出会い
2022年。
地球を掠めた小惑星があった。
【2022VE281】という名の中規模な小惑星。
通常であればニュースサイトにも載らないような、天文学者の間で取り交わされる1データとしての小さな出来事のはずであった。
地球衛星軌道の遥か先を掠めたその宙域に何らかの重力異常が生じ、謎の干渉現象により時空の裂け目のような異空間ゲートが現れてしまったのだ。
観測した科学者たちは狂喜した。
瞬く間にSNSやニュースサイトに取り上げられた異空間ゲートと思われる現象を人々は知ることになる。
無限の可能性が広がる希望に、人々は歓喜し広がる未来の可能性に興奮していた。
だがその興奮は僅か数日のうちに、絶望へと変貌する。
後に『 界魔 』と呼称されることになる巨大な謎の異界細胞群が出現。
国際宇宙ステーションをセントラルセルとし、地球上へその細胞片が降り注がれてしまった。
細胞に感染した人々は、いわゆる<ゾンビ化>症状を発症し友人、隣人、家族、妻、夫、我が子を喰らい、そしてそこからまた人食いの屍人たちの数が広がり続けていく。
宇宙から降り注いだ絶望により、世界は滅亡の危機に瀕していた。
あれから半年。
屍人で溢れかえる東京都、豊島区にある都立台間高校の体育館に身を寄せ合い、隠れ潜みながら生き延びる者たちがいた。
◇
亜麻色陽介は台間高校周辺店舗での食料集めに限界を感じていた。ゾンビの行動を観察しつつ奴らの密度が少ないポイントを回っていたが、およそ取りつくした感が否めない。
平和だったころの記憶を頼りに、さらに3ブロック先の個人商店の位置を思い出したため慎重に音を立てないよう向かうことにした。
背中に大きめのリュック。手足には雑誌を巻きつけている。
陽介の知識として、ワールドウォーZという映画の中でブラッド・ピッドが雑誌を両手に巻いて噛まれることを防いでいた描写を思い出していたからだ。
こういったゾンビ映画での対策を利用し、陽介はこの地獄をなんとか生き延び、食料を避難所へ持って帰るという日々を過ごしていた。
雑居ビルの一階にあった商店のシャッターは閉まっている。
総菜屋と一緒に食料品を売っている下町のお店。
平和だったころ、ここのコロッケを食べたことがあったがかなりおいしかった思い出がある。
そんな郷愁と、もう戻らない、あの退屈だと不満を並べていた日常が脳裏を揺さぶる。
裏口のドアから様子を伺うも、中は静寂とかび臭い匂いが立ち込めていた。
LEDの懐中電灯を点けながら、さっと潜り込むと中はあまり荒れていない。
シャッターが閉まっていることが盲点であったのか、中の食料は半分ほどが無事であるようだ。
陽介が注意していることがいくつかある。
食料品を二つリュックへ収納したら、必ず周囲を警戒すること。休眠中のゾンビが動き出す恐れがあるからだ。
ビスケットやチョコ、栄養補助食品が目についたのでそれも落とさないように慎重に詰めていく。焦って詰め込もうとすると、音を大仰に立てることになって結局逃げるはめになる。
こういったことを何度か経験し編み出した、陽介なりの生きる知恵であった。
総菜コーナーは油が腐り落ちすえた臭いが立ち込めている。休眠状態のゾンビがいないかを確認しながらライトを左右に振る。
半分ほどリュックが埋まった頃、外で物音がした。
だめだ。
こういうときはこちらも動かず警戒に集中。焦って詰め込めば自ら退路を断つことになる。
勇敢にも自ら食料集めに飛び出していった大人たちのほぼ全てがゾンビの餌食になり、人を喰らう仲間入りを果たした。
ほとんどがスポーツマンや格闘技経験者など、体力に自信のある人たちだったように思う。彼ら、彼女らは皆勇敢であり彼らから多くの勇気をもらったと陽介は思う。
だが陽介は体力もなく身長も170cmちょいと、体格的にもあまり恵まれているほうとは言えなかった。
だからこそ、様々な知識を使いながら幾度となく食料を持ち帰って来たのだ。
缶詰類を多く詰めすぎると身動きができなくなる。
重いので体力のない陽介には負担が多い。そこで7割ほどで打ち切り子供たちが好きな飴類を押し込みゆっくりとリュックのファスナーを閉めていく。慎重に、音を立てないように。
