。
私が断罪され婚約破棄を言い渡されるはずの卒業パーティー。その辺りで一気に怒りが爆発するって事なのかしら?
……コレは私よりも完璧な王子を演じている、のかもしれない。
いやしかし、私も悪役令嬢として負ける訳にはいかないけれど。
そんな時やって来た、ピンク髪の元平民だと噂の子爵令嬢。そんな彼女が、やはりというべきか王子と親しいと学園で噂になっている。
私はついにやって来たこの時に、やっと自由になって計画通りに商売人となるという気持ちと、今までのこの貴族社会や両親や兄達と離れる時が近付いて来ている事に、少し感傷的な気持ちにもなったりしていた。
さあそしてその肝心のフィリップ王子なのだけれど……。
「私が想っているのはレティシア。貴女だけだよ」
と、この状況でもそうのたまうのだ。
「想っているのは私で、彼女とは遊びだとでも?」
そう言ってやると、王子は少し困ったように笑った。
なんだ、この王子って遊び人だったのか。今は遊びのつもりが段々とのめり込んで本気になっての『婚約破棄』なのかしら? ……馬鹿らしい。
そんなやり取りが何度かあったある日、学園の廊下を友人達と歩いていると例のピンク髪の子爵令嬢がこちらに向かって走って来た。
何かピンときた私はピタリと足を止めてその様子をじっと見つめる。私の周りにいた友人達もどうしたのかと足を止めた。
それ程廊下の幅をとっている訳ではない数人の私たちに、彼女はぶつかって来た。周りには他にも生徒達がいて、その一部始終を見ていた。
「……ッ! い、いたぁーい! な、何をするんですかぁ! ワザとぶつかるなんて、酷いですぅ!!」
コレには私も友人達も、そして周囲の生徒達も呆れる。
廊下を走って明らかに足を止めている人に真正面から当たったのはお前だろうが、と。
「貴女、何を言ってらっしゃるの!?」
「そうよ! まさか公爵令嬢に自分からぶつかっておいて、その言いようは許せませんわ!」
「ええ〜! そうやって、高位の貴族だって言って私をいじめるんですね! 酷いですぅ! そんな事だから王子に嫌われちゃうんですよぉ!」
「まあ! 何ですって!」
……コレは、私の友人達と子爵令嬢がやり合っているのであるが……。
「……皆様。お待ちになって。
……貴女、学園の廊下は走ってはいけないと教わりませんでしたの? 小さな子供でも知っておりますわよ。それは今回のように人に迷惑をかけるからですわ。もしも他の方に怪我をさせてしまったら、貴女責任をおとりになれるの? 莫大な治療費と慰謝料を請求されるかもしれませんわよ?」
悪役令嬢となるのは私だけでいい。話の通りになるしかないのなら、せめて他の方には被害が及ばないようにしなければ。
「な! お金お金って、金の亡者なんですかぁ? 公爵家ってそんなにがめついんですねぇ? それも王子に報告しちゃいますからぁ!」
これ以上話をしてお金を請求されては敵わない、とでも思ったのかピンク髪の令嬢は足早に去っていった。……勿論謝罪なしで。
「……まあ! なんて方なのかしら! 非常識にも程がありますわ! レティシア様から王子に進言なさっては?」
友人達は怒りそう言って来たけれど、
「……あのような方のお話をまともにお聞きになるような方でしたら、それこそ次代の国を預かる者として終わっているという事ですわ」
私はそう言って、友人達と共にその場を後にした。
しかし、その後も似たようなおかしな事件をあのピンク髪の令嬢にされ続けたのである。……勿論、その度に『悪役令嬢』らしくキッチリ反撃させていただいたけれどね。
「ええー! それでそのまま放置してるんですか? あり得ないですねー」
