狛彦は話した
あ。見ましたね、今――
また――
つつましい胸元。そこに刺さった視線に気が付かないフリをしつつ、水無月鈴音は銀色の髪をそっと耳に掛けた。
その動作一つだけでも熱っぽい視線が首元に、露わに成った耳に、突き刺さる。
露骨な迄のオスの視線。
その持ち主の彼はつい先日、剣を使う達人として一つの区切りである一刀如意に入った剣客だ。
一刀如意。意をして剣と言うその領域。生涯を剣に賭して尚、触れることすらできないモノが多い中、若くしてそこに至った彼は間違いなく一流の剣客だろう。
だが、そんな一流の剣客の視線は――
今、その視線は――
「? どうかしましたか、とりまる?」
「……なんでもねぇですが?」
――私のモノです。
それが酷く愉しい。
視線の持ち主の彼。琥珀色の瞳と、黒と灰の混じった毛並みの彼。狛彦。烏丸狛彦。とりまる。
そんな彼は鈴音が始めて親しくなった男の子だ。
だから――。
だから一定の好意は持って居る。
都市間長距離バスの狭い三等客室。二つのベッドがカバン一つ分スペースを空けて並んでいるだけのその室内に二週間近く一緒に居ることを選ぶくらいには。
だがその程度だ。
一緒に寝食を共にすることに抵抗が無い位には仲が良い友達。その程度だ。
狛彦から自分に向けられる感情もその程度だ。
――いや。その程度だった。
一週間。
同じ部屋で過ごした辺りから、狛彦の視線に鈴音に馴染みのある色が混ざり始めた。劣情。それだ。
――まぁ、仕方が無いですよね?
何と言っても狛彦は年頃の男子なのだ。
可愛い可愛い自分と一緒に居れば我慢が出来なくなっても仕方が無い。
――私が可愛すぎるのが問題ですから、あまり責めるのは止めてあげましょう。
仕方が無いですね、と口の中だけでそんな言葉を転がして――
「あ、とりまる。面白い動画みつけましたよ。一緒に見ませんか?」
言って、ぽす、と体重を狛彦に預ける。
「!?」
『はーい、今日はちょっと面白い動画貰ったんで、ソレを見て行こうと思いマース!』
手の端末の中、再生された動画の中で道着を着込んだドレッドヘアの男がにっかり笑いながら『ジャン!』と言うとテロップが映し出される。
『題して――魔剣破り・黙刃木偶!!』
狛彦の二つ名であり、編み出した魔剣の名がテロップで表示されていた。
電脳時代に、機械化した相手と戦い、仕留めきれなかった場合の最悪の結末。動画に残され、晒され、研究される。そんな最悪のパターンを辿っている。
武とは秘だ。
知られていないと言うことはそれだけで力となる、
だから当然、こんな風に自分が編み出した魔剣を解説されるのは達人にとっては屈辱以外の何物でもない。ない、はずなのだが――
「? どうしましたか、とりまる?」
「……なんでもねぇですが?」
鈴音がもたれ掛っている関係上、胸元に置かれた端末の画面を見ようと思えばどうしたって視界に鈴音の胸元が入ってしまうからだろう。モニターの中で『はい! ここ! 下がれば見ての通り死に体を晒すだけ、あとはカモ!』と的外れな解説をされているのに、狛彦は全力で顔を逸らして見てもいない
「あの時はあのタイミングでしたけど、あなたの強靭で柔らかい足を生かしての、片足の踏み込みで空いた片足を使ってどんな体勢からでも踏める二歩目があの魔剣の要ですよね? 凄く的外れなこと言われてますけど……良いんですか?」
「……良いんじゃねぇですかね?」
「へぇ?」
んふ。
ぶっきらぼうな、吐き捨てる様な声音に思わず鈴音の口元が歪む。
――良い訳ない癖に。
