きらきらハートみゅーじっく
七月。公園。
まばらに響くセミの声。木々は青く、日差しが強い。
俺は砂場近くのベンチに座り、先日三歳になったばかりの姪を見ていた。
俺は高校一年で、四つ歳のはなれた姉がいる。姉の子供だ。
名前は「ヒナ」
ヒナは砂場で遊んでいたが、急に立ち上がり、てくてくと俺の方へ駆けてきた。
泥だらけの手を俺の膝に乗せて、言う。
「たろ」
俺の名前は「太郎だ」
まだ舌ったらずで、ヒナはしっかり俺を呼べない。
「どうした」
「おちゃ」
俺はヒナを抱っこで木陰に移動させる。
低い階段のところに座らせて、ウェットティッシュで小さな手を拭いた後、お茶を飲ませた。
姉は日中仕事で忙しい。女手一つで育て上げようとしているので、大変なのだ。
俺は姉からバイト代をもらい、責任をもってベビーシッターの仕事を受け持っている。
そういう訳で、俺は学校が終わると保育園へ行き、ヒナを迎えに行って、帰りに公園で時間を潰すのが日課であった。
「ヒナ」
「?」
ヒナは首を傾げる。
俺はヒナを抱きしめた。
「ぎゅー」
ヒナもぎゅー、と俺を抱きしめ返す。
遊んでいると、どこからか音楽が聞こえてきた。
ヒナが顔を上げる。
耳を澄ますと、ギターの音だと分かる。
そして、女性の綺麗な歌声も聞こえ始めた。
ヒナが目をぱっちりと開けて、俺を見る。
「おうちゃ!」
お歌と言いたいのだろう。
俺もヒナにうなずいて、首を傾げた。
「誰か歌っているのかな」
「だれ?」
「だれだろうね」
ヒナは俺の手を引いて、歌声の方へ駆け出す。
短い階段を上がって、公園の二階にある広いグラウンドへ向かう。グラウンドの脇にある水場近くの東屋に、誰かが座っていた。
「あ!」
ヒナは指差して、俺を引っ張る。
女の子がいた。
セーラー服を着ている。女子高校生だ。
ボブの綺麗なショートカットで、艶やかな黒髪が大人っぽい。
女子高生は手を止めて、顔を上げてこちらを向く。
つんとした鼻、切れ長の黒い瞳。美人だ。
女子高校生は俺を見て首を傾げる。
「何か?」
ヒナは俺の手を離し、女子高校生の横にちょこんと座って、ギターを覗き込む。
俺は慌ててヒナを抱きかかえる。
ヒナが暴れ、俺はあやしながら言う。
「すみません、良い歌だったので気になって。ヒナ、お姉さん忙しいから、帰ろうか」
「イヤーーー!!」
ヒナは叫んで大泣き(うそなき)する。
女子高校生は立ち上がり、ヒナに言う。
「ギター見たいの?いいよ。ほら」
女子高校生はヒナに向けてギターを見せる。
「いいんですか?」
「ぜんぜんいいよ」
ヒナはお触りオッケーだと分かった瞬間、泣き止んだ。
ヒナは小さな手を伸ばし、そっと弦に触れる。
女子高校生はヒナにたずねる。
「名前は?」
「チナ」
ヒナはハ行を上手く発音できない。
俺は付け足した。
「ヒナです」
女子高校生はヒナにたずねる。
「ヒナの好きな歌は?」
「ぷ〇ちゅあ」
「…ん?」
「ちってりゅ?」
「知らない。他には?」
「…」
ヒナは首を傾げる。
たずねられて、すぐには出て来ないのかもしれない。
俺は保育園の手帳を思い出して、言う。
「ヒナ、保育園できらきら星を歌ったんだって?」
「うん!」
ギターをポロンと鳴らし、女子高校生は歌い始めた。
Twinkle,twinkle, little star
How I wonder what you are!
伸びのある歌声。滑らかで耳心地が良い。
アコースティックギターの和音と彼女の歌声がマッチして、星空が見えるようだった。
歌が終わって、俺は拍手した。
「すごい!」
ヒナはじっと女子高校生を見て、言う。
「ちらない」
女子高校生は首を傾げる。
「え?知ってるんじゃないの?」
俺は言う。
「英語バージョンは、ヒナ聞いたことないみたい」
「こっちの方が原曲よ」
ヒナは遠慮なく言う。
「ちってるのがいい!」
「日本語バージョン?私歌えないよ。歌詞知らないもの」
「えー!」
ヒナが言うと、女子高校生は肩をすくめる。
「しょうがないじゃない。私、日本生まれだけどアメリカ育ちなの」
「あめ?」
「外国よ」
ヒナは、ふーん、と言う。
たぶん分かってない。
女子高校生は俺を見て、言った。
「あなたが歌えばいいじゃん。私、伴奏やるからさ」
「ええ!」
ヒナが俺の手を引っ張って言う。
「たろ、うちゃって!」
女子高校生はギターのボディを叩き、1、2、3、とリズムをとって俺に目配せする。
ヒナが期待の目で俺を見る。
恥ずかしさを堪え、俺はきらきら星を歌った。
ヒナも完璧ではないが、一緒にフレーズを歌う。
歌い終えると、女子高校生は嬉しそうに笑って拍手してくれた。
「excellent!とっても上手」
ヒナはふふん、と笑って上機嫌だ。
女子高校生は俺とヒナを見て、言う。
「私の名前は、ミオ」
ミオは俺に問う。
「あなたの名前は?」
「太郎」
「へえ、古風でステキな名前ね!」
俺は驚いた。
「初めてそんなこと言われた」
「どうして?」
「よく揶揄われるんだ。例えば、役所の書類とかも、例の名前ぜんぶ太郎だろ?なんかダサイっていうか」
「そんなことないわよ!和の趣があって、私は好きよ」
「ありがとう」
ミオは東屋に座り、ギターの和音を爪弾きながら言う。
「こういう感覚ひさしぶり」
「こういう感覚?」
