積層都市ミナヅキ・裏①
街中。吐き出す息が白く曇る。
空調が管理されている上層であれば有り得ない現象ではあるが、人が居ないことになっている下層ならば何の不思議もない。
寒い。今の――電脳時代、人であれば一生感じることが無いモノもいるその感覚の中、下層の住人、つまり、人と認められていない人達は、じっ、と路地を行くモノを見ていた。
積層都市の上層は作った企業の色が濃く出るが、下層にはそう言った色はあまり出ない。
クライシの様に企業が映画館でも作ればその周辺だけは“色”が変わるが、基本的に余裕の無い環境だ。
そんな状況では出来ることは限られているので、空には常に光源が吊るされ、夜は無い。
だが、弱い光故、常に薄暗い。
そんな薄暗いミナヅキの下層である第四層、そこの住人達の視線の先には一人の少女が歩いていた。
歩く度にふわりと膨らむ薄手のワンピースの上にニットのカーディガンを羽織り、足元は白いミュールと言う薄着。
鉄鞘に納められた脇差を後ろに回した手に握っているが、銃器はなく、軽装。
「――、――」
腰に届く程の長い髪は色が薄く、それでも手入れされていることを誇るように下層の少ない光の中でも輝き、ともすれば眠そうに見える垂れ目は纏う空気に相応しい穏やかな水色。口元にも笑みを讃え、少女は楽しそうに鼻歌を歌って歩いていた。
上層であるのなら、これらは何の違和感もない。
華奢な少女が、解れも汚れも無い奇麗な服を着て、散歩していても何の不思議もない。
だがここは下層。更に骨まで染みる冷たさの中。それ故に異常。
そんな少女を見て暗がりの住人達はその美味そうなあり方に生唾を飲み込み、何人かはその不自然さに更に暗い場所に潜って行った。
――どちらが賢いのか?
答えは後者だ。
薄い色の髪を靡かせ、鼻歌を歌う少女。彼女の耳は変異の結果、長く、尖っていた。エルフ。肉体強度は低いが、補助脳の発生により例外なく一流どころの超能力者である者達だ。
幾ら薄着であれ、軽装であれ、華奢な少女であれ、発現している能力によってはそんなモノは何のハンデにもなりはしない。
例えば、見るだけで対象を焼き尽くす。そんな発火能力者や火炎操作能力者は珍しいが、珍しいだけだ。
彼女がそうでない保証は何処にもない。
だが、彼女がそうだと言う保証もまた同様にない。
それでも彼女に襲い掛かるモノはいなかった。暗がりの住人。弱い者しか狙わない、或いは狙えない彼等は弱いのだ。だから彼女から感じる何かを警戒したのだろう。
つまり暗がりの彼等は全員が最終的には賢い選択をした。彼等がソレに、己の判断が正しかったことを知るにはそれ程時間は掛からなかった。
「こんばんは」
散歩の最中、近所の人に出会ったかのような音。
気負いなく、恐怖なく、何でもなく、少女が声を掛けたのは二メートルを優に超える二体の全身機械体。それも都市間の戦争で使われる、上層には持ち込むことすら許されない正真正銘の軍用のソレだった。
『『……』』
あまりに自然に声を掛けられた二機が思わず、と見つめ合う。そして数秒の間。
『あー……のな? 配達先、間違えてると思うぞ。お嬢ちゃん』
あまりの毒気の無さに、少しの優しさでもって応じる。
彼らは間違えた。彼らは暗がりの住人よりも賢いはずだったが、彼等は暗がりの住人よりも強かった。
だから、知らなかった。
「いえ、わたしはそう言うお店の子ではないわ」
悪意無く――
「? そんなら――」
敵意無く――
「ここに殺しても良い人達が居ると聞いたから来たの」
呼吸をする様に自分達を殺せるモノが存在するということを、知らなくて、想像できなかった。
二刀を二振り、合わせて四刃。