もう既に真っ赤になった耳には言葉もまともに届いていないらしい。「……」。にこー、と鈴音の口元に小悪魔の様な笑みが浮かぶ。ちろ、とあまりのあまりさに思わず舌が覗く。
「本当に良いんですか? ちゃんと見た方が良いと思いますよ?」
「み、見てるし! ちゃんと見てるから! こっちくんな!」
「え? 何ですか、その態度? どうしてそっち行ったら拙いんですか? 私、分からないので教えて下さいよ、とりまる」
仔猫が大型犬にそうする様に狛彦にじゃれつく鈴音と、そんな仔猫の態度に迷惑そうながら、どうしたら良いのか分からない大型犬の様に距離を取ろうとする狛彦。
そんな風に狭い部屋の狭いベッドの上でじゃれ合えば――
「……」
「……」
鈴音の銀色の髪がベッドに広がり、二人が見つめあう。狛彦が鈴音を押し倒すような形になっていた。言葉はない。互いに。だが一度、狛彦の喉が鳴った音が静かな部屋に響いた。
「……なんですか、とりまる?」
「――わりぃ」
何でもないよう言いながら、狛彦が起き、部屋の隅、壁に張り付くようにして距離をとる。
「――」
そんな狛彦の服の様子、特にズボンの一部のかたちが変わっているのを見て、ふぅーん? と鈴音の目が細くなった。
冷静なふりをしているが、既に自分の身体がどうなっているかの把握もできていないのだろう。拍動に血流までも操作してこその達人にあるまじき無様を狛彦は晒していた。
でも――
それでも、その無様は――
「私、少し出てきますね、とりまる」
鈴音には大変好ましく思えてしまった。
男の子な狛彦を放置して部屋を後にした鈴音はその足である場所を目指していた。
シャワールームである。
狛彦は最早色々と限界だ。いつ襲ってくるかもうわからない。
ある程度仲が良いとは言え、鈴音としてはそこまで許してやる気はない。やる気は無い。が。それでも万が一ということが有り得る。
力づく。もし、それでこられたら――
鈴音は。非力な鈴音は――
「――まぁ、なんとかなりますね」
ふむ、と鈴音。
狛彦が達人であるように、鈴音も達人だ。
この電脳時代、電脳化の利を捨てでも生身を維持することで氣を扱うことを許された超人の一人である。“非力”を自称してみたが、間違っても非力ではない。
更に言えば狛彦が剣を得物とするのに対し、鈴音が得意とするのは無手。車内に危険物を持ち込めず、剣士である狛彦が刀を奪われたのに対し、拳士である鈴音の得物である四肢は当たり前だが今もここにある。
だから“もしも”の時も、鈴音は抵抗できるし、多分勝てる。多分って言うか普通に勝てる。素手対素手なら絶対勝てる。それでも、万が一。万が一の為に――シャワーを浴びておかなければいけないのだ。
「……ちょっと、足首の調子が良くないですからね」
誰に言うでもなく、言い訳の様に鈴音。
もしかしたらさっきじゃれ合った時に変な捻り方をしてしまったのかもしれない。
都市間長距離バスは時に『動くホテル』と称されることもある。
人が住める場所はこの広い世界においてあまりに少なく、更に点在するそこを渡るには危険が伴うからだ。
速度は出せず、とろとろとした速さ。そして当たり前のように遠回りをする以上、今回のような二週間近い滞在は流石に稀だったとしても三日は普通に掛かってしまうのだから当然だ。
食堂もある。娯楽施設もある。電脳化されていればバスのライブラリに接続することで疑似体験プログラムへのダイヴすら可能だ。
それでも街中のように自由に使えないモノがある。
水だ。
特に今回の様に運行が予定を大幅に超えてしまった場合、飲料以外の用途への使用は著しく制限される。シャワーなど制限される最たるモノだろう。人は水を飲まないと死んでしまうが、臭くなっても死ぬことは無いのだから。