「アメリカでも、私よくストリートで歌っていたんだ。みんなで歌ったり手拍子したりするの。あっちじゃ普通のことなんだけど、日本じゃみんなちらっと見て無視するから、私の歌が響かなかったんだと思って、結構悲しかったんだ」
「そうなんだ」
「でも今、二人に褒められたし、一緒に歌えて楽しくて、嬉しかった」
ミオが笑う。
俺も笑って言う。
「ミオさんの歌は本当に良かったよ。上手くいえないけど、伸びがあるっていうか、広がりがある感じ。聞いていて心地いい」
「ミオでいいよ。嬉しい、ありがとう」
ヒナがミオの袖を引っ張って言う。
「うちゃって!」
「いいよ。なんの歌が良い?」
「くま」
「ん?くまって何?」
俺は言う。
「森のくまさんかな」
ミオはオッケー、と言ってギターを鳴らす。
「これも私日本の歌詞知らないから、太郎とヒナが歌ってね」
「え」
ミオは俺とヒナを見て、ワン、トゥー、スリー、とカウントする。
ヒナと俺は、森のくまさんを歌った。
その後、三人でいろいろな歌を歌った。
気づけば陽は暮れはじめ、辺りは茜色に包まれている。
公園に立った時計は、六時を示していた。
ヒナが言う。
「ママかえってきゅりゅ」
「そうだね、帰ろうか」
ミオがギターを片付けて、言う。
「すっごく楽しかった。二人のお陰でステキな時間をすごせたわ。本当にありがとう」
「俺たちの方こそ、楽しかった。ありがとう」
ヒナが手を振って言う。
「またね」
ミオがにこりと笑み、しゃがんでヒナの目線に会わせると、手を振り返した。
「ヒナ、またね」
ヒナも笑って手を振り、言う。
「ミオまたね」
「ヒナ、呼び捨てはダメだよ。お姉さん」
ヒナは俺を見て、にやっと笑って言う。
「ミオまたね」
ミオは俺たちのやり取りを見て、くすくすと笑った。
ミオは家に帰り、食卓で言った。
「ねえ聞いて!今日さ、公園で、高校生くらいの男の子と、小さい女の子の三人で歌を歌ったの」
母親が笑って言う。
「へえ、すごい!良かったじゃない」
反対に、父親は眉をひそめて言った。
「お前、吹奏楽部に入ったんじゃないのか?」
「うん、そうだけど」
「放課後は部活のはずだろ」
「今日だけよ。たまたま」
「なぜ部活に行ってないのか訊いている」
「うーんと…」
「さぼっていたんじゃないだろうな」
母親が言う。
「お父さん」
ミオは自分の気持ちをゆっくりと言葉にした。
「なんだか部活は、私に合わないみたい。時間も守らなきゃいけないし、ほんの少しでもリズムを変えたら、先生にみんなの前で怒られちゃうの。とっても厳しいわ」
「合奏だから当然だ。オーケストラで音がはみ出れば減点になる」
「うん、分かってる。私、アンサンブルも好きだけど、もっとフランクで、もっと自由な音楽をしたいなって思うの…歌手みたいな」
父親は大きくため息をつき、言う。
「まだそんな事を言っているのか。ミュージシャンでやっていけるのは一握りだ。お前のような半端者がなれる訳ないだろう」
「そ、そんなの分からないじゃん」
「アメリカと違って、ストリートパフォーマンスは日本じゃ見向きもされないだろう。投げ銭も気軽にする習慣はないんだ。その場のノリじゃない。日本じゃ本当に良い音楽だけしか、足を止めてくれない人間が多い。つまりお前の音楽は、その程度ということだ」
「…」
ミオは唇を噛む。
父親は言う。
「お前はまず、日本の生活に慣れて、集団に馴染むということを覚えろ。部活一つやれないようじゃ、この先何もかもうまく行かないだろう」
母親が言う。
「お父さん」
「ミオ、現実を見ろ」
「…」
「お父さん、ミオはミオなりに頑張ってるわ。応援してあげましょう」
ミオは温かい気持ちになって、言った。
「うん、ありがとうママ。パパ、私、吹奏楽部をやめる気はまったく無いよ!けど私なりの音楽も諦めるつもりはないわ。両方がんばるの」
ミオは頭を下げて言った。
「今日はさぼってごめんなさい。でも水曜日は正式な部活が休みの日だから、その日は自由にしていいでしょ?」
父親は返事をしない。
食卓を離れ、書斎に戻ってしまった。
母親はミオを見て、うなずく。
「がんばって」
「うん!」
ミオは元気に返事をした。
ミオは週に一回くらいの頻度で公園に歌いに来ていた。
たずねると、部活が無い日なのだという。
ヒナは今日、お昼寝で寝れなかったらしく、機嫌が悪くなって盛大に喚き散らした後、コテンと寝てしまった。
俺はヒナを抱きながらミオと話をしていた。
「ねえ、ヒナって太郎の子なの?」
「まさか。姉ちゃんの子供だよ。俺はベビーシッター。家族はみんな働いているから。保育園のお迎えが行けないんだ」
「そうなんだ、でも夜遅くまで保育園やってるよね?」
「預ける時間には二種類あってさ、向こうで時間が決められているんだ」
「へえ」
静かになると、木々の葉が擦れるさわさわ、という音が聞こえてくる。
グラウンドでは学校の終わった子供達がサッカーをして遊んでいた。
ミオは問う。
「太郎って部活とかやってないの?」
「うん」
「平日は毎日ヒナの世話?」
「うん。ちょうどいいんだ、特にやりたいこともないし。ヒナは可愛いし」
ミオは目を大きくして俺を見る。
「え!やりたいことないの?」
「え?うん」
「夢は?」
「特にないけど」
ミオは無言で俺を見る。
俺は首を傾げた。
