85.唐栗人形の戸惑い
「んー…あとはこれかしら」
学園生活の経験を得て、知識不足を感じた私は王城の図書室へ赴いた。
カスミとコデマリがタイサン様とヴィオラ様と談話しており、私は尤もらしい理由をつけて抜け出したのだ。自ら街の探索が出来ない状況では、やはり本で知識を得る事しか思い付かなかった。
これまでは魔法学や法学、地理学をこの場所では読んでいたが、基礎中の基礎である”常識”を学んでいなかった…恥ずかしい事に私はこの世界観の金銭を知らない。
今まで屋敷の皆が揃えてくれていたので、知らなくても恥を晒すことがなかった。
恥ずかしい…16歳にしてお金がわからないなんて。
ごく当たり前だが、王城の図書室ともなれば金銭の説明がある本等置いていない。
なので、それらしい本を探していた。
経済学、社会福祉、国家社会学等…それらしい本を見つけては手に取る。
3冊程手に持っているとさすがに、重量が増して来る。1度、テーブルに置こうかしら?と思った直後に横から本を掻っ攫われた。
「…え!?」
本を奪った手を追う様に、その方向に顔を向けると…眉間に皺を寄せ、困ったような顔をするイキシアがいた。
「…はぁ、ここに居るだろう、て思ったけど…万が一、本が落ちて当たったら危ないだろ?」
そう言いながら本を持ってくれた。
「他には?」と聞かれたが「ありません」と、首を横に振って答えればソファーの前まで運んでくれた。
「ここに来るなら、俺に声掛けて。危ないから」
「…はい」
図書室に来るだけなのに?と、思うが怒っている様子で軽いお説教を受けたので大人しく従う。
私とイキシアはお互いが向かい合うような形でソファーに腰を掛けた。
「それにしても、何故この系統の本を読もうと思ったんだ?国家社会はともかく、経済学等必要ないだろ?」
「多様な知識を持つ事に損はございませんわ」
…まさか、お金が分からないからです、とは言えない。
馬鹿にされてしまう。
国家社会学の本を開けば、ズラリと並ぶ細かな文字を久し振りに見て億劫になる。いくら分厚い本を読んできたとしても、嫌気が差すものだ…。
「確かにそうだが…教会の事が知りたいのではないか?」
図星を突かれ、ドキッと胸が大きく鼓動をする。
目線だけをイキシアに向ければ、頬杖をつきながらどこか自信に満ちていた。
まるで”図星だろう?”と言わんばかりの顔をしている。
「何が知りたいんだ?俺が答えられる内容であれば教えるよ」
「…教会とは、どういった存在でしょうか?」
そう言えばイキシアは私から目線を背け、考える仕草をする。
少し間が開けば、ぽつり、ぽつりと慎重に言葉を紡ぎ始めた。
「聖女が誕生する国…そう我が国は称えられている。聖女はイズダオラ王国の真の王、等と古くからの伝統として王家に残されている。ここまでが前提の話だ」
…なるほど。
タイサン様が聖女の正体を秘匿している理由が分かった。
「そして教会は、聖女に強く信仰し聖属性は聖女に使いと称している。聖属性の力は、聖女を援護する為の聖なる力だと表明してる組織だ。その中でも聖教会は、王族と古くから繋がりがあり、聖教会の影響力は大きいんだ」
イキシアの話に少し眉間に力が入ってしまう。
教会は主人公の手助けする強力な存在だが、ひとたび間違えば厄介な存在になりうる…そう考えればこのような複雑な関係性をゲーム内では上手く纏められていた。
現実は上手い事進んでくれるだろうか?
「俺は…シレネの役に立てたか?」
眉を垂らし、悲し気に笑うイキシアに疑問が浮かんだ。
何故、そんな表情をするのかがわからなかった。
「ええ、勿論ですわ。貴重なお話をありがとうございます、イキシア様」
「…シレネと俺は長い付き合いだ。もう、”様付け”は…いらない、だろ…?」
「?それは出来ませんわ」
口を尖らせてそっぽを向くイキシアの姿は久しぶりに見る。
頬杖をついていた腕を解し、手の甲で唇を覆いながら私の方へキッ!と睨む様に視線を向けてきた。何か怒らせた?と思うが全く心当たりがない。
「俺は…シレネにとっては信用に値しない人間なのか?…悩みを打ち明けれるような…人間では、ないのか…?」
…”悩みを打ち明ける”か。
むしろ、打ち明けられない悩みだ。私が闇属性保持者であり、2年後に殺されるかもしれない等と相談出来る筈がない。
ましてやその当事者の1人なのだから…。
「…どうせ、俺が聞いてもシレネは答えてくれないのだろ?…そんなに強くなる理由を。いつも1人で悩んで…1人で解決して…俺も、シレネの役に立ちたいッ!」
悲痛、にも見える表情から絞り出された言葉にギリリッと噛み締める音が聞こえた。
紛れもなくイキシアの心情が真っ直ぐに向けられ、身体中に電気が駆け巡るような衝撃を感じる。
「ありがとうございます。でも1つ勘違いされてますわ?…イキシア様は私を十分助けてくださっております」
イキシアにとって私も友人の1人として認めれてくれていた。
ゲームでは只、敵対関係だったイキシア。
嬉しく感じるのと寂しいと感じるのはきっと…私自身がイキシア達をゲームのキャラとしてじゃなく、友人として見ているからだ。
もし、私が闇属性保持者だと知ったら?