だから一等客室の金持ちも、五等客室に詰め込まれた貧乏人も、まとめて臭くなるしか道は無い。酷い話だ。
勿論、実家が都市を持っていると言う正真正銘のお嬢様である鈴音だって例外ではない。
三等客室だったこともあり、鈴音が最後にシャワーを使えたのは既に一週間前のことだった。一応、そうなることも想定されていたので、衛生関連のアメニティは充実している。お風呂シートも紙シャンプーもある。あるが……流石に今回は、だ。
そんな訳で鈴音はシャワールームの前にやってきた。
人気はない。
二週間近い運行により、最早水の価値は命に近くなっている。そんな中、シャワールームに用事があるものは余程の愚か者だろう。
「……そんなに切羽詰まっているようには見えないねぇ?」
ひひ、とシャワールームの管理を任されている老婆が、鈴音を見て笑った。
風呂に入らなくても、人は死なない。
それでも、“どうしても”と言う者はいる。老婆はそれを見極める番人だった。
老婆は金では動かない。
老婆は感情でも動かない。
動かすのに必要なのはただ一つ。納得できる『理由』だ。
だから鈴音は――
「同室の男子が、私の可愛さで色々と限界です」
このままだと私は一週間お風呂に入ってない状況で初体験を迎えます、と狛彦のせいにすることにした。
鈴音は無事にシャワーを浴びれた。
それは鈴音の交渉が巧みだった――と言う訳ではなく、老婆自身もかっては『少女』だったからだろう。遠い、思い出。それが彼女の心を動かしたのだ。
「――」
そんな訳でほかほかとした身体で戻って来た部屋の前、鈴音は何となく袖を口に当てて、ぷー、と息を吹き込んでみる。傍若無人。そんな鈴音だが、これからのことを思うと、流石に少しだけ緊張する。
勿論、許す気は無い。そこまでお安い女ではない。好意はある。それでもそれは未だ友人に対するモノの割合の方が多い。
だから抵抗する。もしそうなったら――狛彦の狛彦が狛彦になって狛彦が狛彦して来た場合、鈴音は全力で抵抗する。
そうなっても九割鈴音は勝てる。勝てるのだが――
「……ちょっと手首の調子が良くありませんからね……」
今のコンディションだと万が一と言うことがあるのだ。
だから鈴音は少しだけ覚悟を決めて扉に手を掛けた。
因みに。
シャワー前に調子が悪かったのは――足首だ!
「?」
そうして僅かに硬くなりながら、足首が痛くなった鈴音が扉を開けて先ず感じたのは違和感だった。何と言うか――狛彦の態度が違う。部屋を出る前にはあれ程までに狛彦だったと言うのに、今は何と言うか……とりまるだ。
何やら暇つぶしにスケッチブックに鉛筆を奔らせているが、その眼に先程までの様な『色』は無い。
「戻りました、とりまる」
「おー、おかえり。風呂入ったん?」
「シャワーですけどね」
「へー」
声を掛けて視線を引っ張るが……左程興味が無いのか、直ぐにスケッチブックに落ちてしまう。「……」。少し……いや、かなり面白くない。
何となく、ごみ箱を見る。丸められたティッシュは無し。トイレも確認する。トイレットペ―パーは育ちの悪い狛彦には出来ない状態、つまり三角に折られたままだった。ここも使っていない。つまりは――
――やせ我慢ですね。
強がらなくてもいいのに、と背後から狛彦に伸し掛かってあげる。「何描いてるんですか?」。さら、と髪が流れる。鈴音のお気に入りのシャンプーの香りが広がる。これには狛彦の狛彦も堪らず再び狛彦に――
「ん? 展望室から見えた景色」