そしてまた警戒。
ゆっくりとリュックを背負うと、その重みに胸がきゅっと痛くなる。これが避難所に届くことの重要性と、ゾンビから逃げる時の枷になると分かっていたからだ。
ドアを開け外に出ようとしたところで、向こうの路地からゾンビが身体を揺らしながら近づいてきていた。
ポケットに入れていた石を手に取り、こちらへ気付く前に反対方向へと投げてみた。
壁に当たって落ちる音に反応し、ゾンビがひしゃげた声帯を震わせながら壁へ突進する。
その隙に陽介は通りへ躍り出た。
150mほど先で死肉を貪ってい老人ゾンビたちの視線が陽介に突き刺さる。
焦らず逃げる。
このゾンビはいわゆるワールドウォーZや28日後タイプのような狂った身体能力はない。
バイオハザード系やウォーキングデッド系なので動きは緩慢、数で押されなければ対処のしようがあった。
小走りに駆けだす陽介。
時おりビルの非常階段を駆け上り、ブロック塀を器用に歩きながらするりとわき道を滑るように台間高校への帰還を目指す。
学校前の大通りへあと少しという時であった。
何か機械の駆動音のようなモノが近づいている。聞いたことのない不規則な機械音。
辺りを見回してみると、その音に反応したゾンビたちが周辺に溢れ出していた。
まずい!
逃げる方向を確実に見定めようとするが、通りから溢れ出したゾンビの群がまるで打合せでもしたかのように四方八方から押し寄せてくる。
ああ、これはやばい。
ポケットに100円ライターと爆竹の束を忍ばせてはいたが、音でおびき寄せて隙を作るという段階はとっくに通り過ぎていた。
どこか逃げるところと、ブロック塀をよじ登ろうとしたが家の庭にいたゾンビが腐った顔で隙間から噛みつこうと迫ってくる。
「うわっ!」と思わず尻もちをついてしまったことで、完全にこの場から逃げる機会を失ってしまった。
これはもう終わったかな。ごめんねこの食料をせめてみんなに届けてあげたかった。
呆然と立ち尽くす陽介に向けて迫るのは、生きた人間を喰らおうとするゾンビの群。
腐った肌をぶら下げて、内臓を引きずりながら、捥げた手をばたつかせて奴らは迫って来る。
地獄のような呻き声の合唱を叫びつつ。
その時であった。耳を劈くような轟音と衝撃が陽介を吹き飛ばす。
いてて、転がりながら周囲を見渡すと、そこには黒と銀色の巨大な金属の塊? 乗り物? がアスファルトを削りながら滑ってきたようであった。
立ち込める砂煙の向こうで声が聞こえる。
「少年無事か? お前は感染していないな?」
澄んだ少女の声が脳髄に突き刺さる。
「は、はい! まだ噛まれていません!」
「あいつを守れ! 各員撃て!」
どこかの国の特殊部隊なのだろうか? きっと恐ろしいほどの銃撃音が響き渡るのだろう、そう陽介は覚悟した。
だが聞こえてきたのは想像よりも遥かに小さい、奇妙な射撃音だった。
空気を切り裂くエネルギービームが着弾したゾンビの頭部や命中部位を蒸発させながら貫いていく。
しかもそれが連射されているため、バタバタとゾンビの群が無力化されていく。
陽介の近くまできていたOLゾンビの頭が吹き飛ぶというよりビームによって蒸発する。
すごい。そう感じることしかできなかった。
現代の軍用火器であれば血肉が吹き飛んでしまうが、彼らの使う光学ビーム兵器は超高熱の威力をもって蒸発させてしまうため、僅か1分にも満たない時間で周辺のゾンビを殲滅させてしまったのだ。
夢でも見ているのだろうか。もしかしたらあの日夜更かしして遊んだ未来形FPSの夢から覚めないのだろうか?
「状況報告」
リーダーらしき男の凛として通る声が響く。
「キャプテンへ、周辺動体反応、サザンクロス周辺の5反応のみ、殲滅完了。現地7号人類種の少年の救助成功です」
知的な女性の声がリーダーに向けて報告する。
「少年! この星の住人だな、少し話が聞きたいから恩に感じてくれるならこいつを修理できそうな場所を教えてくれ」
緋色の髪をしたリーダーがそうして手を指しのべてくれた。
眩しかった。
素直に従うしかなかったというより、彼の言葉に心が躍ったように思う。
僕は出会ったのだと。