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「ノエの寝相は何というか、凄いな」
「ええ、凄いとしか言えませんね。」
朝方、ノエの様子を伺いに来たセドリックとセルシオは目の前に寝ているノエを見て、開いた口が塞がらなかった。ノエはお世辞にも寝相が良くはなく、寧ろ何故そうなると疑問を提したくなるような寝相を2人に見せつけていた。
「…起こすか」
2人がノエをさするとノエはすんなりと目を覚ました。まるで何事も無かったように。2人は冷たい物を見る目でノエを見るが、ノエ自身は何も心当たりはない。
男2人、無言のままノエを連れて食事へ向かった。
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「美味しい、何これ食べたことない」
「何って、スクランブルエッグだよ。卵を混ぜて味付けて焼くんだよ。料理の基本中の基本だろ?俺でも知ってるわ」
「卵ってそんな使い方あるんだね。卵って、茹でたやつしか食べたことないや」
「…自炊は何してた?」
「茹でたり焼いたりだよ、普通のこと」
「…調味料や下処理は?」
「なにそれ」
目の前に広がる美味しい料理に目が絡む。僕は捕まっている身なんだけれども。
「それよりお貴族様が料理の基本を知ってる方がびっくりだよ」
「騎士は野営することも多いし、食材を必ず持ってこれる訳でもないからな。今回は短期滞在だし王都から持って来てるものばかりだ」
食事を終えるとセドリックとセルシオが僕を野営テントの結界の外へ連れ出した。結界の外は雨が降っている。やはりこの結果はとても高度な物なんだとしみじみと思う。
セルシオの手で魔法陣が地面に描かれていく。人が3人すっぽりと入れるほどの魔法陣。
「では、始める。」
「まさか…」
「離すなよ」
「汝、理に沿い、我が願いを汲みたまえ…転移魔法」
ぐわりと視界が回る。噂には聞いていたが、これが空間移動の魔術。森が広がる世界から、一気に世界が変わる。
「…気持ち悪い…」
「すみません。転移魔法は時空に歪みを作って飛びますから、酔ってしまうんです。慣れれば平気ですけれど…これ気付け薬です。少しは楽になります。」
転移魔法もかなりの高尚技術であり、簡単にできる物ではない。セルシオはそれを難なくやり遂げた。本人は気持ち悪くは無いらしい。
飛んだ先はある一件の屋敷の前だった。シンメトリーで豪華絢爛な佇まいであり、庭も広く手入れされている。
「ここはケンディア家の別宅です。オリエントの北端、パルタという町まで飛びました。…ここに、我が妹ラザリーが居ます。ノエ殿、失礼とは思いますがお召し物を変えて頂きます。さすがに別宅とは言え侯爵家に入るには目立ちすぎるので。」
「わかった」
渡されたのは綺麗な織物でできた衣装だ。華美な装飾はないが、手触りの良い生地が一級品だと言うのを物語っている。これ一枚で領民の生活の半年程の金額にはなるだろう。恐れ多い。
「どう?」
「少し大きいようですが、まぁ大丈夫でしょう。さぁ、行きましょう」
侯爵家門前にはもちろん私兵が立つ。体が大きく眼光が鋭い。セルシオは気にせず私兵の間を通り門を潜る。セドリックも慣れた様子で気にもしない。僕は流石に落ち着かない。
屋敷内は別宅とは言え、やはり綺麗な装飾がされていた。庭の手入れは勿論行き届いていたが、屋敷内はそれ以上に綺麗にされていた。埃一つ落ちていない応接間に、綺麗に磨かれた大きな硝子窓から光が乱反射して幻想的な雰囲気を作る。
応接間に飾られた肖像画に目がいく。2枚あり、片方が長髭を蓄えた茶髪の男性、一方が綺麗な金髪を結い上げた女性だ。
「これは当代領主、つまり私の父と母です」
「そうですか…」
セルシオの髪は見事な茶髪だが、線の細さといい顔の造作は母に似たのだろう。
セルシオに案内をされて連れて屋敷の奥へ進む。段々と表の煌びやかな雰囲気から暗くなっていく。
「…こんな所で申し訳ないですが、妹はここです。」
通された部屋は屋敷の端の端、暗く換気もされていないような、陰気な場所にあった。あの外から見た美しい屋敷内にもこの様な場所があったとは、考えられないほどに。
病に伏せる令嬢が眠る場所としては些か不可解だ。
「ロザリー、セルシオです。入りますよ?」
返答はないがセルシオは気にせず戸を開ける。妹とは言え女性の部屋に入るのにそれでいいのか、と疑ったが、そんな気持ちはすぐに搔き消えた。
部屋の中はベッド以外なにもない。調度品はおろか、生活感のあるものの一切がない。部屋も狭く、日当たりも悪いのか陰りが強い。唯一ある家具であるベッドはお世辞にも良い物とは言い難い代物で、昨日の騎士団の僕が寝た寝具の方が遥かに良いものだった。
そこに眠るのは小さな少女が1人。
「…ロザリー?」
「セ、ルシオ…にいさま?」
顔色、声ともに覇気がなく、とてつもなく弱々しい。
ベッドから起き上がるのもままならない。しかし、病に伏して尚、造形の美しい娘だと感心した。艶やかではないが、見事なスミレ色の髪と瞳が伺える。
「…身体は辛くないですか?」
「兄様のおかげで」
「食事は取れてます?」
「えぇ…」
食事を取ったと答えた割に、細い手足が見える。
…もう、生きているのもやっとだろう。
あの世の使いが彼女の首を刈ろうと、今か今かと待ち侘びているようだ。
「ロザリー、こちらは呪術師です。」
ロザリーに話が聞きたいと」
「呪術師様…」
「僕は呪術師のノエ。…キミの話が聞きたい」
始めようか、キミの魂が何を望むか。
「というわけで部外者は出ていってほしい」
「部外者、だと?」
今まで穏和な顔しか見せなかったセルシオが、初めて表情を崩す。だから、ダメなんだよ。
「この子の心根を聞くためだ。僕が最善だと思える時でないと、術はかけられない。今はまだ、ダメだ。最善じゃない」
「とう言うのは…?」
今にも噛みつきそうなセルシオだが、理性で我を抑えている。セドリックは僕たちの様子を止めるでもなく、ただ見ている。
「本人が再びこの世に在りたいと少しでも思えない限り、術は意味を成さない。この世に在りたくない魂を強制的に押さえつけることはできない。…魂が耐えられない」
本来、人は死すれば魂は天に召され、転生の時を待ちながら魂は洗礼される。転生先は天のみぞ知る。それに横槍を入れ、再度この世に人として転生させるのが呪術師だ。そして、本来の理に争うには、代償が全くないわけではない。
「この世から消えたいと思う魂は、術に耐えられずに消滅する。それこそ、転生なんてものはない。ただ、無となる。…それは本当の"死"だ。そんなことにはさせられない。」
「…それだとしても、私が出て行かなくとも私の前で話せばいいのでは?」
「死ぬ事を良しとしない人の前で、本音が言えるとでも?」
「それは…」
憑き物が取れたように、セルシオは僕をみる。
人は他人の言葉や態度に少なからず影響を受ける。それこそ、見知らぬ他人でもだ。それが家族ともなれば影響は言わずもがな。
「…ロザリーに無理させないで下さい」
「善処する」
セドリックはセルシオの肩を叩き、そしてこの質素な令嬢の部屋を出ていく。残されたのは、今にも手折られそうな風前の灯の魂と僕だけだ。
「ロザリー、僕と話をしよう」
キミの心根を教えてくれ。