夏の不思議な思い出
一度こういう感じの小説を書いてみたくなって書いてみました。
セミがその生命を糧に7日という猶予の中で鳴きさけび。
近年多くなった異常気象だかでまさに異常な程太陽の光は私に降りかかる。
そんな日、田舎の見慣れた我が家のそばの細い道に私は立っていた。
そして何故かその見慣れた目に映る光景に私は感動していた。
夏の照りつける太陽とジメジメとした空気で背中に汗がじっとりと不快感を感じさせる。
今にも家に駆け込みクーラーに当たりたいと普段なら考えるものの。
何故か動くことが出来なかった。
そうしているうちにふと、中学生の頃の授業内容が思い浮かんできた。
ニュートンはリンゴが何故地面に落ちるのかという不思議を追求していったため万誘引力という法則を見つけたという。
私は今その見慣れた光景に感動していて、何故感動しているのかと、不思議になった。
ニュートンは不思議を追求していって万誘引力という偉大な考えをこの世に生み出した。
ならば私は、私のこの感じた不思議は?
例えば普段気にしてなくともこの見える光景に別の物があってそれに感動した?
いや、普段と至って変わらない。
見える光景には普段と変わらない、なら。
自分の考えに関係するもの?
それも無い、普段の代わり映えない生活と同じだ。
セミはいつの間にか鳴き止んでいた。
気がつくと近所のおじいさんが心配そうにこちらを見ているのが目に入った。
「あぁ、すみません少しぼーっとしていました、もう大丈夫です」
と私は言い、慌てながら家に向かって歩き出した。
「おーう、気をつけなさんな」
とおじいさんがそんな私の背中に向かって声を掛けてくれた。
結局次の日気になった私は同じ位置同じ時間に立ってみた。
けれども結局昨日の感動はまったくなく、そんな私を嘲笑うかのごとくセミが一斉に鳴き出した。
まるでこの景色は私達の物だと、主張しているみたいだった。
故郷を離れていてもあの日の事を私は毎年夏になる度に思い出す。
そして毎年その場所にあの日の感動した気持ちを、あの感じた不思議が何だったのかを知りたいが為に訪れるのだ。
ニュートンはその不思議を解明出来た。
なら同じ人間である私が同じ不思議の解明ということを出来ないわけがない。
解明出来たとしてもおそらく世界からしたらちっぽけな事なのだろう。
だとしてもそれは私にとっての大発見となる。
だから私は今年もあの夏の日の場所に向けて歩み出すのである。
読んでいただきありがとうございました。