黙刃木偶
「ッ! 馬鹿かお前ら! こんな真似をして無事に済――む――……………?」
セリフの途中で全身機械体の頭が逆さまに回った。
掌打。顎にピンポイントで。
叩き込まれた一撃が可動域を越えて首を動かし、脳と身体の伝達機能を切り離した。
「バカね。無事に済むなんて思ってないから――」
それを為した銀色の少女が酷く冷めた声で言う。
「皆殺しにするに決まってるでしょ?」
ぽす、と柔らかく少女の手が機械の胸に添えられる。心臓はそこには無い。それでもそこには生命維持の為、或いはこの身体を動かす為の機械が埋まっている。
「……………………………………待っテ」
愛らしい少女の手。それが死神の鎌であることを理解してしまった全身機械体が訪れる結末を嫌がる様に掠れた電子音声で懇願する。
だがそれに返される言葉に温度は無かった。
「いやよ」
言って放つは北派円水拳が絶招、参態変之気、震雲掌。
地を踏み、足腰を通す間に増加させた勁力が手首より奔り出で、中で雲の様に広がり機械の身体を内側から蹂躙し破砕してみせる。
「先ず一人。魔剣連合はとりま――ジルがやるから、残りは……」
一、二、三まで指差し数えて四の所で鈴音はミリを指差し、くるくると回した。
――どっち?
銀色の温度の無い瞳がミリにそう問いかけていた。
「……この辺は汚染の関係もあって街との通信も出来ないのよ」
「そう」
「……だからここで起きたことは帰った人しかしらない……」
「そう。それで?」
――どっちなの?
「あはははは――こんの問題児どもがぁー!」
ミリが叫ぶと共にダッシュ。乱射されるアサルトライフルの弾雨を避けさせて潜る様にして接敵。ガン=カタ。打撃で相手の身体を無理矢理動かし、稼働して装甲が薄くなった関節部を拳銃の密着射撃で撃ち抜きながら砕いて行く。
そうして関節と言う関節を破壊してミリは糸の切れた人形の様に相手を地面に崩す。
「ウチの新人がほんっと、すいません。次からはもう少し上手くやる様に言っておきますので、許してやって下さい。……あの世でなぁ!」
「俺は黙ってる! だま、黙ってるからっ!」
「ごめん。でも、わたしもアンタら嫌いだからさ」
無理矢理仰け反らせるようにして首の装甲を薄くしてから銃口を突き付け、ミリは笑顔で引き金を引いた。
「これで残りは二……手間が減って助かりましたね」
「……ッ、の! 舐めんなァ!」
残った全身機械体の一人が叫びながら八機のガン・ドローンを展開、もう一人がARの掃射により鈴音を蜂の巣にしようとする。
仮想九対一。九つの銃火に晒された一輪の花がどうなるかなど常識であれば考える迄も無い。
だが、花は――
その銀色の花には――
――棘も毒も無くとも、武があった。
吹、と柔らかい風が吹いた。風の中心には鈴音が居た。舞う様に弧を描く鈴音が居た。掌からの氣の放出。剣に纏わせるでも、拳に込めるでもなく、大気に返す様にして世界を塗る。塗られた世界は膜となり、膜は鈴音を守る壁となる。
弧を描く。弧を描く、弧を描く。
柔らかく、緩やかに、水が流れる様にゆっくりと鈴音が間合いを喰らい――瞬間の加速。
柔らかさに、遅さに慣らされた全身機械体達には反応が出来ない直線の強襲。回転を威力に。水が速さで刃と化す様に、硬気功にて刃と化した腕を振り抜き、ドローン使いの首を跳ね飛ばす。
九対一でその結果だ。ならばドローン使いが落ちて一対一となった今――
「……降参、する」
「バカね、貴方」
「お、れ、っ――俺はっ! 反対だった! あんな子供を! 子供に、酷いことをするの――」
「皆殺し。そう言ったでしょ?」
そうなるのは必然だった。
――彼方の音を伴う対峙とは異なり、此方は静かな対峙から始まった。
「―――、―――」
錬氣呼法にて狛彦は勁穴にて練り上げた氣を勁脈に乗せて全身に渡らせる。口角より熱せられた伊吹が白く燻り、空へと昇った。