いつの間にか少女の握っていた脇差とその鉄鞘が空に浮かび、全身機械体の首を斬り飛ばし、その頭部を叩き潰していた。
「……あら?」
同時に、警報。少女の目的地が騒ぎ出すのをみて、心底不思議そうに少女が小首を傾げる。そんな余裕は与えなかったはずなのに、何故? と。
ただ単純に二機の内の一機の脳が頭になかったと言うだけなのだが、その“殺し”の腕程はサイボーグに詳しくないのか、少女は心底不思議そうに「うーん?」と唸り、考え出ている。
傾けられた首を追う様に、身体も傾けられだす。
髪が流れる。
髪が流れて、うなじが露わになる。
その首の裏には――
音が響いていた。
ミナヅキ第四層。暗がりの中。
それでも『表』から伸びて来た手であることを示す為に周囲よりもしっかりと造られたビル。千仁会の本拠地に音が響いていた。
千仁会はサイバネ・ヤクザだ。仁は『刃』でもあり、『人』。とある企業子飼いの刃、荒事屋であり、ソコの為に実験用のネズミを下層から攫う調達屋だ。
だからこう言った音が鳴ることは稀にだが、ある。
攫ったネズミのチームがー、とか、他との縄張り争いの引き際を間違えてー、とかだ。
「クソが!」
だからと言ってそれを許せるかは別だ。
撫でつける様にして金髪の髪を寝かしつけた獅子の様な青年が悪態を吐き出した。
ここ、千仁会を任されているジャンと言う男だ。
身長は高いが、荒事屋としては薄く見える。だが襟元を緩められたダークスーツからはみ出した首から両頬を覆う金属質な『肌』が身体がどうなっているかを示している。
「クソがクソがクソがクソがッ! 俺は今日オフだったンだぞ! 後はファックして、酒飲んで明日からの労働に備えるだけだったつーのによォ! 呼び! 出し! てん! じゃ! ねぇぇぇぇぇえェ! クソどもがッ!」
それを示す様に悪態を吐き捨てながら報告に来た部下の顔面に八つ当たりの一発。そのチタン製頭骨を文字通りに殴り飛ばした腕力はとても生身のモノではない。
「……ンで? 今回はどこのアホだ? ホリデーズ? ニタ商会?」
「いえ、それが――」
答えではなく、言い訳をしようとした。あまりの苛立ちにそいつに裏拳を叩きこむ。頭蓋を砕き、脳を潰し、制御と命を失った身体が崩れていく様を見もせずにジャンは「クソが!」と更に悪態を吐き出し、電脳を使ってカメラの映像を拾う。
「あァン? デリ嬢映ってんぞ?」
「――」
「おい! 俺が! ボケたんだから! 突っ! 込め! よ!!」
ただ休暇を邪魔された苛立ちをぶつけたいだけなのだろう。側近の残った一人の髪を掴み、その腹にブローを六発。腹を砕き、内側の機関をめちゃくちゃにして、強化プラスチックの背骨を圧し折る。
「ったくよォ! 苛つかせるんじゃねぇ、クソ雑魚どもがッ!」
ばりっ、と犬歯を鳴らしながらジャン。
率直に言って――頭が悪い。
数は力だ。部下は会社のモノであってジャンのモノではない。だからこんなことは許されない。通常ならば。だが――ジャンならば許される。
「……見ねぇ顔だな? 他所モンだな……エルフ。サイキックは――念動力、か? ……いや。それにしちゃァ動かしてる数が少ねェ……この程度なわきゃぁねぇから……何かタネあンなこりャぁ」
数を超えた質。頭の悪いクズでありながら、勘の良い強者だから許される。
取り敢えず――と電脳を通じてビルの防衛システムに接続。自動から半自動に切り替えてみるが――
「――ッ!?」
疑似神経回路の一部が侵され、攻勢防壁が防衛システムの操作プログラムごとウィルスを焼き払う。目の前のエルフ――のモノではないと確信できる特A級が組んだであろうウィルスだ。多分、このエルフを雇ったか、送り込んだ連中からのハッキングだ。「ちっ」。多分この癖はニタ商会。
「……クソが」