「外国じゃ珍しい?」
「うん。保育園の先生とかは?」
「ヒナの世話して分かったけど、これを40人とか、本当に無理。俺は保育士さんを心から尊敬するよ。子供は好きだけど」
「仕事としては難しいっていうことね」
「そうそう」
俺はヒナの寝顔を見ながら言う。
「俺、昔から自主性がなくてさ。高校生にもなればやりたい事が見つかるかなって思ったけど、なんかピンと来なくて」
「そっかー」
「うん。ミオの夢は?」
「音楽にまつわる仕事をすること。楽器とかもけっこう好きなんだけど、それ以上に歌うのが好きだからシンガーソングライターとか、バンド組んだりするのも楽しそうだなって思う。高校に軽音部があれば入っていたんだけどね。休みの日はストリートで歌ってるよ」
俺は感心した。
「すごいなぁ。羨ましいな。そんな熱中するものって俺無いんだよね」
「いろいろなこと、やってみたらいいんじゃない?趣味でもいいからさ」
「なるほど。趣味か…うーん」
ミオはパチンと手を叩いて言った。
「歌イイじゃん!」
「え、歌?」
「うん。太郎上手よ。音程取れてるし、高音も出てる」
「いやいや、俺素人だよ」
「だから趣味で良いんだって。初めから上手い人なんていないんだし。私と一緒にギター弾いて、歌ってみない?」
「いや…」
「否定から入るのは良くないわ!私という先生もいるんだし、無料でレッスンを受けられるのよ?」
「ヒナから目を離せないし」
「なら休日にやりましょうよ。太郎と一緒にハモリながら歌ったらすごく楽しそう!」
「えー、俺、歌下手だよ」
「そんなことないよ!ねえお願い!」
「うーん、考えておく」
ミオの勢いに押し切られて、とりあえず連絡先を交換した。
俺は少し考えた。
たしかに、ギターが弾けて、歌が歌えたらかっこいいかもしれない。
想像すると、悪くない気がしてくる。
「なあ、俺の歌ってどう思う?」
「どうしたの急に」
姉は俺を見て目を丸くする。
「えーっと、一般的には悪くはないって感じ?」
「歌上手じゃない。合唱コンクールでも指揮やってたし、音感あるし」
「あれはやらされたっていうか」
姉はああ!と気がついて言う。
「ヒナがよく言ってる、歌のお姉さんの話?」
「うん。俺が趣味が無いって言ったら、歌とギターを教えてあげるって言われてさ」
「いいんじゃない?」
「俺、そういうの一切やったことないし、自分でも想像できないっていうか、向いてない気がするっていうか…」
「経験がないんだから、そんなの分からないでしょう?」
「うーん」
「別にプロになりたいとかってわけじゃないんだしさ、気軽にやってみなよ」
俺は数日考えて、姉に言った。
「姉ちゃんにもらったバイト代でギターを買ってもいい?」
姉は目を細め、優しく微笑んで言った。
「当然よ。いつもありがとうね」
水曜日にミオと話し、休日にギターを買いに行くことが決まった。
公園で待ち合わせをして、バスで駅前のショッピングモールへ向かう。
ミオは白いシャツにジーンズという出で立ちで、スタイルの良さが際立っていた。
ミオはニコニコして上機嫌で言う。
「まさか歌、やってくれるなんて思わなかった!嬉しいわ」
そこまで喜んでくれるとは思わなかった。
「うん、俺も自分で信じられない」
「楽器は演奏したことある?」
「小さい頃、音楽教室に行ってた事はある。一応楽譜は読めるけど、ギターの知識はゼロ」
「なるほど。大丈夫、私もギター、一緒に選んであげる。予算は?」
「10万」
「初心者はその半分で十分よ」
「へえ」
バスから降りて、ショッピングモールへ入る。
休日で人が多くいた。
「ショッピングなんていつぶりだろ」
「お姉さんとは行かないの?」
「うん、欲しい物とか特にないし」
「そっかー。あ、ちょっとだけ悪いんだけど、予約してた物取りに行っていい?」
「うん」
待っていると、ミオはすぐに戻ってきた。
小さい手提げ袋を持っている。
「化粧品?」
「オーガニックのボディオイルみたいなやつ。お肌は大事にしないとねー」
俺は考える。
ヒナも女の子だ。
「ヒナにもなにか買ってあげた方がいいかな?」
うーん、と唸って、ミオは言う。
「これからの季節、紫外線ヤバイし、日焼け止めくらいは塗ってあげた方がいいかも」
「子供に塗っていいの?」
「赤ちゃん用のもあるよ。ちょっと見ていく?案内するよ」
「お願いします」
店内には、化粧品や髪飾り、シャンプーやリップクリーム、可愛い入浴剤、可愛いハンカチ、可愛い外国のお菓子が並んでいる。
カワイイが溢れている。
女子高校生たちが、楽しそうにお喋りをしていた。
ミオが棚のボトルを指して言う。
「これが0歳児から使えるやつね。でもspfが50だから刺激が強いかも。こっちのspf30の方がいいと思う」
「spfって何?」
「Sun Protection Factor、この数字が大きいほど紫外線を強く防御するの。でも数値が大きいと肌の弱い人は良くないんだ」
「へえ。よく知ってるね」
「女の子ならみんな知ってるわよ」
「え、そうなの?」
「うん。いろいろな要素を加味して、自分に合った日焼け止めを選ぶの」
「へえ~」
そのあと、色々とお店を見て回った。
輸入雑貨や、インテリアなど、あまり行かないお店ばかりなので新鮮だ。
俺は円柱の棚につまったハンカチを見て言う。