それは蒸鉄だった。電脳文明よりも遥か昔に消えたはずの文明の名残が今、ここに一人の剣客の身体を借りて蘇った。
「……」
一振り。それで愛刀に付いた外道の白い血を振り飛ばし、鞘に納め、構える。
右を前に、左を引き足に。極端な前傾姿勢で刀を抱き込むその構えは――“詫び”。
狛彦が好んで使う居合構え。
「……やっぱ良いなぁ、お前」
「あぁ、そうかい。武の先達のアンタに褒められるってのは……まぁ、悪くねぇな」
「はは、どうする? 仲良くできそうだぜ、俺達。お茶でもするか?」
「それも良いけどよ……仕事があるんで遠慮しとくぜ」
っー訳でウサギ放せや、と狛彦。
「ン? あァ。まぁ、邪魔だな」
言って八頭蛇刃は引き切る様にして剣を戻し、ウサギの両腕を切り飛ばして転がす。
「……テメェ」
「落ち着けよ、達人。死にゃしない」
「……」
八頭蛇刃の言葉通りウサギは無事――まだ機能しているようだ。
なら良い。これで話が簡単になった。後は狛彦が八頭蛇刃に勝てば良いだけだ。
「さて。そろそろ名乗り合っとこっか、達人」
「……今更だな、えぇ? 八頭蛇刃?」
「そう言うなよ。お前は食える頃合いだが、食い頃じゃぁない。未だ熟れてない果実を踏み潰すんだぜ? 名前くらいは覚えといてやるのが人情ってもんだろ?」
「は、それはそれは――」
――お気遣いどーも。
笑顔を造る。造ろうとした。失敗した。
八頭蛇刃が構えていたからだ。その形から彼我の実力差を語られたからだ。
それは無形。完脱。両の腕を肩から柔らかく垂らし、足は肩幅程度に開く無の構え。
それは狩られるモノの在り方だ。それは殺されるモノの在り方だ。
だが、だが、それでも――
その右手に握られた蛇腹剣があるだけで意味は変わる。
静かな殺意の構え。蛇の狩りを思わせる無音無臭の殺意が満ちていた。
「じゃぁ、改めて――魔剣連合が三十六席、天巧星。人呼んで八頭蛇刃」
八頭蛇刃が楽しそうに名乗り――
「烏丸流刀鞘術が刀鞘術師、烏丸狛彦。人呼んで黙刃木偶」
狛彦が憮然と返す。
「……」
「……」
静寂。互いが互いに機を窺い世界が止まる。
不意に、そんな世界に風が吹いた。吹いた風が砂塵を巻き上げ、通り過ぎた。そして――
「撥ッ!」
「――!」
双方がそれを合図とした。
狛彦と八頭蛇刃。気声と無音。裂帛と裂帛。一足と一足。
間合いが瞬時につまり、互いが互いを刃圏に捕らえる。
八頭蛇刃がその名の如く蛇の刃を操る。一度背後に大きく振ってから放たれるのは蛇腹剣を用いての突きと言う妙技。
先端が音速を喰い潰したことを示す破裂音を響かせて迫る中、狛彦は更に前へと出る。
速さを恐れる道理は無い。
強さを恐れる道理は無い。
何故なら狛彦は達人。元よりそこで戦う気は無い。
氣で強化して尚、人は人だ。なれば肉体の強度で達人がサイボーグに挑むなど愚の骨頂。
軽さで重さを、柔らかさで硬さを、遅さで速さを屠ってこそ達人流。
「……」
屈、とコンマの溜め。踏み込んだ狛彦の右足の親指が先の踏み込みよりコンマミリ深く踏まれる。それだけで音を超える剣先の打点はズレる。
それはほんの僅かなズレだった。それでも狛彦はそのズレが欲しかった。その少しの時間が欲しかった。
――壱の払い。
鞘内に留まったままの刀が振るわれ、迫る剣先を虚空に打ち上げる。撓む蛇腹剣。ここより“次”に繋ぐには一度引くしかない。鞭の特性を持った蛇腹剣と言う利器がその欠点を晒す中、狛彦は己の間合いに八頭蛇刃を捕らえた。
――殺った。
大上段に構えたまま、散と鯉口を切る音が響く。落ちながらの縦の変則抜刀術。烏丸流刀鞘術が一手、落葉。縦の居合抜きが死に体の鋼鉄に迫る。
だが、それでも――
「は、はは、はははは!」
ここで笑ってこそ魔剣連合が三十六席、天巧星。
ここで笑ってこそ八頭蛇刃。
そして何より……ここから仕留めてこその電脳達人――!
