7.読心術を覚えましょう
それからも地獄の勉強会は続き、ある時は―…
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「お嬢様っ!!姿勢が崩れております!座ってる時も腰を丸めてはいけませんっ!背もたれに背中を預けてはなりません!!」
「はいっ!!」
フランネ先生による淑女マナーは優しそうな顔に反してとても厳しかった。
「背筋は常に真っ直ぐに凛々しく、ですよ。そして笑顔も忘れてはなりません」
柔らかく穏やかな笑顔を向けるフランネは貴族令嬢そのもの。
清掃してるときも、お茶を用意してくれるときも、荷物を運んでる時もフランネは常に姿勢は真っ直ぐで一つ一つの動作に侍女とは思えない気品さが溢れていた。
「お嬢様………?少々疲れておりますね、休憩にしましょう。美味しい紅茶をご用意致しますね」
そしてこの気配りっ!!天使のお姉さまだわ!
そういうと一度扉を開けて出ようとした、が。
「フランネ。まだ1時間経過しておりません。休憩などしないように」
「…………はい、ルリさん」
パタン
「お嬢様、休憩はもう少し後にしましょうか………」
「……………はい。」
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「それでは、シレネ様のダンスはわたくし、タツナミが担当致します。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いしますわ!」
ダンスを担当してくれたのはタツナミだった。
フランネやガーベラの時は時々、ルリが監視にやってくるがタツナミの場合どうやらそれはないみたいだ。
その理由は、すぐにわかった。
「……―シレネ様、お言葉ですが。リズムの感覚が皆無でございますね。基本のワルツでこれだけリズムが取れないのは致命的ですね。よいですか?1.2.3、この3拍子は忘れずに、ゆっくりと優雅に大きくターンでございます。先ほどのあれは、ただ回転してるだけです、気品さの欠片もございません。フランネの教えの通り、指先ひとつでも気を抜けば気品は欠けるものですから、いかなる状態でも気を抜いてはなりません。…………わかりましたか?シレネ様」
ぐあああああと小言の嵐を受け、あまりにもタツナミの変わり様に開いた口を閉じることが出来なかった。
あの、優しくダンディなタツナミが今、無表情で節々に毒を入れながら発言するタツナミの姿はまさに鬼そのもの。
「………シレネ様、口開いたままですよ。たったいま、いかなる状態でも気を抜いてはなりません、と申しましたが、どうやら全く聞いてなかったようですね」
「い、いえっ!!……ごめんなさいぃぃ!気を付けますっっ!!」
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「お嬢様、日々の勉強を大変よく頑張られておりますね」
にこにこと怪しい笑みを浮かべながらルリは私を誉めてくれた。
その笑みは、最初こそは気付かなかったが、何か企んでいる笑い方なのだと気付いてしまった。
この地獄の発端であるルリは私にとっては極悪非道侍女にしかみえない。
「お嬢様、私に対してそのように思われていたのですか」
「なっ!?なにも、いえ!私はルリのことはすごい人だな~と思ってるわ!」
まさか私の心が読めている!?
冷や汗が滲み出てくるが必死にそれを悟られない様に隠す。
「………ふぅ。お言葉ですがお嬢様は、すべて表情に出すぎ、です。決して、わたしは人の心を読めているわけはございません」
!?
やはり読めているのでは?
背中から冷や汗が滝のように溢れてきた。
「さて、お嬢様、本題に入ります。お嬢様には読心術を習得していただきます。」
「………………………はい?」
どく、しんじゅつ?独身の方ではないよね?