「ハンカチにチャックが付いてる。他の店にもあったけど、今流行りなの?オシャレだね」
「それは生理用品を入れるのよ」
「え!」
「ハンカチだから持ち運べるし、可愛いでしょう?」
俺は感銘を受け、深くうなずいた。
「なるほどなぁ」
ミオは色々なことを教えてくれた。
「ごめん、すっかり連れ回しちゃった」
「いや、すごく面白かった。勉強になったよ」
「なんの勉強?」
「ヒナも女の子だし、成長したら色々やってあげなきゃなと思って」
ミオが笑う。
「まだ早いよー」
そして言う。
「じゃあ、本命に行きますか」
連れられて行ったのは、楽器の専門店だ。
電子ピアノ、楽譜、ギターがずらっと並んで置いてある。
俺は値段をみて驚いた。
「一万円のもある。ギターってもっと高いと思ってた」
「楽器は振れ幅大きいからね。ギターは初心者だと5万前後がちょうどいいと思う。とはいえ、自分で使うものだから、私の意見は参考までに」
「わかった」
「このメーカーは良いよ。ギターの板もけっこう重要でね、マホガニーとローズウッドっていうのに分かれているんだ。それで…」
ミオの意見や店員のおすすめを聞き、俺はギターを決めた。
土日は姉と母がヒナの面倒をみてくれるので、俺はミオとギターの練習をした。
俺はすでに、心が折れそうになっていた。
「…むずかしい」
弦を押さえる場所が分からなくなってしまう。
「大丈夫、ピアノを習ってたから、和音の概念を知っているのが大きいわ。頭じゃ理解できているんだもの」
「コードが覚えられないよ。うまく鳴らせないし」
「出来る出来る!太郎なら出来る!」
ミオは傍で応援してくれる。
簡単な歌に合わせてコードの練習をする。一区切りつくと、ミオがジュースを買ってきてくれた。
「オレンジでいい?」
「うん、ありがとう」
一緒に休憩しながら、俺は言った。
「ミオは本当にすごいね。歌いながらギターを弾くのがこんなに難しいものだったなんて、思わなかった」
「ふふ、ありがとう。私もギターを始めた時、同じこと思った。私、子供の頃、無口で不愛想なお父さんが好きじゃなかったんだけど、お父さんを見直した。かっこいいって思った」
「そっか、ミオのお父さんも音楽できるんだ」
「うん。音楽のことなら、仲良くなれるんだ。よくケンカするけど、いつも音楽をきっかけに仲直りしてた。だから今回も、私頑張りたいって思ってる」
「ケンカしてるの?」
「うーん、まあちょっとね。私は今年日本に来たばかりなの。それで、お父さんは多分私のことを思って色々言ってくるんだけど、私はそれが嫌で、なんか上手くいってない」
「そうなんだ」
ミオは少し寂しそうな顔をした。
俺は言った。
「ミオにはいつも感謝してる。俺は楽器とか歌なんて教えられないけど、良かったら話聞くよ。いや、聞かせて欲しい」
ミオは俺を見て、嬉しそうに笑った。
「太郎、優しいね!ありがとう!」
「ぜんぜんだよ」
ミオはいっぱく置いて言う。
「ザックリ言うと、私は自由な音楽をしたくて、でもお父さんはそれに反対してる。アンサンブルをしろって言うの。あと、歌手には絶対になるなって言ってくるし、私の歌なんかじゃ認められないって、私のことを沢山否定してくる」
俺は以前の会話を思い出して、たずねる。
「ミオはさ、最初の時、夢は音楽にまつわる仕事をする事って言ってなかった?」
ミオは顔を赤くした。
珍しく言いよどみ、俺をちらっと見る。
「その…夢ってさ、本当に叶えたいものって、無謀であればあるほど、他人に言うのが恥ずかしくない?」
「そうなの?俺は夢がないから分からないけど」
「だってさ、子供の頃はサッカー選手って言えても、もうこの年になれば出来ることと出来ないことは分別ついてくるでしょう?それが分かってないって事になる」
いじいじと指を動かすミオを見て、俺は笑ってしまった。
「な、何笑ってるのよ」
「いや、いつもは強引なのに、急に謙虚になるから、変だなと思って」
「だって、叶うかどうか分からないんだもの。言ってダメだったら格好悪いじゃん」
「夢って、叶うか分からないから夢って言うんじゃないの?」
ミオは手を止め、うなずく。
「確かにそうね」
俺は考えながら、言葉を紡いだ。
「話を戻すけれど、結局この問題の本質は何かってこと」
「うん」
「聞いている限りだと何だかよくある話だなって思った。要するに、親は安定した仕事につかせたいけど、子供は夢を追いかけたいって状況でしょう?」
ミオは目を大きくして俺を見る。
「そう!その通りだわ!」
「ミオが本気なら、その本気をお父さんに見せるしかないんじゃない?」
「そうね、うん。頑張るしかないね。太郎に相談して良かった。ありがとう」
「いいえ。俺も話をしてて、何だか覚悟が決まって来た。ミオに大切なギターを選んでもらったし、こんな丁寧に教えてくれてる。俺、頑張るよ」
俺が言い切ると、ミオは俺をじっと見て、にこっと笑った。
「すっごく嬉しい!」
少しは弾けるようになってきた。
だが俺には、第二の関門が待ち受けていた。
土日は毎週、ミオは公園で歌っている。
ミオの歌を聞いて、子供が集まって来る。
俺はいつも、観客側に座って、ミオの歌を聞いていた。
人前で歌うのは、本当に勇気がいる。