その話を聞いてすぐさまそう反応したのは、私が立ち上げた小さな商会を任せているアレク。3年前、公爵家の商会の新人だった少年を抜擢し引き抜いたのだ。……なかなか出来る青年なのだが、口はかなり悪い。
「何もする必要ないでしょう? 私は元々『悪役令嬢』なのだからあんな風に言われてもどうって事はないし。一応私は王子に事実は申し上げているから、それでその後どうなさるかはフィリップ殿下がご判断される事だわ」
まあ、最終的に王子がどうするかは分かってるんだけどね。
そして実際、こちらからあの子爵令嬢の行動は事実としてフィリップ王子に何度か報告はしたけれど、彼はまた困ったように微笑むだけなのだ。
「うわー、放置プレイですか? それって本当は殿下はヤキモチを焼いて欲しいとか、そんな事ではないんですか?」
アレクはそんな風に言ってきたけれど、勿論そんなはずはない。
「……婚約者にその相手の女性が牙を剥き出しにしている事を知っていて、ヤキモチを焼いて欲しい? そんな馬鹿な話があるはずがないでしょう。……本当に早く幕引きをして欲しいものだわ」
実は私は相当怒っている。
それに前世で読んだこういう物語では、王子が向こうの令嬢に夢中になって婚約者に無視したり辛くあたる、という展開だったように思うのだけれど……。王子は少なくとも表面上は私に優しく丁重に扱ってくる。
でも、だからなんだというのだ。裏切りは裏切りだ。もしくはどちらにもいい顔をしようとしている王子はもっとタチが悪いのかもしれない。
彼は明らかに子爵令嬢とも付き合っていて、それでこちらもキープしているのだから。
……これはもしかして、王子も転生者で自分に都合良く今後の話を持っていく為に自分は悪くない、婚約者を大事に扱っていたけれどそれでも私が暴走した、という展開にしたいとか?
うーん。どうなんだろう。
でも私は王子が転生者でもそうでなくても、そして何か事情があったのだとしても、婚約者をこんな状況においておくような男は御免だわ。
「アレク。無駄話はもういいわ。……今度のカカオの件、上手くいきそうなのでしょうね? 公爵領の店舗の準備は出来ていると言っていたから、今度視察に行くわ。それから東の大陸からの輸入品の中に……」
レティシアは馬鹿な男の話よりも商売を優先した。
……そんなレティシアを見て、アレクは内心ため息を吐く。
(……殿下。状況は悪化の一途を辿ってます! だから余計なことをするより素直にレティシア様との交流を優先させた方がいいと申し上げたのに……)
アレクは元は王家の御庭番のような影の仕事をする者の1人。幼い頃からフィリップ王子付きだったのだが、レティシアを心配する王子に密かに近くに送り込まれたのだ。それがまさかその本人に引き抜かれ商売を任されるなんて思っていなかったが。王子も思ったよりもレティシアの近くに送り込めた事に満足していたようなので、それはそれでいいのだが。
しかし最初公爵家の商会に入って1年、お嬢様の商会に引き抜かれて3年。これだけ長い間近くにいると、情も移りどちらが自分の本当の主人なのか分からなくなる。
初めはいずれ2人が結婚すればなんの問題もないと思っていたが、なにやら雲行きが怪しくなってきた。なので今非常に困っている。……そしてどうやらこのお嬢様は、先々は海外に移住する事も視野に入れているようだ。いや、貴女将来は王妃になるんだよね? 別荘ってこと? もしくはもっと遠い将来に隠居した時とか?
そう思って側で見ていたが、これはどうやら学園を卒業後すぐのプランらしい。しかも、お嬢様の立ち上げた商会ごと他国へお引越しプランだ。
え? アレこれ、完全にその計画に王子入ってなくない? 本気で王子、そんな悠長な考えだと捨てられるよ?