ジャンの鼻が嫌な臭いを捉える。それは死臭だった。己の身体から、或いは未だモニターの中にいるはずのエルフの少女から漂っている。今晩、どちらかが死ぬ。
相手が――と言い切れない。
モニターの中、角を曲がった少女を、部下と未だ自動で動いている防衛システムの銃火が出迎える。監視システムのマイクがバグる程の轟音。崩れた音の威力を物語る様に、弾雨が迫るが――
「……」
やはり。とでもいうべきなのか、エルフの歩みは少しも緩まない。「……」。数が少ない分、操作精度が良い。空に浮かぶ鉄鞘と刀はまるで達人が振るっているような動きで彼女を守り、部下たちを切り刻み、防衛システムを破壊する。
――これ以上は無駄だなァ。
そう判断したジャンは部下達を引かせる。
あのエルフはジャンの側だ。数ではなく、質の側だ。クソ雑魚どもが自分に逆らいたくてもその力の差で出来ない様に、あのエルフ相手では何も出来ない。ただ、雑に殺されていくだけだ。
ジャンは頭の悪いクズではある。だから自分の部下が壊されることは大嫌いだ。
「クソがよォ」
ツラは良かった。エルフにしては肉付きもだ。勝った後は生きていようが死んでいようが使おう。そう決めて、しゅる、とネクタイを解き、乱雑な手つきでYシャツの上二つのボタンを引き千切った。動ける体制。軽くではあるが、ソレを整えた所で――
「こんばんは」
そこで、ソレが来た。
何でもない様に、散歩の途中であったかの様に、気軽に、敵意無く、挨拶をするエルフの少女。
空に浮かぶ鉄鞘と刀の変則二刀は無い。後ろに回した手。そこに納められている。警戒しないでも良いよ? 笑顔で告げられるそんなメッセージ。
「構えないでも大丈夫だよ。わたしはただ、道に迷っただけだから」
出てくる言葉もだ。
「それなのに……」
ちら、と後ろを振り返る。「――」。虫の息の部下が這って来ていた。「えい」と気の抜けた音。足元に転がって居た壁だか床の瓦礫を少女が蹴り飛ばし、その頭を弾く。「ぷき!」と鳴き声を上げて爆ぜた頭が回りを赤く汚した。
「……」
それを見たエルフの目に熱が入る。ちろ、と舌が唇を湿らす。露骨なまでの誘い。
「……ンだよォ。こっち見んなや」
「ごめんなさい。……怒らないの?」
「テメーがキレて欲しそうだからなァ」
だからジャンは乗らない。乗らない代わりに一歩を踏む。踏むと言うか、跳ぶ。
――兎。
兎、兎、兎兎兎兎、兎。
軽く、軽く、高く、軽く、リズム良く。
一度跳ねてしまえば後は勝手に身体が動き出す。
左の拳は頬に近く、垂直に。
右の拳はその垂直に立てられた左の肘の近くに水平に。
振り子の様に右を揺らしながら、両足に仕込まれたスプリングを使ってジャンが跳ねる。
「ボクシング?」
エルフが小首を傾げ、さら、と髪が流れる。
ジャンはそれを合図とした。
――豚。
ステップのタイミングが変わる。ステップの質が変わる。一歩。たったの一歩。軽くから、重く。高くから、沈むように低く。
それに合わせる様に砲弾が打ち出される。
一足一刀。
その間合いの遥か遠く。ジャンとエルフの間の距離は五メートル弱。
届くはずがない。
繰り出した拳に威嚇以外の意味は無く、開戦は未だ先。
だが――
だが。だからこそ――
この距離から拳を叩きこんでこその電脳達人。
デトロイトスタイルからのフリッカージャブ。
見事ではあるモノの、それだけであるはずの一撃だが、ジャンが放てばそれに留まらない。
伸びた腕がスーツを引き千切り、五メートルの距離を食い破り、エルフの顔面を――
「もう、初めて良いの?」
鉄鞘が、それを弾く。
「……」
弾かれた腕が撓む。撓んだそれを引き寄せて――
「クソがッ!」
兎、一度の跳躍。豚、深い踏み込みからの――速射!