何度もミオに挑戦してみなさい、と言われたけれど、演奏はもちろん、集まってきた人の顔を見ることすら、俺は緊張して出来なかった。
考えてみれば、俺の人生はいつも他人に任せきりだった。目立つことが嫌で、学校でも地味な役職ばかり選んでいたし、テストだって良い点を取って他人と差をつけよう、だなんて、考えたこともない。普通でいいや、と思っていた。その必要が無かったから。
今はそれじゃダメだ。
分かっているのに、今日もまた、ミオ一人のライブが終わった。
俺は諦めてしまいそうだったが、ミオは諦めていなかった。
ミオは懇切丁寧に、ギターと歌を教えてくれた。
だから俺も、諦めずに続けていた。
気づけば夏が終わり、秋になった。
ミオが言った。
「来週の日曜日、またライブやるけど、隣にいて伴奏だけ弾いてよ。歌わなくていいから」
ミオは俺の肩を掴み、強く言う。
「お願い。今の太郎なら、出来るよ」
俺はずっと思っていた疑問を口にした。
「…どうしてミオは、そこまで俺にこだわるの?」
ミオは目をパチパチとした後、人差し指を口に添え、ウィンクした。
「ひみつ」
「え、教えてよ」
「やってみたい事があるの。一人じゃできないこと」
「ふうん」
「それに、太郎に教えるのは楽しいから。いつか一緒に歌ってみたい」
キラキラしたミオの瞳に見つめられると、不思議とやれる気がしてくる。
日曜日になり、俺は緊張しながらミオの隣に並んだ。
準備をしていると、ミオはコホン、と一つ咳をした。
「大丈夫?風邪?」
「この季節、乾燥すると咳が出ることがあってさ。大したものじゃないんだけど、明日病院行ってくる」
声も掠れている。
「今日、ライブ止めたら?」
ミオは強く首を振って言った。
「プロっていうのは熱があっても、声が掠れていても、どんなにコンディションが悪くても歌いきるものなの。だから、私も挑戦したいの」
公園の路上ライブはいつも三時から四時と時間を決めて行っている。
常連の人達は集まっていた。
心臓がドキドキして鳴りやまない。
ミオが軽く自己紹介をする。
そして、ミオと視線を合わせる。
せーの。
一緒に弦を弾いた。
ミオが歌い始める。
いつものように軽やかで伸びのある歌声を響かせていたが、途中でミオは咳き込んだ。
歌が止まった。
見ていた人達が顔を見合わせ、囁き合い、踵を返して去っていこうとする。
「待って」
俺は言っていた。
「待ってください!俺が…俺が歌います」
最後まで、聞いて欲しい。
まだ去って欲しくない。行かないで。
その一心で、俺は弦を鳴らした。
即興でしっかり弾けて、完璧に歌える歌なんて、きらきら星しかない。
人の視線を見ていられず、俺は目を閉じて歌った。
Twinkle, twinkle, little star
How I wonder what you are
Up above the world so high
Like a diamond in the sky
Twinkle, twinkle, little star
How I wonder what you are
うっすら目を開けると、人の笑顔が目に入った。
パチパチパチ、と拍手が聞こえる。
俺は呆然と、その光景を見つめた。
ミオが囁く。
「今日は太郎が歌って。私が伴奏するから、歌に集中して」
返事をする間もなく、ミオが演奏を始める。
買い物をしていた主婦がこちらを見、遠くから俺を眺めるように、歌を聞き始める。
子供たちがやって来て、座って上目に俺を見る。
不思議な感覚だった。
一時間はあっという間に過ぎ、ミオにハグされるまで、俺はぼんやりしていた。
「Brilliant!」
「…俺、歌えてた?」
「うん!最高!天才!神!」
腕を離し、ミオは笑う。
俺もただ、思ったことを言った。
「嬉しい」
「みんなの前で歌って、どんな感じだった?」
「目立つこと、見られることって、怖いことだと思ってた。けど思っていたよりも全然、楽しいことだった」
「うんうん!横で歌ってる太郎の目が、お星さまみたいにキラキラしてた。太郎、歌手向いてるよ!」
俺は笑う。
「それは早計すぎるだろ」
ミオは俺の両手をとって言った。
「太郎の声は柔らかくて綺麗。きっと私と相性がいいよ。私、太郎とコンビを組んで、一緒に歌いたい。一緒にライブをしてみたい!」
ミオの熱意に根負けし、俺は次回、ミオと一緒に歌うことになった。
姉がトントン、と野菜を刻みながら言った。
「今日さ、太郎が歌ってたね」
心臓が飛び上がった。
「…聞いてたの?」
「毎週聞いてるよ」
「え、だって、俺見たことない」
「だって、太郎はいつも、観客側で見てるじゃん。あたし感動したよ。すごく良かった。ねえ、ひーちゃん?」
ヒナがダッダッダとかけてきて、俺の膝にまとわりついて言った。
「きらきら、じょうじゅ!」
「ヒナも聞いてたの」
「うん!たろ、じょうじゅ!」
「…嬉しい。ありがとう」
がんばって良かった。
俺はヒナを抱き上げて、ぎゅっと抱き締めた。
俺とミオは、休日は公園でライブをして、一緒に歌っていた。
ギターを弾きながら歌うことにも慣れてきて、気づけば季節は冬になっていた。
ミオはライブが終わった後、一枚のチラシを出して言った。
「これ、出てみない?」
― 新人アーティスト発掘!
路上イベントに参加できるチャンス!新進気鋭のアーティスト育成制度!