もし、もしも、万が一にも、レティシア様とフィリップ王子が結婚しない、なんて事になったら……。
まず、この国一番有力な貴族であるスペンサー公爵家が黙ってはいない。僕は1年ほど公爵家の商会にいたしこの3年はお嬢様の近くでご家族を見ているが、本人は気付いていないようだけどまあ見事な溺愛ぶりだ。
公爵夫妻も兄2人も、初めて出来た女の子への可愛がりようはハンパない。王子と婚約させたのも、王家との繋がりが欲しいというよりもそうなる事が娘の幸せだと信じているから、だろう。……本人はどうやら違うようだけど。
だからもしレティシア様がフィリップ殿下の浮気が原因で婚約を取りやめる、なんて事になったとしたら。今まで公爵家が王国に対してしていた融通は利かせてくれなくなり、国家の財政的に随分と苦しくなるだろう。そしてその恩恵に与っている多くの貴族達からも王家は総スカンを受けるに違いない。
そんな状況で王子が次代の王になれるはずもなく、王弟か遠縁から新たな王位継承者を選ぶ事になるだろう。
僕はそんな可能性までキチンとフィリップ殿下にお話ししたんだけど、ホントに分かってる?
――フィリップ殿下は、初め政略結婚の相手だと思っていた婚約者レティシアが4年前、急に冷たくなった時から何故か彼女に夢中になっている。
元から冷たい印象だったというレティシアお嬢様の事は、初めはどう扱っていいのか分からない存在だったらしい。
……それが。ある時からなんでもスパッと物を言うようになり、フィリップ殿下に気を使うなどという事がなくなった。勿論礼儀正しく無礼な事まではしないけれど、周りが殿下という立場を慮って言わないような事をズバズバと言うようになったそうだ。
何故かそれがフィリップ殿下の胸に刺さったそうだ。あの冷たい視線で射抜かれつつ責めたてられるのが堪らないらしい。……殿下、変態ですか。
それから王子は僕アレクをレティシア様のそばに置き、そして王となるべく勉強を今まで以上に頑張った。そして商売上手だと僕から聞いたレティシア様に良いところを見せようと商売の勉強も密かにされていた。
……そこまでは、良かったのだ。
その時見つけたのが、今殿下にくっついているピンク髪の令嬢の子爵家の不正だ。子爵家も商売をしているのだが、どうにも闇の商売、禁制の薬の販売などにも関わっているようで、それを調べるべく彼女に近付いた。どうやらそれで手柄を立てて、レティシアお嬢様にいいところを見せようと思ったらしい。
でもそれ、王子自らされるべき事ですか?
そして結局、肝心のレティシアお嬢様よりもその子爵令嬢といる時間が長くなっている。そしてあろうことか、その子爵令嬢とも付き合っているようだった。……それ、本末転倒って言うんですよ。
相変わらずレティシアお嬢様の様子を聞いてくる王子だけど、明らかに子爵令嬢をつまみ食いしているようなこの状況に、僕もそろそろ見切りをつけないといけないと感じ始めていた。
――いよいよ今日が、学園の卒業パーティー。
殿下はすっかりあの子爵令嬢に骨抜きにされているようだけれど、まだこちらにも婚約者としてドレスやアクセサリーなどの贈り物はしてくるのよねぇ。あの子爵令嬢にもしているようだけれど。……マメな男ね。
そして今日のパーティーは私のエスコートをしてくれるようだわ。よく子爵令嬢が納得したわね? ……さあ、どうするおつもりかしら?
「ああ、綺麗だ。やはりレティシアがこの世で一番美しいよ」
そう感極まったように言うフィリップ王子に、
「まあ、どなたと比べて一番なのかしら」
レティシアはそう冷たく返す。すると王子はヤキモチを焼いていると思ったのか、困ったように微笑んだ。……本当にどうしようもないわね。
……学園で街で、あれほど親密にあの子爵令嬢と一緒にいて、どうして何事もなかったかのような態度を私にとれるのかしら?
