87.内気少女の憂鬱
「それでは、ご機嫌麗しゅうお過ごし下さいね」
「カスミ、また学園で」
夕方。
コデマリ様達に送られ、お礼を言うと馬車の扉は閉じて去っていくのを見送る。
落ち込んでいる心情を吐き出すようにはあ、と短く溜息をついた。アスターさんとの間に深い溝が出来てしまった…。
『これ以上は、オレとお嬢の事なので立ち入らないでください』
そう、はっきり告げられ拒絶されたと認識をした。
確かにわたしが何か出来る訳でもないし、貴族社会に介入出来る訳でもない…ただ、アスターさんの憂いを少しでも和らいであげる事が出来たらいい。
…そう思っていたのだけどなぁ。
「カスミ!すごいわね、もう立派な聖女様扱いじゃない!!」
「きゃあ!?」
後ろからガバッ!と抱き着かれ悲鳴を上げてしまう。
振り返るとニコニコと楽しそうな顔をしているルコー姉に、憂鬱だった心情が少し紛れた。
「イキシア第2王子達に朝も夕方も送迎されるなんて…さすが、カスミだわ!!このまま婚約なんて事もあるんじゃない!?」
「ッッ!?ルコー姉ッ!ここは外なのよ、変な事言わないで」
とんでもない事を大声で発言するルコー姉にヒヤッとする。
ただでさえ、ご近所の方や参拝者の方にはわたしの境遇に様々な目を向けられ、中には直接聞かれた事もあった。これまで何とか理由をつけて納得させていたけども、ルコー姉のとんでもない発言を聞かれてしまったら、大変な事になってしまう。
未だに興奮が止まらないルコー姉の背中を無理矢理、押して教会の中へと誘導しようとした。
あれ?見慣れない馬車だ…。
敷地に止められていた立派な馬車、一目で高位貴族の物だとわかった。
聖教会の参拝者は、平民から貴族の方も訪れる場所であった。それだけサフラン神官様の人望が厚いのだと、幼い時は鼻が高くなっていた…今考えれば恥ずかしい。
特にそれ以上は気にすることはなく、「カスミ!ちょ、ちょっと」と慌てているルコー姉を押し続けた。
「カスミ」
教会の中に入れば柔らかな声に呼び止められた。
「サフラン神官様!只今帰りました!」
お帰り、と微笑むサフラン神官様だが、今は少し固く見えてしまった。
どうしたのでしょう?と、少し心配になる。サフラン神官様は普段、感情を表に出すことはしない方であり、職務の一環で暗いお話を聞く事が多い筈…それでも、わたし達の前ではいつも穏やかな表情をしていた。
「帰って来て早々申し訳ないのだが、カスミにお客様がいらっしゃている」
わたしにお客様?
外に会った馬車が頭に過った、立派な馬車とはいえ王家の馬車とは違う。
ルコー姉がわたしの肩に手をそっと添えてくれて、顔をルコー姉の方に向ければ優しく微笑んでくれ、「大丈夫、行ってきな」とルコー姉の言葉に頷いて返した。
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サフラン神官様と一緒に部屋に入ると、とても綺麗な髪をした女性がいた。
入室した時は後ろ姿であったが、水色で艶のある柔らかそうな髪を見れば爵位が高い貴族、という事を判断した。
くるり、と女性は顔をこちらに向いた瞬間、わたしは目を見開いた…。
「急な訪問をごめんなさい。わたくしはスグリ・クレマチスと申します」
クレマチス…?
「シレネ様の…お母様…?」
シレネ様の母、という観点で見れば確かに、似ている…気がする。
というのも、見目は似ていると感じるが雰囲気があまりにも違っていた、目の前にいるスグリ様は”夫人”として貫禄を感じる。
シレネ様に品位がない、とかではなく…スグリ様には失礼だが、気の強い女性という印象だった。
わたしの言葉に目を細め、「ええ」と一言で返された。サフラン神官様はこの空気感を察してなのか、わたしに椅子に座るよう促してくれて、スグリ様の目の前に腰を掛けた。
「わ、わたしはカスミ・スノーフレークです。あの、失礼ですがわたしに何か用が…?」
スグリ様の雰囲気に何となくであったが、わたしに態々会いに来た理由は良いものではない、と感じた。
何かわたしがシレネ様に失礼な事をしてしまった?そして、わたしを咎めに来た?
その考えが頭の中にまず、思い浮かんできたが、思い当たる節がない。
「単刀直入に言うわ、シレネに近付かないで」
バサッと扇子を開き口元を隠すと、スグリ様はそのまま言葉続けた。
「シレネは幼い頃、実の妹をその手で殺めたのよ」
耳を疑った。
実の妹を…ころし、た?