暇だから売ってみようと思うんだ、と狛彦。「……」。少しも動揺しない。大変面白くない。ぷ、と鈴音の右頬が膨らんだ。「そうなんですか? 少し見せて下さいよ」。ここまでしてあげる気はなかったが……大サービスだ。狛彦肩越しにスケッチブック覗き込むようにして更に身体を――胸を当ててあげる。
「俺、今臭ぇからくっつかん方が良いぞ?」
「……」
すん、としながら「はなれろー」と狛彦。
覗き込んだ顔には鈴音が望んだ面白い感情は無い。
――ここまで、私が、して、あげてるのに。
大変面白くない。いや、もうそこは通り越して――ちょっと、腹立たしい。
「とりまる、とりまる。正直に答えて下さい」
「あん?」
「さっきまであんなにあんなだったのに、どうして今は平気なんですか?」
「……言ってる意味が良く――」
「わかるでしょう?」
びき、と鈴音の手刀が軋む。
言葉遊びで逃がしてやる気は無い。
見惚れる程に滑らかで、無駄の無い硬気功。一呼吸でソレを成し、返答には気を付けろよ? と鈴音。「……」。受けた狛彦の喉が、ぐ、と一度唾を飲み込む。バレている。先程まで鈴音を雌として見ていたことが。それは確定。そこは確定。問題は誤魔化すことを許してくれるかどうか、だ。
因みに狛彦に素直に認めるという選択肢は無い。
「なんのことだか――ッ!?」
――分かんねぇぜ? ちょっと自意識過剰なんじゃないですかね、お嬢様?
そんな言葉を塗り潰す一手。狭いベッドの上。最小限にして最高効率で回される鈴音の身体、力。膝立ちの状況から放たれたとは思えない手刀が狛彦の頭を貫くべく放たれ、それを狛彦は紙一重で避ける。避けた。避けてしまった。避けてしまったから――咄嗟に延ばされた親指に頬を切られた。
手入れのされた爪が、すぱ、と肉を切り裂き、シーツに狛彦の血が流れ落ちる。
「私は言いましたよ、とりまる? 『返答に気を付けなさい』って。身の危険を感じさせて、シャワーまで浴びさせといて、どうして今は平気なんですか?」
「……」
密着状態。剣士である狛彦の刃圏からは外れ、拳士である鈴音の拳域。そんな中、ふわ、と死の匂いの中に鈴音の匂いが混じる。シャワーを浴びて、薄くなった鈴園の匂いが狛彦の鼻孔をくすぐる。大変良い匂いだ。大変良い匂いなのだが……目が本気だった。
だから狛彦は話した。
死にたくないから話した。
狛彦はイヌ科なので、匂いのきっっっっっつい女の子が大好きなのだ、と。
一週間風呂に入っていなかった鈴音の匂いはそれはもう、それはもう! だったのだ、と。
正直に自分の性癖を開示した。
「…………………………………………」
だからすごい目で見られたけど、殺されなかった。
狛彦(隠語)
そんな訳で狛彦の異性の好みは容姿でもスタイルでもなく、匂いの要素が一番強いです。イヌ科だから。
そして好きな匂いは仲間の匂いなので、一緒に過ごせば勝手に好感度が上がっていきます。ちょろい。でもしょうがない。イヌ科だから。
だから義妹は気づいてないけど、彼女が三日風呂入らない状態で抱き付けば狛彦の狛彦(隠語)は狛彦(隠語)になって狛彦(隠語)してきます。
バレてなくてよかったなぁ、狛ァ!!
はい。
お久しぶりの更新です。
違うんですよー。本当はもっと早く更新出来るはずだったんスよー
でもリハビリに書いた奴の書籍化が決まってそっちに行ってたんスよー(宣伝)
そんな訳で「ジャンクバード」が書籍化しました(宣伝)
だから今後のことを考えたらあっちの更新を優先するべきの様な気がする。気がするけど、気にしない。何故なら私は魚雷だから。間違えた。
と、言う訳でまた暫くはよろしくですm(_ _)m
あ。
でもストックがあんま無いので毎日更新はしないです。二日か三日毎くらい? かな?