パーティーの会場に入ると、王子が正式な婚約者である私をエスコートしている事に皆が少し驚く。……私も公爵家に迎えに来た王子を見てとても驚いたから分かるわ。本来あるべき姿のはずなんですけどね。
そうして広間の中央付近を見ると、子爵令嬢が1人立っていた。王子が贈ったのであろう王子の瞳の緑のドレス。……嫌だわ、私とお揃いじゃない。本当に趣味が悪いったら。
そして彼女は私達を見るなり、こちらに向かって来て私を指差して叫んだ。
「レティシア スペンサー公爵令嬢!! 今からフィリップ王子は、私を酷くいじめた貴女を断罪し、婚約破棄を言い渡すんだからぁ!!」
…………それ、貴女が言うんですか。
言ってやった! と満足げな子爵家令嬢をよそに、隣のフィリップ王子の様子を窺う。あら、お顔が真っ青ですわよ? とりあえず王子はこんな風にするつもりはなかった、という事なのかしらね?
「どういう事なのか、お伺いしても? フィリップ殿下」
私は至極冷静に王子に尋ねた。パーティー会場は既に大騒ぎだ。
「いや……、コレは違うんだっ! この娘が勝手に! 私が愛しい貴女に婚約破棄なんてするはずがないじゃないか! この娘は何か思い違いをして……!」
青い顔でしどろもどろと言い訳をする王子に、子爵令嬢は必死で噛み付く。
「何言ってるんですかぁ! 王子! 私だけだって……、婚約者とはその内別れるからって、そう言ってたじゃないですかぁ! だから、私は家の秘密も話して……」
子爵令嬢がまだ何か話をしている時、パーティー会場に衛兵達が入って来た。そして戸惑う生徒達を掻き分け、子爵令嬢のところまでやってきた。
「お身柄、拘束させていただきます」
そう言ってあっという間に彼女を取り押さえてしまった。どうやら彼女の子爵家が不法な薬品を取引をしていて、その証拠隠滅の防止の為に一族使用人に至るまで捕縛されるらしい。
「いやっ!! どうして? 私は助けてくれるって言ったじゃない! そしてどこかの高位貴族の養女にしてお妃様にしてくれるって……! いやっ! 私に触らないでぇ!」
必死に王子に向かって叫び続ける子爵令嬢から、フィリップ王子は視線を逸らした。
「……ッ! 酷い! 初めからそのつもりだったのね! なんて人なの!」
……おそらく、フィリップ王子は子爵家の不正の証拠を掴む為に令嬢に近付き、利用するだけして彼女を捨てたのだ。
会場中の人達がそれを察した。そして自業自得とはいえ、哀れな子爵令嬢が連れて行かれるのを後味の悪い思いで眺めた。
卒業パーティーの会場が、しん、と静まり返る。
「……さて、フィリップ殿下」
私レティシアはフィリップ王子に話しかけた。
「! あ、ああ、なんだい? レティシア。私には本当に貴女だけなんだよ。それが不正を暴く為とはいえ貴女には辛い思いをさせたね。彼女にはなんの感情もない。本当に証拠集めの為だけだったんだ。私は貴女に永遠の愛を……」
「いりませんわね」
私が話しかけた事で、なんとか持ち直そうとしたのか、いつもの調子で話し出した王子に、レティシアは一言で言い切った。
「え……。レ、レティシア? 今なんて……」
「いりません、と申し上げたのですわ。私は殿下の薄っぺらい愛など必要ありません。……そして、謹んで『婚約破棄』を承ります」
私はそう言って、王子に完璧な美しいカーテシーをした。
呆然とする王子をよそに、出口に向かって颯爽と歩き出す。
そして正気に戻った王子が慌てて声を掛けてきた。
「ま、待つんだ! レティシア! 私は『婚約破棄』をするだなんて一言も言っていない!」
そのまま立ち去ろうとしたけれど、少し思い直して足を止め、振り向かないまま答える。
「先程の子爵令嬢が、貴方様のお言葉を伝えて下さったではありませんか。……それで十分でしょう」