わたしの心情を他所にスグリ様は淡々と言葉を続けた。
シレネ様は、持ち前の優秀な魔法力で実の妹を殺めたが、幼い頃は魔法の危険性を理解していないから起きてしまった、という理由で不問にされてしまった。
確かに、これまでも魔法覚醒をした子供が怪我をさせてしまったという話は何度も聞いた事がある、特に年齢が幼い頃の覚醒は無意識に使用してしまうとも。
だから、幼いシレネ様が魔法を使用してしまったとしても…わたしには不幸な事故としか思えなかった。
「―…だから、シレネには近付かないで頂戴。あの子の魔法力は…危険よ」
学園で魔法学について深く学ぶようになってから知った事がある。
生活魔法は、人を殺傷する程の力はない。が、元の魔法力が強い場合は、危険性がある、と。
シレネ様の魔法力が優秀な事は、これまでで思い知った。学園の入学時に見せてくれた、火属性の生活魔法がそれを確証させていた。
あれほどまでに優秀な魔法力を所持しているのであれば、幼い頃とは言え妹さんの命を奪ってしまうのは納得してしまう。
「カスミ…大丈夫かい?」
隣にいたサフラン神官様は顔を曇らせていた。
正直、大丈夫とは言えなかった。シレネ様は皆さんから信頼を寄せられている御方、ただその反面でわたしはシレネ様に不気味だと感じていた。
その入り混じらない感情は、わたしの中では複雑に回り続けていた。
シレネ様の話を聞きたいと思うがいざ、聞けば余計にシレネ様の人間性が分からなくなってしまう。
「…これは、わたくしからの忠告よ」
冷たく言い放つスグリ様にググッと身体が強張る。
スグリ様はシレネ様の母親でありながら、シレネ様を信頼していないんだ…。
重苦しい空気に身体が押し潰されそうになる。
コンコン
扉を叩く音で、一瞬空気が和らいだ。
ガチャ
「…何をされているのですか?スグリ公爵夫人?」
返事をする間もなく、扉は開かれた。
にこやかな顔を浮かべているのに酷く冷たいその笑みに、背中を始めとして全身に寒気だつ。
疑問が浮かぶ余裕はない、頭の思考は完全に停止してしまった。
「カル、ミア、第1王子殿下…ッ!?何故ッッこ、ちらに…?」
「…愚問ですね、僕はシレネを屋敷へ送り届け、城に帰る道中で少々見覚えのある馬車が目に入ったので」
カルミア様の鋭い眼差しは真っ直ぐ、スグリ様を捕らえていた。
「カルミア第1王子殿下ッ!!…すぐにお茶を!」
ガタン、と慌てて立ち上がるサフラン神官様をカルミア様は片手を上げて止めた。
「直ぐに用は終わるから」と、言うとスグリ様の方へとゆっくり歩み始めた。
「シレネの…そう、でしたか。ホホホ…これは偶然ですわね、わたくしも偶然こちらに用がありまして」
「…へぇ、公爵夫人がこちらに用を…?何かお悩みでも?」
カルミア様は座っているスグリ様の近くまで来れば、見下す様に立ち止まる。
「ッッカ、カルミア…第1王子殿下…ッ」
わたしに向けられていなくても、息が詰まるっ…。
尋常ではない重圧を肌でヒシヒシと感じるが、カルミア様は未だ笑顔のままで余計に恐ろしく思えた。
「…公爵夫人ともあろう方が何かお悩みなんて…僕個人として是非、お力になりたいですね。差し支えなければ教えて頂けませんか?しがない僕ですが、王子として何かお力添え出来るかもしれませんから、ねぇ?」
「いッいえ!滅相もございません!わたくし等には勿体ないお言葉ですわ」
残念です、と一言返すカルミア様の言葉1つ1つが重く聞こえる。
スグリ様はわたし以上に感じているでしょう…刃物にも感じるその言葉は全てスグリ様に真っ向から振り落とされているように見える。
「…お力添え叶わず不甲斐ない…僕が信頼できるに値する人間になれるまでもっと努力しなければなりませんね」
「…ッカルミア第1王子殿下はとても素晴らしい御方ですわ!わたくしの悩みがとても小さな悩みでございますので、相談するに値しないだけです。あ…そ、それではシレネも戻ってきたのであればわたくしもここで失礼させていただきますわ」
半ば強引に立ち去ろうと、スグリ様は腰を上げた。
「…ええ、そうですね…また屋敷でお会いしましょう」
ピタリ、と止まるスグリ様は少し沈黙した後「ええ、そうですわね」と真っ青な顔で返すと、わたしとサフラン神官様に挨拶をして退室していくのを見届ける。
「カルミア第1王子殿下、十分なもてなしをせず申し訳ございません」
サフラン神官様がカルミア様に頭を下げる姿を見て、わたしも慌てて椅子から立ち上がり頭を下げた。
「…気にしなくていい、僕が予告せずに来たのが悪い。じゃあ、僕も失礼するよ」
身体を翻し、少しも滞在する事もなく立ち去った。
「カスミ、また学園で」
退室する直前、いつものにこやかな顔でわたしにそう言った。