「貴族社会とは嘘で固められた社会です。時に人を騙し、時には牽制することがこの社会では生き残る術です。それは例えクレマチス公爵家令嬢であってもその周囲は常に蹴落とす事を考えております」
淡々とまるで当たり前のように話すルリに私は、改めて”貴族”というものがいかほど面倒なのかを思い知った。
淑女マナーやダンスが完璧なことは最早、貴族社会にとっては前提なことであり、そこから求められるのは豊富の知識と自身を護る術。
大好きなゲームの中に転生できたと呑気に喜んでいた自分を殴りたくなる。
ここは、ゲームの世界ではなく今の私が生きる現実世界だ。
そして、私は平民ではなく、クレマチス公爵家という高位貴族の令嬢。
ただ、主人公よりも強くなればいいだけじゃない。
主人公たちに殺される前に私自身が蹴落とされないようにしなければならない。
それこそ、ゲームでは見れなかったシレネが殺されるあのパーティーの瞬間まで、貴族社会で生き抜いたように。
………多分、不気味だったから誰も手を出さなかっただけのような気もするけど。
でも、不気味だけでは私は生き残れない。
「ルリ、私に読心術を教えて」
「勿論です。お嬢様」
決意を固めたシレネの目を見て、ルリは少し哀しそうに笑った。
その一瞬の表情にシレネが気付くことが出来なかった。
「早速ですが、読心術を習得するのに重要なのは人間観察です。その人間がどのような人物なのか見極め表情を読み取り、何を思い何を企んでいるのかがわかります。手始めにガーベラはわかりやすいので観察してみてください」
……………さらっと簡単のことのように言ってるけど、さすがにガーベラは少しずれている以外わからない。ただいつも笑顔で無邪気な女の子という印象だ。
ガーベラが何を考えて、何を企んでいるのかなんて、しかもわかりやすいて。
「お、おい。ルリの奴は一体お嬢様に何を教えようとしてんだ」
「ま、まぁ、ルリさんのことですし、きっと何か考えがあってのことだと思うわ」
「うぅ…あんなに可愛らしいお嬢様が………うぐっかわいそうに」
「コルチカ!それはルリさんに失礼よ」
ルリとシレネの様子を遠くから見守っていたフランネとコルチカは、ひっそりとシレネに同情したのだった。
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「フランネは淑女マナーで、ガーベラは勉強、タツナミさんはダンス、ルリは………まぁ置いといて。俺は…何もしてなくね?」
キッチンの前で項垂れるコルチカはこの屋敷の料理人。
飄々とした性格とは裏腹に料理の腕前は一流であった、が、似たような性格のガーベラでさえもシレネの教師という重大な役目がある。
フランネやタツナミのような知識も技量も持ち合わせていないコルチカが出来るのは料理だけであり、貴族令嬢であるシレネには必要のない技量だった。
「俺だって!!なにか!!お嬢様のお役に立ちてぇ!!」
そんなことを言いながら、鬼のスケジュールで勉強を頑張るシレネの貴重な束の間の休憩に少しでも疲れを癒してほしい為、甘いお菓子を作る。
脳をフル稼働し、小さな身体を酷使して尋常じゃないスピードで令嬢として育て上げられているシレネが嫌にならない様に、そして体調を崩さない様にする為だ。
主の体調管理は俺だけじゃなく、ルリも考えてのスケジュールだろうが………
お嬢様もあの鬼スケジュールでよく逃げ出さないよな~………俺だったら無理、3日で逃げる!
シレネは疲れた!お昼寝したい!と子供らしく喚くことはあれど、もう嫌だ、辞めたい!と言うことはなかった。
それでいて、日を経つごとにシレネは確かに知識も技量も吸収していた。
ガチャと扉が開く音と共に賑やかな声が聞こえる。
「つかれた~………もう頭が爆発しそう」
「でもお嬢様すごいですよ!!イズダオラ王国の歴史も地理も完璧じゃないですか!」
「そうですよ、淑女マナーも時々気が抜けてしまうことはありますが、動作はとても綺麗になってきましたよ」
「シレネ様はダンスのリズムさえ、押さえればとても素晴らしいですよ」
「お嬢様、問題です。ガーベラは何を企んでいるでしょう」
「ん~……あ!侍女仕事をサボって晩餐のつまみ食い、かしら?」
「んぐっ!?な、なぜそれを………っっ」
「正解です」
とても楽しそうな話声に耳を傾ければ、自然とコルチカも笑ってしまう。
「コルチカ!今日はどんなお菓子かしら」
子供らしい笑顔を向けてくるシレネに心が温まる。
「今日は、お嬢様が大好きなタルトケーキですよ!俺の愛情をたんと注いでおきましたんで甘い味になってます!」
ルリから冷ややかな顔が見えた気がしたが、見えないふりをした。
フランネとタツナミの柔らかい微笑みと、シレネとガーベラのまるで太陽のような可愛らしい笑顔に毎度ながら作ってよかったと思えた。
「ありがとう、コルチカ!コルチカの作る美味しいお菓子や料理を食べると力が漲ってくるわ」
その言葉にギュッと胸が締め付けられ身体が熱くなる。
嬉しくて、嬉しくて溜まらない。
笑顔が見れただけでも充分なのに、料理人としてコルチカ自身にとってその言葉はこの上なく嬉しいものだった。
「うぐぅ…ごう、え"いでずっ!!おじょう、ざまぁぁ!!」
「ひゃあ!?コ、コルチカ!?」
「ふふっ、お気になさらないでください、お嬢様。コルチカはお嬢様に褒めてもらって嬉しかったみたいです」
クスクス笑うフランネを横目に、コルチカはいつかお嬢様にも自分たちのことがバレてしまうんじゃないかと思った。
隠す必要もないし、なにも問題ないことだが可愛いお嬢様に知られるのは何となく気恥ずかしい。
俺も!頑張ってるお嬢様のために、とびきり美味しいお菓子と、料理を作ってあげようっ!!
お嬢様の笑顔のために!