そして私は呼んでおいた公爵家の馬車に乗った。王子はそこまでは追いかけては来なかった。
そうして公爵家に帰り、王子と婚約破棄をした私は勘当を覚悟した。
王子と婚約破棄をした娘など要らないと言われるかと思った家族は、話を聞き私を優しく温かく迎えてくれた。
そして王子に対して家族全員が怒り狂い、早速父が登城し国王陛下に苦言を申し上げた。
王家も王子がしでかした不始末に慌て、事実と確認すると正式な謝罪があった。そしてフィリップ王子は不正を暴きたかっただけでレティシアと婚約破棄などするつもりはなかったと、なんとか婚約を継続して欲しいとお願いされた。……が、私は勿論のこと怒る我が家族も、決してそれには頷かなかった。
そして今回の事はたくさんの貴族達がいた場所で起こった為に、フィリップ王子の王としての資質に皆が疑問を持ち王家への不信感が高まった。
目の前でそれまで明らかに親密な関係だと思われていた子爵令嬢を見捨てる場面を目撃したのだ。自分達も不意に裏切られる事がないとどうして思えるだろうか? そして我が公爵家もそんな王家にこれから協力は出来ない、と強い態度で臨んだ。
すると我が家の派閥の貴族達もそれに倣い……。どうにもならなくなった王家は、事の発端となったフィリップ王子に処罰を与えるしかなかった。
幾ら不正を暴く為とはいえ、1人の女性を弄んだのだ。彼女にも問題はあっただろうが、彼がした事は人として、そして王として人々の上に立つ者としてとても許される事ではなかった。
そして、フィリップ王子は廃嫡となり、次の王位継承権を持つ者に王太子の座は移ることになった……。
「え!? お兄様が王太子、ですか?」
普段冷静沈着をモットーにしているレティシアが思わず声を上げた。
「そうですよ。長兄様は王位継承権第3位でしたからね。あ、レティシア様は第5位ですよ?」
さらっと答える商会長代行のアレクに、「それは分かってるわよ」とレティシアは言った後、
「でも……。王弟殿下がいらっしゃるでしょう? それにそのご子息も……、あ……」
「王弟殿下はご病弱でお断りになられたそうですよ。そのご子息は少し前、隣国へ婿養子に入られる時に王位継承権は放棄されています」
「そう……。そうだったわね。フィリップ殿下は1人息子。今の陛下は王弟殿下と2人兄弟。そして先代の国王は妹王女と2人兄妹。その妹王女は……」
「そうですね。レティシア様のお祖母様です。初めスペンサー公爵閣下にお声がかかったそうですが、今から王太子の位は荷が重いと辞退され、結果長兄様にお決まりになられたそうでございます」
……今まで『悪役令嬢』と『婚約破棄』、その後の生活ばかり考えていて、その後の王家の事まで考えていなかったわ。まさか、我が家に王冠が回ってくるとは……。
頭を抱えるレティシアに、アレクは優しく言った。
「これで、レティシア様は押しも押されもせぬ我が王国の王女殿下であられます。しかし、海の見える街や空気の良い山岳地帯近くの高原の街に住むという夢は叶わなくなってしまわれましたね」
そんなアレクをレティシアはじっとりとした目で見詰めた。
「夢って……。『悪役令嬢』として身分を剥奪されるだろうから、後々快適に暮らせるように万全の対策をしていただけよ。……はぁ……。
……ああ、でも、商売は続けたいのよね。アレク、協力してくれるんでしょう?」
お嬢様に頼りにされている。
そんな喜びを胸にアレクはとても良い返事をした。
「勿論でございます。お嬢様。私はいつもいつまでも、お嬢様を一番に考え行動して参ります。……お慕いして、おります」
最後、どさくさに紛れて少し小さな声でポソリと言った言葉にレティシアは驚いた。彼をよく見ると、少し恥ずかしそうに目だけを逸らし、顔が赤くなっている。