内容 事前に審査を行い、合格すると、県内40施設55か所で行われる路上イベントに参加する権利を得ることが出来ます。
「路上イベントに参加する権利?」
「そう。日本は、ストリートパフォマンスをするのに許可を取らなきゃいけないの。公園は表現の自由ってことで許して貰えているけど、多くの人に聞いてもらうには、もっと色々な場所で歌いたいでしょう?」
「なるほど」
「去年の応募数は約200組。16組が合格した。すごく狭き門だけど、私やってみたい」
「うーん」
「やっぱり緊張する?」
「うん」
「出たくない?」
「出たくない」
「ごめん、応募しちゃった」
てへっとミオは舌を出す。
俺は苦笑した。
「絶対そうだと思ったよ。本当にしょうがないな」
だが、そんなミオの行動力にいつも助けてもらっている。
ミオは目を丸くする。
「いいの?」
「もう出しちゃったんだろ、ならやるよ」
「やったー!」
ミオは言う。
「それで、一番の難点は、オリジナル曲。カバーじゃダメだから」
「作曲なんて俺出来ないよ」
「でもやるしかない。私は昔からやっていて、でもやっぱりお客さんは知っている曲の方が乗ってくれる。今までカバーが多かったけど、これからオリジナルも歌っていかないといけない」
「うーん。とはいえ、本当に俺なんの知識もないよ。まずメロディーを作ればいいのか?」
「私も分かんない」
「おい」
「幾つか作ったことはあるけど、正式な方法は分からないんだ」
「いいよミオのやりたい方法で。音楽に正しさもないだろ、良いものが出来ればそれが正解なんだし」
ミオはパッと笑ってうなずいた。
「その通りね!太郎はたまに、すっごく良いことを言うわ」
という訳で俺達は話し合った。
「重要なのは何を届けたいか、じゃないか?主役は俺達じゃない。聞いてくれる人達を楽しませることが一番大切なことだと思う。それを念頭において考えよう」
「なるほど、そうね」
「審査って誰が聞くの?」
「お客さん。音楽の祭典っぽいイベントがあって、日にちで分けて一曲歌うの。みんな新人アーティスト発掘の場って分かってる」
「そうなんだ。なら尚更って感じだな。票数で決まるのかな?」
「うーんそこまでは書いてなかったな。組織票も出来る訳だから、観客の評価だけでは無さそう」
俺は考えて言った。
「俺は観客が聞いてくれるものを歌いたい。ややこしい事は考えたくない」
ミオはニッと笑う。
「同感」
「いくつか曲を作って、みんなに聞いてもらおう。それで良いフレーズとかを集めて作っていこう」
「うん!私は、メロディーを作りながら、歌詞も一緒に作っていくタイプ。歌詞とメロディーをマッチさせていくの。例えばメロディーを先に作ったら歌詞がそれに合わせないといけなくなる。それってかなり難しいし堅苦しいから」
「ふうん」
少々思うところが無い訳じゃないが、ミオの自信満々な顔を見ると、まあそれでいいか、という気になってくる。
ミオは言う。
「まずはワードよ。大きなキーワードは「夏」とか「恋」とか。その中で「ラジオ」とか「夜風」みたいな小さなキーワードを考えていく」
「なるほど」
「とりあえず1フレーズ考えてきてよ」
俺は考えたが、本当になにも、思い浮かばなかった。
苦し紛れに、俺はヒナにたずねた。
「ヒナは、なにが好き?」
「しゅき?」
「いぬ、ねこ、くるま、色々あるでしょ」
ヒナは考えたあと、保育園で作ってきた折り紙の星の首飾りを持って来た。
「これ」
「おー上手。綺麗だね」
「うん!」
俺はヒナが可愛くてぎゅっと抱き締めた。
それを見ていた姉が言う。
「ひーちゃんはキラキラが好きだよねー」
「うん!」
俺はメモを取る。
・ほし
・きらきら
ヒナは他にも教えてくれた。
・ハート
・ドレス
・ビーズ
姉も俺の話を聞き、提案した。
・ときめき
・ひつじ
出来上がったのは超絶ファンシーな歌詞だった。
ひつじを数えて眠りにおちたら
ときめき時間がやってくる
ひらひらドレス ガラスの靴で
ビーズの階段かけあがる。
おとぎ話の王子様
わたしの頬にキスをして
12時の鐘が鳴る前に
わたしのハートを受け止めて
ミオはぷるぷると震え、ついにお腹を抱えて笑い始めた。
「あははは、かわいいー!超かわいいー」
俺はあまりの羞恥に悶絶する。
ミオは笑いすぎて目の端にたまった涙を拭って言う。
「とっても素敵!予想外だったの!笑ってごめん」
「…」
「ごめんってば!すごい良い歌詞だよ」
「どこが?」
「方向性!私達は、リアルな恋愛とか、メッセージ性の強い曲っていうよりも、ふわっとしてるのがいいのかも。聞いていて楽しいな、かわいい曲だな、みたいな」
「まあ、俺もそういう方が好きかもしれないけど」
「じゃあ同じだね!やっぱり私達気が合うよ!」
「そう言った後、音楽性の違いで別れるバンドの漫画を最近読んだ」
「ちょっと!やめてよ!」
ミオの歌詞と曲、俺の歌詞を混ぜながら、一小節ずつ丁寧に考える。
「私たちは人数が二人。ベースやドラムもないから、声で圧倒するしかない。だからサビや最後は、語尾を伸ばす形にするのがいいと思う。〇〇さんの曲でも、超えてー、とか、届け―、とかでしょ?」
「なるほど。ならここは…」
「それならこっちのベースの音を下げた方が深みが出ると思う」
俺たちは音楽を作っていった。
俺は学校でもメロディーと歌詞を考え続けていた。
五線譜に音符を書いていると、友達からとても驚かれた。
