魔剣・黙刃木偶
※一気に三話更新(2/3)
音が死んだ。夜が死んだ。
誰も彼もが動けぬ中、それでも吹きすさぶ風が運ぶ砂塵だけが“そこ”が絵ではなく、現実なのだと告げていた。
「……」
鋼と肉があった。
「…………」
「…………」
機械人形と達人が居た。
「………………」
「………………」
互いが互いに剣を利器とする請負人であり、武芸者だった。
無言。言葉なく。音無く。動き無く。ただただ向かい合う。
一流の達人同士の対峙にて生み出される至高の一枚絵。
ソレの模倣品。或いは紛い物。それがソコには有った。
片や八刃振るう電脳達人。
片や一刀掲げる未熟な達人。
故に描かれた絵画は出来損ないだ。
だがそれでもそこに描かれた殺意に偽りは無い。
奪う。殺す。その目的の為に二人の人型が向かい合う。
それはまるで吊りあった天秤の片側に雫が落ちるようだった。
少しづつ、少しづつ、落ちる水滴が重さとなる。何時動く? 何時か動く。その瞬間を待つ様に音は死に、夜は死に、人は呼吸を忘れる。
そして、今――
「来い、黙刃――!」
「――仕る」
天秤が、揺れる。
狛彦に烏丸流刀鞘術の天稟は――無い。
何故なら狛彦が持つ強みは人外の身体。狼の血。それは動の剣に向く力だ。静の剣である烏丸流刀鞘術には向かない。
どうしたって身体が動く。心を鍛えるよりも身体を鍛える方が容易く成果が出てしまう。それが狛彦の強みであり――弱点だった。
命のやり取りの最中、本当に追い詰められた時、どうしたって狛彦は動の剣に頼ってしまう。無影剣。見様見真似の紛い物であるアレですらそうだ。狛彦はあの時、最後に動の剣に頼った。
――それはダメだ。
何故なら身体の強さは有限。鍛えてもどうしたって果てがあるし、それを誇りたければ機械化をすればいい。生の肉を鍛えるよりも遥かに効率的に“力”が手に入る。
狛彦が人である以上、達人である以上、歩む道は静の剣でなければならない。
限りある身体に対し、心は無量無辺。なればそこに依る剣もまた同じ。
だから狛彦は動を捨てた。
動かない。先ずはそれから始めた。
それこそが狛彦が初めて一刀如意に触れた切っ掛け。
これはその時に編みだされた魔剣だ。
狛彦の純然たる殺意のカタチだ。
さぁさ見やれ聞きやれ皆々様。
これより演ずは剣客演武。
物言わぬ刃をかくかくと木偶人形が振るう人形劇。
されど悪意により術理を編まれ、悪意により放たれる正真正銘の魔剣。
烏丸流刀鞘術が一手、落葉が崩し――”黙刃木偶”なり。
それは、崩れるところから始まった。
無拍子。人間は立っているだけで既に位置エネルギーを持って居る。それを速さに代える不意打ちの技法から始まった。
未熟なモノであればそこで終わる。それでも八頭蛇刃の高性能なカメラは崩れる狛彦を正確に追っていた。追いかけていた。追いかけていたが故に八頭蛇刃の脳裏に疑問が浮かんだ。
――何をしている?
当然だ。踏み込みと異なり、無拍子による動作の起こりはどうしたって距離が稼げない。一足一刀。そう呼ばれる間合いには未だ遠い。現状はただ狛彦が倒れただけだ。
怪我を負っている狛彦はこのままアスファルトに倒れ、叩きつけられ、更に弱る。それでお終いだ。
だから八頭蛇刃は不思議に思った。彼方。剣を使う者同士の立ち合いにおいてそう評して問題の無い彼方の間合いで倒れ込む狛彦を見て疑問をもった。
――だがコレは魔剣だ。
人の脚にはバネがある。それは位置エネルギーとは逆に縮むことで力を得る。
身体が水平に成るほどまで倒しながらも畳まれたバネ。それが解放される。一足。無拍子の起こりから為される跳躍に近い一歩にて狛彦が一気に間合いを喰らう。
「――っ!」
入った。生存本能。電霊である八頭蛇刃は本来持ち得ぬその感覚。それが告げる。己が狛彦の刃圏に入ったと言う事実を。足を引く。間に合わない。逃げ遅れた左足が脛から斬り飛ばされる。
「は、はは、ははははは!」
それでも八頭蛇刃は笑った。
笑ってみせた。己の不様を? 否。己の勝利を確信して笑った。
八頭蛇刃は電霊だ。この身体は機械人形だ。足の一本や二本、斬り飛ばされた所でどうと言うことは無く、対して必殺の一手を放った狛彦は死に体だ。
地面と水平になるまで身体を寝かしての跳躍に近い一歩。
それは確かに見事だった。雲耀すら見切る目であれど、意の法境にて世界を見る一刀如意に至った剣客の感覚でこちらの意識の隙を突かれた以上、どうしたって遅れてしまった。
それでも避けた。
それでも躱した。
眼下にあるのは狛彦の灰と黒の混じった頭だ。
――アレを潰せば勝ちだ。
それが結果。常道の結果。
だが――
だが、しかし――
これは魔剣である。
黙刃木偶は魔剣なのである。
人の悪意が造り出した魔剣なのである。
勝ったと思ってはいけない。
それは勝ったと思わされたのだ。
悪意はそこに付け入る。
故に、跳ね上がる。狛彦の身体が跳ね上がる。
残った足にて地面を踏みしめ、狛彦は身体を跳ね上げる。
それは人外の挙動。
それはまるで糸で吊られた人形の様な動き。
二歩。今度は縦に。今度は逆袈裟に。刃金が遥か彼方、第一層のスクリーンに映る月を目指して振り抜かれ――
三歩。
伸びた力そのままに再度人形が崩れ落ち、重力に従う様に唐竹が放たれた。
ウサギはその姿を忘れない。
刀を持ったその姿を。自分達を助ける為だけに命を賭すその男の姿をきっと忘れない。
だってそれは彼の有るべき姿だ。
だってそれは彼がそう有りたいと願った憧れの姿だ。
真っ直ぐ、真っ直ぐに己の大切なモノの為に命を賭けるその有り様は、ウサギが初めて見た達人の姿で、剣客の姿で、ヒーローの姿だった。
『……狛彦』
ウサギがそのヒーローの名前を呼ぶ。
一時間。或いはもっと長い時間が経ったように思えたが、その実、紛い物の名画が在ったのは一分にも満たぬ僅かな時間だった。
地面に崩れたのは狛彦。
直立不動にて空を見るのは八頭蛇刃。
しかして勝者は狛彦で、敗者は八頭蛇刃だった。
ちり、と鎖が鳴く。八頭蛇刃がどうにか手を動かし、ドックタグを狛彦の足元に転がす。
「……俺ノ、負ケ、だ」
「あぁ。俺の勝ちだ」
会話はそれだけ。
積層都市クライシ。
その街で発生したテロはこれで終わった。