中空にて死に体だったはずの刀身が鎌首を擡げる蛇の動きを造ったかと思えば――落下強襲。振りもせずに、握られただけの刀が真上から狛彦を貫かんと落ちる。
それは氣を用いても為せるはずの無い人外の挙動だ。
正しく、正しく、文字通りの刃心一体。
それは拡張された神経系が柄より刀身を奔り刀身を己が身体と為す外法。
軽さで重さを、柔らかさで硬さを、遅さで速さを屠ってこそ達人流だと言うのならば――
鋼鉄に置き換えた心臓にて、腕にて、足にて、人外の挙動を演じることこそが電脳達人流だ。
「――ッ!」
それでも狛彦は対応してみせる。右の刀はそのまま八頭蛇刃を喰らおうと動き、左の鞘で頭上の蛇を再度撃つ。刀と鞘の変則二刀。これもまた刀鞘術なり。
「お?」
と声を上げたのは八頭蛇刃。
狛彦の振るった刃が八頭蛇刃の逃げ遅れた左手首を半分程切り裂いていた。人であれば致命傷。それでも鋼鉄の人型にはさしたるダメージは無い。
逆に弾き切れなかった蛇に狛彦の頬が深く抉られていた。歯が見える。そしてその白を塗り潰す様に多量の赤が流れていた。
太い動脈一つ切られるだけで死に近づく肉と、腕を一つ切り飛ばされたとしても変わらず動ける鋼の差がここに産まれていた。
だから狛彦は攻める。
「ぷっ」
と血煙。口内に溜まった赤を吹き掛け、視界を奪う為のそれを嫌って八頭蛇刃が下がり――
「――!」
追撃の為に踏み込んだ狛彦の鼻筋が真一文字に切り裂かれた。
「やるねェ、黙刃木偶」
「は、」
嗤う八頭蛇刃の手には変わらず一刀。ただし、その斬撃は七刃。枝分かれし、数を一から七に増やした蛇の群れが縦横無尽に這い回っていた。
狛彦が視線を奔らせる。本来無い器官を生やすのは並々ならない程の時間と鍛錬が必要だと言う話だ。それでもかろうじて“動かせる”程度。だが目の前の八頭蛇刃は――
自由自在に縦横無尽。腕とは違う正真正銘の蛇の動き。人体には本来存在しないはずの『蛇』と言う器官を七匹も生やしてみせた八頭蛇刃の鍛錬とはどれほどのモノだったのだろうか?
達人である狛彦には始めの一歩すら踏むことが出来ない種類の武の道。
それでもそこにはやはり積み上げられたモノが見えて、磨かれたモノが見えた。
狛彦以上に練られた武。悔しいが、そこにはそれがあった。
「……ソレでやるのが卑怯卑劣の外道なんだから笑えねぇな、おい」
「ははは、こんなモン振り回すのに外道も正道もねェよ」
「……あぁ、違いねぇ。こんなモンはどこまで行っても人斬り包丁だ」
翼が飛ぶ為に有る様に、鰭が泳ぐ為に有る様に、刀はどう取り繕っても斬る為にある。だから。いや、だからこそ――
「お前には負けてやらねぇ」
「はは、そいつは……ありがとよ!」
会話はそこで終わり。七つの刃が造り出す刃圏に囚われた狛彦は跳ねる様にして後方、廃墟に逃げ込む。
劣化したコンクリートでは入り口の意味すら失われる。七匹の蛇とその担い手が追う様に壁を食い破り、砂礫が舞う中続いて入ってきた。
剥がれた壁紙。放置されたオフィスデスクに本棚など諸々の備品。廃墟はかってはオフィスだったらしい。
人が造り、人が暮らし、人が捨てた人の残滓の中、達人と電脳達人が互いの刃圏を侵し合う。
壁が、机が、障害物として狛彦の選択肢を奪う。走れない。
「――」
だから狛彦は動くのを止めた。肩を動かす様に意識して大きく呼吸を一回。それから半歩下がった。半歩下がって広げた視界を使い、左の鞘だけで七匹の蛇の連撃の起点を叩き、逸らし、潰してみせる。
「やる……っ!」
漏れ出たのは賞賛の声。自分が目を付けた獲物、狛彦の動きに八頭蛇刃が歓喜の声を上げる。
喰える。そう思ったから噛み付いた。だが、これ程までに仕上げているとは思わなかった。
烏丸流刀鞘術。八頭蛇刃はその流派の詳細は知らなかった。それでも刀鞘術である以上、後の剣であると言う推測くらいは出来る。鞘で捌く、或いは弾く、刀鞘術はそこから始まる。
つまり捌けなければ、弾かなければ始まらない。