実はギターをして歌っているというと、みんなは演技かと思うほど、大袈裟なリアクションをする。そして口を揃えて、意外、と言うから、何だか面白かった。
曲を作りながら、ミオが言った。
「そういえば、グループ名、何にする?」
「え?」
「だから、私達のコンビ名」
「…応募で書いたんじゃないのか?」
ミオはヒュイっと口笛を吹き、言う。
「実はまだ出してないんだ~」
「はっ?!」
「太郎が嫌だったら止めようって思ったんだけど、予想外にやる気満々だったから、まあいっかって思ってさ」
「お前ね」
「ごめん!」
「しょうがないな」
「それで、どうする?」
「急に言われてもまったく思いつかないよ」
「うーん、そうよねぇ」
俺は姉に相談してみた。
「アーティスト名がなかなか決まらなくてさ」
姉がヒナを抱いて言う。
「すごい!太郎が歌手に!」
「あのね、歌手のかの字も見えてないからね?路上ライブの権利を確保する、オーディションだから」
「うーんそうねぇ。ヒナは何がいいと思う?」
「?」
ヒナはきょとんとして首を傾げる。
姉は言う。
「そうだ、太郎、披露する曲、ちょっと歌ってみてよ」
「いいけど、サビしかちゃんと決まってないよ」
「いいから」
俺はギターを手に取り、歌った。
姉は拍手をして言う。
「とってもいいじゃない!」
「ありがとう」
まったく相談の答えになっていないが、褒めてくれたのは嬉しかった。
すると、ヒナがどこかへ走って行く。
持って来たのは、保育園で作った、首から掛ける、キラキラしたハートの折り紙だった。
ヒナは俺の首に、それを掛けてくれた。
「ちらちら、はーちょ、あげりゅ」
俺はミオに、昨日あった、ヒナのカワイイ出来事を話した。
「きらきらはーと、って可愛いだろ。たぶん、姉ちゃんが俺を褒めてたから、くれたんだと思うんだ」
「きらきらはーと!」
「は?」
「きらきらハートにしない?名前」
「なに馬鹿なこと言ってんだ」
「私ずっと考えていたの。200組もある中で、どうやったら目立つ名前をつけられるか」
「べつに、目立たなくていいよ」
「目につくというのは大事なことよ。一応、順番のパンフレットが配られている。これ見ようかなってなるきっかけが必要よ」
「いや、流石にきらきらハートは無い」
「太郎は特にアイデアがないんでしょう?なら私の案じゃダメなの?ダメならちゃんと、自分の意見を出してよ」
「…」
実際、俺も考えた。
だが、英語なんて出尽くしているし、ピンとくるものが一つも無かった。
ミオは必至に言う。
「きらきらハートってなんやねん、このだっさい名前!って思われて、興味もって見に来てくれるかもしれないし」
「嘲笑じゃないか」
「ねえお願い!」
「…ちゃんと意味を教えて」
ミオは考え、真剣に言った。
『heartっていう単語は、loveのハートだけじゃないの。「心」っていう意味もある。この大変な世の中でも、きらきら輝く心を持って、私達は歌を歌うの』
そう言われると良い気がしてくる。
「歌詞にも合ってると思う」
「まあ、たしかに」
俺はいつものように流されて、ユニット名が「きらきらハート」に決まった。
後日、俺は猛烈に後悔した。
クラスの友達が揃って歌を聞きたいと言うのだ。
情報源は知らないが、俺がイベントに出ることを聞きつけたらしい。
「ねえお願い!太郎の歌聞きたい!」
だが、歌を聞きたいという言葉に対して、俺は僅かに嬉しさを感じた。
その生まれた感情に、自分の変化を感じた。
以前は恥ずかしくて絶対に嫌だったはずだ。
「これ、パンフレットの画像。えーっと、この、一番最後、203番、きらきらハートってやつ」
「えー!かわいい名前、女の子もいるの?」
「うん、同い年の子と二人で歌うよ」
女子と男子で名前の反応が見事に分かれたが、俺は見なかったことにした。
夕食を終えて、ミオは切り出した。
「ねえお父さん、来週、ライブに出るの。良かったら…ううん、絶対に来て欲しい!」
父親は無視だ。
ミオは強く言う。
「絶対後悔させないから!私、練習したんだから!自分で曲も作ったの」
頭を下げた。
「お父さん、お願いします。私、中途半端に歌をやってないの!すごく考えてここまで来たから!それを見て欲しいです!」
父親は席を立ち、言い放つ。
「勝手にしなさい」
ミオが立ちすくんでいると、母親が優しく肩を抱いてくれた。
「大丈夫、きっと来てくれるわ」
ミオはうなづいた。
オーディションイベント当日になった。
野外イベントのような感じで、想像の十倍人がいて、俺は卒倒しそうになった。
「やばい、無理、俺歌えないかもしれない」
「バカ!ぜったい出来る!気持ちで負けちゃダメ!」
俺は、夢というモノの難易度の高さに、打ちのめされていた。
203組、総勢800人を超える人たちが、その夢に挑戦しているのだ。
俺達はステージの裏で自分たちの番になるのを待った。
音楽が聞こえてくる。
テンポが早く、激しい曲調が多い。
ドラムはもちろん、エレキギターでメロディーラインも強く、ハッキリしている。
アコースティックギターと二人の声だけ、というのは、俺達以外には見当たらなかった。
加え、俺達はイベントの一番最後だった。
観客のボルテージも最高潮で、結果発表のためにやって来た人も多い。
分かっていたものの、大取りのプレッシャーを感じる。
俺は喉の渇きを覚え、鞄から水筒を取り出した。