途端に、今の優しさは憎しみに変わり銃口を私に向けてくるだろう。
良くも悪くもゲームよりも関係性を築き上げた分、怒りという感情だけでは済まされない…。
カタン
その物音は、イキシアが椅子から腰を上げた音だった。
私の前までゆっくりと歩を進めるイキシアを不思議に感じて、近づくにつれて合わせる様に私も見上げてしまう。
そっと、壊れ物に触れるような手は、私の白い髪に触れた。
「イキシア様…?」
イキシアから醸し出される雰囲気に圧倒され、唱える様な小さな声で彼の名を呼んだ。
「…シレネ」
彼から返ってきた声もまた、小さな声だった。
私の白い髪を掬い上げ、イキシアの唇は白い髪へと落とされた。
「ッ!?い、いき、しあ様」
まさかの出来事にただ驚く事しか出来なかった。
髪に口づけは”愛情表現”。
特に深い意味はない、そうわかっていても恥ずかしい。
バンッッ!!!
「お嬢!!ご無事ですか!」
「…シレネ!!」
突然の大きい音に私とイキシアは肩がビクッと上下した。
「カルミア…扉を乱暴に開けるなよ」
「アス、ター?」
「…何、してるの?ねぇ…?」
地獄の底から湧き上がるような真っ黒な重圧は、カルミアの周りをとぐろを巻くように漂う。
鍛え上げた足で押し潰されないように踏ん張るのに精一杯だ。
「お嬢…ご無事、ではないですね」
胸元のハンカチを取り出しながら、アスターは私とイキシアの間に割り込んだ。
そして私の髪を痛ましいものを見るような眼差しで拭き始める。
「…イキシア様…貴方様への警戒が疎かになっていた事は認めましょう。イキシア様よりも危険な人物がおりましたので。…で、す、が!!もう!お嬢へは手出しはさせません」
「いや、待て!落ち着け!勘違いされるような言い方をするな!」
「そうですわ、アスター。これはご挨拶の様なものよ?特別な意味はないわ」
「…いや、それも違うが…」
イキシアが何か呟いていたが、それよりも「お嬢!もっと警戒してください!」とアスターの説教で掻き消されてしまった。
アスターも口付けのする場所の意味は知っている筈なのに…何故そこまで怒るのかしら。
耳を塞ぎたくなる程、怒るアスターの言葉は右から左に聞き流した。
「…ほう?シレネにとっては挨拶なのか、なるほどね」
真っ黒な覇気を纏るカルミアの顔はとてもにこやかな顔をしていた、顔と雰囲気が全く合っていない。
ビュウゴオオオ・・・ッ!
「なっ!?」
「カルミアッ!?」
…ん?
唐突に発生した突風はアスターとイキシアを図書室の端へと飛ばしてしまった。
髪がとても乱雑になってしまったが、それをカルミアが手で整えてくれて、目の前の一瞬の出来事と平然と私の髪を整えてくれている姿に頭の理解が追い付かない。
「…それだったらさ」
不意に声を掛けられ、ハッと意識が戻ってきた。
カルミアの方へ顔を向けようとした、が…手で抑えられた。
首にズキッ!と痛みが走る。
何が起こった?
それを理解する前に首元に感じる柔らかい感触と妙な温かさ…。そして、その柔らかな感触が離れれば外気に曝け出された皮膚が冷やされる。
「…これも挨拶、て事だよね?」
耳元で囁かれ、背中からぞわり、と全身に伝わった。
ぬるりとした感触が首元にゆっくりと伝るのを感じ、再び柔らかな感触が一瞬、触れた。
「…土塊」
ドゴオオッ!
「ッ!?…アスター、これはやり過ぎじゃない?」
「いいえ?お嬢に手出しする輩は…誰だろうと関係ありません」
「待て、ここは図書室だ!!魔法は使うな!!」
まだ、脳の処理が追い付かない私は…口に手を当てたまま呆然としていた。
首への口付けは…”執着”。