今、レティシアの一番信頼できる人。……これが恋かは分からない。これからそうなっていくのか、まだ何も分からない。……けれど。
「……ありがとう。私に言えるのは、今私が家族以外で一番信頼できる人は貴方、アレクだってことだけよ」
そう今の自分の気持ちを、それこそ『悪役令嬢』らしくズバリと、少し偉そうに言ってみた。
アレクはそれを聞き、照れながらも満足げに笑ったのだった……。
――それから数年後。
元スペンサー公爵家嫡男は国王となり、王家という一番高いところからだけでは見えない各地の生活を知ったその采配は、このファルシオン王国を大きく発展させた。
次男はスペンサー公爵として兄である国王を支えた。
そしてその2人の妹でスペンサー公爵家の運命を大きく変えるきっかけとなった、前王子から『婚約破棄』をされたレティシアは……。
「お嬢……、レティシア。もうすぐ子供も生まれるのだから無理をしてはいけない。二番目だからと油断してはいけないよ」
「アレク! 分かっているわよ。ただ、今回輸入されてきた物の中に気になる物があるのよ。多分コレは『胡椒』だと思うのよね……」
「レーティーシーア! 今は人に任せられる事は任せて無理はしないの!」
「はいはい。……旦那様は心配症ねぇ」
レティシアはスペンサー公爵家が持っていた別の伯爵位を継ぎ、初めは小さかった商会をこの国一番の会社にした。そしてその隣には、元々は貧乏伯爵家の五男で『御庭番』として本来王宮勤めだったアレク。彼と心が通じ合い晴れて結婚したのだ。
アレクはレティシアにベタ惚れである。そしてそれを照れつつ受け入れるレティシア。
(このレティシアのツンデレ? ぶりが、いつぞやのフィリップ王子も気に入っていたんですかねぇ。レティシア本人は『悪役令嬢』だなんて言ってますけど。……まあよく手放してくれたものです。フィリップ様には感謝しかありませんよ)
アレクはそう思いつつクスリと笑う。
今、元フィリップ王子は辺境の地で一騎士として働いている。王家の血を利用されてはいけないので、近くには監視人も数人付いている。勿論結婚したり子を儲けることは許されていない。
……これは、現在国王となったレティシアの兄の横やりなのではないかと思っている。彼は可愛い妹を苦しめたフィリップ元王子を許してはいなかったのだろう。
そもそもあの卒業パーティー。フィリップ王子はあの時、子爵令嬢はもう既に捕縛されていると思い込んでいた。……それがパーティー会場に現れて人々の前で全てを暴露されてしまった。
……アレクは、あのパーティーに参加したいという子爵令嬢の願いを、ただ一度叶えてあげただけ。……ただ、それだけ。
「ああ! でもやっと念願の胡椒を見つけたかもしれないのよ! コレが広まれば世界の料理はガラリと変わるわよ!?」
目をキラキラと輝かせ話すレティシアを、アレクは眩しそうに見て優しく微笑んだ。想い合う2人はふふと笑い合った。
そうしてそれからも2人は仲良く商会を切り盛りしていった。社交界にはレティシアが元王妃教育の完璧な作法でやり取りをし、今も自称『悪役令嬢』を全力でやり切っている。アレクも商売の勘がいい。商売も私生活も大成功を収めた2人だった。
そうしてスペンサー公爵家の三兄弟は協力し合い、ファルシオン王国を大きく繁栄させていったのだった。
お読みいただき、ありがとうございます!
今回お兄様達が、1番驚いたのかもしれません。
いずれ『宰相』か『大臣』と思っていたのに、まさかの『国王』、繰り上がって国の『筆頭公爵』ですから……。
それもそれが妹の不幸によってなった事だと思うと、妹大好きお兄ちゃん達は素直に喜べません。というか、いきなりの重責に戸惑っていました。
肝心の妹レティシアは、『断罪』回避、しかも素敵な旦那様ゲットのこの結果に不満はないようです。