その時、鞄の底できらきら光るものを見つけ、俺は摘まみ上げる。
きらきらハートだった。
応援のためにこっそり入れてくれたのだろう。
俺が笑うと、ミオが近づいて来て、同じようにくすりと笑った。
「ヒナちゃんは優しいわね」
「ああ…なあ、絶対に勝とう」
「もち」
俺とミオは拳をぶつけ合った。
俺達はステージに上がった。
マイクの高さを調節し、ギターの音を確かめる。
ミオと目を合わせると、一気に周囲の雑音が引いていく。
一緒に、ソシレの和音を鳴らした。
この五か月間、ミオと奏でた音楽、俺達の生み出した世界が、ゆっくりと広がっていくのを感じた。
その優しい空気感は会場全体をつつみこみ、観客が静かになった。
ミオが言う。
「203番。聞いて下さい「伝書バト」」
俺とミオは呼吸を合わせ、伴奏を始める。
優しいアコースティックギターの音が会場に響く。
俺たちは息を吸い込み、歌を歌う。
この想い届け 広い海を越えた 遥か彼方まで
羊の群れが 海原を走っている
南風の列車は 特別快速で
一枚の手紙を持って 私は今日も風に揺られている
どんなに強い雨風も かんかん照りの猛暑でも
あなたを一途に想いながら 私は空を飛ぶ
あなたは待っててくれるだろうか
大きな空を見上げれば 心は一つに繋がれる
この手紙が届いたら どんな顔をするだろう
考えるだけで ワクワクする
だからどんなに遠い旅路でも
私は前に進むんだ
この想い届け 広い海を越えた 遥か彼方まで
ギターの音が止む。
会場は静かになった後、大歓声に包まれた。
不思議だった。
安堵や達成感よりも、温かい気持ちが胸に広がる。
うまく言い表せない。
ステージに戻り、俺はミオと向き合う。
「heartが震えた!」
ミオはそう言って、手を挙げる。
俺も手を挙げ、ハイタッチした。
30分、結果発表を待った。
パネルが用意され、あっけなく合格の番号が開示されていく。
俺達の番号はない。
無い。
現実を受け止める前に、代表者のような老人が出てきて言った。
「オーディションでは得点がつけられています。下の順位から先に、発表します」
代表者は番号を読み上げていく。
そして言う。
「えー、3位と2位と最優秀の方は表彰があります。3位、12番GSTR。2位、203番きらきらハート…」
その物凄く浮いた俺達のユニット名を、聞き間違えるはずがなかった。
俺はミオに抱き着かれて、その場にひっくり返った。
ミオは目の端に涙をためながら、嬉しそうに言う。
「やった!やったよ!」
俺もようやく実感がわいて来て、ただうなずいた。
人間は感極まると、言葉が出て来なくなるらしい。
近くで見守っていてくれた、姉とヒナが近づいてきた。
姉が言う。
「おめでとう!二人ならやれると思ってたよ!」
「ありがとう」
「ありがとうございます!」
「たろ、しゅごい!」
「きらきらハートのお陰だよ。ヒナ、ありがとう」
「うん!」
ミオのお母さんもやってきて、俺たちを褒めてくれた。
俺たちはステージに登壇して、ミオが小さな銀色のトロフィーを受け取った。
代表者は言う。
「えー、本イベントは初挑戦、現役高校生ということでしたが、それを感じさせない力強い声量、美しいハモリが技術点で良い成績を残しています。また、アコースティックギターの優しい音を活かした独特の世界観と明るく爽やかな曲で会場が一つになりました。素晴らしかったです」
オーディション結果と、路上ライブの権利など、様々な説明をされた後、俺達は解放された。
ミオが言う。
「ねえ、どっかで打ち上げしていこうよ!」
「いいね」
屋外の会場がある広い公園から出ようとした時、声をかけられた。
みると、背の高い、眼鏡をかけた気難しそうな人だった。
ミオが言った。
「お父さん!」
「え!」
俺はドキドキしながら、少し身を引いて成り行きを見守る。
ミオはたずねる。
「見てくれた?」
「…見た」
「どうだった?」
「…まあ」
「うん」
「悪くない」
「ほんと?」
「まだまだ、だけどな」
そう言い残し、ミオの父親は踵を返す。
2位でこの感想って酷くないか?と俺は思ったが、ミオの表情を見て、恥ずかしくなった。
ミオにとったら順位なんて関係ない。ただ自分の音楽を見せることが出来て、認めてくれたということが、一番大事なことなのだろう。
「お父さん!」
ミオが呼び止めると、ミオの父親は足を止めた。
「私、がんばるから!」
ミオの父親は背を向けたまま、小さく手をあげて、去っていく。
「良かったね」
「うん!」
ミオのきらきらした瞳を見て、俺も頑張ろうと思った。
「俺、ミオに歌を誘われてなかったら、何も考えず、普通に生きていくだけだった。だからミオには、すごく感謝してる。歌もギターも教えてくれて、本当にありがとう」
ミオが首を振る。
「私の方こそ太郎がいなきゃ、ここまで来られなかった。ありがとう。あのね、私がやりたかった事は、太郎と歌う事だったんだ。こういう、人の前で。初めて太郎の歌を聞いた時、すごく魂にびびっと来たから」
「そうだったんだ」
「うん。だからありがとう」
「俺、これからも音楽を…ミオとやっていきたいなって思ったんだけど」
「もちろんだよ!一緒にやろう!」
俺達は視線を交わして笑い合った。
まだ見ぬ誰かの前で、自分たちのきらきらした物を届けたい。
広い海の先、青い空、白い雲を超え、俺たちは見果てぬ夢という旅路を、飛び続けるのだ。
読んで下さりありがとうございました!