にも拘らず、こちらが使うのは七刃蛇腹剣。外法の剣。
先ず間違いなく初見であるそれを――この若さで、ここまで捌くか。
心臓。それが有ったのならば間違いなく跳ねたのであろう。高揚したのだろう。だが鋼の身体を持つ八頭蛇刃には心臓も何もない。
それでもとびっきりの達人を前に存在しない心臓の代わりに思考回路が熱を帯びる。電流が奔る。あぁ、まるで一目ぼれの様だ。そんなことを思う。
油圧チューブの脈動に合わせて金属繊維で構成された人工筋肉が縮む。「――」。そうしてから八頭蛇刃は一度、己の中に潜っていった。金属フレーム製の骨を意識する必要はない。編まれた人工筋肉も同様に。それら二つは八頭蛇刃の武器ではない。
意識したのは神経。鋼化された神経網。思考を身体に伝え動かす為の器官。それを意識する。腕に広がる。手に伝わる。そしてその手に握られた柄を通って七匹の蛇の脳と繋がる。
七刃蛇腹剣。その刃一つ一つに埋められた補助脳の助けを借りて刃は意志を持ち、蛇となる。
刃を横薙ぎに振るう。叩きつけられる七匹の蛇。それらを操り、引き、前に出て、また引き――と互いに追い越し合い、交差しながら狛彦に迫る。
終わる。当初の見込みであればそこで終わる。そのつもりで振った一手に対して見せられたのは――
――静の剣の美しさ。
それがそこにはあった。
まるで八頭蛇刃自らがそうした様に剣筋が狛彦を避ける。
鉄すら容易く両断する七刃からなる演舞。それが水しぶきの様に散るサマは冗談の様だ。
だがそれは狛彦にとっては当然の帰結。
未熟と言えど烏丸流の刀鞘術師。鞘にて逸らすことを肝要とする以上、速いだけの剣など全て逸らして見せる。
半歩下がり、半歩進み、また半歩下がった。左足を軸にしてのたったの二歩。
その狭い空間を七刃はどうしても侵し切れない。ならば――
「これはどうだ?」
しゅる、と一匹の蛇が捨てられたオフィスデスクの足を掴む。刃心一体である以上、斬るも斬らぬも己次第。蛇はこの瞬間、剣ではなく手として機能し、そのまま金属で出来た重い物体を狛彦に投げつけた。
捌けない。ならば避けるしかない。だが残った六匹の蛇がそれを許さない。狛彦の刃圏の外。踏み込まずに留まり、獲物が出てくるのを待っていた。
「……」
前後左右。何処にも逃げ場は無く、迫る鉄塊を捌くのは不可能。斬ってやり過ごそうにも、斬った瞬間に食われる。ならば――、上。
だがそれは用意された逃げ道だ。
軽く飛ぶだけでも無防備になった空中で切られる。七匹の蛇がそんな致命的な隙を見逃してくれるはずがない。だから狛彦はこれまでその選択肢を選ばなかった。だから狛彦は跳んでみせた。
射、と浮いた狛彦を喰らおうと蛇が牙を剥く中、狛彦の足が天井に触れる。万有引力。定められた法則。それに従い、狛彦は落下――することなく逆さまのまま天井を走った。
「――ッ!」
息を吐き出して良いのかすら迷う。それでも全身を奔る氣に身体を任せて足を動かす。
軽功術の達人は舞い散る落ち葉を足場に空を歩くと言う。
なれば未だ一刀如意に届かぬ未熟者であっても天井くらいは走ってみせる。
……そうは言ってもここまでの軽功術は狛彦にとっても未知の領域だった。何時落ちても不思議ではない。そして落ちたら死ぬ。
それでも相手が格上である以上、命の一つや二つ、賭けなければ勝負にならない。
不意を突かれた八頭蛇刃が刀を振るい蛇を戻すのが見えるが――遅い。
渾身の一手賭け。己の命を賭し、己の武を信じて打った狛彦の一手が、狛彦を測ってしまった八頭蛇刃の油断に喰らい付く。
払い戻しを告げるのは甲高い金属音。八頭蛇刃の刀を握った右腕を狛彦が斬り飛ばし――
「……一匹、足りなかっただろ?」
「――」
八匹目の蛇、残った左腕に仕込まれたソレが狛彦の腹を貫いた。
実家のトイプーをシャンプーに連れて行かないといけなくなった。
そのまま実家に泊まる気がするからちょっと早いけど上げときますねー。