腹、顔、顔、顔、顔、腹、腹、顔と音を超えたことを告げる炸裂音と共に拳が放たれる。
「そう! 良いのね!」
返って来たのは弾むような声音。合わせる様に変則の二刀が跳ねる。鉄鞘を盾に、空に浮かぶ抜き身の刃が撃ち込んだジャンの拳を斬る――否、削る。
(――刀鞘術ッ!)
弾き、削ぐ様にして捌く動きを見て、やはり! と確信する。
エルフが二刀にさせている動きの正体を捉える。確と武の色がある。ならば精度が良いと言うよりは――
「……死霊術。感応と念動力の混合型だな、テメー?」
「まぁ! あなた、珍しい超能力を知っているのね!」
死霊術。感応で抜いた技能を念動力で再現する超能力だ。
抜いた相手の質が良ければ“操作”に関しては大した制約もなく、目の前のエルフの様に超高精度でモノを操れる超能力だ。
欠点は抜いた量によっては抜かれた対象が廃人化してしまうこと。
それと――
「高度集中が必要で本体が無防備になるにも関わらず――範囲がせめぇ!!」
つまりはジャンの相手ではない。
再度の速射。音を打ち抜き、拳が躍り、ジャンが躍る。
兎。軽く、されど低く。その分速く。速射に合わせてジャンが前に出る。
アウトボクシングのデトロイトスタイルでありながらジャンは間合いを詰める。
「シッ!」
二連一射。
音は一度。されど超高速で打ち出された右の鞭が撃ち抜くは二。
鉄鞘と刀。二つを打ち抜き――JET!!
切り札である左のアッパーがエルフの顔面を打ち上げ、天井に新しいシミを――
「ねぇ、あなたサイボーグよね?」
「なッ!?」
止められた。片手で。左の拳が。顎を撃ち抜くはずだったはずの一撃が。エルフの手のひらによって。
流された? 否。その感触は無い。ただの単純な力比べ。サイボーグの剛力が、身体的に弱いはずのエルフの柔らかい手で止められていた。達人? そんな疑問が過り、即座に否定する。達人であれ、ここまでの剛力を持つモノは少ない。この細腕でコレは絶対に無理だ。
――無理な、はずだ!!
「サイボーグと言うことは映像、残せるのよね?」
「……だったら?」
振りほどこうと力を入れる。チタン製の骨格が軋みを上げ、内部モーターが唸りを上げる。だが――動かない。
「あなたの会社は結構大きいから、あなたを殺したらこの街の上にいる人達も映像、見てくれるかな?」
「……」
足。足だ。掴まれた手はもう良い。足だ。足を動かして逃げる。それだ。それだけだ。それだけが生き残る目だ。そうだ。そのはずだ。なのに――
「……クソが」
動かない。ピクリとも。押さえつけられている。圧倒的な力で。
「わたしは虎花。石徹白虎花」
動けないジャンの背後。弾いたはずの二刀、鉄鞘に刀が納まる音がする。
浮いた脇差。
だが、それを見る人が見ればわかっただろう。刀の動きに合わせて人の動きを想像出来ただろう。その動き……否、その構えは――
「皆さん、どうか殺しに来てね?」
烏丸流刀鞘術の『拝み』と呼ばれるモノだった。
くっ!誰の剣なのか僕にはさっぱり想像がつかないゼ!!




